穹ホタ/ラストワルツ あたしたちは与えられた台本の中で生きる役者でしかない。
そう言ったら君は笑うのかな。
でもね、あたしはわからない。
自分の人生を自分の足で歩くということがどんなことかわからない。
それはいつだって自分の手のひらの中にはなかった。一度として。
戦う為だけに生み出されて死んでいく。死んでも代わりはたくさんいる。たくさんのあたしが生み出されて、戦って、死んで。あたしという命に意味も価値もない。あるのはただ、戦うという目的だけ。たくさんの同じ顔をしたあたしたちを識別する番号と目的だけしか持つことを許されない生。
だから知らなかったの、ずっと。
あたしは『あたし』しかいないことも、戦って死ぬ以外にいくつだって命の数だけ生き方はあるんだってことも。
尤も、兵器であるあたしを君が人間だと思うかどうかは別として。
だって全部話すより先に君はいなくなってしまうから。いつも。
「やっぱり、お別れなんだね」
『君』とお別れするのは何回目だろう。
あと何回お別れをしたらあたしは君にすべてを打ち明けられるのだろう。
あたしと同じ、誰かの目的の為につくられた君。
それでも自分の意思で未来を切り開いていける君。
そんな君だからこそ、あたしは。
「ホタル」
宇宙船の窓硝子越しに目と目が合う。
そのまま隣に並んだあたしを君の視線がなぞる。
「まぁ仕方ないよ。それが『脚本』だから」
「そうなんだけど」
今回渡されている『脚本』であたしたちは別々の道を歩いていくことになる。
そしてきっと次に渡される『脚本』に君はいない。
「やっと君とこうして話ができるようになって……名前も……呼んでくれるようになったのに」
あたしはうまく笑えているだろうか。
硝子に映る自分の顔を確かめるのが怖くて、足下を流れていく無数の星たちを目で追う。
君はきっとあたしのことを忘れてしまうから。
全部また、最初から。
「ホタル、」
「ん、何、」
「ホタル、」
「え、」
ホタル。ホタル。ホタル。ホタル。
彼は戸惑うあたしを他所に何度も何度もあたしの名前を呼ぶ。
何かを確かめるように。戸惑うあたしを面白がるように。それから、
「ホタル、」
慈しむように。何かを惜しむように。
あたしの名前を呼ぶだけ呼んで、すこしの間のあとで、ふふっと肩を震わせて笑う。
「ホタル」
「も、もー……何なの……」
何が可笑しいのかもわからないのにつられて笑ってしまう。
「やっと笑った」
「あ……」
君はなんてつよいひとなのだろう。
怖くないのかな。
脚本のない、白紙の未来。
「今のうちにたくさん呼んでおこうと思って」
「え?」
「ホタルのこと。もうしばらく呼べなくなるかもしれないし」
「あ、」
胸の奥がぎゅっとなる。
彼の声があたしの名前をなぞるのはこれが最後になるのかもしれない。
「また教えてね」
「え、」
「ホタルの名前」
もしかしたら全部忘れちゃうかもしれないから。
そう口にした彼があまりにもあっけらかんとしていたから。
「怖くないの?」なんて、返答に困るとわかりきっている言葉が思わず喉の奥から零れ出してしまっていた。
はっとしたあたしを責めるでもかなしい顔で見るでもなく、
「怖くないと言えば嘘になるのかもしれないけど」
そう前置きをしたあとで、わらう。
「またホタルとはじめましてからするのも悪くないかなぁって」
「忘れちゃうのに?」
「忘れるのはかなしいけど、次に会えたら……はじめましてをもう一度できたら、そのときはきっと共犯者じゃない、ただのふたつの魂が出会うだけだから」
想像する。
ここではないどこかで、今ではないいつか、何も知らないまっさらな状態で出会う君とあたしのことを。
「それは悪くないだろ?」
「そうだね」
「でも全部忘れたら今ここにいる俺とは少しだけ違う俺になっているかもしれない。それでもホタルはちゃんと俺を見つけてくれる?」
「当たり前だよ」
そう答えた瞬間、笑っていた君の顔がすこしだけ泣き出しそうに歪む。
「もしまた君と出会えたら、その時は……初めて会ったふりをして、君を知るところから始めるね。でもちゃんと忘れないよ。今ここであたしと一緒にいる君のことも」
「ごめん」
「なんで謝るの?」
「俺だけたぶん全部忘れるから」
「仕方ないよ。そういう『脚本』なんだから。それに忘れるだけで、今ここでこうしているあたしたちが消えてなくなるわけじゃない。あたしからも君からも」
どちらともなく静かに指先を手繰って、そっと絡めて。
「君とまた出会えたら何からしようかなぁ」
君としたいことがたくさんあるの。
「街を巡って色んなお店を見て回ったり、そこにある美味しいものを一緒に食べたり、綺麗な景色を眺めたり、あとは……」
「あとは?」
「あとはねぇ、内緒!」
「えー!?」
「全部言ったら楽しみがなくなっちゃう」
「そんなことはないと思うけど」
すべてを忘れてしまう君を、あたしはまた同じように愛するだろうか、と、このときが来る度に思うことがふいに頭を過って、それでもきっとまた同じように愛するのだ、と何度も出した答えを自分の中で繰り返す。
君があたしのことを覚えていてもいなくても、今と同じ性格や笑い方や話し方ではなくても、繋いだ指先の温度が違っていても、魂のかたちが同じである限りあたしはきっと君に惹かれるのだ、何度だって。
だけど君としたいことを全てするより先にいつもお別れが来てしまうから。
だから君と一番したいことはずっと内緒のまんまで。
次に会う君とはできるのかな。言えるのかな。それまであたしは生きているのかな。
「まぁホタルがそう言うなら楽しみに取っておく」
「うん、そうして」
あとすこししたら繋いだ手を解いて、君とさよならをする。
そうしてあたしはまた君のかたちをした魂と再び出会える日を待ち侘びながら生きる。
戦って死ぬだけだったはずのあたしの台本は君に出会ってとっくに違うものになってしまったから先のことはわからない。与えられた脚本の延長線上だったとしても、そこにいることを選んだのはあたしで。
自分の人生を自分の足で歩くというのはもしかしたらこんなかんじなのかもしれない。
それはあまりに自由で、孤独で、脆くて、それでも愛さずにはいられない、
君に出会わなかったらきっと、一生知ることのなかったこと。
だから愛せるよ、君との別れも、また出会えるまでの時間も。
たとえばこれが最後になるとしても。