You are what you eatいつになくドタバタした日だった。Pharmはフライパンをゆすりながら、今日の出来事をぼんやり思い返していた。
今日は部活帰りにDeanと合流して、ついでに水泳部一行へと差し入れを渡した。運動後の飢えた部員たちは我先に、とおやつに飛びつく。ワイワイと盛り上がる彼らを横目に、Pharmは恋人の元へとそっと近づいた。
Deanはこういうとき、一歩引いた場所にいる。以前は誰も寄せ付けないオーラを放って差し入れを受け取ったり、そのままPharmに食べさせてもらったりしていた。それが気恥ずかしいやら申し訳ないやらで、見かねたPharmは部員用とは別のタッパーにDeanの分を取り分けることにした。そうして部長の差し入れ寡占状態がPharm寡占状態に変わったことで、水泳部は晴れて心置きなくおやつにありつけるようになった。おそらくこの経緯を分かっていて、Deanは部員たちから少し離れたところでPharmを待っている。Pharmの視界に恋人がやってくることに気づいて、微笑みを浮かべた部長が見えた。
「P'Dean、お疲れ様です」
小さくワイをして隣に並び立つと、Deanも応じるように頷いた。
「ああ、Pharmもお疲れ様。差し入れありがとう」
「でも今日の差し入れ、ちょっと少なかったですかね」
空になったタッパーを持つTeamが見えて、Pharmは心配そうに水泳部の人だかりを見つめた。
「作ってくれるだけありがたいよ。料理研究部に改めて、お礼をしなきゃいけないな」
「あの、P'Deanの分もちゃんとあるので」
そう言って、黄色いリュックからタッパーを取り出そうと手を入れる。ちゃんと、いつものように小分けにして、特別に詰めた。確かこの辺に入れたはず、とガサゴソとリュックの中を点検するPharmはおかしなことに気がついた。ない。おやつがない。Deanが何か持とうか、と手を差し出すそぶりをしているのにも気づかず、Pharmは必死で探した。が、見当たらない。
「あれ、なんでだろ」
思わず声が出て、Deanと目が合った。Deanは肩をすくめ、Pharmはいよいよ必死でリュックの中身をひっくり返し始めた。ノート、スマホ、ペン、財布、レジュメ、ペン……
「もしかして、このタッパーに入れてた?」
非常に申し訳なさそうな声がした。目の前にTeamと、その後ろにWinがいる。Teamは少し青ざめた顔でPharmに何かを差し出した。
「あ、それ!」
探していたタッパー、そして中身は、空っぽ。Pharmがそれを受け取るや否や、Teamは大きな声でごめんなさい!と言って手を合わせた。
「ごめん、気づくべきだった!!!!どおりできれいに小分けされてるなって思ったんだけど、食べちゃった……」
「いやいや、こっちこそ間違えて全員用の袋に入れちゃったから」
申し訳ない、と重ね重ねPharm、そして後ろに佇む部長に謝るTeamを何とかなだめ、PharmはこわごわDeanの方を振り返った。
「P'Dean……、ごめんなさい。間違えて、水泳部用の大きい袋に入れちゃってたみたいです」
DeanはPharmが持つ空のタッパーをじっと見つめ、それからWinに目を移した。
「俺は止めた。心の中で」
にっこりするWinにDeanは目が合った者すべてを射貫きそうな鋭い視線を送り、Teamは気づいてたんなら言えよ!と吠え、Pharmは自分の手違いにすっかり肩を落としていた。そんな惨状を鑑み、WinはまあまあとDeanの肩をたたいてにやっとした。
「いいじゃんちょっとくらい。Deanには直々に飯を作ってくれる恋人がいるだろ」
その言葉に、Pharmは反射的に頷いた。そうだ。
「あ、あの今日は夕ご飯作ります!」
大きな声を出したPharmに水泳部たちは何事かと振り返った。Pharmも自分が出した大声にびっくりして、顔を真っ赤にしながらDeanに言った。
「今日、うちにご飯食べに来てください!」
そんなわけで、今日はうちにP'Deanがいる。
「Pharm」
不意に声をかけられて、Pharmの肩は小さく跳ねた。
「はい」
Deanはシャワーを浴びて、さっぱりした部屋着に着替えている。Pharmは火を弱めて、フライパンの柄を握り直した。集中。火を使っているんだから。声をかけてから少し間が開いて、Deanはベッドに腰かけると再び口を開いた。
「突然押し掛けるみたいになって、すまなかったと思って」
「いや、僕の間違いでP'Deanへのおやつが無くなっちゃったので……気にしないでください」
料理は好きだし、まして出来たてを食べてもらえるならそっちのほうがおいしく食べてもらえるだろうし。流れと勢いで突然家にも呼んでしまって、緊張はするけど決して嫌ではない。緊張している、けど。
