胎児の夢 かぷかぷ、かぷ。
水槽の中では夢が眠っている。探偵事務所に置かれているそれの中にあるものは、金魚ではない。藻のように水の流れに合わせて揺れている髪の癖の強さはリーに似たのだろうが、透き通るように白いこの色はあの人に似たのだろう。その肌の白さも。生まれてから一度も、陽の光を浴びたことがないのであれば尚の事。けれども、水槽から一度も出たことも、目を開いたこともないそれは、果たして真の意味で生きていると言えるのだろうか。
かぷかぷ、かぷ。
首の両脇から生えている鰓めいた構造物はリーに似て、頭から生える角も彼譲りだった。この子があの人から受け継いだものは、色彩を置き去りにした体躯だった。あの日からずっと、リーの世界から色が失われたように。
かぷかぷ、かぷ。
あの日。ロドスがその戦術指揮官を永久に失ったあの日に、リー探偵事務所とロドスの業務提携も解消された。あの人がいたらそれを薄情だと罵るだろうかとリーはしばし考え、そんなことはないだろうと結論付け、しかし仮に罵倒の声が聞こえるのならば何も聞こえないよりもずっとマシだと切に思った。遥かにマシだった。
かつての製薬会社で働いていたオペレーターがリーの元を訪れたのは、彼が探偵事務所に籠もるようになってから数年が経ってのことだった。酒の量は増え、もう事務所を出て自立した子どもたちは、時折彼の元を訪れては窘めるが、強く止められることはない。そうでもしないと現実に窒息してしまうと、彼らも知っているからだ。酒に溺れて、意識に麻酔をかけていなければ。理性を腐食させなければ、番を失った龍は正気ではいられない。
急な来客を出迎えたのはリーだった。今更何の用ですか、という言葉には隠しきれない棘がある。けれども青と白のドレスを纏ったフェリーンは、怯える様子もなく彼を見上げた。
ドクターからの預かり物を届けに来ましたわ、と。そう言って。
かぷかぷ、かぷ。
彼女は夢のお城の主であり、揺り籠の守り人なのだという。普段は彼女の城を訪れることができるのは、無垢で無邪気な子どもだけであるが、時折は善良で誠実な大人を客人としてもてなすのだという。善良? 誠実? 全く、あの人のこれほど似合わない形容詞が、この大地に存在するとは。思わずリーは笑い出しそうになったが、しかし続く言葉の前に一切の感情が消え去る。たった一つ、焼け付くような思慕を残して。
客人、大切な、綺麗に保存しておくのが難しいと感じたものを、城に預けていくのだと。――それを、返しに来たのだと。
彼女が持ってきたのは、その身の丈に似合わない水槽だった。
四角いその水槽は、けれども何故か、棺にとても良く似て見えた。
かぷかぷ、かぷ。
その中にあるものが、一体どのようにして生まれたのか、リーは知らない。知る由もない。リーが覚えているのは、イベリアへとオペレーターを連れて出立したドクターの後ろ姿だけだ。表情と感情を全て覆い隠すフェイスシールドだけだ。それに反射する、自分の表情だけだ。
だからリーは知らない。自分とあの人の姿を半分ずつ受け継いだようなその生き物に――一体、何と名前をつければ良いのか。
かぷかぷ、かぷ。
「――■■■」
だから水槽越しにリーが呼びかけるのは、いつもドクターの名前だった。だから返事はなく、その生き物が目を開けることはない。だってそうだろう、リーは名前を知らないのだから。その子の名前も、自分とその子の関係も、何も。
かぷかぷ、かぷ。
自分は目を覚ますべきなのだろうか、その子の目を覚ますべきなのだろうか? この暗く冷たい大地の上で生きるよりも、羊水に似た暖かな水槽の中で夢を見るほうが、どんなにか幸福なことだろう。けれども。――その子の瞳は、自分とドクターのどちらに似ているのか。その子はどんな声で自分を呼ぶのか。その欲求が押さえきれなくなる日は、きっと遠くない。
自分が溺れる夢から醒める日は、もう。
かぷかぷ、かぷ。