慌てん坊宣言 もうだいぶ慣れてきた仕事を終えて、こっちはまだ慣れない帰り道を歩く。ポケットに入れていたスマホを手に取り、メッセージアプリを開いて帰っている旨を送れば、いつもはすぐにつく既読のマークが一向につかない。
いつもなら何事かあったのかと心配して焦る所だろうけれど、今日という日が何の日かわかっているから帰る先で起きているであろう様子を想像してはついつい口元が緩んでしまう。
彼女がナイトレイブンカレッジを卒業したその日、彼女の元へ押しかけて攫うように自分の巣へと連れ帰った。最初こそ驚いていたものの、当時から恋人という関係にあった彼女も密かに一緒に過ごす日々を望んでくれていた。
そして同じ家に住むようになって互いの仕事が安定したとあるクリスマスに、これからも一緒にいてほしいと伝えた。翌日には指輪と一緒にこれからの未来を考えると手狭になるだろう家も変えようと二人の巣も一新した。
帰る家があって、そんな家が優しい温もりに包まれている事を実感していると、いつもより歩くペースが早くなって、気がつけばもうマンションの下まで到着していた。もう一度メッセージ画面を起動するけれど、相変わらず送ったメッセージを見た様子はない。
鍵を差し込み回せば、その重みにちゃんと施錠されている事がわかる。
「家に居てもちゃんと鍵を閉めておくこと!」
彼女を心配して口酸っぱく教えた決まり事。オンボロ寮のついているのかついていないのか微妙な鍵の存在も、あの学園内だったからなんとかなっていた事で…こうして学園の外に一歩出てしまえば彼女を守る術はオレや彼女自身の力が鍵となってくる。それは彼女にもちゃんと伝わったのか、こうして二人で決めた約束事は必ず守ってくれた。
いつもならパタパタとスリッパが軽く弾む音が聞こえてくるのに、扉を開けてもその音は聞こえて来なくて、流石に心配になって玄関からリビングへ繋がる扉に向かって帰宅を伝える声をあげた。
「ただいまー! ………ユウくーん?」
ちょっと大きめに、扉の向こうにも聞こえるように声を掛ければ、慌てたユウくんの声が獣人の耳でやっと聞こえる程度の音で聞こえたと思ったら、今度は大きなガタン! という音が響き、頭上についた耳がピクリと震えた。
「え!? え、うそっ! もう帰ってきたんですか!? ちょ、ちょっとまっ…!」
「……すげー音したんスけど、大丈夫…?」
「あ、ダメ! ダメです!! まだこっち来ちゃダメです!!」
「ハァ? 何してんスか…」
「わーーー!! ダメダメダメ!!」
リビングへ続く扉を開ければ、部屋いっぱいに飾られた風船やガーランド。ダイニングテーブルにはいつもよりも品数の多い料理の数々。オープンキッチンの方を見れば作りかけの料理とそのレシピ。レシピは見間違える事がない程に見慣れた字で彼女にも分かりやすく書かれている。そしてその側には――膝を抱えて蹲るユウくんの姿があった。
慌てて脛を打ってしまったんだな……あれは痛ぇやつだ…
「あー………なんか、ごめん…?」
「うぅ〜…だから、ダメって言ったじゃないですか……ラギーさんのばかぁ…」
「いやまぁ、なんとなくそうかなーとは思ってたんスけど…」
「今年もサプライズ失敗だ…」
『今年も』というのは、去年はユウくんが豪華な料理とプレゼントで驚かそうと思っていたのに、オレが自分の誕生日をすっかり忘れてサプライズのディナーデートを予定してしまった。
丁度翌日も休みでゆっくり出来るからと良かれと思って計画した事が、帰ってみれば自分の誕生日のために用意して帰りを待っていたユウくんのサプライズをオレが潰してしまうとは。
ユウくんが誕生日プレゼントや料理を用意していてくれた事はオレにとっては十分なサプライズだし嬉しかったし、申し訳なくてディナーを中止してユウくんの料理を食べようと提案したけれど、ユウくんは「豪華なディナーと比べたら、私のご飯とかしょぼしょぼですよ…」と凹んでしまった。
まあ結局、ユウくんの料理は全部オレが平らげてディナーにも行った。ちょっといいディナーの量なんてオレにとってはぺろりだし、ユウくんの料理を残すなんて勿体無いことをオレがするはずもない。ディナーまでの時間に全部食べて、食べてる間にユウくんは準備をして…平らげた後に料理の感想を言いながらホテルへ向かう。そしてホテルでもユウくんがポカンとした表情でみてるのもお構いなしでディナー料理もペロリ。
今年だって十分嬉しい気持ちでいっぱいのサプライズなのに、どうやらユウくんは満足していないみたいだ。
