あかいろの糖衣「死んじゃった、金魚」
とある夏の終わりのことである。黒髪の美しい、そのジャイボという少年は、手に載せたその赤色を見つめてぽつりと呟いた。
つい昨日まで、女の履くスカートのような尾ひれを揺らめかせていたその金魚は、少年の手の上でぴくりともしなくなっている。もう二度と泳ぎ出すことがないだろうということは、見ればすぐ分かることだった。
目が白く濁り、かつての輝きを失ってしまったそれに、ゼラは美しさというものを考え直す必要があるなとふと思う。永遠の美というのは、かつて基地に集う仲間たちが憧れたものだった。
腐ったこの世に負けず、生きゆくものは美しいが、いずれ移り変わってしまう。しかし、死して尚美しく居るのは難しい。
そしてそれは、少年らに焚きつけるひどく悲しい現実であった。
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金魚すくいにしては豪華で大柄な金魚だった。祭の為に飾られた提灯の光が、水とその体に反射して、宝石のようにてらてら光っていたのをよく覚えている。ブリキの玩具のような赤。
ゼラがそれを一瞥して「綺麗だな」とだけ言うと、ジャイボの今に零れ落ちそうな程大きな瞳がゆっくりとその姿を捉える。ぼおっとしているようだった。
「欲しいのか」
ゼラがそう言うと、ジャイボは少し驚いたような顔をしたあとにこくりと頷く。
普段は傍若無人で何を考えているか分からないような奴なのに、雰囲気と人混みに当てられているのか少ししおらしいのが面白くなって、ゼラは金魚すくいの屋台に百円払うことにする。それが愛しいと思ったからだ。
無論百円で済むはずがなく、結局は二人で悪戦苦闘することになったのだが、それは別の話である。
そのあと、ジャイボは随分機嫌が良かった。透明な袋に包まれて、窮屈そうにゆらめいている金魚を持って人混みを歩いてゆく。ちゃぷちゃぷ、と歩くリズムに合わせて水が揺れて、光が反射してはきらきらしていた。ゼラは人混みが嫌いだったので、ジャイボのその軽快な足取りを追うことが精一杯だった。
真っ直ぐ進むジャイボの足取りに迷いはない。この少年は自分のテンポに周りを巻き込むことが上手い、とつくづく思う。こういうときはあかるくて良いものだが、錯綜する狂気に飲まれてはいけない。
喧騒の中、ジャイボの白く冷たい手がゼラの手に触れる。ゼラは心臓をさわられたような気になってびくりとした。
「きゃはっ、金魚の名前! 決めたの、ゼラにするね」
「はぁ?」
それは僕の名前だろ、と言おうとしてその言葉を飲み込んだ。そういえば、ただの常川寛之だった僕に名前を付けたのもこいつだったことを思い出す。すぐに燃えちゃうから、ゼラ。ゼラチンペーパーみたいだから、ゼラ。綺麗だから、ゼラ。
出会ったときのことを思い出したので、あの頃から変わらない端正な顔立ちが、ひどくうつくしく感じた。
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そうやって思ったのを、つい昨日のようにゼラは思っていたが、もう夏の終わりである。夏祭りは中旬であったから、多分、少年のもつ金魚のいのちは数週間だったのだろう。
何かが死んでしまってこんなに悲しい顔をするジャイボのことを、ゼラは初めて見た。葬式に並ぶ女子供のような、しおらしい顔だった。
「埋めるのか」
「うん」
「何処に」
「その辺」
ジャイボが手に持っていたシャベルを見やって、ゼラは問うてみる。その辺にとは言ったが、ジャイボが本当にその地面にしゃがみこんで穴を掘り出してしまったものだから、ゼラはそこに立ち尽くすしかなかった。
土が掘り返されて、ジャイボの白い手が黒ずんで汚れる。金魚は地面にべたりと置かれていただけだった。水を失って跳ねることもなかった。ぴくりともしないあかいろのそれを、ジャイボは雑に掴んで土に埋める。
ああ、この少年は。きっともう、既にこの金魚からの興味は失せてしまっているのだろう。それでも弔いをしようとするのは、僕に見せる為だ。僕にもらったものだから、こうやって段階を踏むことに意味がある。この少年のことを理解できたことはなかったが、ちいさい体を丸めて地面に向かってその瞳を向ける彼のことはなんとなく分かる気がする、とゼラは思った。思っただけ、ではあったが。
ジャイボがぺたぺたとシャベルで山を叩いて、平たくしてゆくその姿はなんだか手慣れているように見えた。解剖した蛙の死体だって片付けたことがなかったのに、妙に丁寧な手付きにむずむずとした気持ちを覚える。こそばゆいような何か。
「できた」
ジャイボが呟いて完成されたそれは、弔いの為の墓と言うには少々粗末なものだった。棒を立てることもなく、誰に踏まれるかもわからないもの。それが、死んでいったものへのジャイボの興味のなさを表している気がして。情などないのかもしれないな、とゼラは薄らぼんやり思った。
「どうして死んだ」
「え?」
「いや、どうして死んでしまったのかと思ってな」
「あぁ」
飼い方、分かんなくてさ。たどたどしく言葉を選ぶようにジャイボが言う。いつもの鋭い声色は失われていて、針だとしたら役立たずだろうと思った。
「飼い方?」
「うん。飼う為の入れ物は用意したんだけど、今朝見たら浮いてた」
繋がらない線のようにとぎれとぎれに紡がれる言葉を聞いて、なんとなくゼラは嘘だろうなと感じる。彼は嘘が上手くて、饒舌で、人を誑すのが上手かったが、このときばかりは隠すことすらしていないように思えた。思った通り、「本当は?」と問えば「きゃは。バレた?」と言って少年がにたりと笑う。本当によく分からない人間であった。
「綺麗だなって、ゼラが言ってたなって、思って」
「ああ」
「眺めてたらさ、動かなくなったよ」
ゼラの脳裏には、水からあかい金魚を取り上げて眺めるジャイボがいた。水を求めてばたばたと暴れまわるそれを、ジャイボは無為に掴んで離さない。少年は幼く、しかし成熟していて、そして残酷であった。それをゼラは知っていたので、見ていなかったのにジャイボのその姿はくっきりと記憶にあるような気がしてしまう。分からないのではなくて、分かるのが怖いのかもしれないとも思った。
ただ、ゼラは強いてそれが良くないことだとも思わなかった。叱りつける気もなかった。
「金魚は好きか」
「ううん。ゼラが綺麗って言ったから、嫌い」
僕だけに言ってほしかったのに。そうやってジャイボが言ったので、ゼラはむつかしい顔をした。
夏の終り、雨のせいでじめじめとした空気が未だ抜けない。足に感じたようなきもちわるさが、ゼラの心を撫でた。