鮮烈の誓い。 はじめて、頭を打ち抜いてやりたいと思った。
パーディス三世に指輪を奪われエドラスへ渡った戦いでのことだった。パーディス王の手で将軍マフレズが殺された、そしてその場にいた団長ヨルンが濡れ衣を着せられてしまったのだ。弁解をする暇も与えられずセルテトを含めた仲間たちも捕らえられエドラスの地下牢に投獄されてしまい、あっという間に処刑が決まった。
最初の内は焦りなどはあまりなかった。戦線に出ていなかった控えの仲間たちがすぐに気付き、実際にウィンゲートがエドラス兵に変装して様子を見に来てくれていたのだ。脱獄までの手筈をなるはやで整えている、夜が明ける前には必ず助けに来る、だから諦めるな、とウィンゲートは言った。唯一の不安は団長であるヨルンが一人だけ別の牢に入れられてしまったことぐらいだった。とはいえやわな男ではないことは知っていたし、彼なら図太く寝ているだろうとさえ考えていたのであまり心配はしていなかった。
仲間たちと励まし合いながら時を待つ時間は恐ろしくはあったが、耐えられるものではあったのだ。
「っ……!?」
牢屋の外で、絶叫が聞こえるまでは。
セルテトは弾かれるように外の様子を確認したが、相変わらず兵士に阻まれて何も伺えない。声のした方角は牢獄の奥……ヨルンが、連れていかれた方角だった。地下牢の閉じられた空間に音が反響しているのだろう、くぐもった嗚咽や身の毛のよだつ嘲笑がセルテトの鋭敏な耳に届く。仲間たちにも声が聞こえたのだろう、クレスがあまり騒がないよう指示を出した。……無論、とっさに見張りの兵の首を引っ掴もうとしていたセルテトにも。
醜い音は、しばらくの間響いていた。悪夢のような時間だった。狩人として鍛えられた耳が残酷に何が起きているかを伝えてくる。水の音、むせる声。殴打の音、吐瀉、嘲笑……彼が何かしらの理由で拷問を受けていることを理解できても、セルテトには出来ることがなかった。今すぐにでも助けに行きたいというのに、今ここで暴れれば仲間たちを危険にさらしてしまうし、何よりも団長が猶更責め苦を受けるだろうことが予想が付く。
ふと、聞き取れる単語が鼓膜を掠めた。「仲間、」「手を出すな」……セルテトは息が詰まる思いだった。
レブラントがウィンゲートやエデルガルトと共に牢の鍵を開けた瞬間、セルテトは弾かれるように叫んだ。
「早くヨルンの元へ!!」
案内されるよりも早く走り出しそうなセルテトを見てか、副団長のクレスがウィンゲートとユークスにセルテトと団長を迎えに行くことを命ずる。エデルガルトの先導で脱出する仲間たちとは真逆に、セルテトは随行するウィンゲートと案内人レブラントと共にヨルンの元へ急ぐ。
そこで待っていたのは、想像通りの光景だった。「何をやっているのです!!」とレブラントが一喝すると、蜘蛛の子を散らすようにエドラス兵たちが牢屋から去っていく。残されたのは、ぼろ雑巾の様に痛めつけられた団長の姿だった。
ユークスがすぐさま駆け付け癒しの祈りを捧げるも、その表情は青ざめ治療する側のユークスの方が倒れてしまいそうだ。
「酷い傷です、どうしてこんな惨いことを……っ」
「腹いせか八つ当たりか……。ユークス、細かい治療はあとで薬師に任せる。傷から呪いを拾わないよう保護してやれ」
「はいっウィンゲートさん! ヨルンさん、もう少しだけ持ちこたえてください……っ!」
水桶に顔を突っ込まされたのだろう、頭も含めてずぶ濡れだった。脇腹には熱された鉄でも当てられたと思しき痛々しい火傷が何本も刻まれている。度々聞こえていた絶叫の原因がこいつだと確信すると、セルテトは先ほど逃げていった兵共の頭を打ち抜いてやるべきだったと強く後悔した。
許せなかった。彼らの醜悪さも、……己の無力さも。
