あの夜の酒場ある夜の酒場
「俺、貴方の期待を裏切ってしまった…」
クランバトルの配信が終わった後、ぐったりと項垂れてエグザベはシャリアに呟いた。
厳しい尋問から解放され、やや何時もより緊張の糸が解けていた。
相手が伝説級のパイロットで、憧れの人で、更には自分に目をかけてくれている上司でー
そんな事がアルコールと共に流れ出して溶けていく。
同僚にも「お前はつまらないくらいポジティブで普通だ」と称されるほどメンタルは安定している方だ。自身でもその自覚がある。だからこそ今回の秘密任務を任された。
(真面目で口が堅い凡人)
シャリア中佐から異例の抜擢をされた時、口がさない同僚からその様な誹りを受けたが、そんな事が気にならないくらい、実際エグザベは浮かれていた。
ただ、事実だとも思う。
例えニュータイプの素養があったとしても、もしもの時の「とかげの尻尾切り」要員なのだと。真面目で秘密を口外しない、都合の良い捨て駒。でなければ自身の様な新人のペーペーをこんな凄い人が取り立てるはずがないのだ。
だからこそ、軍警察に捕縛され、拷問紛いの尋問を受けた時は、「嗚呼、終わった」と本気で絶望した。
なのに、なのにあの人はあっけらかんとした美しい笑顔で特大のヘマをした自身を迎えに来てくれたのだ。
どうして、なぜ。
酒のせいとは言えそんな訊かない方がいい事が口を突いて出てしまう。
すると美しい男はクスリ、と可笑しそうに笑って、琥珀色の液体に満たされたグラスをゆらゆらと両手で揺する。
「私は随分と冷徹な人間と思われている様だ」
ハッとなりシャリアの方を向くと、彼は少し寂しそうな横顔を晒していた。
いつだってそうだ。エグザベが知る彼はいつだって少し寂しそうな、哀しそうな顔をしている。
なぜ?問う様に見つめるとシャリアは困った顔をしてニッコリと目を細める。
「君は、人の瞳を真っ直ぐに見る子だな」
まるでこれ以上は踏み込むなと言わんばかりに。先程まで漏らしてした哀しみの全てを覆い隠す様にそう言ってシャリアはエグザベの頭を撫でた。
今更訊くまでもない。その切なげな表情の正体を知らない者など。軍の何処を探してもいないほど有名な逸話だった。
『シャリア・ブル中佐は赤い彗星の亡霊に取り憑かれている』
シャリアの「伝説」を語る上で、まるで影の様に付き纏うその噂話に、エグザベは何時も苛立ちを覚えるのだった。
「ほら、ちゃんと歩いて…後少しだ」
前後不明寸前まで深酒をしたエグザベをシャリアは酒場近くに取った宿まで連れて行ってくれた。
情けない。酔っ払いの介抱までさせてしまうなんて。益々惨めな気持ちになって、エグザベは彼に寄りかかりながらべそべそと泣いていた。
「全く…君がこんなにも酒癖が悪いとは知らなかったな」
ふふ、と柔らかな苦笑いを浮かべてシャリアはエグザベのぐにゃぐにゃの身体をベッドへと投げ出した。ドサリ、と重い音と乾いたシーツの感触にエグザベはホッとため息を吐く。
酔いで靄がかかる頭でエグザベはシャリアの姿を探す。彼はエグザベの介抱に疲れたのかベッドの脇に腰を掛けた。首元のネクタイを少し緩めてふ、と物憂げなため息を漏らす。
相変わらずの端正な横顔が、エグザベほどではないが、アルコールに少し上気している。
何時もは綺麗に整えられた銀髪が少し乱れ前にかかり、伏せ目がちの瞳が官能的だ。
普段重いフタをしている邪な想いが酩酊する頭からダダ漏れになり、ムクムクと欲望が膨らむ。
(本当に…なんでこんなに、エロいんだ)
じっと穴が開くほど憧れの人を眺めてエグザベはぼんやりとベッドへと臥す。そんな此方の視線に気が付いて、シャリアは肩を竦める。
「大丈夫か?水を持って来よう」
やれやれと苦笑いする彼がまるで菩薩の様に見える。スルリと前髪を撫でられて、エグザベは素早くその腕を掴んだ。虚を突かれた様にシャリアは目を見張る。酔いで溶けた眼差しでじっと見上げるとエグザベはぎゅっとシャリアの腕を握る。
「いかないで…そばに、いてください…」
頼りなげに懇願すると、シャリアはしばらく固まっていたが、やがて困った様に微笑む。いつものあの、「立ち入るな」スマイルだ。
「いい子だから、手を離してくれ。水を持ってくる」
嫌だ、と首を横に振ると、シャリアの腕に縋り付く。
「どうして、ですか…」
ポツリと呟くエグザベにシャリアが何を?と問う。
「俺が…未熟者で…貴方の命令すらマトモにこなせないろくでなしで…若造だから…」
何が言いたい。何を言っている?酔いで最早自分が何を口走っているか分からない。
「そんなに俺は…頼りになりませんか?貴方の役には立てない?」
ぐず、と鼻を啜って、掴んだ腕に頭を押し付ける。すると、困惑した様に頭上から自身の名を呼ぶ声がする。
「憧れでした…ずっと。だから、嬉しかった。貴方に抜擢された時は…もう、…死んでもいいって…」
ずずっと鼻を再び啜り、涙で霞む目で必死に男を見つめた。
「好きです…貴方が…好きなんです」
無様に枯れた声でそう告白して、ぎゅうっとシャリアの腕を抱きしめる。
「エグザベ、少尉」
酔いに任せた決死の告白に対する答えはただひたすらに優しい「困惑」だった。
やや強引にエグザベの包囲から逃れて、此方の想いも空くシャリアはベッドから離れていった。
その途端に、哀しみと虚しさ、あと羞恥が押し寄せてきて、エグザベはベッドの上で丸まりながら「嗚呼…」と後悔に呻く。
数秒後、水のボトルを手にシャリアが再びベッド端に座る気配がし、エグザベは恥ずかしさに耐えられず彼から背を向ける。
「水を飲みなさい、ほら」
揺さぶるシャリアに嫌だと首を振るとクスクス笑われた。あまりにも笑うものだからムッとしてチラリと肩越しにシャリアを見上げると、彼は相変わらず困った様な微笑みを浮かべていた。
「困ったな…」
少し顔を逸らして呟かれた言葉にエグザベは「…え…?」と訊き返す。するとシャリアはふと切なさを滲ませてゆっくりと顔を寄せてくる。
「君が可愛いことばかりするから、困っている」
憂いを帯びた困り顔の微笑みを涙でぼやけた視界に映していると、耳元でそっと囁かれた。
どういう意味、と問い直して動く唇をそっと親指でなぞられる。
「今日は疲れただろう。ゆっくり休みなさい」
美しい笑顔を浮かべてシャリアはエグザベの頬に掠めるようなキスを落とした。
気のせいではないかという程度に刹那の瞬間。時が止まってしまった様に感じた。
やがて彼は何事もなかった様にすっくと立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまった。
バタン、と控えめに扉を閉める音。微かな革靴の床を歩く音が遠のくのを呆然と聞きながら、エグザベは先程の感触を追いかける様に恐る恐る、指先で頬を撫でた。
酔いはもうすっかり吹き飛んでしまっていた。
明日から、どんな顔で上司と会えば良いのだろう。今更ながらどっと羞恥が雪崩れ込んで来て、エグザベはベッドで身悶えた。
前途は多難であった。