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    15日の無配①
    ここにワスとのシーンが入って完成になる(予定)

    今一度俺は正義を問う 授業終わりの一時、教科書とノートを巻き取りながらランス・クラウンは溜息を吐いた。ここ最近、ずっと解消しない問題がある。それは彼にとっては重要だが彼以外にとっては苦笑い。つまり、彼の妹――いや、妹のグッズについてだった。
     「アンナが笑うと世界が輝くんだ」
     「……あ、うん」
     「虹色の光が広がって」
     「ヘェ、ソウ」
     「なのに、これらのアンナは笑っているのに光の表現が乏しい」
     「それでホログラムやラメを手当たり次第買っていたんですね」
     ランスが工房の住人なのはアドラ寮生にとっては周知の事実、もはやランス専用に近しくなってきた量の工房は只今光物で溢れていた。どれも美しい輝きには違いない、けれどランスの求めるものとは違う。七色で光源からパァッと明るく輝く自然美。この世界にあるべき天然の輝きだ。そこまで熱弁するくせに苦々しい顔をするランスにドットが首を傾げた。
     「そこまでイメージ固まってんなら素材も検討ついてるんじゃね?」
     「当たり前だろう」
     口をへの字にして言い切るランスにドットが更に眉を寄せる。と、レモンが「あ」と声をもらし指を立てた。
     「もしかして、七色蝶の鱗粉ですか?」
     「ッ」
     「ああ、虫か」
     「ンッッ」
     ランスは頭を抱えて机に伏せる。皆がなるほどと納得して、そりゃあなあと続けた。そのなかでレモンだけが記憶を辿って口にした。
     「七色蝶の鱗粉ならレアン寮のシュエン・ゲツクくんが持っていたような…確か、お茶会のときにスカーフにつけていて話題になっていたこともありましたね」
     「ケッ、あいつかよ」
     「でも七色蝶は飼えませんし、鱗粉だけ所持しているならランスくんでもいけるのでは!」
     「むしの……こな……」
     「粉末顔料です!」
     「いけるな」
     途端にしゃっきりしたランスに面々の顔が緩む。ランスはレモンに礼を言うと颯爽と歩き出した。ランスの次の授業はアドラ寮生で取っている他人は珍しいものでその分レアン寮生の比率が高いのだ。ランスはロケットペンダントを開ける。今日も愛しい妹はこちらに微笑みかけていた。

    ***
     「君から話しかけてくるのも珍しいと思ったら『七色蝶の鱗粉』だって?」
     彼の指先は前髪を弄り続ける。ずっと擦り合わせているものにランスはいつか発火しないものかと願っていた。苛立ちが募るのだ。シュエン・ゲツクを呼び止めたのは授業終わりと決めていた。大体のレアン寮生はその後の授業に空きがあり、寮へと戻っていく。だから、授業終わりに話をつけ、そのまま寮で物を貰い、さっそく試作へと移りたい。兎にも角にもASAP。ランスにとって一秒でも惜しい。
     「アレはたまたま温室に遊びに来た七色蝶から第三魔牙が採取してくれたものだから量もなくてね。もう残っていないんだ、ごめんね」
     「なんだと……。温室には七色蝶はよく現れるのか?」
     「そんなわけないじゃないか!レア中のレア!滅多にないって第三魔牙もサングラスをとって確認してたくらいだよ」
     「……」
     ランスの顔にまだ苦さがやってくる。口元を押さえて考える素振りをみせた彼に話しかけてきたのは意外にも話したことさえないレアン寮生の男だった。きっと同学年なのだろう。馴れ馴れしくも話に割り込み、得意げに胸を張った。
     「素材で困っているなら見逃せないな。僕らには自由に使える素材庫があるじゃあないか」
     「ちょっと」
     シュエンが冷たい声をだした。ランスはその声にすこしだけ瞳を縮めると、男のやたら大振りな演説のような会話を聞く作業に戻った。怒っているようなシュエンの声は初めて聞いた。
     「我らが寮長は皆に機会が与えられるようにあの素材庫と自習室を解放したんだろう?ならば教えてやってもいいだろう。なんせアドラとは言ってもランス・クラウンだ。悪いことはないだろうよ」
     「そうだとしても素材は有限だよ」
     「それは僕らが考えることじゃないさ。さあクラウン。こっちだ」
     男が恭しく、いやわざとらしく一礼して腕を開く。ランスは口元に手を当てたまま、まずはシュエンを見た。すっきりしない表情で肩をあげたシュエンはランスを止めはしない。ならば、足を踏み出した。男の言う通り、招かれたのはランス・クラウンだ。己の目と耳で物事を考え、それでも妹を主軸に世界が回るそういう男だ。

