(No Title)8月某日、土曜日、午後5時30分。
今日のためにおろした下駄の鼻緒が少し痛いことよりも、彩夢くんのイメージカラーの濃い青色を基調とした浴衣にユニットカラーの赤い帯が私に似合っているのか、そればかりが気になっていた。
彩夢くん、褒めてくれるかな……。
彩夢くんとは交際して3ヶ月ほどになるが、彩夢くんはアイドルとしてのレッスンと学業の両立で日々忙しいながらも充実しているようで、恋愛なんてまるで興味が無いように思えた。しかし、日々募る彩夢くんへの想いが抑えきれなくなって、私から告白した。
「ずっと前から好きでした……!グリライの彩夢くんを見て、傍に居て支えたいって思って、私なんかじゃ役立たずかもしれないけど……」
とごにょごにょしりすぼみになっていく私に、彩夢くんは柔らかく微笑んで、「見ててくれてありがとう。良かったら、付き合って欲しいな」と言ってくれた。私が言えなかった核心的な部分を汲み取ってサラリと言う彩夢くんがたまらなくかっこよくて、嬉しくて。
それから数える程のデートをして、今日に至る。
8時から花火大会があるから一緒に見ないか、近くでお祭りがやっているから屋台も回ろう、と誘ってくれたのは彩夢くんだった。
待ち合わせの約束は午後6時。あと30分もある。着いたよ、乃々木駅で待ってるねとLINEを送ろうとしたとき、
「〇〇ちゃん!」
と甘い声が聴こえた。
「お待たせ。早く来たつもりだったんだけど待たせちゃった?ごめんね」
眼前には、黒っぽい浴衣を着こなした彩夢くんがいた。
かっこいい。誰が見てもかっこいい。
グリライの放送で顔は知られているため、デートの時はいつもメガネをしてくる彩夢くん。浴衣と相まっていつもよりも理知的に見える。
「あれ?聞こえてる?」
見惚れて言葉を失っていた私の眼前で大きくてすらりと指が伸びている手をひらひらと振る。
「聞こえて、マス!……浴衣、似合ってるね。かっこいい……」
「君にそう言ってもらえて良かった。君も似合ってるよ。可愛い」
少し目を細めながら言われ、思わず全身が熱くなる。校内でモテると噂されてはいたけれど、伊達じゃない。
「じゃあ、行こうか」
こっち、と歩みを進める彩夢くんの後ろ姿にまた少し見惚れてから早足で隣を歩く。
カステラ、スーパーボール、金魚すくい、綿菓子……道の両側にずらりと並ぶ屋台はどれも魅力的に見える。
彩夢くんは時折こちらを見て、私がついてきているかを確認してくれる。学校から一緒に帰る際も、彩夢くんは必ず車道側を歩き、隣の私に歩幅を合わせてくれる。絵に描いたような「彼氏」だ。私じゃ、釣り合っていないことくらいもう分かっていた。
ふと彩夢くんが足を止め、「みてみて、可愛い」と指を指す先には様々なお面が並んでいる。版権物の人気所はしっかり抑えつつも定番の狐など。
「うーん、悩むな〜。君のは俺が選ぶから、俺のを君が選んで?」
優しく微笑みながら言われて、う、うん!と返事をした。
「小さい頃、プリキュアになりたい!とかあった?」
「私はあんまりなかったかなぁ。彩夢くんは仮面ライダーとかに憧れたりした?」
「どうだったかな。……あ、これにしよっと」
嬉しそうに手に取って屋台の大将にお金を渡す彩夢くんの手には、マイメロディのお面。なんか少しあざとい様な気もするけど、彩夢くんが選んでくれたのが嬉しくてすぐに付ける。
「ふふ、可愛い」
お面をつけた時に崩れた前髪をそっと指で直しながら言われて、もう心臓が破裂しそうな程の音を立てて彩夢くんの顔を見られなかった。
慌ててお面一覧に向き合い、これ!と手に取ったのはハチワレのお面。
「ハチワレってちょっと彩夢くんっぽいよね」
「何それ、どういうこと?」
「青いし……優しいし……」
彩夢くんが少し膝を折って目線を私に合わせ、ここにつけて、とあたまの横をとんとんとする。あざといな〜と思いながらもそっと彩夢くんにハチワレを付けると、嬉しそうに「まぁ君が言うんだからきっとそうなんだろうね」と言った。
「君との思い出が増えて嬉しいな〜、次はどこみよっか」
彩夢くんはニコニコしながら大事そうにお面に触れていた。