「セルテト、」
無意識のうちに弓を持った手を、弱々しいヨルンの手が引き留めていた。
「ヨルン……!」
「ひゅ、げほ……っ、怪我は、ないか……? 皆は……?」
「……っ、」
憎悪の炎に頭から水をかけられた気分だった。そんなことをしている場合じゃない、分かっていた。
「あぁ……っ、みんな無事だ、何も手出しされてない。きみのおかげだ、ヨルン……よく、よく耐え抜いた……っ」
「なら、よかった」
泣きだしそうになりながらセルテトはヨルンを抱きしめる。するとヨルンは子どもをあやす様にセルテトの背をぽんぽん叩くと、大きくため息をついた。ようやっと安心できたのだろう、拷問で強張っていた体から力が抜けた。
するとレブラントと話していたウィンゲートがセルテトの肩をつんつん指で突く。どうしたのだろうと様子を見れば、ウィンゲートも難しそうな顔で頭を悩ませていた。
「団長、こんな状態だが一つ寄り道の誘いだ。レブラントのおっさんが貴様に会わせたい人間がいるらしい。多分今しかタイミングがないやつだ、どうする?」
「……行く、今しかないなら会うべきだ」
「っおい待て! こんな状態で寄り道なんて無茶だ……!」
セルテトは首を振ってその提案を下げさせようとしたが、ヨルンは頑なに「行く」といって譲らない。
「ユークスのおかげで少し楽になった、人に会うぐらいは問題ない」
「そういう問題ではなくてだな……!」
「大丈夫だセルテト。……手を貸してくれ、頼む」
ボロボロなくせに、真っ直ぐ頼まれてしまってはセルテトも無下にはできないというもので。血の臭いがこびり付いた信用ならない男のはずなのに、どうしても放っておけないのが困ったところだ。
「くっ……致し方ない、危ないと思ったらすぐにでも脱出するぞ! いいな!?」
「ありがとう、助かる」
「まったく……!」
「話はまとまったな。レブラント! いけるぞ!」
「ではこちらへ……! 申し訳ありません、私とて無理をさせたいわけではないのですが……」
殆ど歩く力も残っていないだろうヨルンの体をセルテトはあっさりと背負うと、よりにもよってヨルン本人が「えっ」と困惑の声を上げた。多少小柄とはいえ成人男性、しかも剣士だ。普通ならばひょいと持ち上げることは苦労するはずなのだろうが、セルテトにとっては造作もないことだった。
本来の仕事で手慣れたことでもあったのもそうだったが、今はそれよりも違ったものがセルテトを動かしているようで。
「きみが背負ったものに比べれば軽いものだ」
「……そういう……問題か……?」
きみが言うな、とセルテトはようやっとため息をついた。
/
「ヨルン、その、すまなかった。勝手に声を荒げてしまって」
傷の手当てをしながらセルテトはヨルンに謝罪の言葉を口にした。レブラントの手引きでようやっとエドラス城から脱出できた、その後のことであった。
会わせたい人、というのはマフレズ将軍の妻エリカのことだった。レブラントはヨルンの冤罪を解くことでエリカに真相を知ってほしかったのだろう、エリカがこれからどうするかは分からないがレブラントが行った行為は正しいことだと冷静になった今なら思う。
『これがお前たちの国なのか』
『私たちは貴方たちと共に戦場を駆け、一瞬であっても共に戦った。だというのにこの仕打ちか……!!』
だが、セルテトはすぐには飲み込めなかった。エリカを……この国の王族を目の前にした瞬間、感情が爆ぜるのが分かった。エリカにとっては八つ当たりでしかなかったろう、団長を痛めつけたエドラス兵と同じことをしているというのにセルテトは己の感情を律することが出来なかったのだ。