     ランスがレアン寮に招かれたのは今日が初めてではない。レアンの寮長であるアベルが招いたこともあればアビスから物を借りたこともある。アドラよりも厳格さが目立つ寮ではあるが足を踏み入れるごとに他寮生徒の数も増えている。協力関係と寮間交流。まぁ、良いことだ。ランスが鼻を鳴らす。と、隣でずっと喋り続けていた男は「そうでしょう」と相槌を打った。ランスは何も聞いちゃいないが。
     「何事も独占はよくないからなあ。僕はこうしてレアンが開放的になってとても良いと思っているんだ。たった七人の上位者だけが特別な施設を使うなんてね」
     「……」
     「ほうら、着いた。ここがレアンの自習室、そして誰もが使える素材の貯蔵庫さ」

     扉を開けてその天井の高さに驚いた。まるで教会のような室内は完全に左右対象で机が綺麗に列を作って並んでいる。目の前の男以外は誰も無駄話をせず、書物を開いたり実験機材を用意したり学びに勤しんでいた。見事だ。意識の高さに惚れ惚れする。
     いつの間にかゆっくりになっていた歩みは壁を覆う棚を見て完全に止まった。小さな仕切りで等間隔に区切られた箇所に瓶が並び、丁寧にラベル分けもされていた。先を行っていた男は友人でも見つけたのだろう、後ろに人を引き連れ戻ってくると両手を広げてみせた。
     「ここは元から誰もが使えていたただの自習室さ。置いてあるのも唯の薬草とかつまらないものばっかり」
     「それにしては凄い種類だ」
     「宿題やレポートで使うものには困らないよ。先生直々に補充もしてくれるから不足はないね」
     「補充は先生じゃないだろう。先生に取り入りたい生徒の間違いだ」
     無駄に騒がしい笑い声が湧く。男は失礼と口端を上げるとくつくつ喉で笑いなおした。
     「こんなもの、かのランス・クラウンに見せるのは失礼だろう。君が見るべきはもっと奥さ」
     ぞろぞろと前を歩く男たちにランスはとうとう額を押さえた。気に食わない。思わず杖を握りそうになる。そしてうっかり振りそうになる。こんな有益な場を壊すのは大変よくない。胸の内のアンナもこれだけ豊富な素材と皆々の集中を奪うのは勿体ないよ!と注意する。そうだな、アンナ。小さく首を振ると彼らの背を追った。

