鬼徹もそうだそうだと言っています雪雲分厚い曇天で包まれた島を離れ、はちゃめちゃかと思われた航海は意外にも順調、どんよりとした天気も回復してきた頃でした。
「おい」
「……」
「おいってんだよ」
「……なんだ」
それまでじつと離れた場所から様子を伺っていた一味の攻撃の要とも言われる剣士が突然さっき同盟を組むことになった他船の海賊団の船長に話し掛けました。
「貸せ」
「なにを」
「それ、その大太刀だよ。ちょっと貸せ。すぐ返すから」
剣士が指さしたのは、その船長が持っている長い長い刀、鬼哭と呼ばれる大太刀でした。
それを認めた同盟船長は眉間に深い皺を寄せ、厳しい表情を浮かべます。
「……断る。なんでてめえに貸さないといけねえんだ」
「ああもう!うるせえな!いいから貸せって!」
「なんだと…?」
「さっきからぴゃーぴゃーガキみてえに泣きやがって!ちょっと説教してやる!」
「……は?」
「あーもうほんっとにうるせえ昼寝もできやしねえ!」
「なにを、」
「よーし、わかった!そんなに言うなら交換!な!おれの貸してやるから!な!こいつらは大人しいからよ!はい、交換!」
「…は?あ?おい、待てっ」
「すぐに返す!」
それ以上引き止められないようにでしょうか、剣士は驚くべきスピードで見張台へと昇っていったかと思うと、ぱたん、と上空で扉の閉まる音がしました。
甲板にぽつんとその両手に白と黒の二本の刀を抱えた同盟船長は呆然と呟きます。
「説教……?刀に……?」
「ふう」
パタンと閉めた扉のすぐ傍で、剣士は同盟船長が後を追ってこないか暫く耳を澄ませていましたが、安心したように一つ息を吐くと、途端に眉根に皺を寄せ、煩いものを見る様に、手にしていた大太刀を見つめました。
「うるせえなあ」
カタカタ、一振りだけ腰元に佩いたままの朱鞘の刀、鬼徹もそうだそうだと言うように震えます。
「おい、お前、鬼哭つったか。ちったあ泣きやめ。さっきの島じゃそんなに泣いてなかったのに、なんで泣く」
頭に響いて寝れねえじゃねえか。と文句を言う剣士に、鬼徹もそうだそうだとカタカタ囃し立てます。こら鬼徹。窘める様に剣士が朱鞘を撫でました。
鬼哭は悲しいのですと懇願するように震えました。悲しいから哭くのです。辛くても泣かない主人の代わりに気付いてくれよと哭くのです。
「はあ」
剣士は興味がなさそうです。鬼徹もあんまり興味がありません。そこには強さがみあたらないからです。
主人は悲願を遂げるためなら死んでもいいと思っているのです。
「ふうん」
幼き頃から胸に秘めた野望に殉じても……
「へえ」
怨敵を倒す為なら……
「ほお」
聞いているのですか!?
「いや、あんまり」
剣士はふわわと大きな欠伸を漏らしました。信じられないとガチガチ怒りを表す鬼哭に、お、やるか?と好戦的な鬼徹がギギギと震えて応えます。
重い妖気で空気が淀み始めているにも関わらず、渦中の剣士は眠気眼で半分瞼が降り、そのぼんやりとした視線のまま、
「じゃ、お前が守ってやればいいじゃねえか」
と何でもないことのように言い放ちました。
は?
「そんなにぴゃーぴゃー泣いてるだけじゃなんも守れねえぞ。しゃんとして、お前がトラ男を助けてやればいい」
鬼徹もそうだそうだと言いました。この剣士だって鬼徹がいなければ石斧の一つも斬り伏せられないのです。
「おまえはいらねえもんも斬りすぎんだよ、鬼徹」
いやいや、あのすぱりとどこまでも気持ちよく斬れた感覚はたまらないのだと、これは刀にしかわからないのだと鬼徹はふふんどやどやとしましたが、ちょっと強いからって無駄に調子に乗ると無駄に阿呆な目にあうから自重をしろと、剣士と共にあの瞳の無駄に鋭い師匠に何度も嗜められたのを思い出し、鬼徹はちょっぴり黙りました。
「トラ男の代わりに哭いたってなんにも変わりやしねえんだ。哭く前にやることがあるだろうが」
そう、鬼哭のやるべきことは、主人の代わりに哭くことではありませんでした。
主人のために、寸分の狂いもなく、敵をすぱりと斬り伏せ捻じ伏せ舞台を掌握することが鬼哭の仕事だったのです。
「というか、主に、おれの睡眠のためにも哭き止んでくれ」
最期にギィン!と不満を漏らすように強く哭いて、ずっと強く大きく響いていた耳に障る弦を擦るような哭き声は徐々に小さくなり、ふうと風に溶けて消えていきました。
剣士ははあと一つ溜息を吐いて、
「妖刀ってやつは、どいつもこいつもめんどくせえ」
何言ってんだ。面倒くさいのはお互い様だ、鬼徹と鬼哭はそうだそうだといいました。
ほい、返すとばかりに数分も経たず手元に戻ってきた大太刀を持ち直した同盟船長は違和感に首を傾げました。
なんだか、先程よりも艶やかになっているというか、揺れる房や柄の毛並みも良くなっているというか、気合が入っているというか
「どうした、鬼哭」
ぼそりと呟きが思わず口から転び出て、何を言っているんだ刀に向かって、と同盟船長は強く頭を振ると帽子を深く被り直しました。
甲板の隅っこで日向ぼっこをしていた剣士はその様子を横目でちらりと伺って、
「めんどくせえってのはあいつらのことを言うんだ」
鬼徹はそうだそうだと笑いました。鬼哭は素知らぬ顔でゆらりと房を揺らします。
太陽の王の冠をあしらった船が、愛と情熱とおもちゃの国に辿り着くまで残り数十時間。これから起こる騒動などまだ誰も知らない、平和な頃の出来事でした。