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    SALVA.

    一次創作、低頻度稼働中。
    小説、メモ、その他二次創作など。
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    SALVA.

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    幹部3人で暖場に行く話。
    ダステンの気持ちを語ったお話です。
    殴り書きなので文法間違いとか漢字間違いあったらごめんなさい

    火傷「………………はぁ」
    時刻は18:00を過ぎる頃。
    獄都心柱殿の自分の書斎で万年筆を握っていた皎撈ダステン・カザリアは、大きなため息をついた。その理由として先ず思い浮かぶ要因は、そこまで酷な作業は無いうちにあれやこれやと追加で仕事を見つけてしまい、几帳面且つ神経質な性格が裏目に出て、今日もまた仕事を定時で上がれなかったことだ。しかし、それは地獄幹部から言えば日常茶飯事であり、言ってしまえば定時に仕事を終えて帰路につくことができる方が珍しいくらいだ。今の時代、彼ら地獄の幹部が定時で仕事を終えることが出来る日など、祝祭や喪中など何か特別な予定でもない限りありえない話だ。
    つまり問題はそれではない。この後のことだった。
    実は数週間前、月末の仕事の集計のために幹部会議が行われた。いつものように、他の2人の余計な無駄話が目立ち、真面目な皎撈の気持ちが苛立ったのは他でもないが、あろう事かその無駄話から発展したことで、近いうちに3人で仕事終わりに体を休めに暖場に行こうとなったのだ。
    勿論この話は朱撈と黎撈が提案し、ほぼ彼ら二人だけで計画されたものであったため、なおのこと皎撈は気が進まなかった。元々彼自身が他者との関わりを遮断しておきたい孤独主義あり、公正型や天罰型はともかく、別段親しくもない獄民たちと和気藹々肩を並べて湯に入ることなど無論御免蒙りたい所存だったが、彼の心配を他所に、なんと今回は事前にそれを獄民らに知らせ、街ひとつの暖場を幹部3人の利用のために貸し切るというのだ。
    しかし彼はさらに増して腹が立った。入浴という概念を嫌う理由は他にもあるが、幹部としての特別待遇を受ける以上に、同じ地位を名乗る者とはいえあの厄介者2人と入浴するなど、皎撈である彼にとっては心地が悪いことの以外の何でもなかった。しかしお察しのように、彼が幹部であろうと立場の中で末に値する皎撈である以上、目上の黎撈、ましてやあの朱撈に逆らうに値する正しい理由が思いつくわけもなく、故に今度の休暇もやむを得ず彼らに従う他ないのだろう。

    そしていよいよ差し迫った暖場へ行く日。19:00に待ち合わせを予定している皎撈は、まだ新しい万年筆を握る手でそれを危うく折ってしまいそうな程に気持ちが苛立ち、故にあのように大きなため息をついたのだ。彼の中で緊張、不快感、恐怖などを含む言葉で言い表しがたい感情が、その美しい桃色の髪より内側の、例の厄介者に硬いと笑われた頭の中で渦を巻き、それが引き金となって捗らない筆先や、涼しく整備されいつもに増して寂しく沈黙した彼の書斎が、彼の気分をより悪くしたのかもしれない。

    彼は仕方なしにもう一度ため息をつき、万年筆を置いた。今日のうちにはまだ処理が終えられず、束になり机に胡座をかくあらゆる報告や申請の紙を恨めしそうに睨みつけ、彼は深い茶色をした木製の硬い椅子から立ち上がった。そのまま振り返り、昼間より幾分か静まり返った人罰堂の殺風景な景色を窓から眺め、その目の左端に写る、壁に立て掛けられたままの長薙刀を数歩近づき手に取った。
    それとほぼ同時だったろうか。彼が背を向けた大扉から、ノックの音が3度聞こえた。多くの天罰型、公正型の悪魔は帰っていてもおかしくないこの時刻には珍しい来客の合図だ。彼は首だけで振り返り、長いこと口を聞いておらずしゃがれてしまった声で返事をする。
    「入れ。」