ウィンゲートも、ユークスも、レブラントでさえも止められなかった。というよりも、レブラントはわざと止めなかったようにも思う。
『セルテト、』
『だが……っ!!』
『彼女は無関係だ。王女に、戦場のことは分からない』
すぐにでも矢をつがえてしまいそうなほど声を荒げたセルテトを止めたのは、やっぱりヨルンだった。
『マフレズはずっと貴女のことを案じていた。エリカ様、貴女がどうするかを、俺は問わない。貴女が信じるものも、願うものも、そのためにどうするのかも、どうか全て……自分の意志で選んでほしい。何を選んでも、俺は貴方を責めたりしない』
『っ……! 私、は……』
『みんな、行こう。クレスたちが待ってる』
セルテトの怒りやヨルンの言葉が王女エリカにどう響いたのか、今は何も分からない。だが少なくともヨルンのしんしんとした雪のような、それでいて静かな雨のような声はセルテトの心に理性を思い出させるものだった。
どうして、とさえ喉を鳴らしてしまうほど冷淡で。なぜ、と問いかけてしまいたくなるほどの煌々とした理性の声。彼はそれが何よりも心臓にある人間なのだろうことも分かっていたというのに、セルテトは疑問符を吐き出すことしかできなかった。
「気にするな。今回のことは、俺もあまり気にしていない」
状況が状況とはいえセルテトは失礼な態度を取っただろうに、ヨルンは一切それらに対して咎めなかったからだ。砂漠の守護者としては人に、それも立場ある人間にああいった感情のまま怒りをぶつけるなどあるまじき行為である。己の矜持からかけ離れた失態にセルテトはどうしてもそれらが飲み下せない。
この苦しみをどう伝えればいいのか、伝えたところで消化できるものなのか。悶々とした思考がセルテトの頭を重く俯かせ、とうとう言葉が出なくなってしまった。
「正直、助かった」
思わぬ言葉にセルテトは顔を上げた。そこにはまた何とも言えない……それでもどこか、笑っているように見えるヨルンの穏やかな表情があった。
「怒ってくれて、冷静になれたように思う。……どうしてかは分からないが、俺はあれが嬉しかったんだ」
「あれが?」
「あぁ、あれが」
どこか拙く、辿々しい声色で彼が続ける。
「旅を、この旅団をはじめてから。クレスではなくて、俺が旅団長をやることになった時から……セルテトはずっと誰かのために怒って、疑問を投げている。俺はずっとそれが、なんというか……好きなのだろうなと思う」
はじめて聞く言葉だった。
セルテトは、セルテト自身でさえ団長であるヨルンとは良好な関係を築いているとはいえない旅人だったように思う。
人を率いたことのない旅団長、何をするにも助けを必要とする手のかかる旅団長。どうして彼の髪や手指から拭えない血の臭いがするのか、どうしてあまりにも人を斬ることに慣れすぎているのか、……それでいてどうしてここまで優しいのか。心のどこかで彼を警戒して、ずっと距離を置いては何か危ないことはしないだろうなと身構えていた。
ヨルンの指示や方針に反発してセルテトが勝手に動いたこともあった。ある意味常に対立していたように思う。最終的な利益や価値を優先するヨルン、人の情や仁義を重んじるセルテト。それを取り持つように副団長のクレスがいつも困った顔で立っているのがこの旅団の常だった。
セルテトは、ヨルンからきっと問題児だと思われているに違いないと勝手に割り切っていた。きっと根本が合わないのだろう、利害が一致しているだけの関係だから仕方ない。
そんな彼が、セルテトのことを好きと表現した。
「好き、」
「気に入ってる、とか……”イイ”とか、そういう」
「きみが、私を?」
「あぁ」
「迷惑をかけているのは私だろうに……」
「全部仲間を想っての行動だろう。俺も、なんだ、だいぶ浅慮なところがあるから」
