【こちらへいらしてください。】姉と2人で東京へ遊びに行った時の話。
私たちは都心から少し離れた駅の近くのホテルに泊まった。
古いホテルだがレビューも悪くなく、何より気に入ったのは他よりも安めな値段だ。
一泊の素泊まり、細かいことは気にしない。
と思いつつもホテル内部の壁紙や絨毯の何となく古臭い豪華さや、どこからともなく漂うタバコの香り等「平成初期にたくさん建てたビジネスホテルの生き残り」の慣れない雰囲気に微かな不安を覚えた。
チェックインのやり取りをする姉の後ろからカウンター内を見ると、姉の対応をする女性の他には男性が一人、パソコンで作業をしていた。
受け取った部屋の鍵もカードキーではなく、アクリル素材の棒状のキーホルダーに鍵がついてるレトロなやつだ。
プラスチックが黄ばみかけたエレベーターのボタンを押して部屋へと向かう途中、「まぁまぁだね」と姉と2人苦笑いをした。
エレベーターを降りるとわざとらしい豪華さと古臭さを感じる赤い絨毯が引かれた廊下が伸びていた。
部屋に向かって歩いていると、「この廊下いかにもホテルって感じだし、お母さんに着いたよって写真送ろうよ」と姉がスマホを取り出した。
「そこ立ってて」
「はーい」
私は振り向きながらカメラに向けて笑顔を向けた。
姉が撮るよーと声をかけた後、パシャっとシャッター音が鳴った。
「ん?あれ?変に撮れた、ごめんもう一枚」
パシャッ
「あれ?」
「どうしたの?」
「いやー何か…撮影押すと何もないとこにピントが出てボヤけちゃう…」
スマホの画面を覗き込むと撮影した画像は全体がぼやけていた。
姉は眼鏡を外しスマホを凝視すると「うーん、もういいや、行こ」と言いながらまた眼鏡をかけ直した。
何となく薄気味悪さを感じつつ部屋に入った。
オレンジがかった暗めの室内照明がまた古さを感じる。
ベットサイドの壁に取り付けられたスチール製の箱は灰皿と思われる。使われてないはずだが煙草臭い気がする。
ベッドに腰掛ける。シーツは白く、ホテル特有の清潔な匂いがする。スプリングも悪くない。気持ちよく寝られそうだ。
「建物は古いけどベッドはいいねぇ」
声をかけると姉はもう靴を脱いでベッドの上に伸びていた。
「新幹線も東京駅も久しぶりで疲れちゃった、先に風呂いい?」
姉に風呂の順番を譲ると、私はとりあえずテレビをつけた。
特に見たい番組はないが、他県への旅先で、テレビで見る天気予報やCMの御当地感が好きだ。
ところが、リモコンの入力ボタンを押してもテレビの画面は暗いままだ。
チャンネルを変えると一瞬画面が白くなるから反応があるとわかるが、何も映らない。
音量を上げるとサー…という音だけが響く。
テレビの主電源ボタンを押すとサーという音は途切れる。
電源は入るが音声と映像か出ないようだ。
しばらくテレビを調べたりリモコンをいじった。
「もしかして昔あったというお金を入れないと動かないテレビなの?」とテレビを調べてみたが、小銭を投入するような箇所もない。
テレビ自体も古いものではなく、後ろに表記された表示によると去年の製品らしい。
どうやら本当に壊れてるようだ。
諦めてスマホをいじっていると姉が風呂から上がってきた。
姉はスマホをいじる私とテレビを交互に見ると、リモコンに手を伸ばした
「あ、テレビ映らないみたい」
「え、まじ?」
姉は驚きながらリモコンボタンを押してみる。
テレビはやはり動かない。
「うーん…ホテルの人に聞いてみる?」
別にテレビが点かなくても困らないがやはり点いてないと何となくさみしい。
この時、私たちは何故か室内の電話機で連絡するのではなく、直接カウンターまで行くことにした。
2人で赤い絨毯の廊下を歩いてエレベーターへ向かった。
時刻は23時頃だった。
すれ違う他の旅客に会うこともなく私たちはカウンターがある1階へ着いた。
