ラギーにしか見えない小さな監督生の話② あれからオレ達は解散して各自寮へと戻った。
このちっちぇー生き物をあの肉食動物の巣窟に放り込んでいいのかと考えて直ぐに、そういえばオレにしか見えないんだったと思い出す。オレは必死についてくる小さな監督生くんを横目にどうやって寮長様へ報告するか頭を悩ませた。
* * *
寮へ帰ると真っ直ぐに寮長室へと向かった。行き交う獣人にびくびくした様子を見せるユウくんに、この調子でここで生活出来るんだろうかと早くも先行き不安になる。とはいえ、書面で契約した以上ここに慣れてもらわないと困る訳で。
「おつかれッスー」
オレは扉を開けると同時にそう言って入れば、入り口付近に既に脱ぎ散らかした服が散乱しているのを見つけて、隠す事なく大きな溜め息をついた。
「おい、ラギーおせぇぞ」
「いやいや、オレも忙しいんスから…アンタの世話ばっかりに時間使えないんスよ」
文句を言う寮長様にぶつぶつと言い返しながら高い服や宝石を拾い集めていく。その間ユウくんは、入って来た位置から一歩も動くことはなく呆然とその様子を眺めていた。
「あ、そうだレオナさん。監督生くんの話聞きました?」
「あぁ?」
何かと有名な女子が、ユニーク魔法によって目が覚めなくなった噂はこの人の耳にも届いているはず。レオナさんはオレの質問の意図を理解したのか、あからさまに大きな溜め息をついて「で?」とオレに話の続きを促してきた。
オレは小さな監督生、ユウくんをちょいちょいと手招きする。保健室でやった事をもう一度やるように伝えると、きょろきょろと部屋を見渡してまだ拾っていなかった服を拾い上げてオレの所へ持って来てくれた。その様子を見たレオナさんの目は一瞬だけ瞳孔が開いたように見えたが直ぐにいつもの様子に戻る。
「まぁなんていうか…今見てもらったように、ここにちっちぇえ監督生くんが居るんスわ。それで何故かその姿がオレにしか見えないって事で、この小さい監督生くんの世話を任されちゃったんスよね」
記憶の事や魂の一部だという事、今のところオレ以外には見えない事などを掻い摘んで説明すれば…頭はいい人だ、オレの適当な説明でも大体の事を理解した上で「騒がしくしなけりゃ好きにしろ」というお言葉を頂いた。
そして次の瞬間には「メシ」と、その話題はもういいと言わんばかりにベッドの上で夜食の催促をする。いつもと変わらないその様子はいっそ清々しい。オレは「はいはい」と適当に返事をしつつまずは洗濯物、とカゴへと衣服を放り込んでいく。その様子を見たユウくんは先程のように部屋の奥の方にも脱ぎ捨てられていた服を集めて持って来てくれるので、オレは入り口付近から余り動くこともなく直ぐに洗濯物を集める事が出来た。
お手伝いが出来るなら、この子を預かったのも案外良かったかもしれない。人手はいくらあっても困らないッスからね。
そして寮長室を出て、このままついて回られてもこの後手伝わせる事もないので、一先ずオレの部屋へと向かった。
幸い同室の奴も今日は居ないみたいで、部屋に入れて「オレはやる事があるんで、ここで大人しく待ってて」と言えば、こくこくと頭を縦に振るユウくん。
「絶対にこの部屋から出ちゃダメッスよ」と部屋を出る前に念を押して部屋を出たオレは、洗濯に夜食に風呂にと…慌ただしく用事を済ませたのだった。
* * *
風呂に入ってスッキリした気分で自室へと戻る。部屋の中からは物音一つ聞こえない。同室のやつは今日は外泊か?と、まぁ面倒な事にならなくてラッキーとか思いながら部屋の扉を開ける。
真っ暗な無音の部屋。微かに聞こえる呼吸音にユウくんがそこに居るだろう事がわかるが、ベッドの上には居ない。どこに行った?と部屋を見渡すとベッドの下にどこからか引っ張り出したであろうブランケットの塊があった。
そろりと音を立てないように近付けば、そのブランケットに頭まですっぽりと被り、包まるように寝ているユウくん。上下するブランケットに、顔は見えないけれど呼吸している様子が伝わる。