    少し間を置いてから、内から見て外開きの大扉の右を引いて開け姿を現した人物を目で捉え、皎撈は僅かに眉間に皺を寄せた。
    「やっほい、ダステン。」
    その軽快且つ感情の込もるに聞こえない中性的な声で自分に挨拶をしたのは、紛れもない黎撈の擌十統であった。無論口に出しては言わなかったが、今の皎撈にとっては最も顔を見たくない相手の1人である。勿論今日の予定で会うことに変わりはないために覚悟はしていたものの、思ったよりも1時間ほど早い再会に皎撈は莫大な怠惰さを覚えた。
    「うわ、勇ましい目。視線だけで殺せそう。」
    満更でも無い様子でいつもの調子で冗談を弾ませる黎撈の目には、ギリギリと音が鳴るほどに強く長薙刀を握り締め、不本意と言えようかその恐ろしい三白眼で自分を睨めつけるその彼が写った。
    「そんなに俺に来て欲しくなかったの?悲しいなぁ」
    わざとらしく落ち込んだ様を見せつけつつ、諸事情により声の調子があからさまに変化しない黎撈を前に、皎撈は心の内、なお黙談法においても声を聞き取れぬかなりの心の奥底で「分かってて扉から入っただろうに」と愚痴を呟く。憑依型取締役であり、現在も影に憑依を続けるこの黎撈ならば、わざわざ扉を潜って来ずとも影のある場所、例えるなら机の中からでさえ姿を現すことは可能であろう。むしろ予期せぬ場所からの登場の方が相手の反応が面白いからと選びそうなものだが、何を隠そう今度ばかりは皎撈が今頃彼らとの約束にうんざりしてることを予期してわざわざ戸を叩きに来たのだ。皎撈から見れば図星ゆえに腹立たしいやらで、何か嫌味のひとつでさえ言う気にもなれなかった。
    とはありつつ、皎撈は可能な限り平然とした態度で「いいえ、そんなことは」と彼の質問への返答を述べた。その様子をよくよく見たあとで、黎撈はあっさりとその回答を背の後ろへ回した。
    「まいいや。暖場の場所が決まったから伝えに来たよ。」
    黎撈は開けた扉に肩肘を付いて押さえた。
    「今日行くのは3番街。1番大きいとこ。おけ?」
    左手をそのままに、黎撈は右手でOKサインを作って見せた。今の皎撈には、それら全ての挙動と普段と変わらないはずの声音にすら多少に腹が立ってしまう。開かれた扉から入ってきた彼の部屋よりも温まった空気に不快感を覚えつつ、それを押し殺して「承知しました」と返事を返した。
    黎撈は「んじゃね」と早口ともいえない長さで言い終え、扉を閉め、その姿を扉の裏にやった。去ったことを確認できる足音も無くまた皎撈の部屋には沈黙が舞戻る。十数秒の後、皎撈は肩の力を抜いて3度目のため息をついた。

    その後のことは簡単だった。
    皎撈は以降一言も話すことはなく、長薙刀を軽く磨いて刃先に布をかけて紐で縛り、少し色のくすんだ仕事用の鞄を右肩に引っ掛け、長薙刀をを右手で持ってさらに上に立て掛け、鞄の持ち紐を肩に支えた。壁に光る無数の蝋燭を一つ一つ、いつもよりも緩やかに消し、壁にぶつけないよう用心しながら大扉を抜け、人影のない円廊下へ出て直ぐに振り返り、重い鍵で大扉を施錠し、出席の札の表を固くも小気味良い音を立てて返し、書斎を後にする。螺旋階段の中心は長薙刀を縦に持ち替え、先の縮れた羽を硬化して何とも軽やかに階を下り、柱殿を抜け、先程黎撈に言われた通りに3番街の暖場へと向かった。季節の変わり目に近いこの頃は、獄都心の気候も中々に穏やかであった。

