人妻(概念) 死蝋の兄貴は本当にわかりやすい。単純で実直で、そして一途だ。
腐乱と死蝋は掠奪した品々のうち、高く売れそうな物を見繕っていた。良い品があればこっそりと懐へ入れることも出来る。普段であれば嬉々としてこなすが、死蝋はやる気がないように、のろのろと手を動かしていた。
腐乱は死蝋の後ろ姿を見やる。屈んだ腰のあたりが微かに震えていた。息を詰めるたびに、肩がわずかに揺れる。そしてそれを隠すように、ぞんざいな手つきで屑を投げ捨てていた。
そんな姿を見るのは、初めてではなかった。昨夜も死蝋は瘴奸の部屋に呼ばれていた。そんな時はいつも、死蝋は少しだけ壊れたようになる。それが、妙に気になって仕方なかった。
腐乱は足音を立てずに死蝋の背に寄った。一瞬だけ躊躇したが、そのためらいは妙な高揚にかき消された。
やってみたら、どうなるか。それが、たまらなく見たかった。
腐乱はそっと手を伸ばし、死蝋の尾骶骨のあたりを指で撫でた。途端に体が跳ねる。
「んッ!」
体勢を崩して膝をついた死蝋は、すぐさま振り返って腐乱の胸ぐらを掴んだ。
「何してんだテメェ」
死蝋の額には青筋が浮かんでいた。どこを見ているのかよくわからない瞳が、この時ばかりは揺れて見える。その顔が、なぜか胸の奥を掴んできた。なんだ、これ。笑いが込み上げる。けれどそれは、愉快なだけではなかった。
「兄貴が物欲しそうにしてるなって思ってぇ」
「はぁ!?」
低い声で凄む死蝋に、腐乱は更に下品な笑みを浮かべてみせた。
「無駄っすよ。昨夜あんな声を出しといて、今更威厳なんてあるわけないじゃないっすか」
征蟻党の根城は上等とは言えない。雨風が凌げる程度の荒屋に大人数が押し込まれて眠る。瘴奸や幹部達には個室があったが、あってないような薄い壁の向こうでは、囁き声さえ筒抜けであった。
昨夜、瘴奸は死蝋を部屋に連れ込んだ。よくあることだ。この二人の関係をよくは知らないが、漏れ聞こえる声で、二人が何をしているかくらいわかる。敢えて口にする者はいないだけで、皆が知っていた。
「あんなきったねえ喘ぎ声を出して、そんなにお頭の魔羅で突かれるのは具合がいいんすか」
死蝋は怒りを露わにしながらも、僅かに怯んだ。腐乱は胸ぐらを掴まれたまま、身を死蝋に寄せる。死蝋の顔に影が落ちた。
「だから今も疼いてしょうがないんでしょう。欲しそうに揺れてんすよ、あんたのケツは」
語気の勢いのまま、腐乱は死蝋を追い詰める。死蝋は顔を逸らせた。羞恥のためか頬が上気している。怒りの捌け口を探して口元が動くが、言葉は出てこないようだった。
腐乱は笑いながら死蝋の顔を覗き込む。死蝋は腐乱を押しのけようとしたが、かえって尻餅をついて呻き声を上げた。それは昨夜に聞いた声に似ている。
単純で一途なこの男を弄ぶことに心が妙に満たされていく。腐乱は煽るように腰を死蝋に擦り付けた。
「ねぇ、そんなに欲しいなら俺のをぶちこんであげましょうか。お頭には内緒にしておいてあげますんで」
笑うつもりだった。軽口のひとつで済ませるつもりだった。ところが、擦り付けた己のものが反応を示していることに気付いて、腐乱は呆けたように口を開いた。自分でも気付いていなかった欲を見つけてしまい、意味がわからず苛立つ。
「やめろ!」
死蝋の拳が腐乱の胸を叩いた。その衝撃よりも、この目の前の馬鹿男に種付けしたがっている自分に衝撃を受ける。
腐乱は死蝋の袴を掴んだ。
「……なんで殴るんすか」
声が少しだけ揺れた。腰が疼く。苛立ちと一緒に、底知れない欲が湧き上がってきた。
「……淫乱野郎が。脚、開けよ」
蹴られたが、その脚を掴んで押さえつけた。欲望の証を掴んでやろうとしたが、死蝋のそれは萎えていた。そのことに腐乱は更に苛立つ。
「ケツに突っ込んでくださいって言え」
袴が破れる音がした。萎えているそれを無理に扱く。死蝋は口をだらしなく開けて身を震わせていた。
良い気分だった。腐乱のものは痛いくらいに張り詰めている。昨日のようにみっともなく泣かせてやろうと、己の袴に手をかけた。
足音に気付いたときには遅かった。腐乱は息を飲んで顔を上げる。瘴奸が背後に立った気配に血が凍った。
「死蝋」
低い声は腐乱を締め上げるようだった。振り返らずとも、瘴奸の気配が皮膚に刺さる。
「お前が今日の飯当番じゃないのか」
死蝋は腐乱を押し退けると、逃げるように走っていった。腐乱は動けない。冷や汗が浮かんだ。
瘴奸が腐乱の横に屈む。
「お前の太々しいとこは嫌いじゃないがな」
瘴奸の声は平坦だった。地面に這っていた蟻が足先にのぼる。瘴奸は指先でそれを摘み上げると、腐乱に向けた。蟻は瘴奸の指に挟まれて足をばたつかせている。
「あれは駄目だ。いいな?」
瘴奸は腐乱の顎を掴んで口を開けさせると、舌に蟻を乗せた。閉じられた口の中で、蟻が蠢めく。舌先で逃げようとしても、逃げ場などなかった。
濁った眼が覗き込んでくる。混沌と呼ぶには透き通っているが、人としての体温はすっかり失せていた。
ああ、この男が憎い。
腐乱は前歯で蟻を噛み潰した。口の中に広がる味に、喉がひとつ痙攣する。苦くて甘い、腐った蜜のような味がする。
「はぁい」
舌先で歯の隙間にあった蟻の頭を転がした。まだ動いているような気がして、奥歯で丁寧に擦り潰し、ゆっくりと嚥下した。