寝床をどうするかなんて考えながら風呂に入っていたけど、この場所でこれだけ熟睡してるなら態々寝る場所を用意する必要はないかと、床で寝るユウくんをそのままにオレは布団へと潜り込んだ。
* * *
ゆらりゆらりと揺れる感覚。眩しい光を感じて眉を顰める。
目を開けば辺りは一面の薄水色。空か海か。水色一色の空間に、ついて居るか居ないかわからない足元を見て一瞬びくりと体を震わせた。
「ラギー先輩」
不意に後ろから声を掛けられて、オレはその声の方を振り返る。そこにはさっきまで小さかったはずの少女が良く知る姿で立っていた。
「先輩、ごめんなさい」
監督生くんは申し訳なさそうな顔でオレに向かって謝った。謝られるような覚え…は、あの小さな監督生くんの事だろうかと思い「ほんとッスよ」と言おうとしたが、その言葉を伝える事は叶わなかった。
喉に異物が詰まっているかのように、そこから上へと上がる事はない。その事実に不思議と息苦しくなった気がした。声が出ない。オレは慌てて目を彷徨わせると、監督生くんは悲しそうに微笑んだ。
「私が先輩の手を取ってしまったから…先輩を巻き込んでしまってごめんなさい」
意味がわからなかった。手を取る…?監督生くんの手を取った記憶など何処にもない。けど、目の前の監督生くんは確かに『手を取ったから巻き込んだ』と言った。どういう事だ。
オレの思考はぐるぐると回る。出口の見えない思考になんだか馬鹿らしくなって直ぐに考える事を止めた。
これは夢だ。ふわふわと重力を感じない、浮いているのか立っているのかも分からない、何もない不思議な空間。だから考えた所で無駄だろうと思うけど、今巻き込まれている事に絶対無関係とも思えなくて、目の前の監督生くんの出方を見る事にした。
次に告げられる言葉を待って居ると、空間内にすすり泣く声が響いた。オレのハイエナの耳がぴるぴると声を拾おうと忙しく動く。目の前に居る監督生くんは泣いている様子はないから、監督生くんの声ではない事がわかるが…この空間にはオレと監督生くんしか居ない。一体誰の声だ…
どうやらその声は監督生くんにも聞こえているらしく、オレと同じく反響する泣き声を追うように顔を上げた。そして一度宙へ向けられた視線をオレに戻すと、申し訳なさそうな下手くそな笑顔を向ける。
「私を…あの子を、お願いします」
監督生くんがそう言い終わると、辺り一面が眩く光り視界が真っ白になる。次に目を開けた時、オレは黒で塗りつぶしたような夜の暗闇に映る自室の天井を見上げていた。
やっぱり夢だったかと頭の中はいやに冷静で、もう一度瞼を閉じようとした時、夢の中で響いていたすすり泣く声を耳が拾う。その声の聞こえる位置はベッドの下。
小さな監督生くんが寝る前に見た時よりももっと身を小さくして、声を押し殺すようにして泣いている。小さな子供には不釣り合いのその泣き方に、オレは胸の奥がもやもやして泣き声が聞こえないように布団へと潜った。
* * *
【二日目】
アラームが鳴り響く。夜中に一度目が覚めたせいで少し重たい頭をガシガシと掻きながら起き上がる。アラームを消して身支度を始めつつ、床に転がるブランケットの塊に目をやれば、すぅすぅと静かな寝息を立てていた。
オレの朝は早い。自分の身支度を済ませたら、我が寮の王様の身支度が待っている。その後には鬱陶しがる王様を引きずって朝練へ向かうと言う重労働。とにかく朝から忙しい。
朝練が終われば軽くシャワーを浴びてから学校の準備。制服に着替えようと部屋に戻れば、扉が開いた音で起きたのか眠い目を擦るユウくんが居た。
「もう朝ッスよ。オレは授業に出なきゃなんで学校に行くけど、ユウくんはどうする?大人しくするならついてきてもいいッスよ」
そう言えば、まだ眠そうだった顔がぱっと明るくなり「行く!」と満面の笑みで言うユウくん。涙の跡が残るその笑顔を見ながら、昨日の泣き声を思い出す。
昨晩隣のベッドで眠るオレにも、意識して聞こうとしても微かに聞こえるくらいの小さな声で泣いていたユウくん。誰にも聞かれないように、隠れるように泣いていたその姿を思い出して、また胸がもやもやとする。