    ******

    19:00まで残り10分という時。
    得意の飛行で向かった皎撈は予定よりも早く暖場に到着した。
    3番街タムラナマは現在皎撈が身を置いている街であり、比較的涼しい気候の地域である。住んでいる悪魔たちの言葉の訛りが最も強いことがいち早く思い浮かぶ地域でありつつ、その人柄にものを申した事例はない。ただし、技術発展に尽力が傾き資金不足により街の環境は悪く、汚染された環境の改善が今後の課題と言われていることを彼も随分前に耳にした。しかしながら兎にも角にも暑さ、そして人付き合いが苦手な皎撈には、街の清潔以上にこの街の気候、そして住民の民度が重要であった。最初こそ最も涼しい2番街に住むことを念頭に置いていたが、そりの合わない憑依型が多く在住していたことが断念のきっかけになった。気難しい皎撈にとって意地汚い憑依型が隣人になるということは生活の支障にすらなると言えるが、傍から見れば隣人すら寄せつけないのは当の本人の方ではないだろうか。
    皎撈は暖場の入口付近に佇み、予定時刻前とは言えどまだ姿を表さない幹部の2人を待つことにした。3番街の暖場は他の街を出し抜いて随分と巨大である。その理由には、比較的どの町にも距離の等しい人罰堂のうち、地熱の生産が最も高い地域により近いことが挙げられた。その豊かな地熱によりその地上に絶え間なく沸かされる温泉の質が良くなったと、悪魔たちは図書室に置かれる本や獄校の授業でも習うことになる。皎撈もその事実が地域を住処にした際に耳に入れられた故に、どの道この計画が実行されるならば少なからず3番街で暖場の外れは無いと内心安心していたことに違いない。
    特に重い考え事をするでもなく無心で立っていると、周りに敏感になるのは人間も同じことだろう。皎撈は幹部のため貸切にされたその様を一目見ようと、堂々とせずともそこに静かに群れを生した獄民たちの存在に着いてすぐに気づいていた。そして心地の悪い小さい話声が、彼のよく利く耳に泥を入れるように流れ込んできたのは他でもなかった。ここにいる多くは、自分の声は他に紛れて彼には届かないものとばかり思っているもので、その思い込みに取り憑かれたように彼らが心の無い言葉を口にできるのも無理はないように見える。
    無論それら一つ一つに食ってかかるほどに皎撈も幼稚ではない。彼らの発言は明瞭に耳に入れつつそれはただの横に並ぶ言葉や文とし、脳に入れずにもう片耳から外へ流し出すように態度を平然と保たせた。時にあまりに酷い風評が分かったとしても彼は何も言うことなく、自分が常に心の奥底で持っている怒りや苛立ちの範疇にその思いを半強引に収めた。中には「皎撈は朱撈の命を狙っている」などといった出処などいざ知らず出鱈目で滑稽な噂が混じっていたことで、あまりの下らなさに、既に何度目かもわからないため息が彼の態度を表していた。

