ご褒美は夢よりも深くホロウ内部をイアスを通じてナビゲートするのも、決して楽ではない。
直接内部に入り、適性があるとはいえ浸食の危険に晒されながら戦闘を行うエージェント達とは危険度に差は勿論あるがHDDシステムからボンプに意識を移し感覚を同期させるのだ。続けていれば疲労は溜まる。
「ふぅ…」
ここ数日、碌に寝ていない。なるべく睡眠は取るようにしているしリンに早く寝なさいと言えるくらいには休息を取っているつもりだが、とにかく寝つきが悪い。生身での行動範囲も以前より広がっているから普段の活動とプロキシとしての活動と忙しくしすぎて、逆に頭が冴えてしまって眠れていないのかもしれない。
現在地、ホロウ内部。
インターノットから依頼を拾ってきて報酬を出すという条件の元にカリュドーンの子のメンバーの一部に来てもらっている。
依頼内容はホロウ内部の…探索。
「溜息なんざついて、どうしたプロキシ」
ひらりと赤が目の前に揺れ、影を落とした。
赤いマフラーをはためかせながら目の前に立ち、声を掛けてくれたのはライトさんだ。
サングラスを押し上げながら、屈んで視線を合わせようとしてくれる。
「あぁ、すまない。位置情報の精査は出来たから…」
「ならいいが」
溜息を聞かれてしまっていたようだ。
疲労が溜まっているだなどと勘付かれなければいいが、聞かれてしまった以上無理かもしれないと思いナビゲートに集中しているように振る舞う。
「おそらく目的地はここ、出口はあそこ。距離は離れていないけど、エーテリアスは少なくない。最短ルートを行こう」
「物資回収以外にも人が入り込んじまってるんだったよなプロキシ。なら、早く行かねえといけねえよな」
少し離れた場所にいたシーザーが言った言葉に反応が遅れる。物資回収とホロウに入り込んだ人…あぁ、そうだった。
探索目的を忘れたわけではないが、すぐに出てこなかった。場所の確認に意識を割きすぎたのだろう。
「…あんた大丈夫か?」
こちらを覗き込むライトさんがサングラスを下に下げ、怪訝そうに奥の瞳が細められる。
「問題はないさ」
そう、問題は無かった。
ホロウ内部に散らばった物資を回収して入り込んだ人間の無事を確認し出口に誘導する。それからのんびり後ろから来ていたパイパーのアイアンタスクに回収したものとついでに拾った物資を預けて自分たちも出口から出る。
なんら、いつもの仕事と変わりはなく問題は無かった。そのはずだ。
「それじゃあ皆、お疲れ様。報酬についての連絡は後でDMを送るよ。今日はありがとう」
──ぷつり。イアスとの接続が遮断される。
エージェント達には依頼後の報酬についての言伝はしたはず。
ぐらりと視界が揺れる、これは感覚が戻ってきたから?
などと考えているうちに身体から力が抜けて、椅子から落ちてしまった。床へ身体を打ちつけはしたものの、呑気すぎるかもしれないが機材に頭をぶつけなかったから良しとしよう。
「お兄ちゃん!」
妹よ、血相を変えてどうしたんだい。
大丈夫だよ、と言いたいが身体にまるで力が入らないから言ったところで説得力がない。
重い身体を引きずってかろうじてソファにもたれかかった。
リンは慌ててどこかに連絡をしているようだ…いや、連絡が来たのか?
「あっ、ライトさん!」
ライトさん?ライトさんがどうして…。
気にはなるが、表現のしにくい体調の悪さを感じる。これが過労というものか…。
せめて横になろうと、無理矢理もたれかかったソファに乗り上げてクッションを抱えこんだ。
限界だったのだろうか、睡魔が押し寄せてくるようだ。
そういえばエージェント達への報酬確認の他にも色々やらなければならないことがあったはず。イアスの回収、とか…。
意識が暗く沈んでいく、待て待て眠るならせめてベッドに行かないとリンが心配する。
そんなことを考えようとする頭も次第にまるでイアスとの接続が遮断されたかのように真っ暗になっていった。
──それからどれほどの時間が経過したのだろうか。
寝落ちてしまったのはソファのはず、リンにベッドに運んでもらうわけにはいかないし。
あぁ、リンには心配をさせているだろうな。後で謝らないと…などとぐるぐる思考が回り始める。
そしてまずは報酬の話を連絡しなければとスマホを取り出そうと思い立ってもぞりと身体を動かすと、頭の下が柔らかい。
そこで今、自分がどこにいるのかそこに誰がいるのか気がついた。
「…僕の部屋?…に、ら、ライトさん…?」
「お目覚めか、プロキシどの?」
慌ててスマホを確認すると、もうすぐ深夜に差し掛かりそうな時間だ。DMまで来ている…これはシーザーからだ。
部屋のソファには勝手を知るかのように陣取っているライトさんがいて、ボンプ充電スタンドにはイアスが設置されている。いつの間に?