     自習室の更に奥、そこから石像に合言葉を唱えた更に奥。小さな階段を登った先の有様はもはや宝物庫。ステンドグラスで四方を覆われた部屋は前室とは違い机よりも素材を保管している棚が圧倒的に多く見える。いや、素材だけではない。様々な杖や箒、剣や盾までもが並んでいる。ランスが目を凝らすとうっすら魔力を帯びているものさえある。なるほどかなり貴重なものに違いない。そんな中、男たちは雑に椅子を引くと腰を掛けて足を組む。我が物顔とはまさにこのことで、ランスは内心で呆れ背を向けた。
     人はどうでもいい、人は。ただこの場所の価値は計り知れない。神聖な気に当てられて背筋がシャンと伸びる。古めいた魔力の気配に心が静まる。戸棚に並ぶ瓶はどれも普段の授業では聞かないものばかりで『七色蝶の鱗粉』も確かにあった。
     新しいラベルに丁寧な字で書かれたそれを手に取る。なかなか開かないのは妙に固く栓をされているからだろう。
     丁寧に栓を外すとランスは瓶の中身を光にかざした。ステンドグラスの淡い光が瓶の底で反射する。ふんわり七色に広がった光輪はほうと息を吐くほどに美しい。ランスの空色の瞳にもその色合いは映り、瞳孔を中心に虹色の光が広がってはふんわりと消えた。それは蝶が花々を掛ける鮮やかさ、そして見られることなど介せず去っていく潔さ似て自然界に現れる美のひとつ。
     ――嗚呼、此れだ。
     ランスはその輝きに確信した。間違いなく欲している物はこれに違いない。手に入れたならばもう此処にいる必要もない。なんせランスは時間がない。いいや、自身で勝手に時と争っているだけだが。
     ランスは部屋の中央に戻ると、やっぱり眉を寄せた。適当に刻まれ天秤に載せられた何かは香りからしてハイクラスな月見草の根だ。勿体ない。正しく使えば質の高い鎮けい剤が作れただろうに。葡萄酒のような芳醇な香りが部屋いっぱいに広がり、男たちは酔っているわけでもないのに品なく笑う。ランスはそいつらに声も掛けることなくその部屋を後にした。

     ***
     さて、ランスはこれが貴重なものだと理解している。出来る限り無駄なく使いたいものだが如何せん虫の素材であった。ランスも歳の割に知識はあるほうだが自分の苦手なものだとそうもいかない。だって、虫の素材が出てくる本はもれなく虫の挿絵が付いているのだ。
     図書館で複数の本をピックアップし、机に積む。いつもより少ない冊数ではあったがランスはその心のハードルが高く険しい本の山をにらみつけると一ページ目を開いた。と、早速蝶の全身図がでかでかと描かれていて心が折れた。
     ああ、素材は素材。使い手の知識と力量で加工品に差が出るのは当然のこと。だが今作ろうとしている物はアンナの祭壇に飾り毎朝毎晩日々の祈りと共に愛でるもの。手抜きは許されない。震える指でもう一度表紙を摘まんだ、その時だった。
     「さっきからテメェは何やってんだァ?」
     「貴様は、七魔牙の……」
     返事は舌打ちがひとつ。第三魔牙としてランスと対した男は面倒だと隠さずに顔を歪めると積んである本のひとつを指差した。
     「読まねェならよこせ。つーか、本に怯えるんなら図書館に来るンじゃねェよ」
     「本に怯えてるわけじゃない」
     「じゃあ、……?七色蝶?」
     意外そうに瞬きした男は本を凝視してそのまま視線をランスに滑らせた。そのまま首を傾げて、へえと言う。
     「シュエンのせいで七色蝶が流行ってるとは聞いてたが、テメェもそういう口かア?ませてんな」
     「何を想像しているかは分からないが恐らく違う。が、そうか、貴様がいるなら丁度良い。確かシュエン・ゲツクに七色蝶の鱗粉を渡したのは貴様だったな」
     「あア?まぁ、たまたま見つけたから採取したけどよオ」
     「鱗粉自体を扱ったことは?」
     「……なるほど、そうゆうこと」
     勝手に納得した彼に、ランスは先ほどの瓶を机にのせ、みせる。瓶をみて「ふうん」と零した男は余計なことは言わずに本の山を端に寄せるとノートを広げた。察しがよく、言葉に無駄がない。心のざわめきは納まり心地よい静けさが訪れた。
     「で、何に加工すンだ?固体か液体。あと定着先によっても配合が変わる」
     「ああ、それなら――」
     ランス・クラウンはこの一時を確かに好ましいと思ったのだ。