「シシシ、慌てん坊さんが大きな音を立ててびっくりしたから、ある意味サプライズじゃねーッスか?」
「むぅ…こういうのはサプライズとは言いません!」
項垂れてめそめそとするユウくんの側に寄って視線を合わせるように腰を下ろす。その柔い髪を撫でて、未だに顔を上げてくれないユウくんの旋毛に一つキスをして「ただいま」と囁けば、そろりと下から覗くように顔を出して小さく「おかえりなさい」と返って来る。その何気ないやりとりに胸の奥が擽ったく感じてついニヤついてしまえば、揶揄われていると受け取ってしまったユウくんのほっぺたが飾られた風船のように膨れてしまった。
「もういいです! 慌てん坊でドジな私は開き直ります! という事でサプライズの準備をするので、ラギーさんは先にお風呂に入ってください!!」
「おお…そのパターンは初めてッスね。慌てん坊宣言ってトコッスか?」
「もー! いつまでそのネタ引きずるんですかっ!」
「いやーあの甘えん坊宣言も寂しん坊宣言も可愛いユウくんが見れたんで、忘れる事は出来ないッスねぇ」
「食いしん坊宣言をしたのはラギーさんですけどね!」
学生時代の青い思い出。今も昔も可愛い彼女のちょっとした姿だって忘れられない。それくらいオレはユウくんに溺れてる。
本音九割、揶揄い一割で言えば唇を尖らせてムッとしながら仕返しとばかりに言うから、その尖った唇にオレの唇を重ねた。もひとつオマケにと頬にもチュッというリップ音をたてれば耳まで真っ赤に染め上がる。
「今のムッとした顔もサイコーに可愛いッスよ? オレだけの可愛い子猫ちゃん♡」
「〜〜〜〜〜〜っ! もうっ! いいからお風呂行ってください!」
「はいはーい。ちなみにオレは食いしん坊なんで、美味しい料理楽しみにしてるッスよ〜」
拗ねるギリギリのところを攻める揶揄いを残して、オレはそそくさと寝室へと向かおうとする。そんなオレの後ろ姿に「あとでお着替え持っていくので、そのまま脱衣所行っていいですよ?」と言われて、ニヤけながらも「はーい」と返事をして脱衣所に向かった。
服を脱ぎながら「オレのスイートハニーって、出来た奥さんでしょ?」と心の自分へと自慢したのだった。
ふと、見慣れた文字で書かれていたレシピの料理を思い出しながら、あとどのくらいで出ていけば丁度いいかなと逆算する。
あのレシピの字はばあちゃんの字だ。きっとユウくんの事だからオレの好物とかばあちゃんの味を覚えようと思って聞きに行ってくれたんだろうな。
出た時に完成するだろうその料理を楽しみに、オレはいつもよりゆっくりめに風呂に入った。
* * *
風呂から出れば脱衣所に脱ぎ捨てた服は回収されて部屋着が置いてあった。一緒に暮らし始めてから感じるユウくんと同じ香りのする服を纏えば、家に帰ってきたなぁと実感する。
リビングへと繋がる廊下へとでると、あのレシピの料理の香りが漂ってきてグゥ〜と盛大な腹の虫の声が聞こえた。少し急足でユウくんの待つ部屋へと向かえば、定位置の椅子に腰掛けてソワソワと落ち着きのないユウくんが目に入って声を掛けながら向かいの椅子を引く。
「お風呂入ってきたッスよ〜。あー腹減ったー!」
ダイニングテーブルに並ぶ料理は、今までにユウくんが作った料理でオレが美味しいと言った物ばかり。全部美味しいけれど、特に気に入ってるやつとかバレバレなんだなとちょっと恥ずかしい気持ちと、そういうちょっとした事にも気付いてくれるくらい長い時間を一緒に過ごしてる事に嬉しくもなる。
何故か無言を貫いているユウくんに、「これ食べていいの?」と聞けば首が取れてしまうんじゃないかってくらいブンブンと縦に振るから思わず吹き出して手を合わせる。これはいつの間にか移った彼女の故郷の慣習。
「んじゃ、いただきまーす!」
風呂に入りながらも出来上がりを楽しみにしていたあのレシピの料理を一口。人間から見れば大きな一口で食べると、しっかり煮込まれて柔らかな肉が口の中で解けていく。自慢の顎も牙も必要ないそれは、時間をかけて丁寧に作られた事が伝わって頬が落ちそうなほど緩んでしまう。
「ン。美味いッス」
しっかりと飲み込んでユウくんの顔を見て言えば、強張っていた表情がほっと安堵の表情に変わった。
「なーにそんな緊張してんの? ユウくんが作ってくれる料理はいつも美味いのに」
「だってそれ…」
言い淀むユウくんの想いに思い当たる所はある。けれど、オレがユウくんが作ってくれた物だとしてもお世辞で美味いという事がないのはユウくんも一番良く分かっているはずだった。そして不味いからといって残すという事がない事も…
