龍鬼八八華合戦*本作は「真庭語/西尾維新」のパロディです。
うへえ、と扉を開けたリーは悲鳴とも悲嘆とも付かない声を上げた。それが失言と気づいて口を抑えても、吐いた言葉は戻らない。
デスクと二人分の椅子だけが置かれている室内で、ホシグマはにこりと仕事向けの笑みを浮かべる。
「こんにちは。お久しぶりです、リー先生」
「いやあ、どうも、ご無沙汰してます――ホシグマさん」
口にこそ出さないもの、その瞳は雄弁に語っている。何故あなたがここにいるんですか、と。
一部のオペレーターは入職時に明らかに実力を秘匿している。総合テストはクリアさえすればいいというのが現在のロドスの方針だが、やり方を調整する必要があるのではないか――というのが、先日行われた会議で人事部が出した結論だった。その会議の発端となったのがリーであり、故に人事部が模索している新形式の入職試験、その試運転に召集されたのも、やはりリーだった。
「まさかとは思いますけど、あなたが試験官なんですかい?素手上等なんて勘弁してくださいよ」
リーは両手を上げて降伏の姿勢を取る。
「武術は苦手、アーツも得意ではない、戦闘経験もなし――でしたか?小官の知っているあなたとは、随分異なっていますが」
いやあはは、とリーは照れたような笑いを浮かべ、頭を掻いた。龍門で長く暮らすものとして、彼の実力はよく知っているつもりだ――その底知れなさを踏まえて。とはいえ今日の試験は、彼と戦ってその実力を確かめることを主目的としているのではない。
「既に人事部のオペレーターから説明があったかと思いますが、今後は入職試験に際して新しい方式を採用する見込みです」
「ええ、聞いてますよ。おれが今日ここに呼ばれたのは、その試運転のためでしょう?新方式、ってのは具体的に何をするんですかい?」
「上級オペレーターによる、個人試験です」
例えばリーのように、意図的に実力を隠すものがいた場合。或いはピーキーな能力を有しており、画一的な試験では正確に実力を評価することが難しい場合。
そういった志望者を評価するために必要なものは、結局のところ人の目による確認である。
はあ、とわかったようなわからないような相槌を打ちながら、リーはホシグマの向かいへと座る。
「試験内容は上級オペレーターが、志望者に合わせて自由に定めて良いことになっています」
アーツの能力を見るのでも、アーツなしの戦闘能力を測るのでも良い。戦術立案能力や、エンジニアリングの能力を試しても良い。志望者の能力に合わせ、その実力と真価を評価する。それがロドス人事部の考案した、新方式の入職試験だった。
「それで、ホシグマさんはどんな試験を行うんですかい?信じちゃもらえないかもしれませんが、おれはアーツも喧嘩も滅法苦手で――ー
「――あなたにやってもらうのは」
これです、とホシグマが取り出し、デスクの上に置いたのは、二つの賽子と茶碗ほどの大きさの笊だった。
それを見れば、ホシグマの意図するところは自ずと知れる。
「丁半博打――ですか」
丁半博打。
笊の中で二つの賽子を振り、その出目の合計が奇数であるか偶数であるかを予想する賭け事だ。
「なるほど。おれはホシグマさんと丁半博打で勝負して、勝ったら合格――ということですかい?」
リーは納得したように頷いた。胆力もありここ一番での勝負強さもある。ホシグマに一対一のギャンブルで勝つというのは、確かに並大抵のことではないだろう。
しかし。
「――いいえ」
ホシグマは首を横に振った。はい?と聞き返すリーを真正面から見据え、ホシグマは試験内容を告げる。
「小官は如何様をします」
「――はあ?」
「賽子を百回振る間に、その如何様を見抜く。――それがあなたへの試験ですよ。龍門一の私立探偵、リー先生」
***
龍門裏社会の重鎮、裏から龍門のグレーゾーンを牛耳る権力の要。
リーに関してまことしやかに囁かれている都市伝説めいた噂は、実際のところただの噂でしかないことを、ホシグマは良く知っている――彼がその気になれば、都市伝説を現実にできることを踏まえて。
ウェイ長官から近衛局に勧誘され、グレイからファミリーへと誘致され、その二人を袖にし、かつ今も良好な関係を有している人物を、ホシグマはリー以外には知らない。彼は表と裏、二つの社会で中立を保つバランサーなのだ。
だからこそ、わからない。
彼が、ロドスという一企業に協力しようとした、その真意が。
「半」
迷う素振りを一切見せることなく、ホシグマが手を止めると同時にリーは宣言する。
「……」
ホシグマが壺を開ける。賽子の目は一・五の偶数、即ち丁だった。
「いやあ、なかなかうまく行きませんねえ。さすがはホシグマさんです」
外したというのにリーは至って気楽な様子で、相対するホシグマの纏う雰囲気の方が余程張り詰めていた。