しかし、
エレベーターの扉が開いて2人でギョッとした。このホテルはエレベーターとカウンターが隣接していたはずだ。
しかし目の前にあるのは客室前の赤い絨毯の廊下だ。
開ボタンを押しながら扉の向こう様子を伺う。
「…階数間違えた?」
「でもエレベーターは1階って出てるよ?」
古びたエレベーターの黄ばんだボタンの上にある階数表示は「1」と出ている。
エレベーターから廊下に出て辺りをキョロキョロと見回してるうちに、上階から呼び出されたのかエレベーターの扉が閉まり私たちは廊下に取り残された。
不意に姉が「あ」、と合点がいったように呟いた。
「多分このホテルエレベーターが2基あるんだよ、客室廊下の奥と手前で。」
「じゃあ行きと逆の方に乗ったってこと?」
「だと思う。とりあえず歩いて行ってみようよ。」
姉といっしょに廊下を歩き出す。
エレベーターが2基あって別の方に乗ってしまい思いがけないとこに出る、
ありえない事ではないと思うけど、そもそも部屋から出て反対方向に歩いた覚えはない。
どのタイミングで間違えたのだろう。
思案していると姉が立ち止まった。
あと2メートルほどの距離で廊下が途切れ、その先はエントランスホールだった。
カウンターには事務服を着たショートヘアの女性が座っている。
私が一方歩みを進めると、
「どうしましたー?何かお困りですかー?」
と女性が声をかけてきた。
「どうぞーこちらへいらしてくださーい。」
すいません部屋のテレビが と応えつつ歩み寄ろうとしたが姉に制止された。
「もういい、戻ろう」
「え?何?せっかくだから聞いてみようよ。」
「いいから、戻ろう。」
有無も言わせず姉は私の肩を抱いて押すように反対方向へ歩き始めた。
「どうしましたかー?こちらへいらしてくださーい。」
カウンターから女性が声をかけ続けている。
「どうしたんですー?こちらへいらしてくださーい」
急に違和感を覚えた。
声が遠ざからない。
「ねぇ、おねえちゃん」「いいから」
後ろからかかる声、ビリビリとした空気を感じる。
「どおしましたかあーはやくうーこちらへーきてくださあーい」
永遠に廊下が続くやつだったらどうしようかと思ったが、エレベーターに辿り着けた。
私たちは後ろを振り向かないまま、そそくさエレベーターに乗り手探りでボタンを押した。
こちらへ来いと呼びかける声はまだ続いている。
閉まる扉に徐々に遮られるあちら側とこちら側の気配に安堵した。
その瞬間。
はやくこい
一際はっきりとした声がすぐ後ろから響いた。
「いっ」だか「ぎっ」だか短い悲鳴を吐き出して私たちは振り向かないままエレベーター内の隅に更に逃げた。
扉が閉まる音、その直後に軽い揺れとゴゴンという音が聞こえた。あの声はもう聞こえない。
エレベーター内で、扉に背を向けたまま私たちは息を殺し、隅っこの方に寄り添って立っていた。ゴウンゴウンという上昇音が続いた後、ポンという機械音が鳴った。私たちの部屋がある階にエレベーターが止まったのだ。
扉が開く音と同時に「わっ」という男女の声がした。
そろっと振り向くと見知らぬ男女がギョッとした顔でこちらを見ている。
エレベーターを待っていた別の客が、隅で固まってる私達に驚いたのだろう。
女性の方が「あの、大丈夫ですか?」とおそるおそる声かけてきた。
大丈夫です、と私はひどく安堵し、目に涙が滲ませながら応えた。
私たちを訝しげに見る男女と入れ替わりに私達は廊下に出た。
そのまま歩いても歩いても部屋にたどり着けず、
ということは無く、無事に部屋に戻ることができた。
ベッドまで歩き倒れ込んだ。
やはり清潔な匂いがする。
姉はテレビのリモコンを手に取りボタンを押した。
プツッという音の後に、深夜帯のバラエティ番組が映し出された。
はぁーっと姉が長めのため息をつき、フラフラと浴室に入っていく。
