二人きりの居酒屋の個室。結露のついたグラスにはさっきまでお酒が入っていた。その横に突っ伏している後輩。今では見慣れた獣人の耳が微かにぴるぴると動いているのを見るに、起きてはいるみたい。
ざわざわと店内の音は聞こえるけど、座敷の個室は家にいるような安心感があり気が緩んでいるのか…今にも寝てしまいそうな後輩に、机を挟んで向かい側から声を掛ける。
「ブッチくん、大丈夫?」
普段ならこんな量では酔わないはずの彼が、目をとろんとさせ始めたのは何杯目からだろう?
会食や会社の同僚何人かと一緒に飲みに行った事はあるけど、今までの飲み会でもこんなに酔っぱらっている所は見た事がない。
上司に勧められるお酒も自分の容量を把握して上手く躱して潰れるような飲み方はしていなかった。断りにくい取引相手との会食でだって上手くやっていたような…
そんな彼が今、目の前で酔っぱらっている。
目はとろんとしていて、ふにゃりとした笑顔で楽しそうに話していたと思ったら、今度は片腕を枕に突っ伏している。
何度か「二人で飲みましょうよ」と誘われていたけれど、何かと理由を付けて断っていた。その人懐っこさに、一緒に仕事をしている内に絆されて気になる後輩になるのに時間はかからず、これ以上夢中になりたくなくてプライベートでは距離を取るようにしていた。
容姿の良さと人当たりの良さ、そして仕事まで出来る。彼のファンは多いのだ。私はまだ刺されたくない。ただでさえ仕事してるだけで睨まれるのに…
二人は無理とお断りを続けていたある日、大きな商談をまとめる事が出来たら二人で飲みに行ってくださいと真剣な目をした彼に約束を取り付けられて、本当にまとめ上げてしまった出来る後輩は嬉々として「約束したッスよ!」と帰ろうとする私を捕まえて、あれよあれよという間に店に連れてこられてしまった。
こんな所、同じ会社の彼のファンの子に見つかったら刺されるのではとひやひやしていたのに、店に入って話してしまえばそんな不安も忘れて話し上手聞き上手な彼とこの時間を楽しんでいた。
いつもよりもにこにこ笑う彼の顔が少し赤くなってきているのに気付いた時には既に遅く…
瞳はうるうるとしていて、たれ目がちの目もいつもよりとろんとして少し眠そうな顔になり、言葉はどんどん舌っ足らずに…
そして今、目の前には彼の頭頂部しか見えない状態になっていた。
「おーい、ブッチくーん?……っ!」
さすがに心配になって隣に移動して肩をぽんぽんと叩くと、さっきまで身動きしなかった手が私の手首を掴んだ。
「え、ちょっ…」
「せんぱい、つーかまーえたっ」
頭を上げてふにゃりと笑う顔は無邪気なのに、掴まれた手は振りほどけない。
「も、もー…酔っぱらいのフリ?」
「んー…ほんとーに酔っぱらってはいるッスよ?先輩と二人で飲めるの、嬉しくって…」
「浮かれちゃって酔っぱらっちゃったッス」と笑うその顔の赤みはお酒なのか照れているのか…
掴まれていた私の手を彼の頬を包むように持って行かれる。手の平にすりすりと頬擦りされて少し擽ったい。
「せんぱいの手、冷たくってきもちーッスねぇ…」
ふにゃふにゃの笑顔を至近距離でぶつけられて、心臓がどくどくと脈打ち始める。
顔が熱いのは、動悸がするのは、私も酔っているからなのか、それとも…
私の気持ちを知ってか知らずか、急にぐらりと彼の頭が傾くと私の太ももの上に重みと熱を感じた。
「少しだけ…膝、かしてください」
下から見上げられた蕩け切った顔に、私はノーと言えなかった。
顔が熱い。仕舞い込んでいたはずの感情が顔を出してぐらぐらと落ちて行くのを感じる。
彼の瞳に映る自分の顔が、どうしようにもなく彼を好きだと言っている。
視線は外されないままに頬に押し付けていた手のひらに彼の唇が押し付けられる。
「ねぇ、先輩。追いかけっこはもう終わりでいいッスか?」
喉から声が出てこない。ぎこちなく一度頷けば、漂っていた色気はすぐに隠れた。
さっきまでのふにゃふにゃの笑顔になったと思えば「へへへ、ほっとしたらさっきより酔いが回ってきた気がするッス〜」と腰に腕を回してお腹に頭をぐりぐりとされた。
酔うと甘えん坊になるらしい彼の髪におずおずと手を伸ばして触れれば、思っていたよりも柔らかくてもっと触れたくなる。髪だけじゃなく、ふわふわそうな耳も、腰に回されている腕も…触れたい。
酔っている。彼も、私も。今なら気持ちを確認したのがついさっきだとしても、許される気がした。そう、酔っているから。
「ねぇ…酔ってるなら、どっかで休憩…していく?」