今、目の前で嬉しそうに笑っているユウくんは、見た目まんまの無邪気さで昨晩の出来事がなければ何の違和感もなかっただろう。その歪さに言いようのない感情が支配する。
(オレの知っている監督生くんは、そんなか弱い女の子じゃない…)
しかし思考に耽る時間は登校時間を知らせるアラームによって現実へと引き戻された。オレはまぁいいかとぶかぶかの上着に袖を通す。急いで濡れタオルを作ってユウくんの涙の跡をぐっと拭ってから部屋を出た。
誰も、ユウくんの涙の跡なんて見えやしないのに。
* * *
ユウくんはビックリするくらい大人しく聞き分けのいい子供だった。一緒に出席した授業も、物珍しそうにきょろきょろとするけど、あちこち勝手に歩き回るような事はしない。絶対にオレの隣にちょこんと座って授業の様子をキラキラした目で見ている。
同じ年頃のチビ達なんかがこの場に居たら絶対授業どころじゃなくて、当初の契約書通りに出席出来ず対応してもらう事になっていただろう。それがこの大人しさなら特にそういった苦労はないだろうし、成績に響くことなくレポート提出でプラスにしかならない状況に内心歓喜した。
結局午前中の授業は何の問題もなく出席する事が出来た。オレが普通に出席してるもんだから、クルーウェル先生なんかは「仔犬はどうした」みたいな顔で見てくるから、ここに居ますよと視線だけで答えた。
昼時になればいつもの様にスマホの通知音が鳴って、ソレを確認して大きなため息を吐く。
(まーたこの人は競争率の高いのばっかり言ってくるんスから…)
今までならこのままダッシュで向かっていたのだけど、昨日からは自分一人ではない…ちらと足元のユウくんを見ると、きょとんとこちらを見上げていた。
「ユウくん、オレこれからレオナさんの昼飯買いにダッシュしなきゃいけないんスよ」
視線の先にある一本の木を指差して「あそこで大人しく待てます?」と聞けば、ユウくんはこくこくと頷いて応える。
「わかった」
「じゃぁ行ってくるんで、人に踏まれないように気を付けるんスよ」
「はーい」
元気な返事を聞いて、いつもより少し出遅れたオレはトップスピードでお昼争奪戦の場へと向かった。
* * *
無事にレオナさんご希望の品を手に入れて、ついでに自分の昼飯も両手に抱えてユウくんと別れた場所へ向かう。
目的の木が視界に入り、ユウくんの姿を探す。お目当ての人物はすぐに見つかった。木に凭れてうつらうつらと今にも寝てしまいそうな小さな女の子。小鳥や猫、動物達にはユウくんが見えているのか、寄り添うように集まっていた。
(まるでシルバーくんみたいッスね)
本来は小さな子供が苦手な動物達が、あんなにも近くに寄って…本当に不思議な子供だなぁと改めて思う。
一癖も二癖もあるような男子生徒の通う学校に不釣り合いのその光景に、ここが別世界のような気さえしてくる。
「ユウくん、お待たせ」
声を掛ければ舟を漕いでいた頭をパッと上げる。にこにこと嬉しそうな笑顔を向けられて、何だか複雑な気持ちになった。オレは監督生くんに懐かれる様な覚えはないのに、この小さな監督生くんは真っ直ぐに好意を向けてくるから、突然向けられるソレが受け止めきれずに何とも言えない気持ちになってしまう。
そんな気持ちを奥に押し遣って、「さ、レオナさんに届けるんで行きますよ」とユウくんの小さな手を引いて植物園へと向かった。
「レオナさーん、持ってきましたよー」
植物園の定位置。レオナさんはいつものようにごろんと寝転がって尻尾だけでぱたぱたと返事をする。
ユウくんは昨日レオナさんと会っては居るけれど、やはり怖いのかオレの後ろでびくびくとしながら様子を窺っていた。オレはレオナさんの元へすたすたと近付き、昼食を手渡す。
「レオナさん、もしかして朝からここに居たとか言わないッスよね…」
じっとりとしたオレの視線なんて気にも留めず、受け取った昼食を大きな口で頬張る。齧りつく様は粗野に見えそうなのに流石王族と言ったところか、何故か上品に見えるから不思議だ。