「家には連絡しておいたから」
ガタン、という音がして、Deanは思わず腰を浮かせた。大丈夫か、とキッチンを見ると、フライパンを火から下ろそうとしてぎこちなく固まったままのPharmの姿があった。
「今日、食べて帰るって」
ああ、食べて帰る、か……。Pharmはあやふやな相槌を打って、皿に夕飯を盛りつけた。
「コップ、用意しようか」
はい、と答えるとDeanは棚からコップを取り、テーブルまで持っていって水を注いだ。勝手を知っている恋人の背中を見ながら、Pharmは深呼吸をした。
「落ち着け、なにもない、多分……」
「Pharm?」
「あ、今、持っていきますね!」
おやつを差し入れできなかった分、今日は少しボリュームのある献立にした。部活帰りでお腹を空かせた、アスリートのためのご飯。お腹を空かせた人が勢いよく食べるさまは、見ていて飽きない。Pharmは無心になってご飯を食べるDeanの姿を眺め、ひそかに満たされた気持ちになった。生きる活力になる、そんな気分になるような豪快な食べっぷりだった。自分が丹精込めて作ったご飯が、彼をつくる。あんなに用意したのにDeanはいとも簡単に、すべて平らげてしまった。
「とてもおいしかった。ありがとう」
「いえいえ。おかわり、要りますか?」
大丈夫。そう言って水を飲みほしたDeanと、一瞬、ばちっと目が合った。Pharmは小さく息をのんだ。そしてすぐに、目をそらした。Deanは食器を下げると、Pharmと他愛ない話をしながら彼が食べ終わるのを待っていた。Pharmが台所で食器を片付けおわると、余計にDeanはあっという間にご飯を食べ切ったのだと実感した。さすが、現役運動部だな……ぼんやりと考えながら、リビングへと戻る。
「Pharm」
やさしい声で呼ばれた。
「はい」
「こっちにおいで」
ゆっくりとDeanの目の前までやってくると、Deanは少し手を広げて、Pharmを包むように抱きしめた。Pharmもされるがまま、その両腕を受け入れるように身を近づける。DeanはPharmの体をぐっと引き寄せて、それから小さく呟いた。
「ごめんな」
意外な言葉だった。Pharmはちょっと身を引いて、Deanの表情を窺った。
「どうして、ごめんだなんて」
そんなのこちらこそ、今日のドタバタさわぎの原因を作ってしまったというのに。唐突な言動に頭がやや追いつかないまま、Pharmは大きな背中にそっと手を置いた。
「水泳部への差し入れ、いつも嬉しい。Pharmがとっておいてくれるから、作ってくれたおやつを食べ損ねることもなくて……感謝してる」
少し俯いたDeanが、慎重に、言葉を選びながら話している。
「でも、もしそれがPharmにとって手間なら、水泳部員の分だけでいいよ」
あれ?Pharmはちいさく驚いて、固まった。もしかして小分けのタッパーはいらない?
「P'Dean」
ちょっぴりうろたえているPharmの様子にDeanはすぐさま気が付いた。逡巡する、一瞬の合間。何を言おうか、頭をフル稼働させるあいだの微妙な沈黙を破ったのはDeanだった。
「今日、思った以上にPharmが焦ってたから。びっくりしたんだよ。そんなに気をつかわせてるなんて思わなくて、申し訳なかったから」
申し訳ない、という言葉に慌ててPharmは首を振った。
「いえ、大好きな人に作った料理を食べてもらえるのは、料理人にとって最高の幸せです」
しあわせ、と聞いてDeanは顔を上げた。ようやく、互いの目と目が合った。それから、言葉を付け足す。
「自分の作った料理がP'Deanの糧になる、って感じがして、見てて楽しいんです。僕は満たされた気持ちになります」
「本当に?」
もちろん。そう頷くと、緊張の糸が解けたように、DeanはPharmに回していた手を緩めた。そんなDeanを見て、Pharmは微笑みかけた。
「P'Deanが食べるところを見るの、好きですよ」
あ、いま変なとこに強勢を置いちゃったかな?いい雰囲気だったのに一瞬疑問が頭をよぎる。
「"食べる"?」
「食べ……あ、いや、そういうことじゃなくてあの、ぴ、P'Dean!!!」
「Phiは、Pharmが困ってるところを見るのが、すき」
助けてあげたくなる。
Deanはからかうように目を細めて、笑った。
こ、この……、Pharmも負けじと見つめ返す。でも次の瞬間には負けている。泊まりに変更しなきゃ、と実家にメッセージを送るDeanの腕にもたれて、Pharmはしばらくじっとしていたが、スマホを置いたDeanの手を取ると、ぎゅっと握った。
「気をつかわせてるんじゃなくて。手間、かけさせてくださいね」
照れていても、こういう時のPharmはどこか堂々としている。
「Pharm、」
だいすき。
その言葉は互いの唇が重ねられて、二人の息に溶けた。