      帰寮の道で瓶がちゃぽんと音を立てた。あの男、ワース・マドルはやはり有能な男だった。此方の好みに合わせ知識を選び出し、簡潔に答えてメモに書き留める。そのメモをランスに押し付けると必要としていた本を取って去っていく。
     あまりに淡泊で無駄が無さ過ぎる割りに渡されたメモは詳細の補完もされており、鱗粉以外の材料やその調達場所を得られたのは素直に有難い。樹脂と油に鱗粉を混ぜ出来上がった塗料は呪文との相性も悪くないと、これもメモ書きに書かれていた。
     唯一余計と言えば「マネキュアにするなら油を少なく!」の一文だろう。ランスにマネキュアは必要ない、ませているわけではない。ただ妹のグッズを正しく光り輝かせたいだけだ。

    ***

     結論から言うのであればそれはもう大成功であった。部屋の灯りを受けてアンナの笑顔から七色の光が放たれる。ランスは壁にめり込むと感涙を流しながら天に感謝を捧げたのだ。ああ、生きててよかった。今朝も朝日で輝くアンナのバッジに頭を垂れさめざめ泣いていると後から起きだしたドットがとんでもない顔をして此方を見ていた。ヤツの顔なんかどうでもいい。
     七色蝶の鱗粉はまだ少しではあるが残っている。全部使うのも気が引けた。なんせ、ワース・マドルは『七色蝶が流行っている』と言っていたのだから。
     昼の時間を利用してレアンの寮へと足を運ぶ。と、その道すがら少しばかり見慣れた赤髪を見つけたのだった。その手にはいまランスが手にしている瓶と同じものがあった。
     「シュエン・ゲツク」
     「ん?ああ、ランス・クラウン。……その様子だと七魔牙の自習室を利用したみたいだね」
     「ああ。貴様のそれは?」
     シュエンは瓶のひとつをとってランスの手渡した。ほのかに薫る甘い匂いに目頭が熱を持つ、自覚と共に瓶を遠ざけるとシュエンが笑った。
     「『クライ・ローズ』、泣き薔薇とも呼ばれる薔薇さ。育てるのが難しいんだけど僕の固有魔法と相性が良くてね」
     「『喚きインク』の材料か」
     「悪戯グッズで覚えるのはイケてないよ」
     喚きインクとは校内でよく使われる悪戯インクである。これを使って紙に文字を書くとその内容を盛大に喚き散らかしながら読み上げる。誰かに苦言の手紙を出すときも、友人同士の誕生日カードもこれが使われているところを見た。よく見るものだから考えたこともなかったが確かに泣き薔薇は世間では出回っていないものだった。
     「泣き薔薇の基本は精神疾患の薬で、精神的な理由で声が出なくなった人や涙が出なくなった人たちに使用される。薬になるのは効果の強い実だけだから効果の弱い花びらや葉がジョークグッズになってるわけ」
     ランスはまじまじと瓶の中身をみた。中身はどうみても実の方であった。
     「君のそれと一緒で七魔牙の棚に納めるものなんだ。ああ、それも一緒に戻してこようか?」
     「……」
     ランスは少し考えて首を横に振った。レアン寮のものであるのだからレアン寮生であるシュエンに頼むのも道理だろう、だが、何故か自分で返さねばいけないと感じたのだ。それは礼儀として、また使った者の責任として。今でも耳に残る男たちの下品な笑い声と同等になりたくないと意地を張っていた。シュエンは目元を和らげた。安心したように力を抜いてランスの前を行く。
     「じゃあ、行こうか」
     それぞれの腕の中にある瓶が日の光を受け輝いた。