    いよいようんざりしそうな頃、右遠方で民衆の小さな悲鳴がまとまって聞こえたのを聞いた。ましてやその悲鳴で辺りの話し声が静まったのを見て、皎撈はそこに何が起きているのかすぐに理解が追いついた。静かになった周囲と対照的に、聞けば2つに重なった砂の摺れる足音と、場にそぐわないほどに可愛らしい鈴の音が自分に近づいてくるのを感じ、皎撈は軽く息を飲んだと思うと既に長薙刀を暖場の白塗りの入口に立て掛けておいて固く組んだ腕を解き、普段から変わらず姿勢のいい背筋を更にうんと伸ばし、足音の方を見つめた。
    「ダステンお待たせ。」
    「よォダステン………一昨日ぶりだなァ…」
    順を追って自分に挨拶をするやや目より下の黎撈と、遥か目より上に見える朱撈を交互に見つめ、皎撈はまるで背筋に硬い木の棒を通されたかのように硬く畏まった素振りで会釈をした。言葉通り一昨日振りに耳にした朱撈の落ち着いていてなおその周囲にいる者にも滞り無くよく耳に入ってくる、加えて無意識か否か耐え兼ねる強者の重圧を含む低い声に皎撈は沈黙よりも静かにしていた。民衆もまたそれに並ぶほどに静まり返り、滅多に生きてはお目にかかることのないこの3柱の幹部が揃う様を見て、彼らの息一つ一つに言葉にしようのない緊張の意が漂っていた。
    見つめると言えど、朱撈の目を見つめる勇気は早々に懐から軽く取り出せるものでは無いため、皎撈を含む多くが黎撈に目線を送っていた。
    「……さァてと…随分と注目を集めちまったようだなァ…」
    朱撈は頭の上の薄紅色のかくも小さな角に紐を凭れさせ、その内に通された小さな鈴を揺らして辺りに目をやる。視線を送られた悪魔達が何も受けてはいない体を強ばらせて怖がり、少しずつ後ずさるのが両目で見なくても痛々しく伝わってくる。
    この頃の朱撈に対する評判は良し悪しよりなお恐怖が勝るようで、本人の意図してかせずか知れないその圧倒的な存在感に、ほとんどの悪魔がひれ伏すしかない状況がここ数年続いている。口には出来ないが、幹部の中では皮肉にも最も評判の良い黎撈もこのような場面では少々頼り甲斐の無い根性で、いつでも他者のことを決して悪く言わない姿勢に基づいた評価がされる。獄民に最も親しみがあると言えど、その発言は中々に地獄全体に波紋のように広がるものでもなかった。
    かと言えど皎撈からすれば口下手な自分には朱撈の評価を口にすることすら許されない場合がほとんどのため、このように朱撈の前では口を噤むのがいつものことであった。先程までの酷い風評を考えればなおのこと、言葉に影響力のある朱撈ならまだしも、自分が仮に口を挟んだとすれば獄民はその言葉ではなく自分に対する恐怖に囚われてしまうのが運の尽きである。そのようなことがあれば幹部全体の骨組みに支障が出る可能性もある上、彼個人でかなり骨の折れることであるため、相変わらず皎撈は無口を貫かざるを得ないのだった。
    獄民たちが朱撈の言葉に恐怖を覚え退散に動き始めた。これだけ長い年月同じ目の先で仕事をしている慣れとして身に染み付く範疇で言えば、決して彼の言葉が脅しでは無いことが咋と言えるほどに分かる。しかしながらそれは彼のように、一日でも多くこの朱撈の隣に丈夫な椅子を置いてガタガタと揺らしながらも気持ちを押し込み日々を過ごすような仕事をしてみないことには到底理解できないことである。
    人影が薄くなってもなお周囲からは目には見えない視線を感じる羽目になった。野次馬というものはどこにでも出るものだと割り切れば苦難はないが、それほど察しの良く物事を寛容に見ることができるなら自分は皎撈ではなかったはずだと自分に不思議と言い聞かせ、ただ目の前に写される尊むべき者の指示を待つのみである自分がどうにも不憫でならなかった。そんなことはいざ知らず、黎撈は持参した手提げを皎撈の前に持ち上げ言った。
    「手製の風呂桶持ってきた。ついでに地球で買ったアヒルも。」
    このお方はどこまで本気で仰っているのか時折分からなくなる。その冗談の範疇がかなり広いが所以、その見極めが到底難しく、適当に遇って良い具合が分かりにくいのも事実。しかし、皎撈が返答を困っている間に朱撈が声をかけるのがまた、いつもの事なのだ。ただ今回のように地球、人間のことが関与している冗談には、皎撈はより一層付き合う気がないのも事実だった。
    「風呂桶…まさか陶芸で作ったのかァ…?」
    陶芸は近頃黎撈の趣味であるという。地球で習ったと聞いた時から深くは聞かないようにしているのは、皎撈も半分意地であることは自分で承知していた。しかし、そうではないと否定する材料が心の内で膨れ上がっていることも否定はできない。
    朱撈と黎撈との関係を考えれば、互いにどちらから悪戯を仕掛けようとも笑って済ませることの出来るものだった。今回もまたどちらから揶揄い出すか分からない以上は黙っていようと決意したものの、それを分かってか双方どちらかが皎撈を会話に巻き込んだ暁には、大抵いい結果を産まないことが多いのが前例である。無論、それを自身のせいだとは思わない皎撈であることは、2人も了承した上だった。
    「そだよ。中で見せるわ。」
    手提げを片方の肩で背負い直した黎撈がそう言ったことで、集合してまもなく逸れた3人の目的が整え直された。そうしてなんやかんやと皎撈を挟んで会話をしつつ、3人は熱気の漂う暖場へと足を踏み入れた。観客は相も変わらず隠れたのみで減らないことを3人の誰もが知っていたが、暖場の中へは入れまいと放っておいたことで、ようやくその隠れた人影も消え去っていった。