オレの小言はそのキュートらしいお耳には聞こえないのか、さっさと食べ終わるとどかりと横になった。「午後はちゃんと出て下さいよ」という言葉にこれでこの話は終わりだと思ったのか、それにだけ「おー」という気のない返事が返ってくるんだから困った王様だ…
そんなオレとレオナさんのやり取りを見ていたユウくんは、オレが普通に接しているからかレオナさんへの警戒心が薄れてきたようで、ゆらゆらと揺れているレオナさんの細く長い尻尾に釘付けになっていた。
その刺さるような視線にレオナさんの野生の勘が働いたのか、見えないはずのユウくんと遊ぶようにレオナさんが尻尾を揺らし始めた。珍しい事があるもんだと、オレは唖然として食べていた昼食を手から落としそうになった。あぶねぇ…
「珍し…」
思わず口にしたオレの言葉を拾ったレオナさんはフンッと鼻で笑うと「チェカみたいに煩くないからな」とだけ言って、親猫が子猫をあやす様にまた尻尾をゆらゆらとしたのだった。
さっきのうたた寝の時の野生動物といい、このライオンといい…猛獣使いは小さく記憶がない状態でも健在のようだ。
* * *
昼食後の授業は自習となり時間が空いたので、この時間に一日一回の本体への接触をする事にした。
一応授業中の時間なので他の教師陣は手が空いていないので、そのまま学園長室へ向かうと学園長は「こちらへ」ととある一室へと案内された。
学園長の姿を見たユウくんは分かりやすく警戒して、オレの後ろへと逃げる。その様子を視線で追えば、それに気付いた学園長は「そこに噂の小さいユウさんが居るんです?」と聞いてきた。
「ああ、まあ。今はオレの後ろに隠れてるッスね」
「ほうほう」
どっち側です?と興味津々にオレの足元を覗き込み、ユウくんはその位置から逃げ回って最後にはあっかんべーまでした。そしてオレにだけ聞こえるユウくんの声は「あの人、なんか嫌い」と言うから、たまらず吹き出してしまった。
「何?何事です?」と一人状況がわかっていない学園長に「なんでもないッス」と流して、とりあえず監督生くん本人に会いに行く。
応接間と思われる部屋に入ると「まずは生態認証を登録しましょう」とあれよあれよと手続きを済ませて、奥にあった扉の前に立たされる。扉の前に立つと、扉から放たれた魔力に全身を覆われて暫くしてカチャリと鍵の開く音がした。
「ここから先はお二人でどうぞ。もしユウさんにとって『危険』を感じ取った場合は自動的に部屋から弾き出されるようになってますので」
同じことをオンボロ寮にもしてやれよと思ったが、このカラスの事だから余程じゃないとしないだろうと思い言葉を飲み込んだ。今回は一応ここの生徒が昏睡状態になっている。そんな事が公になってしまっては困るとかそういう理由だろう。オレが大きな溜め息を吐きながら部屋へと足を踏み入れようとした時、「ああ、それと…」と声を掛けられ振り返る。
「今は念の為栄養剤を投与してたんですけどね、昨日から今日の変化を見るにこのままだと数日しか持たないでしょう。彼女は異世界の人間ですので、確実に危険がないと判断して使える魔法も魔法薬も少ないのです」
困りましたねぇなんて嘘くさい言葉を吐きながら、学園長の姿は消えた。
「丸投げかよ…」
オレは改めてこの案件が思ったよりも面倒な問題だという事を突き付けられて頭が痛くなった。しかし頼まれたのは小さい監督生の世話だから、戻るかどうかまで面倒見る必要はない。そう思った時にあの夢で見た監督生くんの言葉が脳を揺らした。
『私を…あの子を、お願いします』
「はぁ~~~~……」
オレはその場に蹲り視線だけでベッドに横たわる監督生くんを見た。ぶら下がる点滴がいくつも繋がれている。遠目から見ても顔色は健康な人のそれではない。夢で見た監督生くんはもっと普通の、いつもの元気な監督生くんだったから…余計にその顔色の悪さを際立てた。
立ち上がり監督生くんへと近付く。眠っている監督生くんを見下ろして思い出す。