     ***
      シュエンと共に入った自習室は昨日と変わらず学びの場として万人に開かれている。二度目となればもう少し落ち着いて辺りを見ることも出来る。そうして、ランスは入口に鎮座する木製の箱にも気が付いた。正方形の箱の下部は木彫りの蛇が巻きつき、上部には梟が在った。梟の目だけ青灰色の魔石が取り付けられていて、それでランスはこれが魔道具のひとつだと理解した。箱の横に羊皮紙が浮かんでいる。沢山書かれている文字の中に『クライ・ローズ』もあった。シュエンは杖で箱を一度叩き、今度は瓶のラベルを二回叩いた。そして梟の目を三度叩く。リンと鈴のような音が鳴った後、梟は身震いをしてホオと鳴いた。梟の鳴き声が羊皮紙を撫で、そこにあった『クライ・ローズ』の記述を消していく。完全に消えたかと思えば羊皮紙からクシャクシャになった紙が落とされた。その数は六つほど、シュエンは小さく息を吐いて肩を落とした。持ってて、と雑に押し付けられる。クシャクシャの紙屑の隙間から粗雑な文字が見えていた。
     「これは素材の補充希望を出す箱なんだ。欲しい素材を書いてこの箱に入れる。羊皮紙に入れた素材がリストアップされる。で、今みたいに素材を補充するとこうして箱に入っていた紙が吐き出されるのさ。だから、この素材に対しては六人が希望を出していたってこと」
     「貴重な素材だと聞いていたが使う人は多いんだな」
     シュエンが肩をすくめた。呆れかえったような少し大人びたポーズだった。
     「ちゃんと意味があることに使ってくれればいいんだけどね」
     「意味のあること」
     「そ。素材を此処に持ってきてよかったなって思えること。素材の提供は義務じゃない。僕はさ、自分ひとりでこれを独占することだって出来るんだ」
     
     奥の部屋からはまた品のない笑い声が響いている。徐々に近付くそれに先に首を振ったのはシュエンだった。律するようにぶんぶん顔を振り、よしと呟く。ランスも深く息を吸うとやはり美しいその宝物庫へと入室した。
     「…!やあ、これはランス・クラウン。やっぱり此処を気に入ったようだね」
     「余った素材を返しに来ただけだ」
     「ゲツクも一緒に?……あっ、やっと泣き薔薇が補充されたのか!前回から随分時間が開いたじゃないか!」
     「そんなすぐに採取できるものじゃないんだよ。期間も決まっていれば個数にも限度がある。そもそも大原則は自分が補充出来るものしか使わない、じゃないか」
     「そうかそうか。でも、それは七魔牙が独占していたときのことだろう。悪しき理はアベル様自ら取りやめた。皆が最上級の教育を受けられるよう補充は出来るものがするもの。『ノブレス・オブリージュ』そうだろう?」
     「……」
     
     ランスは自身の杖を握る前に手に持つ瓶をしまう為、背を向ける。戸棚を開ければそこが空瓶だらけだと気が付いた。『七色蝶の鱗粉』の両隣りも、その隣も。ランスが鱗粉を所定の場所に置く。と、横から手が伸び瓶を攫って行った。ブロンドの髪を宝石で飾った女生徒はランスを見てにっこり笑うと瓶を持って背を向ける。こうしてあの瓶も空になるのだろう。散り積もっていく不愉快さを戸棚の間を歩くことで散らしていく。こつこつ響く足音は戸棚を漁る生徒の声で消されていた。

     「何これ初めて見た」
     「せっかくだから入れてみる?」
     「どんな効果なの?」
     「知らな~い」

     「これマーチェットでかなり高い値段でやりとりされてたよな」
     「お前、持ち出す気かよ」
     「使うのと変わらないだろ」
     「うわ、最低」

     「ええ、上質な素材使ったのに碌な物出来ないんだけどお」
     「分量が違うんじゃないの?ほら、絶対使いすぎだって」

     「『クライ・ローズの実』で『喚きインク』作ったらずっと喚き続けるんじゃないか?」
     「ちょっと、そんなことに大事な実を使わないでくれ。『喚きインク』なら一般自習室の『クライ・ローズの葉』で十分だろう」
     「ハハハ、違いが知りたいからやるんだろう?」