    ******

    受付を担当した者に外の監視を頼むなり、その悪魔は慌ただしい様子で身支度をし外へ飛び出して、やけに張り切った様子であった。更衣室につくなり、奥から朱黎皎とならんで服に手をかける。皎撈は長薙刀をどうすべきかしばし考えた後、貸切であることを思い出すなり姿見の参列した壁際の長机にそっと置いた。その際、その綺麗に磨かれた姿見に余すところなく完璧な対称に写った自分の姿を見た時に、そのあまりの顔の顰めた自分に予期せず驚いた。自分が思っている数倍は感情が表に出ている事実は前々から知っていたが、こうも自覚すると罪悪感のような、はたまた羞恥心のような逃しようのない感情に逃げ場を奪われた気がした。
    先に身支度を終えた黎撈は例の手提げを丸ごと温泉場に持ち込むと言って、姿見の端に寄せられていた新品の手ぬぐいや洗剤を眺めていた。これを見れば、例えば旅館の自室に初めて入り机に置かれている和菓子や洗面台の横の袋に入った歯束子を持ち帰る立振舞であるかは想像がつく。
    ふと、皎撈は自身の纏うコルセットの背中の紐に手をかけ、あろう事か隣の朱撈に目をやった。無論それにいち早く気づいた朱撈は、その勇ましい肉付きの身体に巻かれた包帯を丁寧に解きながら優しげに尋ねた。
    「どォしたダステン………堂々と見つめていいんだぜェ…雄の裸を恥ずかしがる乙女じゃねェんだからよ…」
    そう言われて八割ほど収まりかけていた腹立ちが再び跳ね起きたのを感じた皎撈は、眉間に皺を寄せて目を逸らした。その様子を楽しげに笑った朱撈は、端で新品の石鹸を物色する黎撈に分からないよう、皎撈にのみ黙談法を用いて口を利いた。
    「気にしねえよ。大丈夫だ。」
    その言葉が聞こえ、皎撈は唇を噛んだ。言葉にしなくても自分が言おうとしたことが既に彼には明確に分かっていたのだろう。いくら本人がそう言っていても、自分で気になることはどうしたって気になるものだ。しかし朱撈の言葉を疑う訳にもいかないことを考えれば、今片手で握っている紐を引いて引っ張る以外にゆく道はなかった。
    皎撈は黙ってその紐を引き、コルセットを脱いだ。片側の革が、永遠に治ることの無い背中の下に当たる酷い火傷跡に擦れ、自身でも顔が歪むのを感じた。その様子を特に見るでもなく朱撈も着替えを終え、黎撈の隣へ行ってしまった。それに苛立ちにも似た、何やら寂しさに似た痛く寒い気持を自覚しながらも、見て見ぬふりをするのが自分のあり方であると、皎撈はどこかで過信していた。

    各腰から太腿の下辺りまで手ぬぐいを結んだ3人は、湯気に曇らせ、静かに水音の響く広々とした温泉を前に暫しの間ぼんやりと佇んでいた。この頃仕事の忙しないことが彼らの心身の疲れをより増幅していたことが、この数秒を生み出したことに間違いはなく、何とも至福な、何とも療養的なものだった。
    まず先に歩み出した黎撈は、足元を覆う硬く黒い岩の敷き詰められた床が温泉の有難い恵といえどその鉤爪を嗤うように滑ることを理解し、まだ動かずにいた2人へ忠告を促したことに、自分で感心したようだった。火傷でない怪我というものが直ぐに治るという概念があったとしても、この固く冷たい岩に尻の骨を叩きつけたらそれが強面の武士であろうと誰であろうと涙が出るものだからだ。
    次に足を踏み出した朱撈は、既に言い終えて湯に飛び込み勢いよくその浅い床に頭を叩きつけて死んだように湯に浮いた不躾な黎撈を笑いながら、居心地の悪そうな皎撈に振り返った。
    実の所皎撈は、自身の腰の傷が出来て以降入浴の気が進まなかった大きな理由であった。悪魔の体に出来た火傷の跡はどんな軽傷であろうとも決して形も痛みも消えることは無い屈辱的なものであるからだった。あの日あの天使の取り巻きの連中が自分の背中に松明を投げつけたことを思い返すと、皎撈も涙腺を押しつぶされるように身の毛がよだつのを感じた。もっともそれは不思議なことではない。強面の武士という単語を先程も用いたが、いくら恐ろしい目や口を持って生まれたであろうと、生き物であれば誰もが1度は何かを恐れ、怖気付くことがあるもので、そうでなければ生き物に生まれた意味が無いと、冥界では教えを説かれる。そうして人間の魂の扱い方や尊さを学び、立派な悪魔、あわよくば立派な天人としてその1000年の生涯を終えていくのだと。皎撈はその教えに背いて生きてきた一例であった。最愛の母親を悪魔の掟に反した方法で人間に惨殺され、最初こそ母に似た穏やかで勇敢で寛大であった心がみるみる崩壊し、冷酷な決意を決めた幼き日々を懐かしむ暇もなく、彼の心には余裕も猶予も無かった。
    しかし、まもなく命の後半に差し掛かり、全く忙しなく気の抜けない日々の中でようやく手に入れた、心に気を許して休むべき今の時すら、眉間に何十もに皺を寄せたまま、自分は賛成していない身であることを痛感したままで、ひとつの息抜きもできない自分を恨む心が彼の中に少しばかりあったに違いない。
    皎撈にはそこに立っている自分が、やはりあまりに不憫に見えた。他者のことを信頼せずに、信頼することを恐れて生きてきたからと言って簡単に割り切れることでないからこそ、彼には納得しようのない感情の矛盾が生じていた。誰も信用しないことで、新に正しい天人になれると哀れにも信じて歩んだ自分を大きく裏切ったのが、この火傷だった。あの時、自分が信頼して傍において置ける誰かがおり、自分が1人に、言い換えれば孤独にならなければ起こらなかった災だったと今になって思うようになっていた。
    「ダステン」
    ふと自分の名を呼ばれ、いつの間にか俯いていた端正な顔を持ち上げる。山吹色の目で改めて彼をひとたび見れば目を離せないほどに鋭い赤眼が、優しげに自分を見下ろしていた。
    朱撈はいつになく儚い微笑みを見せた後に、皎撈に囁いた。

