「こんにちは、銀桂の旦那様、いらっしゃいますかえ?」
「……劇場の娘か。何の用だ」
銀桂の呉服屋に訪ねるのは、これが最初ではない。しかし、今まで型通りに作ってもらった服では、色々と都合が悪くなったのだ。女装をする以上、胸のボリュームを盛る下着も必要になる。それに、可能であればショウ用の洋装なども用意してほしかったのだ。瑞香に聞くと、銀桂の店なら間違いない、と答えたので、ここを訪れた。
「いやサ、何、普段着の着物が欲しくて。採寸はどこでやってくれるのかえ?」
「……うちはそういうのはやってない」
「ふうん。普通の着物の二倍出す、って言ってもかえ?」
「……あんた、なかなかに性格が悪いな」
「ふふ、よう言われます」
「まあいい。それなら考えないこともない。奥の座敷に通すからついて来い」
銀桂は表の商品を仕舞い、奥の座敷へと入って行った。それに続いて座敷に上がる。
「待ってくれ、今茶でも持ってくる」
「いいよ、お気になさんな。あなた様、そういうガラじゃございませんでしょう?」
「芸妓にしては気が利くな。お言葉に甘えて無礼講で行かせてもらう」
「ふふ、わっちは芸妓じゃござらんが、変に肩肘張るのも痒い。お互いよしなにいこうか」
「わかった。では採寸するから服を脱いでくれ。女人に裸になれとは言わない。襦袢まででいいから脱いでくれ」
「ふふ、全部脱いでもよろしいのですよ?」
「冗談言うな。帰ってもらうぞ」
「……くく、あははは!」
俺はついに笑いの限界を迎え、ゲラゲラと笑い出す。銀桂は不快そうな顔をして、こちらを眺めている。
「何がそんなに面白いんだ。客とはいえ無礼だぞ。この話はなかったことに……」
「いやいや、悪い悪い。あんたをからかってるんじゃないんだ」
そう言いながら着物を一つ一つ脱いでいく。銀桂は目を逸らそうとする。
「ダメだ。ちゃんと見てな。俺のとびっきりのショウなんだから」
襦袢の下、綿を詰めたそこにあったのは女体とは程遠い、少年の裸だった。それを見た瞬間、銀桂は驚いたような、男であって安心したような不思議な表情を見せた。
「お前、男、だったのか」
「はは、どうだい? とびっきりのショウだろ?」
「いや、驚いた。すっかり女とばかり思っていた」
「なんならふんどしまで脱いでいいぜ? あんたが見たければの話だが」
「……興味ない。別に、そこまで脱がなくても採寸はできるから」
「ちぇっ、つまんないね」
俺は襦袢を羽織る。銀桂は巻き尺を持ってきて、俺の体のあちこちを採寸した。くすぐったい感覚だ。
「……サイズは、概ねこんな感じでいいか」
「うん。あとは女に見えるような下着が欲しい」
「承知した。これも採寸した値を元に作っておく。下着の材質は綿でいいか?」
「もちろん。あとは普段着の着物だが、明るい色と暗い色、両方一つずつ頼む。色はあんたに任せる」
「わかった。代金は……」
「ケチケチ言わないさ。特別待遇なんだろ? 相応の金額は出すよ」
「ありがたい」
そう言って支払いを済ませて、着物を着る。あとは全部銀桂のお任せだ。こだわりはあるが、専門家ではない。だからそのあたりは専門の人に任せようと思ったのだ。
「あとはショウで使う洋装なんだが、あんた、洋裁はできるのか?」
「覚束ないが、多少はできる」
「ほう、多才だねえ。助かるよ、何よりだ。じゃっ、そっちも頼むよ。もちろん、報酬は弾むさ」
「わかった。出来上がり次第また連絡する」
「あいよ。世話んなったぜ、銀桂の旦那」
銀桂はむず痒い顔をしていた。彼の店が繁盛していない、というか、させるつもりもないのは表のショーケースが埃まみれな時点で察しはついていた。別に、瑞香町は金がないと生きていけないような場所ではない。けれど、あるに越したことはないだろう。だから自分なりに、彼のことを扶けようと思ってしたことなのだ。人助けなんて恩着せがましいことは言わないが、どうせ長い生、彼の人生に生き甲斐という彩りを作れたのなら、満足だ。
「じゃ、また頼んます」
「表に出るとそれなんだな……いや、いい。また来てくれ」
「ええ、楽しみにしておりますよ」
銀桂の店を出て、自分の家へ向かう。足取りは少し軽かった。