せんせー、せんせぇー、先生ー。
子ども達の舌っ足らずな声が私を呼ぶ。振り返れば先程講義を行っていたクラスの生徒達だった。彼らは今年入ったばかりの新入生だが、皆元気に挨拶してくれる良い子達ばかりだ。週に四回の授業でしか顔を合わせることのない私のこともよく慕ってくれている。
「どうした?」
声を掛けると一人の生徒が緑の眼を輝かせながら言った。
「先生は、先生になろうと思って今の先生になったの?」
もっと上手い言い方があっただろと横の生徒に小突かれる彼女を前に、私は暫しの間言葉を失っていた。
ワズキャン。どれほど言い繕っても私の人生からその男の名を全て取り除くことは出来ない。初めて会った時はまだ十代だった。辺境の地で彼に見出され、服も寝床も生きるための知恵も与えられた。年を偽って学位を取ったのも、男が望む過酷な旅の助けとなるためだった。男が冒険に一旦の区切りを付け、教鞭を執ろうと言いだしたときも、私は異を唱えなかった。
受動的だったのではない。私はただワズキャンという男の側にあり続けたかった。男が私を見出した眼差しを、それが向かう先をすぐ隣でずっと見ていたかった。彼が見つめる先に私の未来があるのだと、長きにわたりそう信じ続けてきた。
『私の未来について』
ペンを握り、一文ずつ読んで採点していく。作文の課題を決めたのは教科主任だった。自分の将来、未来について、具体的なヴィジョンとそれを達成するための課題を調べてレポートにまとめましょうというもの。まだ難しかったようで、お菓子がいっぱい食べたいからケーキ屋さんになりたい、花が好きだからお花屋さんになりたいといった内容のレポートが多い。中には具体的な練習メニューを組んでサッカー選手になりたいと書いている子もいる。こういう子は目指す目標が変わってもすぐに切り替われる子に育つ。
『私は冒険家になります』
そう書いたのは先ほど質問してきた生徒だった。彼女の場合、ケーキ屋や花屋レベルの夢物語ではない。母親が名のある冒険家でいくつかの著書も出している。娘を出産してすぐ次なる旅へ出た後、失踪しているはずだ。だが娘の彼女にとって母親は永遠の憧れなのだろう。周りに何を言われようと真っ直ぐ母親の向かった先を見つめ続ける彼女の気持ちは、私にはよく分かる。そのつもりだった。
──先生は、先生になろうと思って今の先生になったの?
だからなのだろうか。人知れず共感していた幼い彼女の曇り無き眼差しに射貫かれて閉口してしまったのは。共感などと、思い上がりも甚だしい。彼女は例え行く先に母の面影が見えずとも、自分の足で冒険に向かうだけのヴィジョンを持っていた。私は違う。私が足を踏み出す時は、ワズキャンが足を踏み出すと決めた時だ。彼が見るものを共に見たいから。その生き方に何の疑問も迷いも無かった。けれども何かが、最近私の周囲で起こる些細な出来事の一つ一つが、私の信念に小さくメスを入れる。
きっかけは玄関で女の靴を見つけたことだった。602号室、私の隣の部屋。ワズキャンがここに女を引き入れるのは珍しいことでもない。私が合鍵を持っていようと、来いと連絡したのが自分だろうと気分が乗ったらお構いなしなのは昔からだ。幼き日の旅路の中では隣のベッドでまぐわっていたこともある。行為の現場に居合わせたことなど一度や二度ではない。私と彼の間には肉体関係があるが、女の影を見て悲嘆に暮れたり嫉妬の激情に駆られたりはしない。その日も玄関で脱ぎ捨てられた赤いサンダルを見つけて「ああ、またか」と思うだけだった。
「先生ー、さようならー」
「さようなら。気を付けて帰るように」