「手を取るって何……なんでこのちっちぇーのが見えるのがオレだけなんスか…」
オレはもう一度、さっきよりは短い溜め息を吐いて、傍に寄って来た小さな監督生くんをみた。そして午後の授業を休んで、この小さいのに向き合う事を決めた。
「起きたら覚悟してくださいね…迷惑料、しっかり搾り取るんで」
この部屋に居ても小さい方にも大きい方にも特に変化がなさそうなのを確認して、オレは監督生くんに迷惑料の約束を一方的に取り付けて部屋を出た。
* * *
向き合う事に決めた、とはいえ…何をしたらいいのか…オレは一先ず中庭のベンチへと座り、隣に座るユウくんを見る。
少女は遠くに見える飛行術の授業で空を飛んでいる生徒を見ながら目をキラキラとさせていた。記憶がないという事は魔法がない世界から来たらしい監督生くんにとって、魔法に対しての知識もゼロになっているから全てが物珍しいのだろう。
途中購買で購入したカフェオレを一口飲みながらその様子を見ながら、夢をもう一度思い出す。
『私が先輩の手を取ってしまったから…先輩を巻き込んでしまってごめんなさい』
『私を…あの子を、お願いします』
あの夢の中で、監督生くんはこう言っていた。たぶん鍵になるのは『手を取る』だろう。しかしオレの記憶をいくら掘り返しても、監督生くんの手を取った事ない。手詰まりだ…
しかし監督生くんは『私を』と言った後に『あの子を』と言い直した。『あの子』とはたぶん、この小さな監督生くんの事だろうから、この小さいのが監督生くんである事が確定したのは大きな収穫かもしれない。
という事はユウくんに記憶が戻れば、何か解決策が導きだされる可能性が浮上する。
未だ、遠くの飛行術を見つめるユウくんに声を掛けると、はしゃいでいた自分を見られていた事に恥ずかしがるように慌てながらこちらを見た。
「ねぇ、ユウくん。ユウくんは今日あの場所に行って、監督生くんを見て何か気付いた事はある?」
オレの質問に対して、一生懸命考える仕草をするユウくん。小動物のようなその仕草に可愛いなぁなんて思ってしまって、そんな事を思った自分にオレ自身がびっくりした。
「あのね…ユウ、どうしてお母さん達とはぐれたのか、わかんなくて…」
何もわからないというユウくんはわかりやすくしゅんとしている。きっと獣の耳があればぺしょりと垂れていただろう。そんな耳が付いているようにも見えるくらいに、わかりやすく落ち込むユウくんの頭を、オレは無意識にわしゃわしゃと掻き混ぜた。
「ま、なんか思い出したら教えて?ユウくんがお家に帰れるヒントになるかも知れないッスから」
「ラギー、お兄ちゃん…あの、ごめんなさい…」
本来この状態はユニーク魔法に巻き込まれてしまったからだ。巻き込まれているのは同じなのに、まだ小さな子供が申し訳なさそうに謝ってくる。
このたまに見せる子供らしくない気遣いにオレは困惑した。この子の環境がそうさせてきたのか、この子の本質なのか。
スラムという場所で育つと、小さくても我慢を強いられる事は多くある。その結果我慢が上手になり、子供ながらに生活の役に立ちたくて早くから仕事を探したりもする。
けれど、監督生くんとは過去に数回話した程度だが、そんなオレでも監督生くんの世界はそういった苦労なんて知らないような世界だったと認識していた。だからこそ、この小さな子供がこんな風になってしまう事が不思議で仕方がなかった。
「巻き込まれたのはアンタも一緒でしょ」
気にするなと、今度は優しく労わるように頭を撫でてやればユウくんは少しだけ表情が柔らかくなった気がした。
一先ず、今のユウくんから引き出せる情報がないと分かり、オレは別方向から考える必要があるとユニーク魔法について調べようと考える。しかし件の生徒に接触するには、学生の本分である授業のないタイミングしかない。なんたって厳格な精神に基づくハーツラビュル寮生だ。授業を後回しにすると言う事は寮長であるリドルくんが許さないだろう。
今日のところは寮へ帰るかと、いつの間にか赤く染まった空を見ながら並んで寮へと向かった。