     ランスが足を止める。丁度、目の前で男たちが『クライ・ローズの実』に刃を突き入れるところだった。碌な準備をしていなかった男たちの目をクライ・ローズは容赦なく襲う。その強い催涙効果は遺憾なく発揮され絶叫した男は机を揺らし、元凶である材料を床に落とすと逃げるように壁沿いまで這って行った。
     見ていられない。ランスはとうとう杖を振るとクライ・ローズを瓶に入れ栓をする。口元を覆い瓶を回収するとそのままハンカチに包んで机に置いた。
     ただし、此処は酷く魔力を持つ物が多い部屋であり、バランスの上に成り立つ場所だった。ただ掛けられていただけの魔剣がガタガタと音を立てる。盾は怪しく揺らめき、魔石たちは熱を含んだ。全て物がランスに意識を向けている。しかし、そんなことは分からないやつには分からないのだ。

     「クソが!なんだっていうんだ」
     「こわ~い」
     「何?管理おかしいんじゃないの?」

     口々に文句を言っては部屋から出ていく人の背をランスは黙ってみていた。涙の止まらない男も後に続きたかったようだが思うように動けず、壁に背を付け涙を高そうなタオルで拭うので精一杯だ。シュエンはランスに一声かけた。
     「僕、涙止め作ってくるから」
     「わかった」

     ランスはそれぞれに放られた瓶を拾い上げていく。適当に使われようとしていた素材、換金されそうになった素材、使われすぎて効力をなくした素材。空瓶をも棚に戻し、積もりに積もった苛立ちを隠さずに此処を教えた男の前に立った。腕を組み仁王立ちで見下した。
     「全く豚に真珠とは嘆かわしい」
     「豚!僕らを豚だと!」
     「猫に小判の猫でも良いがな。意味はさして変わらん」
     「価値が分からないものだと言いたいんだろう、クラウン。はは、与える側の人間様は違うな!」
     涙だらけの目から男の瞳が見える。泣き過ぎて充血した瞳はランスを、クラウンを、果てはそこに見える何かへと批判の意を携えて吠えている。

     「僕の師は『学びは経験の有無』と仰っていてな。使い方も知らないうちに箒を握らされたものだったよ。魔力を込めれば箒は飛び、飛んだ箒から手を離せば怪我をする。経験が有ったから学んだのだ。違いない。」
    「僕はレアンの在り方が気に食わなかったんだ!上位のたった七人だけがこうして物を伴った経験を独占する!素材も!物も!使わなければ経験できないというのに!」
    「実力在りきで左右されるのであれば一本線の僕は永遠にこれらの素材に触れることは出来ない!経験出来ないことの格差は一体どうすると言うのだ!ハハ、ノブレス・オブリージュ!ノブレス・オブリージュだとも」

     感情に煽られ部屋中の魔力持つものが揺らぎ出す。ランスはしっかりと杖から手を放し、敵意はないことを部屋中に知らしめた。ステンドグラスは色を変え、中に在る物たちを鎮めようと光を差す。
     ランス・クラウンは男の言う通り与える側の人間だ。良家に生まれ、物にも教育にも恵まれ他人に手を差し伸べよと教えられてきた貴族である。己の役割も、男の言い分も否定する気は全くない。しかし、使いつぶされるだけの物を与え続けるのは果たして正しいことなのか。男はそれを経験であり学びだと呼んだ。なればそれを奪うのは悪しきことなのか。
     とうとう魔石のひとつが弾けてランスの前に転がり出た。幾千年と地上の魔力を貯め結晶と成ったこのひとつでさえ凡人には拝むことさえ出来ない選ばれし高貴な物。
     急いで戻ってきたシュエンの手には誰もが手にする薬草で作られた涙止めが握られていた。怒りで雑に扱われながらもちゃんと処置を施される。ランスが驚いたのはその手際だ。すっかり慣れきった手つきで彼の目元を薬草で覆うシュエンにランスは聞いた。

     「当たり前でしょう。『クライ・ローズ』には僕も痛い目合わされたからね」

     ランスがきゅうと縮まった瞳をその瞼で隠す。――そうだ。間違いなく経験は学びだ。
     きっとこの男はもう何もなしには『クライ・ローズの実』に触れはしないし必要な時には涙止めを持参するのだろう。この経験は何一つ無駄ではない。が、納得するには愚かさが目立ち許容するには苛立ちが嵩む。
     ランスが睨むように瞼を抉じ開けた。ステンドグラスから光を受け取った魔石はその輝きを持って、ランスにその心の内を問うていた。 
     