「はぁい」
高学年の女子生徒達は私が背中を向けるやいなや内緒話に花を咲かせてしまう。噂の本人に直接聞こえていようと彼女たちには関係ないらしい。
「今日も先生カッコイイ」
「ベラフ先生、彼女いるのかな」
「いるって絶対。前に保険医のヴエコ先生と一緒に帰るとこ見たって」
「ええーやだー」
一緒に帰ったから何だというのだろう。遅い時間に若い女性を送るのは当然のことだ。内心で彼女たちの秘密事に回答し、別棟へと向かう。階段を上がった先の端の部屋、社会科準備室。ワズキャンが塒にしている教室だ。その扉の前まで来て、私の足は自然と止まった。
玄関を開けた先で転がっていた赤いサンダル。今この扉を開けて同じものが転がっていたとしたら、果たして私は傷付くのだろうか。怒って、感情を露わにして、自分だけにしてくれと本心からそう喚き叫べたのなら、今ある迷いも拭い去れるだろうに。
「……人の気配がすると思ったら」
スライド式のドアから現れたワズキャンは、ノックの形で固まっていた私の手を人目も気にすること無く取った。
「何突っ立ってんのベラフ先生、早く中に入りなって」
「いや、私は」
お前に呼ばれたから来ただけだ。用事が無いなら今日はもう、そう言う前に中へと引き入れられる。扉は背中で閉まった。腰に強く手を当てられる。
「やめろ、こんなところで」
「なんでよ。ベラフだってそのつもりで来たんでしょ?」
「私はっ、ワズキャンに呼ばれたからっ」
「『先生』ね。ほらー誰かに聞こえちゃうよ? 生徒達は皆帰ったと思うけど、先生方はまだ校舎に残ってるんだから」
「……んっ、……せ、せめて、鍵を」
「したよー。たぶんだけどね」
首筋に纏わり付く吐息に体温が上がる。お前だってさっきは呼び捨てだったではないか。机に押し付けられベルトが緩められる。卓上に転がった赤いペン。見飽きるほど消費した採点用のそれがコロコロと揺れるのを、行為の間中私はずっと眺めていた。
◆
あの赤い靴を見かけたすぐ後のことだ。僅かな休日、私は保険医のヴエコと待ち合わせて買い物に出ていた。少女達は有りもしない噂話で盛り上がっていたが、彼女とは旧くからの付き合いがある。私とワズキャンのことも知っていて、理解してくれているのは彼女だけだ。
「……買い物、付き合って貰っちゃってごめんね……忙しいのに……」
「構わない。日用品もいくつか切れていたし、ちょうど欲しかった本も手に入った。ヴエコのおかげで良い気分転換になった」
「ふ、ふへぇ……そんな、おかげだなんて……、……それより荷物、重くない?」
「これくらい平気だ」
ヴエコの家には余所から引き取った幼い子どもがいる。今日は友人に預かって貰っているらしいが外出にそう時間は掛けられない。今日の所はこれくらいで、と二人並んで信号が変わるのを待っていたときだった。
「あっ……あれ、ワズキャン……」
ヴエコの声につられて対岸の通りを見る。見慣れぬ女性と並ぶワズキャンは、そのまま信号を素通りして通りを歩いて行った。
「あぁ……あの、ごめんなさ……、自分が余計なことをぉ……」
「なぜ謝る?」
ヴエコがおろおろとし始めた直後に信号が青に変わり、我々も人の流れに沿って歩き始めた。ヴエコが何かを言いたげに口を噤んでいる。彼女の中で未だ整理の付かないのことならこちらから促す必要は無いと思った。
「さっきはごめんね……無神経なことを……」
別れ際、私の手から荷物を受け取ったヴエコは視線を逸らしながら再び謝罪を口にした。
「何がだ。何度も謝られる覚えは……」
「ベラフは」
──ベラフはそれでいいの?