ヨルンは何度も言葉に詰まりながらも今までの感情を形にしていく。本当に、慣れないことをしているのだろうことがその仕草から痛いほど伝わってくる。慣れなくて、でも今絶対に言いたいのだろう言葉を音にしていく。まるでセルテトの耳にこびり付いたあの嗚咽と悲鳴を拭うようで。
「ヴァローレの時も、セルテトが話を持ってきてくれなかったら……多分俺は、彼らに関わろうとさえ思わなかった。相棒に……バルジェロに会うことさえ、なかったと思う。だから胸を張ってくれ、そんな顔をしないでくれ。本当に怒っていないし、困っていないんだ」
思い返せば、セルテトはヨルンに行動を咎められたことは殆どなかった。
偏見と恐れから仕方がないと目を逸らしていたセルテトとは違って、ヨルンはそういうものだと飲み込んでいたわけではなくただ望んで受け入れていただけだったのだ。
「……あの場にセルテトがいて、良かった。」
「──……、ヨルン……」
……セルテトには旅団と共に歩き始めてからというもの、胸の内に徐々に膨らんでいく不思議な感覚があった。ヨルンへの不安や不満だと思っていたそれは、本当は全く別の形をしていたのだろう。セルテトはようやっと己の中の形に触れはじめていた。
/
二度は見ないものを見た感覚だった。
覇王パーディス三世との決戦とその結末は、それこそ朱の黎明団に属し共に歩んできた仲間たちの目に鮮烈に焼き付いただろう。多くの人が死んだ、多くの人がそれでも未来を求めた。欲と望みがぶつかり合い灼熱がうねり、その波を掻い潜って一閃の瞬きがそれこそ夜を劈く星の様にパーディスの首を切り落とした。
王は戦いの最中にヨルンに問いかけていた。”愚かな選択だ、悍ましい選択だ、それを選ぶ貴様は何者だ”と。
彼は答えた。
”さて、何だろうな”
戦いの轟音の中、自問自答のように息を吐いてはどこか演じるように。すぐにセルテトには理解できてしまった。彼は、アーギュストと踊ったかの日の舞台にもう一度挑んでいるのだ。あの時まともに受け答えもできず、泣き啜りながら刃を振り下ろすことしかできなかったあの日の大舞台に。
”斜陽が愛しく、黎明が恐ろしい。だというのに前に進むのをやめられない”
”矛盾の塊だ。俺の中に別の俺がいるみたいなんだ。今までずっとそれが怖くて、恐ろしかった。考えたくなかったし、感じたくなかった。痛いし、疲れるし、苦しいからな”
”でも今は──……”
彼の言葉を、戦いの最中に耳に出来た仲間はそう多くないように思う。それはとても小さくて、か細くて、意識していなければ聞こえないほど弱々しいものだったからだ。
けれどもそれは徐々に力を伴い、炎の様に燃え上がっていく。炎の光に当てられるように絶望的な戦線が拓いていく。
”お前を殺して、それで見える明日がどうしても見たい”
”俺は、俺が選んだみんなと、そこに行きたい、歩きたい”
「何かになるためじゃない、今俺が何者であっても構わない……!」
積み重ねてきた今が形になっていく。望んだものにはなれずとも、歩いた道にはそれでもなにかが残る。畏怖の戦場に炎を抱く風が奔った。それはまるで旅人たちをいたずらに撫でては旅へと誘う、温かな雪解けの陽ざしのようだった。
答えなんて分からない、何が正しいかなんて分からない。信じたいものも信じたくないものも、絶対的なものなんてない何もかもあやふやな世界で。
それでも自分たちは、自分たちの理由で、ここに立っている。
「”だから旅を続けるんだ”!」
彼が、旅人が、口数の少なかった団長が、こうして戦いの場で問答に応えること自体が珍しいことだった。ふとセルテトが感じたのは熱だった、パーディスに注がれていたはずのうねりのようなものが、その一瞬で彼に引き寄せられたのだ。この舞台の主役は誰なのか、流れを制御する主は一体誰なのか。