それから二人で屋台のチョコバナナを半分こしたり、射的をやる彩夢くんを見てあまりのかっこよさに思わず写真を撮ってしまったり、あっという間に時間が過ぎていった。
花火が綺麗に見られて人の少ない場所まで少し歩こうか、と並んで歩いている時に下駄の鼻緒が足の指に擦れてかなり痛くて思わず「いた……」と声に出し足を止めてしまった。彩夢くんは聞き逃さずに歩みを止め、私の様子にすぐに気が付いた。
「下駄、慣れてないと痛いよね」
「まだ何も言ってないのに……」
彩夢くんは私の前にしゃがんで、「はい」と言った。
「私、重いよ……?絆創膏持ってるし!これくらい全然大丈夫……!」
慌てる私に、彩夢くんはなんでもないように「ほら」と背中へ誘う。
頑として動かない彩夢くんに折れた私は、彩夢くん、細身だけどレッスンで鍛えてるからか結構背中しっかりしてるんだなぁなんて思いながら体重を預ける。
「お邪魔します……」
「何それ」
ふふふ、と笑う彩夢くんに私もつられて笑う。
後ろから手を回すと密着して、ドキドキして。彩夢くんの背中が温かい。好きだなぁ。首筋から男の人らしい爽やかな匂いがして、更にドキドキして。
誤魔化すように「重くない?」と尋ねると「まったく」と即答。もう返す言葉も見つけられなくてそっ、すか……と自分の顔に熱が集まるのを感じて勝手に恥ずかしくなった。
彩夢くんは少し高台の簡素な休憩所のようなところまで私を軽々と背負い、ベンチの前でそっと降ろした。
「こんなところあったんだね……!」
「ね、調べて初めて知って絶対ここ来よ〜と思ったんだ」
平地でも花火はよく見えるだろうに、調べてくれたのか。そんな些細なことがとてつもなく嬉しい。
「空気が美味しい〜……。そろそろ花火始まるみたいだよ」
大きく伸びをした彩夢くんはそう言いながら、鞄から出した冷えたペットボトルのキャップを開けて渡してくれる。
すごい、なんというか、隙がない……。
「ありがとう」
ペットボトルを受け取って少し口をつけると、よく冷えた水が体に染み渡った。
どこからともなくヒュ〜…………という音がしたかと思うと、ドカンと大きい音と共に夜空には花が咲いた。
「わ……!」
ぱらぱらと散るや否や、ヒュ〜……ドカンと花火が咲いては散っていく。
足の痛みも忘れて、思わず彩夢くんの手を取って「綺麗だね!」と大きな声が出た。
「そうだね。……綺麗だよ」
落ち着いた声音に、あれ?彩夢くんはそんなに感動してない?と視線を空から隣に移すと、パチリと目が合って彩夢くんは少し微笑む。
花火に照らされる彩夢くんの顔があまりにも綺麗で、心臓がバクバクと音を立てて煩い。
どちらからともなく指先を絡め合う。
こんなに暑い日でも彩夢くんの体温が心地好い。
彩夢くんの視線が私から夜空に移る。花火の音に負けないように、彼の耳元に唇を近づけてずっとききたかったことを言ってみる。今なら、許される気がして。
「ね、彩夢くん。……これからは彩夢"くん"じゃなくて、彩夢って呼んでも良い?」
少し困ったような横顔が花火に照らされて、彩夢くんが口を開こうとしたその時、彩夢くんの携帯の着信を知らせる音楽が鳴った。彩夢くんはパッと画面を確認して「あ……ごめん、出るね」と言って絡まれた指先が離され、私から少しだけ距離をとって携帯を耳に当てて、誰かと、何かを話している。
内容は花火の音で聴こえなくても、私といる時よりも緩んだ口元、視線は夜空の大輪で。
彩夢くん、そんな甘い顔、するんだ……。
隣にいる私じゃない、"誰か"と花火を見ているのは明白だった。それが誰かなんて尋ねなくても分かる。上がっていた体温がすっと冷めていくのを感じる。
そっか、そうだよね、勝てるわけない。そんなこと初めから頭では理解していたことだ。今更現実を突き付けられたって。でも私は彩夢くんの彼女だし。なんて頭の中で一人相撲を繰り広げる。
不毛だ。不毛すぎる。こんなの。
思わず目頭が熱くなって下を向く。さっきまで温かかった右手が寂しくて苦しい。
彩夢くんには、私以外の「特別」が居ること。それが、他でもない、塚原崚凱くんなこと。見ていたら嫌でも分かる。だって私は、彩夢くんのことが好きだから、好きな人のことなんて。嫌でも、分かるんだよ……。