顔を上げたヴエコの表情は形容しがたいものだった。痛みを噛みしめ、泣き出したいのを我慢している幼子に似ている。私の何が彼女を苦しめているのか、問い質してもその日の彼女から聞き出すことはかなわなかった。
それからだ。これまでと変わらぬ日常に些細な違和感を覚えるようになったのは。
『ベラフはそれでいいの?』
後になって考えてみれば、あれは通りを歩いていたワズキャンに対して言及した言葉だ。それに気付いた時、私は少なからず失望した。ワズキャンが女性と歩いていたから何だ。ヴエコだけは我々の関係を理解してくれていると思っていたのに。
『ベラフ先生カッコイイよね。やっぱり彼女いるのかな』
『ヴエコ先生だったらやだな。あの人、なんか肉食って感じがするし』
彼女の性愛の対象が女性へ向かっていることも知らずに好き勝手噂する生徒達。七十五日を待たずともいずれ関心の移ろう話題に一々目くじらを立てても仕方が無い。声高に一つ一つを訂正したところで自分の首を絞めるだけだ。第一、ワズキャンとの関係を正しく形容する言葉を私は持たない。必要としなかったのだ、少なくともこの環境に落ち着くまでは。
『先生は、先生になろうと思って今の先生になったの?』
それは、刃物のように鋭い質問だった。私はあの時、何と答えたのだろう。ワズキャンが教鞭を執ると言ったから私も隣で教鞭を執った。それが嘘偽り無い真実だ。私は否定とも肯定とも取れる沈黙を選んだ。「そろそろ行かないと次の授業に遅れるぞ」そう言えば、三人の子ども達は駆け足で教室へ戻っていった。
『私の未来について』
未来。ワズキャンとの未来。考えたことが無いわけではない。それはぼんやりとしたヴィジョンだった。ワズキャンが次の旅先を決めるとき、冒険をやめて一所に落ち着こうと言ったとき、節目節目で思い描くことはあった。願いはただ一つ彼の側にあることで、彼が家庭を持つなら近くでそれを見守るのも良いだろうと思っていた。仕事仲間として、友人として、関係を継続する方法はいくらでもある。
ではこのレポートの指定通り、具体的なヴィジョンと達成すべき課題を書けと言われたら今の私はどう書くのだろう。気紛れに持ったペンはきっかり十五分の間ピクリとも動かなかった。
◆
「さっさと別れちまった方がいいさねぇ、そんな男」
「……ヴエコ」
「ごめんなさいごめんなさいぃ……!!」
迷いが瞳に現れていたのだろうか。珍しくヴエコの方から飲みに誘われ、退勤後のその足で彼女の待つ店へと向かった。途中ワズキャンからのメッセージがあったが、「終わってから向かう」とだけ打って返した。
てっきりヴエコだけがいるものと思っていた席にはもう一人の客がいた。管理栄養士のムーギィ。世話焼きで、頼れる女将然とした風貌が性格にもよく表れている。ヴエコの親しい同僚だ。
「嘘が下手さねーこの子は」
「ふ、ふへェ……すみません……」
どうやらヴエコは我々の関係を名前を伏せて彼女に相談していたようだった。やや裏切られた感はあるが、生来の優しさが彼女自身を追い詰めたのだろう。我々のことが心配だったからこそ他者の意見を求めた、それについては理解していると伝えた。三人で席に着いてからヴエコは謝罪し通しだ。
「……ごめんなさい、……自分は……」
「もういい。乾杯もまだだろう。君も飲め」
食事が運ばれほどよく腹も満たされた頃、ムーギィは「ワチはこの子に言われんでも気付いとったよ」と口にした。
「街で見かけたことがあってなぁ。アンタとも、他の女ともいるところ見たよ。アンタ以外はいつも別の女連れてたさね」
管理栄養士と一教科担当の教師が顔を合わせる機会はそう多くない。だが年度の節目に一同が介す場で私の眼が自然とワズキャンを追うのに気付いたと彼女は話した。
「だからそう責めんでやってなぁ。確かにこの子の嘘は最初からバレバレだったけどよー」
「ベラフ……、ほんと、自分……何て言ってお詫びすれば良いか……っ」
「謝罪はもういい。君の気持ちは十分伝わった」
「悪いこと言わねからあの男とはさっさと別れちまった方が良い」