    「背中ァ、洗ってやろうか?」

    予想もしない問いかけだった。またいつものように自分を揶揄い笑うと思っていた朱撈が今、自分に真剣に向き合っているのがよく分かった。それはまるで自分が自己嫌悪に苦しみ後悔に押しつぶされそうになっていることに、ずっと前から気づいていたかのように、そしてそれを全て包み込むように暖かな声音だった。
    また皎撈にはやりたいことがあった。そしてこの朱撈の言葉は、彼の望むことを彼自身に明確に掲示し、彼を動かすきっかけになったことに違いなかった。

    「お願いします」

    長いというほど悩んだ訳もなく、皎撈は承諾した。朱撈も、皎撈が誰かを信頼してみようと思ったことにまだ気づいてはいないが、それに重ねて朱撈の命令に背けないと無理に自分を納得させていることは大目に見てやらねばならなかった。少なくとも、命に代えられない羽の生えた背中を無防備に晒す程度に勇気を出してくれていると考えれば可愛いものであり、それをよく理解した上で朱撈は彼を岩場に招いたのだ。彼が無意識のうちに、転んで火傷を岩に擦らないよう、その手を共に支えて。
    ふと見れば、ゆっくりと腰を下ろした皎撈が尾を痙攣させ、自分の羽を震わせていた。この火傷を負った際に燃えて縮れた深緑の羽が、まるで子うさぎのようにか弱く見えたのを朱撈は黙っていたのだった。
    朱撈は手ぬぐいを湯に通し、備え付けてあった薄灰色に輝く石鹸を包み泡立て、片手で彼の羽をこれ以上に無いほどに優しく持ち上げ、柔らかな泡を皎撈の凛々しい背中に乗せる。自分ほどではないが皮膚を持ち上げた固い背骨が泡を弾くのを、何を思ってか愛しそうに頬を赤らめた朱撈が無言で洗い流した。彼の手から毀れた泡が腰に伝い、火傷を掠めた時に皎撈は思わず「ふぅ」と声を漏らした。それは痛みではなく恐れに近いもので、火傷に泡が染みることよりもずっと、朱撈を信頼することへの抵抗が強かったはずであった。いつでも自分の意見に真剣に取り合ってはくれない朱撈がこのような時ばかり自分に優しいことに腹を立てる反面、それが彼であることを納得しようと悩む糸の中でもがく自分に、彼はおそらく気づいていたであろう。
    朱撈はそのまま背中から手をくだらせ、とうとう火傷のある辺りまで泡が大きく広がった。皎撈は彼が自分に十分に気をつかってくれていることを理解しながらも、逃れることは出来ない背中の痛みに軽く呻いていた。朱撈はそれを聞こえないふりをするようにこのようなことを口走っていた。
    「お前さん、綺麗な模様だなァ」
    「しっぽにツヤがあっていいなァ…俺は少し長い分手入れが行き届かなくてよォ、少し曲がっちまってるんだ…羨ましいぜ…」
    「綺麗な羽だ…発色もいいし…この感じだと先まで神経が行き届いてるだろォ…なかなか無いぜェ…上手い褒め言葉がねェが…」
    全てが気休めであるとは思わないが、皎撈はこのうちの多くの言葉を先程の民衆の言葉と同じように片耳から切り捨てようとしていたが、生憎よく脳に響く低い声が故、相手が誰であろうと聞かないふりは到底できるわけもなかった。それでも朱撈なりの優しさを正面から受け止めようと本心であるかないか分からない感情に翻弄されている自分が、甚だ彼には理解ができないものだった。
    「流すぜ」
    羽を含む背中全体を洗い終えた朱撈が、皎撈の背中に桶で湯をかけた。最低限の湯の勢いもあり先程より痛みが増したことで皎撈はまた唇を噛んで耐えていた。
    きっと自分で洗った方が痛くないだろうと瞬時に思い込もうとしたことを考えれば、いかに自分が他者を蹴落とし見下しているかが分かる。それは幹部としては有るまじきことか、または皎撈に落ちこぼれた理由にも値するかと迷走する頭を必死に回転させるにつれ、彼は頭痛がする気がした。今までにやった事のない気遣いに体も心も余計に疲れてしまっているかもしれないという予感を自分の中で必死に押し殺した。