堪えきれなくなってボロボロと涙が溢れ落ちる。
あーあ、彩夢くんに見せたくてメイク用品も新しく買ってラメいっぱい乗せたのにぐちゃぐちゃになっちゃう。苦しい、苦しい……。
ぱたぱたと小走りな足音がして彩夢くんが下を向く私の顔を覗き込んでくる。困ったような顔をしている。
いっそ開き直って彼女なんて作らないで居てくれれば良かったのに。
「〇〇ちゃん?どうしたの?具合悪い?ベンチ座る?」
大好きな彩夢くんの、大好きな優しい声が、今はひたすら苦しい。
パッと顔を上げて。
彩夢くんと目が合うと、花火に照らされるその顔はやっぱり本当に綺麗でかっこよくて。
花火の音に消されないようにわざと無駄に大きい声で言う。
「塚原くん、でしょ!」
「えっ?」
「電話の相手!塚原くんでしょ!分かるの!彩夢くんは塚原くんのこと特別だって思ってるの見てたら分かるの!」
思わず早口で捲し立てる。
「私のことそれなりに好きでいてくれてるのも分かってる!でも!でも塚原くんは彩夢くんの唯一無二で!特別で!私じゃ太刀打ちできないくらいの特別だって!」
走り出したら止まれなくなってしまってそのまま、言ってしまった。
「だから!だから!……別れよう……」
彩夢くんの目が大きく見開かれる。
これは私のわがままだ。子供の癇癪と何ら変わらない。欲しい答えはただ一つ。
なのに。
「……そっか。」
彩夢くんがゆっくりと私が捲し立てた言葉を飲み込むのが見て取れた。
お願い、ちゃんと、彩夢くんから、
「俺は崚凱に恋してる訳じゃないんだけどね」
そう見えるのかな、とポツリと呟く。
恋じゃないなら、ちゃんと、彩夢くんから言って、
「……分かった。君がそう思うなら、仕方ないね」
違う、そうじゃない、そうじゃないよ、彩夢くんはいつだって欲しい言葉をくれるのになんで。
「別れよっか」
花火が散る音と共に、大粒の雫がこぼれ落ちて止まらなくなった。
最後の思い出にしたい、と私から言って手を繋いで最後まで花火を見て、足痛いでしょと私の下駄を手に持って私をおぶって、家路を辿る。
人混みには幸せそうなカップルが沢山いてまた勝手に苦しくなって、また涙が溢れる。
ぽかぽか、と軽く彩夢くんの背中を叩くと、ずっと黙っていた彩夢くんがふふ、何と楽しそうに笑った。私が泣いてることには気がついているくせに。
彩夢くんの優しさがずっと苦しい。
「言わなきゃ分かんないよ、なーに?」
赤子をあやす様な優しい声音で言われ、またぽかぽかと背中を叩いてから、彩夢くんの身体に腕を回してぎゅっとくっついてやる。やっぱり温かくて心地好い。
「彩夢くん、好きだよ」
「うん」
「これからも彩夢くんのこと好きだと思う」
「うん」
「応援してる。塚原くんとアイドルになるの」
「うん……。ありがとう」
着いたよ、ここだよね。とマンションの前で降ろされ、頭を下げる。
「3ヶ月間付き合ってくれてありがとう。……最後まで私には贅沢過ぎるくらい幸せだったよ!私じゃ……塚原くんには勝てないって分かってたんだけど、告白受けてくれた時に、もしかしたら彩夢くんの中で私が一番の特別になれるかもなんて思っちゃって、馬鹿だよねえ」
にへらと笑ってみせると彩夢くんはまた困った顔をした。
「……崚凱は、他とは違う。特別なんだ。ごめんね」
「も〜、わざわざ傷口に塩塗らないでよ!じゃあね!送ってくれてありがとう!ほんと応援してるから!さよなら!」
マンションのロビーのロックを開けて、急いで中に入り振り向かずにエレベーターまで走った。後でLINEする!という声が背中に聴こえていた。鼻緒で擦れた足が痛い。涙を堪えたくてぎゅうっと浴衣を握り締めて、エレベーターから降りてすぐの部屋の鍵を開け、玄関で堪えきれなくなって、蹲る。
「っう、うぅ、……彩夢くん……」
好き。好き。大好き。最後まで優しくしないで欲しかった。お願いだから振ったなら冷たくして欲しかった。でもそんなところも好きで仕方がない。好き。どうしようもなく、好きだ。
一方通行じゃなくて、彩夢くんからの特別が欲しかった。
君は特別だよって。
そう言って欲しかった。
私にとって彩夢くんは、これまでも、これからも、唯一無二の、特別で。
暑い夏の夜に、私の初恋は終わりを告げた。