それをその場で理解することは、少なくともセルテトにはできなかった。
覇王は倒され、エドラスは新たな王としてアラウネを迎えた。
解放の日だとどこもかしこもお祭り騒ぎ、余韻も冷めやらぬあくる日のこと。
「どこに行く気だ?」
「仕事だ」
またふらっと、ヨルンが宿を去るのを目にした。以前も度々見かけたことのある単独行動だったが、こうして声をかけたのは初めてだったように思う。仕事、そう彼はいう。護衛の仕事にしては物々しい雰囲気にセルテトは予感に揺さぶられ、その場を立ち去ることが出来なかった。
ヨルンはしばらく考えていたようだった。沈黙が続いたと思う、どれほどそうしていたかは分からないがまず口を開いたのは彼のほうだった。
「……一緒に来るか?」
まさか数日に世界がもう一度ひっくり返るとは思わなかった。
ヨルンの誘いに乗ったセルテトはある者たちと出くわすことになる。彼が盗餓人と呼ぶ、砂漠ではまた別の名で呼ばれていた悪質な浮浪者たちだ。ヨルンはセルテトに戦闘の補佐を頼むと、これまたあっさりとそれらを慣れた手つきで狩っていった。殺しのはずなのに、それはまさしく狩りだったのだ。……必要だから行われる殺生だと本能が受け入れてしまうほどに。
補佐、といってもセルテトに出来たのは彼が不意をつかれないよう盗餓人たちをけん制することぐらいだった。普段とは真逆の役割にセルテトは息を呑む。いつもはセルテトが前で火力を出し、ヨルンは後方でセルテトの射撃に邪魔が入らないよう補佐を行っていた。だが今回はその逆、ヨルンが戦闘の中心に立っている。彼本人があまり好まない陣形だったと記憶していた、曰く効率が悪いだとか、シナジーがだとか。
けれどもそれは、あのパーディスとの戦いと同じ構図だ。セルテトはそれを理解した瞬間鳥肌が立ったのだ。
「(まるで、彼が世界の中心みたいだ)」
あの時と同じだった。パーディスが支配していた場の空気を、彼があの一瞬で自分のものにしてしまったように。今はヨルンがこの血生臭い戦い全てを支配している。盗餓人の動きも、挙句の果てにはセルテトの行動でさえも。この狩りの正当性も、ヨルンの行動がどれほど逸脱したものなのかも、今その瞬間だけは関係がなかったのだ。
本来の意味で正しいとか間違いだとか関係なく、ヨルンがそうしたから道理はそうなるのだと考えてしまう様に。
「(”覇者”──……、)」
”全部が彼の機嫌次第なのだ”と思わせるには十分すぎるものだった。
「セルテト?」
彼の戦いに見惚れてしまっていたのか、気が付いたころには全てが終わっていた。死者への弔いも既に終えていたようで、盗餓人だったものたちの遺体には夕陽に反射してきらきらと瞬く硬貨が供えられている。
「大丈夫か? ……そもそも流石に気分のいいものではないか、すまない」
「いや、そう謝らないでくれ。私は平気だ、少し……驚いただけだ」
「ならいいんだが……」
気遣う様子を見せるヨルンの横顔に、セルテトは徐々に形になっていくそれをどうするかの選択を迫られていることに気が付いた。
「ヨルン、」
「なんだ」
「……すまない。おそらく私はこれから、とても身勝手なことを言う」
セルテトはすぅ、と大きく息を吸い込みまた吐いた。ヨルンの仕事とは、ある種狩人と似通っている部分があるのだろう。だがそこにはどうしようもない人道から外れる罪があることもセルテトの理性は分かっている。
彼はずっとそれをひた隠しにしていたし、きっとそう簡単に明かしたりはしないだろう。罪に問えば彼はその罰を受け入れるだろうし、ヨルンがセルテトをこうして連れてきたのもそれを覚悟したうえでのことだ。どっちだっていいのだ、彼は。セルテトがどうしようがどんな選択でも受け入れるし、それでいいと思っている。