    そのまま皎撈は結局全身を洗われ、手を取られて湯に近づいた。
    遠くで滑稽な音を鳴らしながらアヒルを弄っていた黎撈がそれを手放し、例の真顔で2人に近づき湯船から見上げる。黎撈は艶やかな赤茶色の髪から湯を滴らせ、隙間から薄橙色の瞳を水面に反射させ、その美しい顔に小さな雫をいくつもつけていた。その様子はまるで名画のように美しく、非の打ち所がない全くの美であることが、気弱になった皎撈にもわかった。
    驚くことに、朱撈に言われるまま手を持たれた自分を情けなく思う心はここに在らず、ゆっくりと湯に体をつけてまた低く唸った時、その体を朱撈の硬い体に少し寄せ、黎撈に負けじと美しい薄桃色の濡れた髪を朱撈の見事な紋様の刻まれた胸に押し付けるほどに、彼の精神は良くか悪くか揺らいでいたのだろう。その様子を見て異様に安心したのは、当の朱撈だけではなく、黎撈にもよく伝わったことであった。
    こうして初めて、今度の計画が皎撈の疲れを癒すことが本当の目的であることは、本人は知らない方が良かったのだと、朱撈と黎撈は無言で見つめ合い共に納得していた。

    ******

    静かに時は流れ、湯を上がった3人は無言で各自自分の体を拭いていた。皎撈は洗われた火傷を鏡で見て、さほど荒れた様子でもないことを確認した後で朱撈に礼を言った。その時の朱撈がいつになく嬉しそうであったことに気づいていたのは、本人も除いて黎撈だけであろう。
    「なんかみんな美肌になったくね?」
    沈黙に気まずくなった黎撈がそう言った時、朱撈の笑顔と対照的にまた皎撈の顔が軽く歪んだのを見て、黎撈は少し残念がっていた。
    結局帰路に着く頃には全員が元通りになり、翌朝になれば皎撈も部下の破天荒な振る舞いに振り回され、元の不機嫌さを取り戻した。

    余談になるが、黎撈は気に入った石鹸を持って帰り、彼の長年の愛用のものとなったらしい。あとで生産者を褒めたことで大繁盛したようだったが、その多くは風呂好きの黎撈が買い取っていたことを知って朱撈は思わず笑いをこぼしたと言う。
    また、皎撈本人は後になってからあの時は上せていたと主張していたが、あのように誰かを必要とした態度が彼の本質、または本音であることを誰も疑いはせず、それ以上彼を問い詰めることもなかった。皎撈は自分の本音をまたしてもその涼し気な顔の下に隠すことになってもいつもの事だと、相も変わらず冷たい態度で仲間たちをあしらうようになった。

    ただ、以降この経験がほんの少しでも、心に余裕のない肩身狭い皎撈の気持ちの拠り所になるように、二人共に祈るばかりであった。
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