そして戻ってきた時、姉は眼鏡をかけていた。
「あ、お姉ちゃん眼鏡…」
「うん、かけ忘れてて…でもあんたが一緒だし、すぐ戻るからまぁいいやって…」
姉は言い淀むと「怖いから明日話す」とベッドに入ってしまった。
そういえば私風呂入ってないな、と思ったが恐怖感を体に残したまま、とても入れる気がしない。
テレビは消したが電気をつけたまま眠った。
翌日、私たちはチェックアウト時間より早くホテルを出た。
エレベーターが1階に着いた際はドキドキしたが、扉が開いた先は廊下ではなくエントランスホールだった。カウンター内にはパソコン作業をしているホテルマンが居り、こちらに気づくと会釈した。
彼に鍵を返却し私達は足早に立ち去った。
駅に向かう途中、立ち寄ったカフェでモーニングをとりながら、姉は昨夜の一件について話してくれた。
「私メガネないと遠くの風景がモワ〜としか見えないんだけど、あのカウンターと女の人はすごくハッキリ見えたんだよ。
すごい大声出してたけど口とか全然動いてないの。
で体が声出すたびに耐えられない感じでブルッガクッて揺れてんの。」
姉は少しコーヒーを啜ると眼鏡の弦を触った。
「昔読んだ怖い本にさ、幽霊とかは視力じゃなくて感覚で見えるって書いてあったの思い出してさ、やば〜ガチだって…。」
「そ、そんなやばい感じだったの…?全然わからなかった…」
そういうと姉は呆れたような顔で私を見た。
「あー…あんたって人を見る時に服と髪しか見てないよね」
「え!?な、そんな…」
無意識の癖を指摘され、否定しようとしたが心当たりがありすぎる。
ちょうど昨夜もそうだ。
「確かに髪ショートで事務員服着てたのしか覚えてない…」
「事務員服かぁ…あのホテルのスタッフ、女性もスーツだったし…ホテルに関係ないオバケなのかなぁ」
コーヒーを飲みながら姉はスマホを取り出した。
「あのホテル予約した時にレビュー見た?」
「見たよー!星1のとこもちゃんと!」
ホテルを予約したことを責められてるような気がしてムキになって答えた。
安い分、立地や設備はできる限り確認したし、私が予約した時に見たレビューでは低評価でも「内装が古い」という意見ぐらいしかなかった。
そっかと返事しながらスマホをいじる姉の顔が急に曇った。
「ねて、見てみコレ」
差し出されたスマホには予約サイトのレビュー欄だった。
「これ、昨日のホテルの?」
「うん、最新のレビューがやばい」
★☆☆☆☆「部屋のテレビが故障してる」2022/08/■
★☆☆☆☆「スタッフの態度」2022/08/■
★☆☆☆☆「!!泊まるな危険!!」2022/08/■
タイトルに恐怖しつつ1件目にレビューを開いた。
『部屋のテレビが壊れており、スイッチを入れたらサイレンのような音が大音量。カウンターに連絡したら「こちらへ来てください」と連呼されるだけ、スタッフが部屋まで来る等の対応は無し。結局テレビはコンセントを抜いて寝た。代金を少し割引してもらったが印象は悪かったのでリピートはない。』
2件目
『夜に外出しようとしたら廊下の先に女性が立っていた。制服を着ていたのでスタッフかと思う。こちらを黙ってじっと見ているので気分が悪く、部屋に戻った。夜間外出禁止とは書いていなかったはず。」
3件目…
「…あれ?開かない」
件名をタップしたがレビュー詳細に飛べない。
「え!見せて!」
姉にスマホを渡す。しばらく画面をタップすると顔を顰めて「消されたみたい」と呟いた。
「もしかしてああいう体験した人のレビューを速攻消してる…?」
「多分…そうなんだろうね」
あのホテルのカウンター内、見るたびにパソコン作業していた男性スタッフの姿が頭に浮かんだ。
髪はボサボサで白いワイシャツの襟はくすんだ色で汚れていた。
顔だけは思い出せない。
【終わり】