「ムーギィさん、やめてって、そんな……!」
ヴエコはムーギィの言葉を遮ると私と彼女の顔を交互に見つめてまた泣き出しそうな表情になる。
「ち、ちがうのベラフ……! 相談は、したけど……そういうつもりじゃなくて……っ」
「そういうつもりじゃなきゃどういうつもりでワチに話したんかね」
「ムーギィさぁん、揚げ足取らないでぇ……」
ヴエコはムーギィに何かを言って黙らせると、私の方へ向き直った。
「話しちゃった……のは、悪かったけど……ほんと、違うの……、自分は、二人に」
「分かっている」
これ以上彼女に言わせるのは酷だと判断した。だから言葉を遮った。決してその続きを彼女の口から聞きたくなかったからではない。
「このままの状態では良くないということは理解している。あの男とはこれまで、互いの未来について話したことは無かった。一度腹を割って話すべきなのだろうな」
勘定を多めに置いて席を立つ。ヴエコがまだ何かを言いかけていたが、汚れ役を買って出てくれたことに謝意を述べてから一人で店を後にした。
「アレ~、ヴエコと飲んでくるんじゃなかったの? 随分早かったね」
今度は僕も誘ってよね、と尖らせた唇が缶ビールを迎える。風呂上がりだったようで前髪の先からは雫が滴り落ちていた。いつもちゃんと拭いてから出てこいと言うのに、聞いたためしがないのだ。
「それで? どうしたの、怖い顔して。なんか嫌なことでも言われた?」
ああ、ワズキャン。
まだ伝えるべき言葉を探している最中だというのに、何も口にさえしていないのに。どうしてお前は私が一番欲している言葉を知っているのか。
「私はこれまで、お前との『未来』を真剣に考えたことがなかった」
それはまだ旅暮らしをしていた頃、ワズキャンが何度も語った夢物語のような望郷の未来ではない。我々が生きて歩む先、堅実で起伏のない、細やかな幸せを糧とする多くの人間が選ぶ道。その岐路に立つまで、実直な『未来』の選択がどれほど重視されるかなど考えたことがなかった。我々二人の間には必要なかったのだ。この関係を表す言葉を欲しないのと同じように。
「今の状況は互いにとって不健康なのだと……ここに居着いて数年、私達もそろそろ世間体というものを考える時期なのかも知れん」
世間体、社会通念、普通。本心ではそんなものがなんだと叫んでいる。だが考えることを放棄しぬるい安寧の中で微睡むような生き方だけはしたくないと思った。おそらく今、私はその暮らしに片足を突き入れている。
「だからしばらく距離を置こうかと考えている。ワズキャン、お前はどう思う?」
不健康と呼ばれる関係から離れて一人で思索を巡らす時間を持つべきなのだ、お互いに。常に先を見通すワズキャンには不要な時間かも知れないが、私には今の環境を見直し適応するための余裕が必要だと、ヴエコ達と話していてそう感じた。
ワズキャンは手にしていた缶ビールを一度呷ると、いつもと変わらないあの軽薄な態度のまま、唐突な思い付きを口にした。
「ねえベラフ。結婚しちゃう? 僕と」
「は……ッ!?」
「いやね〜、ベラフも世間体とか考えるようになったんだねぇ。大事だと思うよー、そういうの。良いね! 君も成長してるじゃない!」
でもねえ、困るんだよねぇ、と男はさして困った風でもない様子で頭を掻いた。
「僕はまた君と冒険に出るつもりだから、離れていってもらっちゃ困るんだよ。そのために何て言うの? 世間体とかさ、そういう煩わしい事柄から解放されて、周りに何も言わせない証になるなら、結婚くらいしちゃえ〜ってね。それで僕らの関係が変わるわけでもなし。どう?」
それはプロポーズなんて甘いものではなく、手にしているのは銀に輝くビール缶で、トランクスにタンクトップの下着姿。恥じらいも無ければ断られると思ってすらいない。
気付けば口元が緩んでいた。止められなかった。腹筋が震え、この男にしか聞かせた事の無いほどの大声で笑った。
「僕そんなに変なこと言っちゃったかな〜?」
「ワズキャンが……っ、結婚……っ」