    ***
     ランスがあの部屋に忘れ物をしたと気付いたのはその晩のこと。たまたまアドラ寮へ来ていたレアン寮長の許可を得た上でランスはレアン寮の廊下を歩いていた。夜も更けた頃合いだ。様子も昼とは異なり他寮どころか人の姿は無い。誰にも会わないまま自習室の戸を開ける。月の光しか灯りのない部屋はランスの足音だけがよく響いた。少し歩いて、ふと目の端に違和。視線だけでその元を探すと、そうか、在るはずの物がないのだと気付いた。昼に仕組みを教えてもらったばかりの箱がない。梟も蛇も居なければリストアップされた羊皮紙もない。ランスは足先を部屋の奥へと変えた。
     慎重に歩を進めていた彼の耳が微かに音を拾う。それが、劈く声だと理解したのは奥の部屋が見えてからだった。

     「遅い!遅い!何日待たせるんだ!のろま!」
     「るせー、次」
     「ばか!まぬけ!」
     「語彙がねェな、次」

     光も入らないステンドグラスの内側でランタン一つが揺らめていた。それは男と男の影をじっとりと映し、更に動き回る姿を見せた。ランスはそれに見覚えがある。簡略化はされているが男、ワース・マドルの形をした泥たちは瓶にそれぞれの物を詰め、新たなラベルに字を書き、瓶に貼り付け、机に並べていく。ワース・マドル張本人は椅子に座り杖を握るとあの箱と向き合っていた。素材の入った瓶を手に取り補充作業を坦々と行い続ける。ひとつ終わればいくつかの紙屑が地面に落ちる。が、ワース自身は気にも留めない。泥のひとりが悪戯な笑顔と共に紙屑を開いては響く罵倒に腹を抱えていた。
     悪趣味だ。ランスの魔力が感情と共にそばだつ。それに反応したのは扉の傍にある魔剣で、カシャンと音を立てるとランスの存在を中にいるものたちへと伝えたのだ。
     「ア?……ランス・クラウン?」
     「忘れ物を取りに来た。許可は貰ってる」
     「アベル様もそっち行ってたもンなァ。勝手にとってけ」
     「そうさせてもらう」
     ランスがなかへと踏み出す。魔剣はまたもカシャンと鳴ったがワースに「うるせェ」と言われて静まった。
     「ったく、魔力という魔力に反応しやがって」
     「アレは何なんだ」
     「『臆病ドワーフの門錠』って呼んでるがなァ、簡単に言やあ、門番用の剣だ。こうして夜だけ反応する」
     「……。貴様は何をしている」
     「見ての通り、補充作業だ」
     ワースが両手を開いて見せる。疲れたのかそのまま首を回す姿にランスの目が険を持つ。ランスの脳裏には昼の有様が思い出される。ノブレス・オブリージュと叫んだ男はまたこれらを失敗の糧にするのだろう。ランスのなかで答えは出ない。失敗も間違いもそれ自体をランスは否定することはない。だって、アンナなら否定せず応援する。ただそれがあまりに愚かしく、有限で誰かの献身の上にあったというだけ。

     「レアンの恥!魔法界の裏切者が!」
     「へいへい」

     ワース・マドルの杖は淀みなく箱を叩き続ける。蛇を示し、梟を撫で、この部屋を物量と質で潤して価値を維持し続ける。強さと智慧あるものにしかできない、この狼寮最高学年の実力者にしかできない行いだというのに、喚きインクの声が酷く煩い。
     
     ランスの積もり過ぎた苛立ちも頂点を迎えた。自身のマグノリアの杖を握りしめ、騒ぎたてる紙を地面へと押しつぶす。摩擦に耐えきれなかった紙屑はじりじり外側から破け塵となり、薄く煙すら上げていた。何故か、部屋はシンと静まっている。
     ワースがその様子をじっと見つめて首を捻る。ランスは彼の真正面の椅子を引き座ると顔をあげた。ランタンに照らされた横顔が赤みを帯びていた。