「あ、博打の結果は試験には影響しないんですよね?これはあくまで如何様を見抜く――それだけだ、と」
「……ええ、その通りです」
リーの言葉通り、ホシグマが丁半博打の最中に行う如何様を見抜く――それが今回の試験だ。
しかし。
ホシグマは一切、如何様をしていない。
それを、リーは見抜くことができるか。
それがホシグマが課した試験だった。
疑うべきポイントは無限に存在する。壺を振っているホシグマ自身の技巧もあるが、そもそもホシグマは百回ずっと如何様をするとも言っていない。初めの一回だけ如何様をして、後は普通に壺振りを行っているだけの可能性も、逆に疑い尽くした果ての百回目でのみ如何様をする可能性もある。疑心暗鬼の中、途切れることのない集中と観察眼の果てに、そもそもの設問自体に如何様が仕込まれていることに気づけるか。そして、「ある」ことよりも困難である悪魔の証明、それが「ない」ことを証明できるのか。
リーがホシグマの嘘を見抜けるならばそれで良し。入職時と同様、わかりませんでしたで済ませるならば、多少の落胆は覚えるかも知れないがそれで構わない――と。ホシグマは当初、そう思っていた。
けれど。
「半」
無言でまた壺振りを始め、そして手を止めると、リーは一切躊躇わずに宣言する。
壺を開ける。
二・四の丁だった。
「……」
ここまでで二十回。
半、半、丁、半、丁、丁、丁、半、丁、半、丁、半、半、半、丁、丁、半、半、丁、丁――という、結果。
その出目の全てを、リーは外している。
「……次に行きましょう」
無論、ホシグマは過去に博打で鳴らしたこともある――壺振りで、賽子の出目をコントロールすることは、多少ならできる。しかし今回ホシグマは、あえてそうせず、なるべくニュートラルに壺振りを心掛けていた。
この出目は全て偶然だ。
ならばそれを外すことも、一度二度の範囲であれば、偶然の範疇として済ませるだろう。
しかし二十回連続となればそうもいかない――そこには作為がある。
そして。
リーが出目を読んだ結果として外し続けているのであれば、それは当て続けていることと――勝ち続けていることと同義だ。
壺を振る手に、自ずと力が入る。
「丁」
やはり寸分も迷わずに、リーは宣言する。ホシグマは半ば確信めいたものを感じながら、賽子を確認する。
一・三の半だった。
――こいつ。
――こいつは。
如何様を、している。
「わかりました」
ぱん、とリーが両手を打つ。昼行燈は生き生きと明るい笑顔を浮かべていた。
「ここまで当たらないのは、その笊と賽子に仕掛けがあるんじゃないですかねえ?調べてもいいですか?ホシグマさん」
「……ええ、どうぞ」
ホシグマは壺振りの手を止め、道具をリーの方へと押しやる。いずれもクロージャから買った量産品であり、そこには何の仕掛けもない。
「どうしてホシグマさんなんですか?」
リーは受け取った賽子を、矯めつ眇めつ眺めながら言った。
「小官では不足だと?」
「そういうことが言いたいんじゃあありませんよ。おれの他にも試運転に駆り出されているオペレーターはいるし、ホシグマさんの他にも試験官を任されているオペレーターはいる。この組み合わせになったのは、誰かのご意向なんですかい?」
リーの言う通りだ。この試運転に駆り出されているのは自分たちだけではない。試験官役にはブレイズとサリアも――サリアが当たったオペレーターは不運としか言いようがない――いる。
その中で、この組み合わせになったのは。
「……いえ、偶然ですよ」
嘘だった。
「小官があなたを担当することになったのは、人事部の意向ですから」
リーの試験官を務めることを人事部に志望したのは、他ならぬホシグマ自身だ。
彼の作るものは煮物でも焼物でも、勿論揚物も例外なく美味しいが、彼自身は煮ても焼いても食えない鯉、否、龍だとホシグマは思っている。彼が本質的には善人だということも、アとウンを引き取って養育している経緯から知っている。
しかし。
彼は龍門のバランサーなのだ。表と裏、そのどちらにも与することのない。
ならば。
もし彼がロドスに属するのではなく、ロドスと他の組織のバランサーになろうとしているのであれば――
それは、完全なロドスの味方と言えるのだろうか。
リーの他にも、微妙な立場のオペレーターが多く在籍していることは理解している。自分だってそうだ。もし仮に、想像したくもない事態ではあるが、ロドスと近衛局が対立するようなことがあれば、自分は苦渋の決断を余儀なくされるだろう。
そんな自分が、彼を試そうとすること自体、烏滸がましいのかもしれない。
それでも。
そうせずにはいられないほど、今の自分はこの居場所に愛着を感じている。