人としては彼を告発すべきだ。だが、セルテトの心は決まっていた。
「きみの従者になりたい」
「何て?」
間髪入れず返ってきた困惑の反応にセルテトは苦笑しつつ、覚悟と共にもう一度彼に伝えた。「あなたの、従者に、私がなる」と。
「今の流れそういう方向だったか」
「そうだ」
「そうなのか……?」
「私は、」
どうしても、なぜも。あらゆる疑問符が警告を発したとて、セルテトはそれでもと叫ぶだろう。恐ろしい人だと思っていた、怖い人だと思っていた。それは今でも変わることはない。だが、それ以上に思い知ったのだ。
脳裏に金髪の揺らぎがちらつく、あの日舞った粉と葡萄の香りにセルテトはそれでも笑う。
「(ティツィアーノ、今ならお前が命を捨ててでもバルジェロを守った理由が分かるよ)」
今まで恐ろしいと思いながらすぐそばで見ていた理由、危険だと離れようとは思わなかった理由。単純なことだった、だからこそ今まで分からなかったのだ。
「きみが歩く先が、見たい。そのためなら私は何だってできる、きみが望まないことも多分やってしまうだろう」
「随分怖いことを言うな」
「だから、私の制御をきみに預ける」
セルテトは血と泥にまみれた地面に片膝を付き、己が半身に等しい弓を彼に差し出した。
「私はこれからきみの望むものを射抜く鏃になり、きみを支える杖となり、きみの唄を大陸に残す声になる。どうかうまく使ってくれ、”団長”」
ヨルンは戸惑ったようだった。それもそうだろう、彼の視点からしてみれば本当に急なことだ。だがセルテトはこれらの言葉を頼まれても撤回する気はなかった。もう決めたことだったのだ。
「……はじめて、”団長”って呼んでくれたな」
「ずっと意地を張っていたんだ。あなたを認めるのが怖かった、共に歩くことが恐ろしかった」
「今も怖いか?」
「あぁ、怖い。だからこそ傍にいたい。私自身の目的を果たしたとしても、それでも旅をしたいんだ」
「そうか。おかしくなったのかと身構えたが、……そうか」
はぁ、とヨルンが息を吐いた。どこか安堵したような、それでいて不安がまだあるような。なんともいえないものだった。けれども彼は”仕方ない”と苦笑しセルテトの差し出した弓を受け取り、そのうえで手を差し伸べる。
セルテトはそんなヨルンの手を掴み立ち上がる。血の臭いも、その手の罪深さも、いつかきっと全てを平らげる覇者となる。そうなった時彼はどんな形になるのだろうか、どんなものに価値を見出すのだろうか。分からないからこそ見たいとセルテトは心から願った。
道の果て何かになり果てたその姿を、セルテトはそれでもいいんだと受け入れたいと願った。たとえ彼が、世界の全てから否定されようとも。
「よろしく頼む、セルテト。お前がそばに居てくれるなら心強い、これからも頼りにしている」
「あぁ、団長が頼りない分私がしっかりするさ」
「身勝手そうそう言ってくれるな……っ!?」
ずっと言ってやりたかったことをさっくり暴露しながら、セルテトは血の道からヨルンを引っ張り上げるように手を掴んだまま歩き出す。あぁすっきりした! 進みたい道が分かるとこうも世界は簡単になろうとは!
「戻ろう、団長! みんなが待っているぞ、なにせ旅団の仕事も山積みなんだからな!」
「分かった、分かったから引っ張るな! おいこら走るな! セルテト!? 貴様気を許したら自由になるタイプだな!?」
仲間たちの待つ宿へ、自ら望んで選んだ居場所へ。きっと明日もろくでもないだろうが、それだけじゃないことを今は胸を張って言える。セルテトは、そのことがどうしても嬉しくて仕方なかった。