「報酬の話をしてくれるかと思いきや急にそのボンプが棒立ちし始めてな。何かあったのかって大将が慌てるもんだから、俺が妹のほうに連絡したんだ。そんな状況じゃそっちのほうが連絡つくだろうからな」
あの時リンが連絡をしていたライトさんは、ライトさんから気に掛けてくれた連絡だったようだ。
「あんた調子が悪そうだったからな」
手間取らせてしまって申し訳ない気持ちになる。
言伝をしたと思っていたけれどしていなかったし、それについて連絡をしてくれたのもそうだし、この分だとイアスを連れ戻ってきてくれたのもライトさんだ。
すまない、と口に出そうとするとギシリとベッドが軋む音に遮られた。ベッド縁に腰掛けに来たライトさんに頬を撫でられてどきりと心臓が跳ねる。
サングラス越しにじっと見つめてくる瞳が優しくて、なんだか気恥ずかしい。
「顔を見る口実になったから、そんな申し訳なさそうにしなくていいさ」
顔が近くまで寄せられる。何をされるかわからないような子供ではない。ぎゅ、と思わず目を閉じた。
触れるか触れないかの距離まで唇が近づいたような感覚はするのに、触れられない。少しして、くくと喉の奥でライトさんは笑った。
「具合が悪い奴にやるようなことじゃないな」
これはまた今度だと言うように肩を叩かれた。
そういうキザな態度が様になるのは、格好良いからズルい。
そうしてライトさんはベッドから立ち上がろうとした。このままでは帰ってしまう。報酬の話だってまだしていないのに。
腕を伸ばして立ち上がる前にライトさんにしがみついた。ジャケット越しの身体が温かい。あたたかくて、まだ離れたくない。
「おっと…どうした」
「つ、追加報酬…とかどうだろう。その、イアスを連れて来てくれたわけだから」
何を口走っているのだろう?
具合が悪い奴、確かにその通りだ。しがみついた腕に力はあまり入っていないからすぐに振り解けるだろう。その腕から感じる体温が心地良くて暫く寝付けなかったのはなんだったのかと感じる程に再び眠気を誘ってくる。
うとうとしている僕にしがみつかれたライトさんは困ったような溜息をついてサングラスを押し上げた。
「あんたの前では格好つけていたいはずなんだがな」
しがみつくために回していた腕を剥がされて、今度は僕のほうがライトさんに引き寄せられる。
抱き締められて背中を撫でられて、心地良くて今にも眠ってしまいそうだ。
「追加報酬か…そうだな。それなら、今夜は隣で寝させてもらおうか」
「え…それが報酬になるのかい?」
「あんたを抱き枕にしていいってのは俺にとっては間違いなく報酬だな。…こんなに可愛いんじゃ、離したくもなくなる」
まるでラブロマンス映画か何かで言われるような台詞だ。思わず笑ってしまうと、先に寝ていろと言わんばかりにベッドに押し込められてしまった。
「おやすみ、アキラ」
夢見心地の中、あたたかい腕に抱き寄せられた気がして久しぶりに深く深く眠りに落ちて行く。
これが報酬だなんて、本当に良いのだろうか?だって僕にとってもこれはきっと、ご褒美なのだから。
───
朝。『Random Play』店頭。
よく晴れた空だが、郊外と比べたら余りにも狭い。
ここに来ることは以前よりもずっと増えたが、慣れるかどうかといえばそうでもない。
朝の白みがかる空へ向かって、煙を燻らす。空がさらに白むようだ。
綺麗に掃除してあるビデオ屋の前で煙草をふかしているが、落としていくわけにもいかないので適当なところで携帯灰皿に押し込んだ。
「うぉっ、ライトじゃねえか」
見覚えのありすぎるくらいの機械人がやって来た。軽快に話し掛けてくる様には、昔を知っていると未だに少し面食らう。
「パイセンじゃないっスか。早いっスね」
「お、おうよ。新作のビデオについてちょ〜っとな」
「店長ならまだ寝てます。妹のほうはコーヒー飲みに行ってるはずっスね」
入れ違いじゃないスか。などと思いつつ、兄のほうに用があるなら起こしに行ってやろうと考える。
店の扉を開けて中に入ろうとすると、「馴染んでんな…」などとぼやかれた。パイセンほどじゃねえッスよ。
「なあ」
「なんスか」
「大事にしろよ」
ぼやいたわけではない昔のあんたのような声色で。
背中越しの言葉に返事を返す。
「…当然じゃないスか」