* * *
寮へと戻ってから、いつものルーティンでレオナさんのお世話をする。お昼の内にレオナさんにすっかり慣れてしまったユウくんは、積極的にお手伝いをしてくれた。
レオナさんもたまに衣服だけが浮いている場所に向かって、他の服を投げる。それをキャッチしてはきゃっきゃとはしゃぎながら片付けていく。
夜食を作る前に昨日のように部屋に待たせようと思っていると、今日はどうやら同室の奴が居るらしい。ユウくんは一人で待つと言うけれど、どこか落ち着かない様子でちらちらとルームメイトを見る。おいでと口には出さずに手で呼び寄せれば、小走りで嬉しそうに寄ってきた。小さな声で「邪魔しないって約束するんスよ」と言えば首が千切れるんじゃないかというくらい縦に振るから、その勢いに思わず笑いが漏れた。
夜食を作っている様子をユウくんは、魔法を見ている時と同じようにキラキラした目で見てくる。
「何も面白い事ないでしょうよ」
「そんな事ないよ!ラギーお兄ちゃんの手は魔法みたい!」
凄いね!美味しそう!あっという間に出来た!と賛辞の嵐に、こんな有り物で作った物にと苦笑いしていれば、くぅ~という小さいけれどしっかり主張した腹の虫の鳴き声が聞こえた。
音の主を見てみれば、両手をお腹に添えて恥ずかしそうにしている。
ふと、物を持てるならご飯は食べれるのだろうかと疑問に思って「食べてみる?」と聞けば「いいの!?」と身を乗り出すユウくん。その口に小さくちぎったサンドイッチを運べばパクリと食いついた。
「美味しい!すっごく美味しいよ!」
「へー…食べられるんスね……」
これは新たな情報だと、今日のレポートに書く事を忘れないように記憶しておくことにした。そしてレオナさんのついでにと作っていた自分のサンドイッチの内の一つをユウくんに手渡す。
「いいの?」
「今日のお手伝いのお礼ッスよ。それ食べてオレが風呂に行ってる間、大人しく部屋で待てる?」
待てる!と元気な返事を聞いて部屋に送った後、オレはレオナさんに夜食を持って行って風呂へと向かった。
* * *
風呂から部屋へと戻る道でルームメイトに声を掛けられる。
どうやら暫く実家に帰らなければいけない用事が出来たとかで部屋を空けるらしい。こちらとしては好都合なので正直助かる。
そんな事情を聞いて、オレは部屋へと戻るとさっきまでルームメイトが居たからか、今日は部屋の明かりはついたままだった。
部屋を見渡せばベッド下に体育座りでブランケットに包まるユウくん。オレが帰ってきた事に気付いて、ほっとした顔を向けてくる。
(ああ…さっきまではアイツが居たから眠れなかったのか)
レオナさんに対してもそうだったが、オレ以外に対する警戒心の強さと、そんな警戒心が強いユウくんがオレに懐いている事がやはり不思議だった。
そのまま、その場でごろんと転がって寝ようとするユウくんに、こっちおいでとベッドをぽんぽんと叩く。
「一人で寝れるよ」
「昨日泣いてたチビっ子が、一人前に気ぃ使ってんじゃねーッスよ」
ほら、こっち、と布団を捲って促せば、ゆっくりとじりじりと距離を詰めてくる。手の届く距離に来たユウくんの腕を掴んで引き込むと、びくりと体を震わせた。そのまま胸元に引き込んで、スラムのチビ達にするように背中をぽんぽんと叩いてやると、徐々に力が抜けていくのを感じる。
おずおずと胸元に額を埋めてオレのシャツをぎゅっと握りしめるユウくん。安心させるようにいつもチビ達にするような、気休めのおまじないをかけてやる。
ユウくんの頭のてっぺんに、触れるだけの可愛いキスを落とす。ユウくんがくすぐったそうに「へへへ」と気の抜けるような笑い声を漏らすのを聞いて、また背中をぽんぽんとすれば、次第に緩やかになってくる小さな呼吸音。暫くしてすぅすぅという寝息を聞いて、オレはベッドからゆっくりと抜け出した。
「おやすみ、子猫ちゃん」
頭を一撫でしてオレは机へと向かった。今日分かった数少ない情報をレポートに纏めて、オレはもう一度ベッドに丸くなった子猫ちゃんの隣へと潜り込んだ。