これほど可笑しい事が他にあるだろうか。ワズキャンが娶って家庭を持つ様は何度か想像した。ヴィジョンにあったのは男がかつて共に寝ていた凹凸の顕著な女性達だ。そこに自分を置き換えてみる──有り得ない。余りにも突飛な思考に腹が捩れるほど笑った。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
「ああ笑った。おかげですっきりした、礼を言う」
「僕もそんなに笑う君、久しぶりに見て楽しかったよ」
「さあもう寝よう。今日は疲れた」
「ええ〜、夜はこれからなんじゃないの?」
纏わりつくじっとりと濡れた腕を払い、私は数日ぶりに晴れやかな気持ちで床についた。
◆
自分の未来をテーマとした作文、冒険家を目指す少女の評価は「B+」だった。内容だけなら花丸をつけてやりたい所だったが、文法ミス・スペルミスが目立った。今回は残念な評価だったが、これからが楽しみな生徒だ。
「ベラフ〜。車出すから、ちゃちゃっと買い物に行こっか」
あれから幾日も経ったまた別の休日、私はワズキャンの急な誘いに応じて車の助手席に座っていた。彼の車には調査用の資料や機材が常時、所狭しと積まれたままになっている。いつ崩壊してもおかしくないのだが、彼の奇跡的なドライビングテクニックによりどんな悪路でも微かに揺れるだけで済んでいる。
駐車場に車を駐め、行き先を告げないワズキャンの隣を並んで歩いた。珍しく革靴を履いた彼が足を止めたのは、この世で一番彼に似つかわしくない場所だったかもしれない。
「正気か……?」
「こういうのは形から入んなきゃ」
君はシルバーが似合うけど、やっぱゴールドもいいよねえなどと言いながら楽しげに指輪を嵌めていく彼を、私は信じられない気持ちで見つめていた。
校舎に響く甲高い声。少女らが憚ることもなく上げる色めき立つような声に、私は口角を引き攣らせる。案の定、廊下の角を曲がった先、職員室の前で上級生達に囲まれていたのはワズキャンだった。
「うそー! 先生それ、いつから!?」
「へへぇ〜、いいでしょ、コレ」
「相手どんな人? 奥さん美人?」
「う〜んとね、ナイショ」
ゴールドの指輪を惜しげもなく見せびらかすワズキャンに私は呆れたため息を漏らす。目が合って絡まれては面倒だと足早に職員室へ滑り込む。
私の指に金の輝きは嵌められていない。けれどもそれで良い。なぜなら証を所有しているという事に意味があるから。
あんな風に見せびらかしたりなどしない。だがもしヴエコに尋ねられたなら、その時は証明しよう。
我々二人を正しく表す言葉は無くとも、未来は示されたのだと。
「やってくれましたね、ヴエコ」
「ふ、ふへぇ……」
一緒に呼ばれたはずのムーギィさんはいつの間にか姿を眩ましていた。仕方なく重い足を引き摺って訪れた学園長室。この学園の表のボスが生活指導のオーゼン先生なら、裏のボスは間違いなくこの人だ。
「彼とは旧くからの縁あって特別に招き入れたんですが、全く……恩を仇で返されましたよ。見えますかヴエコ、この二つの退職届」
先日、ワズキャンとベラフがこの学園から姿を消した。ワズキャンは結婚したと噂されて間がなかったし、ハネムーンだろうと楽観視する者も多かった。実際、私は本人から直接そう聞いていた。「ちょっとハネムーン行ってくるわ〜」そんな軽いノリで。
(まさか二人がそのまま帰って来ないなんて思わないよ……しかも承認されてないって、どういうことなのベラフぅ……)
「調べによると焚き付けたのは貴女方……おや、お一人でしたね。失敬。貴女の仕業だというではないですか。さあ。この欠けた二つの穴、どう責任を取って貰いましょうか」
「ふ、ふへぇぇ……」
(べラフ、ワズキャン……お願いだから早く帰って来て〜〜!!)
ハネムーンどころか大冒険へと繰り出した二人が再び学園へと戻ることはなく、時折届く絵葉書以外に彼らの所在と生存を知らせるものは無い。
あの時私が取った『責任』は、学園長をおいて他に誰も知る者のいない、墓まで持っていく私だけの秘密となったのだった。