     「オレは此処に在るものがくだらないことに使われているのを見た」
     「そォだな」
     「補充するにも限度があるだろうこれらを、だ」
     「だろうなァ。アベル様が人脈を尽くしたとしても全部は、まあ、無理だろォな」
     「このままでいいのか」
     「ン?」
     
     「これは正しい行いなのか?」

     ランスが顔半面を手のひらで覆う。分かっている自身が口を出す領分でも、そもそも自分でも答えが見つかっていない、問い。ただ、ランスはこの男に問うてみたかった。己と正反対で、おそらくランスの望む答えなど持ち合わせていないだろう。それでも罵倒を受けても飄々と施しを続けるこの男の答えにランスは期待をしている。瓶底で見た七色の光輪にランスの胸は高鳴ったのだから。
     ワースが目を見開いて数度瞬きをした。目は雄弁に語るとはよく言ったもの、何を言ってるんだコイツとお前がそんなことを聞くのかが混じった視線はランスをまじまじと見た末に少し伏せて居心地悪そうに座りなおした。動き回っていた泥たちが心配そうに此方を見守っている。ワースが口を開く、が、もう一度閉じ、またも躊躇いがちにゆっくり開いた。言葉は更に後からきた。
     「知るかよ、ンなこと。何処をどう見て、なんの正誤を聞いているのか……。それでもまあ、言えることがあンなら」

     ワース・マドルの瞳はその実、有りの侭を見ているに過ぎない。

     「誰かが望んだからこうなってるんだろ。偉い人が平等であれと望んで、アベル様も学問は開かれるべきと望んだ。なら、オレがどうこう考えるもんでもねェ」

     そう言い切ったワースに泥のひとつが瓶を運んでくる。ハンカチに包まれた瓶だ。ワースはそのハンカチを解いた。ランスと同じ色を持つ少女が此方を見て微笑んでいた。正義とはいつだって上に立った者の価値観でしか有らず、道徳と似た顔をして違うもの。ワースはハンカチを見て口を三角にすると丁寧に折りたたんでランスに手渡した。ランスはワースの目の前で自身の絶対的正義、妹の顔を遮らないように畳みなおすとそのまま顔に押し当てた。ワースがウワアと声を出した。

     「此処が貴様の物ならどうする。貴様が考える領分であれば?」

     答えは速かった。

     「ンなの決まってんだろ。価値のねェやつらに使わせるかよ」
     「だろうな」
     「……でも、まァ、アレだ」

     続いた言葉にランスは顔を上げる。暗がりのステンドグラスの前で、この沢山の貴重な物に囲まれたなか、何よりランスの目の前で、この寮の第三魔牙はとても穏やかに笑んで見せた。

     「虫嫌いに鱗粉渡すくらいならしてやってもいいぜェ」

      ワースの言った言葉も立派な施しである彼は気付いているのだろうか。物、知識、技量、魔力。持たざる者への見方を変えたこの世界で正義も法も正しいと称賛するには首を傾げることも多い。英雄は今日も扉を壊すし、新たな神覚者の一本軸は妹のアンナだけ。
     捨てた家はそれでもノブレス・オブリージュを説いていた。アンナはランスの道徳を肯定した。愚かな者は多く、優秀な者はそれ故、無駄に使われる。泥はまた戸棚の間を進み、整え、与え続けた。
     作業に戻ったワースが手持無沙汰に聞いた。その足元ではまた喚きインクが怒鳴り散らかしていた。

     「で、お前ならどうすんだ?此処がお前の物だったら?」

     「




    「はは、ランス・クラウンらしい言葉だなア。さすが神覚者サマ」

    ***
     
     朝日輝くランスの部屋で一際輝く物がある。七色はいつになっても色褪せず、アンナの少女らしい笑顔を、その空気ごと輝かせたまま。虹色の光輪はその輪のなかで一点に光を差した。いつだって変わらない羅針盤のように光を差し続ける。

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