それでも緊張してしまうのはきっと――
「これ、ばあちゃんに聞いてきたんスか?」
食べる手は止めずぱくぱくと口に入れながら行儀悪く聞けば、分かりやすく肩が跳ねる。「上手に出来てるッスよ。ばあちゃんが作ったやつみてぇ」と言えば大きく目を見開いた。
「おばあ様にレシピを教えてもらったんです…でもなかなか思うような味にならなくって、食材とかも全部同じ場所で買ってみたりしたんですよね…」
「あー…ウチで食べるやつより安い食材しか使えないッスからね」
「あ、いえ! それが、結局食材を一緒にしても同じ味にならなくって、この前おばあ様の所に行って直接教えてもらって…!」
ふむ、結局何が違ったのだろうかとユウくんの話の続きを待ってみると、眉を下げ困った顔すら可愛いユウくんと視線がパチリと合った。するとその小さな唇から「原因、わかんなかったんです…」と囁くように零れ落ちる。
自信がなかった理由も、帰った時に慌ててた理由も、全ては今まで成功しなかったからだと気付く。特に変わった食材を使っている訳でもないし、難しい工程がある料理でもないし…ユウくんの料理スキルだって出会った頃よりぐんと上がっている。それでもばあちゃんの味にはならなくて、オレが帰ってくるその瞬間まで試行錯誤していた。
手に持ったままのスプーンでもう一度料理を掬って口へと運ぶ。その口に広がる味は間違いなくばあちゃんの味だ。食べるのが懐かしくて忘れてしまっているとかじゃない。本当に、ユウくんが苦戦していたという事が嘘のように口に馴染んだ味が広がる。
もう一口、さらに一口と食べ進め、オレの目の前の皿の上にあった料理はオレの腹へと綺麗に収まった。
そしてオレは、そうだったらいいなという希望を込めてユウくんに思いついた『原因』の可能性を伝える。
「ねね。もしかしてだけどさ…ユウくんがたっぷりゆっくり愛情を込めてくれたから、ばあちゃんの味になったとか? 可愛い可愛い慌てん坊さん?」
帰ってきた時のユウくんの余裕のなさそうな不安そうな顔を思い出す。普段の料理だって間違いなく愛情たっぷり込めているのはわかってるけど、慣れた料理と慣れない料理は違う。
慌てん坊だと開き直った事で肩の力が抜けて料理とレシピに向き合う事ができた。そして料理が出来るまでたっぷり時間をかけて入った風呂の時間。きっとあの時間が、ユウくんには必要な時間だったんだろう。
「う〜…私、焦ってたんですかね……。何度作っても上手くいかなくて」
「料理は真心ッスよ〜。ユウくんが作ってくれる料理は、いっつも愛情たっぷりで美味いッスよ! いつもありがと」
「私こそ、ラギーさんよりも下手くそだった頃から、根気よく私の料理を食べてくれてありがとうございます」
「シシシ! 失敗してたって、初めて作るのだって、ユウくんが作るものはぜーんぶオレが食べたいッスからねぇ」
まだテーブルの上にはたくさんの料理が並んでいる。学生時代から一緒にキッチンに立っては作ってきた中でもオレが褒めた物やオレが好きだと言った物。その全部がオレ達の思い出の味で、その一つ一つを全部覚えててくれて今日という日に作ってくれたユウくんからの愛情。
「最高のプレゼントだなぁ」
しみじみと、無意識に零れ落ちた言葉。椅子にパタパタと尻尾の当たる音まで聞こえる。
浮かれてんなぁって思うけど、こんな愛情を貰って浮かれんなって方が無理な話だと思う。
「ユウくん、ありがとね」
「料理しか用意出来なくて、ごめんなさい…」
「いやいや! 食いもんって重要ッスからね!? 全然料理“しか”じゃないから!」
「ふふっ、そうですね」
やっと柔らかないつもの微笑みに戻るユウくんに、オレも釣られて笑った。
今日の料理だって、ユウくんが納得出来るくらい作り慣れるまで何度だって食べる。そして作り慣れた頃にはきっとチビ達も居て、これがとーちゃんが育った味で、かーちゃんの味だぞって言えるようになっているはずだ。
優しい温もりに包まれたオレ達の巣で、生まれて来たことを喜んでくれる愛しい人。
自分にできる最上級の愛情を惜しみなく発揮してくれる掛けがえのない宝物。
その宝物はふにゃりとオレの好きな笑顔を浮かべて、最高に嬉しかった料理のプレゼントよりも嬉しい言葉のプレゼントを贈ってくれた。
「ラギーさん、お誕生日おめでとうございます。生まれてきてくれて、出会ってくれてありがとう」
オレは慌てん坊で可愛い宝物に「今年のサプライズは大成功ッスね」と微笑んだ。