新年バニースーツ餅つき伝説 ミカグラ島の新年は賑やかだ。ブロッサムシティの歓楽街では毎年あちこちで夜通しニューイヤーパーティーが開かれ、大通りには着飾った人々がめいめいに誰かとつるんで歩いている。街頭ビジョンには新年を祝う映像や音楽が華々しく流れ、目抜き通りから少しいかがわしい路地裏まで、眠らない街をカラフルに照らしていた。
喧騒華やぐブロッサムシティの中で最も分かりやすくいかがわしい場所と言えば、カジノ街だ。ここに通いつめる享楽好きの常連たちが新年を理由に羽目を外さない訳もなく、新年最初の日を迎えた未明には、トランプがディーラーの手の上でいつもより多めに舞い、スロットもルーレットもそこかしこでフル回転していた。外れにあるダイニングバーではアルコールで理性をぐっすり眠らせた人々が勝った負けたと血走った目で大騒ぎをし、そうでない人々もまた普段より少々調子に乗ることを楽しんでいた。
そんな中、カウンター席で一人ココアのカップに口をつけている青年がいた。どこか金色の犬を思わせるブロンドを襟足の短い清潔なツーブロックにしており、素朴な形の眉と柔らかい目元は笑えば随分人好きがしそうだ。グレーのコートを着っぱなしでいるところを見るに長居する気はないのだろうが、明らかに場に馴染まない理性的な人相であった。
「見慣れない顔だね。噂を聞きつけてきた……って面構えじゃなさそうだが」
カウンターの隣の席でウイスキーのグラスを傾けていた高齢の女性客が青年に話しかける。
「ええ、人を待ってるんですが――。噂って、何のことでしょうか? よかったら教えてくれませんか」
青年は柔和に微笑んで女性客に応じる。女性客は口の端を上げてにやりと笑った。
「新年バニースーツ餅つき伝説だよ」
「新年バニースーツ餅つき伝説」
突如耳を襲った突飛な単語の組み合わせに、彼は聞いたことを脳に刻まず反射するように復唱した。女性客は新顔の戸惑いを楽しんでいるような様子で続けた。
「正月になるとディーラー達がバニースーツで餅つきをする宴があるらしいんだがね」
「そ、そうなんですか……?」
初耳である、それ以前に胡散臭すぎる。青年の頬が思わず引き攣る。明らかに引いている青年の反応にお構いなしで、女性客は語り出した。
曰く――最近になってカジノの客たちの間でまことしやかに囁かれるようになった噂で、その宴には客の中から幸運な数人が招待される。更に振舞われる餅の中には一枚だけコインが入っていて、それを引き当てた者は幸運中の幸運だ。カジノに借金がある者はそれが帳消しになり、加えて一億ミカグライェンが現金で贈与されるのだ。
「そ、そうなんですか……」
青年は額に手を当てて唸った。胡乱なようで、このカジノ街のことだ。あると言われてしまえばある気もしてくる。クククと女性客が笑った。
「ま、あくまで噂だがね。あわよくばこの幸運を手にしようって皆血眼になってるのさ」
「おぅ、その噂だけどなァ」
いつの間にか後ろにいた壮年の男性客が、ビールグラス片手に呂律の回らない舌で割り込んできた。
「面白い話をしてやるよ。その宴、借金が多い奴から順番に招待されるって話だぜ」
女性客は、会話に突然他の客が割り込んで来たことを気にもせず、グラスを傾けて相槌を打った。
「へえ、じゃ救済措置って事なのかね」
「それが、そうでもねェらしいんだよ」
男が声を潜める。迫真の話しぶりに、二人もごくりと息を飲んだ。
「コインが当たらなかった他の奴らは、返って来なかったんだとよ」
「そんな……」
突然の残酷な展開に、先ほどまでにやついていた女性客も固まる。その時だった。店の扉ががらんと開いて、青年の待ち人が現れたのは。
「待たせたか」
「ルーク、久しぶり……」
午前三時半きっかりに現れたのは、機械の手足を持った二メートル越えの大男と、線の細い長髪の青年の二人組だった。
「イ、イアン! カジノ王イアンじゃないか!」
青年――ルークと呼ばれたその人――以外の客が大男を見てどよめく。それもその筈、彼こそが数年前までこの辺一帯を取り仕切っていたカジノ王その人であった。いつの間にかその座を退いて、最近はカジノとあまり関係ない場所でよく目撃されているが、今だカジノ街では泣く子も黙る有名人だ。
「新年早々頼みごとをしてすまないが、付いて来てくれ」
「あ――じゃあ僕、失礼します。お話、ありがとうございました!」
ルークは先ほどまで話していた客らに会釈をして立ち上がり、踵を返したイアンのマントを追いかけてさっさと行ってしまった。
元カジノ王と知り合い。それも、頼まれごとをする仲。清廉そうな顔をしてあの青年、一体何者なんだ――。
先ほどまでカジノ街一の新顔だと思って話していた相手がカジノ街一のビッグネームと知り合いだったことに、今度は客二人が唖然とする番だった。
もしかしたら、彼こそが噂の根源の最も近い場所にいる人間かもしれなかったのだ。
「聞いての通りだ。闇カジノは閉鎖されたのにも関わらず、最近になってまたこの辺りで行方不明者が出ている」
闇カジノ跡地に向かうエレベーターホール。派手に崩壊した筈の場所に繋がるそこがルークの今回の目的地だった。(といっても現在本職――警察官――としての彼は休暇中なのだが、手を焼いている知人友人仲間を見ると放っておけないのが性分であった)
古びた施設は地下での爆発の影響もありほとんど使えなさそうに見えたが、人が通りそうな通路にだけは埃がなく、真新しい事件の匂いがする。長髪の青年にコントロールパネルを点検させている間に、イアンがルークにこれまで得た情報を共有する。
「行方不明者は借金のある者ばかりだ。運よく戻ってきたらしい証人がいるが、うわ言でコインがなんとかと言うばかりで参考にならん」
「そ、それって……!」
ルークの脳で火花が散り、点と点が繋がった。ああ、まさか!ルークは胡乱で恐ろしいその伝説の名を口にした。
「新年バニースーツ餅つき伝説……!」
深刻な顔で突拍子もない単語の組み合わせを口にした彼を見て、二人は瞬きをして復唱した。
『新年バニースーツ餅つき伝説』
新年は始まったばかり。伝説もまた、始まったばかりだ。