間違い探し②『当選』たったその二文字にどれほど心が震ただろう。ほんの数年前まで当たり付き菓子の金のマークで大喜びしていた自分が随分幼く思える。海外スター選手と元ガラル代表のレジェンド級選手によるエキシビションマッチ、その激レアチケットを購入する権利が当たったのだ。抽選ページへ行き着くことすら困難と呼ばれた激戦に勝利することが出来たのロトムの尽力あってのことだが、それはひとまず置いておくとして、あとは購入画面に進むだけだ。
「お一人様につき二枚まで……」
躊躇うことなくカードを切るだけの余裕はまだ無かった。ジムリーダーとして纏まった額の給料を貰い始めて数ヶ月。ドラゴンタイプの育成にはそれなりに費用が掛かるし、最低限の衣装代もいる。奨学金も返済中だ。かと言って潔く諦められるほどこの思いは軽くもなく、オレは目眩く妄想を頭の中で繰り広げる。申し込み画面で固まったロトムを握りしめ、フライゴンに跨るとスパイクタウンへ急いだ。
ジムトレーナーに何とか言い繕ってネズの元を訪ねると、ライブのリハーサルの真っ最中だった。
「おれに何か用ですか」
優しいネズは演奏を中断させてわざわざステージから下りてくれる。
「あの、例の記念試合のチケット……たまたま当選して二人分あるんだけど、ネズもどうかなって」
先月のジムリーダー会議は当然この試合の話題でもちきりだった。ネズも会話には加わっていなかったものの聞き耳を立てているのは明らかで、関心があるのは間違いない。誰だって観戦したいと思うカードだ。勇気を出して誘ってはすげなく断られ続け涙を飲んだ夜は数知れず。今度ばかりは自信があった。どれだけオレに興味がなくても、トレーナーなら喉から手が出るほど欲しいチケットのはず。悔しいけれど、今は少しでも彼に近付きたかった。
ネズはオレに優しく微笑みかける。
「その日はあいにく予定があって……」
すみません、と申し訳なさそうに眉尻を下げる彼を前に言葉が詰まった。それ断る時の常套句でしょ。そんなにオレのこと嫌? 一度でも恨み言を言ってしまえば永遠に望みはなくなる。それでも耐え切れず、精一杯の笑顔で「用事って?」と尋ねてしまった。
「妹との先約が」
胸が苦しかった。疑ってしまった自分に、醜い心根の自分に今のネズは眩し過ぎた。
「分かった。じゃあ他に声掛けてみるよ」
鼻がツンと痛む前にバンダナを下げ、フライゴンに飛び乗った。
『ネズさん、オレとバトルしてくれませんか?』
『巨人の帽子付近でモノズが出たって噂があるんですけど、一緒に観察に行きません?』
『ネズ、その……昼飯一緒にどう?』
『今度ナックルに新しいプラネタリウムが出来たらしいんだけど──』
『映画のチケットがたまたま当たって──』
『ワイルドエリアへキャンプに──』
ロトムを呼び出してチケットを一枚購入する。それでいいのと問い掛けてくる相棒を宥めた。今の自分には重い五桁の数字、これくらいを気前良く払えない自分が悪いのだろうか。ネズは何だったら興味を持ってくれるのだろう。彼の関心を引ける何かが、こんなにも切ないくらいに好きなのに何も思いつかなかった。
家に着くまでにワイルドエリアを一回りし、オレは夜風で濡れた頬を乾かした。
*
アポイントもなくライブのリハーサル中に突然尋ねてきた彼は、ロトムに表示された『当選』の文字を鼻高々に見せつけてきた。
「例の記念試合のチケット、当選して二人分あるんだけどネズ欲しい? ちょうど近くを通りがかってさ、まだ誰にも言ってないんだぜ」
特別に声を掛けてやってるんだからなとでも言いたげな彼は、断られるなんて思ってもいないのかもしれない。思えば彼はまだジムトレーナー時代から華のある容姿と試合運びで内外問わず人気があった。内というのは芸能関係の事だ。女子トレーナーやモデル、アイドル達からもキャーキャー言われて、どうしておれなんかに声を掛けるのか理解出来ない。おれが一度も色良い返事を返したことがないからムキになっているのかもしれない。まあそれもどうせいつかは飽きるだろう。いつかと言わず出来れば早急に次へ興味が移って欲しい。悪意の無い押し付けがましさはダンデにも通ずる所があるが、キバナは特におれの地雷を踏み抜くのがべらぼうに上手かった。
「すみません、その日はあいにく予定があって……」
出来るだけ穏便に済まそうとしているこちらの意図にも気付かず、キバナは子どもっぽく目を吊り上げて「どうしてオレさまが誘ってやっているのに」と噛み付いてくる。そういうところが無神経で嫌なんだと正直に言ってしまえば泣くかもしれない。それで退散してくれればいいけれど、こいつはきっとどこかで勝ちを見つけるまでは諦めないだろう。第一、子どもを敢えて泣かせるのはおれの本意とするところでない。
「先約があって……その、妹と、なんですよ」
切りたくない札を切ってようやくキバナは引き下がった。
「ちぇっ、もういいよ。他の人誘うから」
ぶすくれた彼にぜひ今後ともそうしてくれと心で願う。彼がおれに何を求めているかは知らないが、おれが彼に返せるものなど気持ちの一つも無いのだから。
彼がフライゴンと共にスパイクから飛び立った直後、胸の内ポケットでスマートフォンが震えた。遥か上空で点になっていく少年を見やりながら呼び出しに応じる。
「ネズです。ハイ、試合の後ですよね。場所は……ロンド・ロゼですね。ええ、分かってます。大丈夫です。ちゃんと時間通りに用意しておきます」
男は何度も念を押すように用件を繰り返した。重要な相手の接待だから間違いの無いように、向こうは君のことを気に入ってくれているのだから。これはチャンスだよ、などと希望に満ちた言葉をチラつかせて。
「今更期待するような子どもで居られなくしたくせに」
どの口であんな煌びやかな言葉をほざいているのか。切れた通話画面に不快な髭面を思い出して舌を打った。
『あんたネズだろ? オレさまとバトルしろよ!』
『巨人の帽子近くでモノズが出たって。スパイクは試合もないし時間あるだろ。悪タイプの天才さん、調査に付き合ってよ』
『またファストフードかよ。身体に毒だぜ。妹もいるんだからもっとマシなの食えよ』
『スポンサーにまたチケット貰ったんだけど──』
『これ余ってるから──』
『暇してるんならキャンプに付き合って──』
「おまえはいつもおれを惨めな気持ちにさせるのに……」
通話口から垂れ流される無機質な電子音。トントントン、ツーツーツー、トントントン。キャンプ実習で習ったきり一度も使った事のないSOSのモールス信号。おれの心臓から流れるそれを誰かが聞き取ってくれやしないかと夢想して、ムカつくあいつが瞼に浮かんでおれは本気で泣きたくなった。