目の前にいるこの男が、毒にはならずとも、真に薬になり得るのかを――見定めたくなる程には。
「はい」
と、リーは笊と賽子をホシグマの方へと押し戻した。
「全然わかりませんでした。小道具に何か細工がしてある、って訳じゃあなさそうですねえ」
「……」
ホシグマは答えない。リーは可笑しそうに唇を歪め、頬杖をつきながらこつこつとデスクを指先で叩いた。
「じゃあ続けましょうか」
ホシグマは無言で、壺振りを再開した。砂を噛むような時間が流れた。リーは予定調和のように、出目を読み続け――外し続けた。如何様がわかったとも何も言わず、ただ無邪気に丁半博打を楽しんでいるかのように。
――このまま。
ホシグマは気取られないよう、奥歯を噛み締め、わずかに視線を上げた。その先にはリーではなく、録画用のカメラがある。今回の試運転の結果を踏まえて今後の方針を決めるために、この試験は録画されている。二人の博打の様子はきっと、リアルタイムで人事部も見ていることだろう。
「半」
九十九回目の壺振りが終わる。結果など今更見るまでもない。――五・六の半。
「はあ、さっぱりわかりませんねえ――おおっと、次で最後ですかい?こいつは参ったな」
――このまま、自分は。
如何様で百連勝したと、言われてしまうのか。
そう思った瞬間。
木で出来た笊は、ホシグマの手の中で呆気なく砕け散った。
ホシグマが握り潰したからだ。
「……」
リーが呆気に取られた顔になる。それまで余裕綽々、飄々とした表情を一瞬たりとも崩さなかったそのかんばせに、初めてひびが入る。それに、ホシグマはこの九十九回の中で初めて、小気味良さを覚えた。
だん、とホシグマが拳を振り下ろすと、何かが砕ける音がした。笊の下で賽子が砕け散る音だった。
「遊びはここまでにしましょうか」
ゆらり、とホシグマが立ち上がる。握り込んだ右の拳を左の手のひらに打ち付けると、小気味よい音が響いた。賽子の転がる音より、余程心地よい。
立ち上がったホシグマを、呆然とリーは見上げ、そしてその顔にじわじわと焦りと動揺が広がる。
後悔したところで既に遅い。
「やはり素手上等で決めましょう」
賽は既に投げられたのだから。
***
「――それで結局、リー先生はどうしてロドスに来たんですか?」
その後。
二人のスパーリングは引き分けに終わった――あまりにも戦いが白熱し、備品はおろか壁や天井までも破壊しかねない戦いに、別室での試験を終えたサリアとブレイズが仲裁に入ったからだ。
二人は人事部からのこっぴどいお叱りを受け、半ば放り出されるような格好で試験会場を後にし、そのまま喫煙室へと向かった。
並んで煙草を吸いながら、自棄のような気持ちで、やさぐれながらホシグマは尋ねる。彼は誤魔化すこともはぐらかすことも得意だ。それを見越しての質問だった。
しかし。
「――ホシグマさんは、ロドスのことをどう思ってます?」
紫煙と共に吐かれた言葉は、想像以上に真摯さを纏っていた。思わず彼の方を見つめる。リーは正面を、或いは喫煙室の壁よりもずっと遠い方を見つめながら続ける。
「こんな世の中だってのに、鉱石病の治療と、感染者の差別をなくそうとしてるんですよ?そんな理想、このテラでは夢物語でしょうが。なのに皆、おれたちよりずっと若い連中まで、それに向かって必死なんですよ――」
それを若さという言葉で片付けることは簡単だろう。しかし、彼らを突き動かすものがそれだけではないことくらい、彼らと共にあるリーとホシグマは知っている。
だから。
「そばにいて、応援したくなっちまったんですよ――全く、おれの方が絆されるとはね」
嗚呼。
そうか。
こんなに、簡単なことだったのか。
回りくどい真似などせず、試すような真似などせず。
あなたはロドスの味方であることができるのか、と――。そう、尋ねてみれば良かったのだ。
ホシグマは胸いっぱいに紫煙を吸い込み、吐き出し――そして。
「今日は一杯やりましょうか、リー先生」
「いやそれはちょっと」
「小官の酒が飲めないとでも?」
「あなたの一杯に付き合えるのはリィンさんとブレイズさんとパラスさんでしょうが!ちょちょちょ、引っ張らないでくださいってば!」
後日。
今回の試運転に関する報告書として、ホシグマは試験を中断しなければならなかったことに触れながら、しかし総合的に判断して――オペレーター・リーは合格であると結論づけた。
尚。
二人の素手喧嘩をリアルタイムで見ていた人事部は、どちらが勝つかで賭けを行っていたが。結局引き分けに終わったことから胴元のクロージャが全ての掛け金をせしめることとなった。しかし艦内で違法賭博を行っていたことがケルシーに露見し、始末書及び一ヶ月の減給処分が下っている。
それから、リーを度々酒盛りに誘うホシグマと、断りきれないリーの姿が見られたそうだ。