命火拝領 〈1〉 ドニエスクに自警団ができるという。曰く、かの戦の生き残りである兵士が中心となって動き出した話だとか。そんな話を聞きつけステッドは渦中の人物に会うことにした。
ドニエスク崩壊後塞ぎ込んだままの人物は多い、どうして彼が自ら立ち上がることができたのか? ステッドは己の疑問の思うがまま彼に訊ねた、一体何があったのかと。
答えは単純だった。
「機会を貰った……か」
盗餓人を生み出してしまった過ちと偶然居合わせた旅の剣士との出会いを経て、彼はようやっとするべきことを見つけたのだという。
夜闇への恐怖を飲み干し覚悟を決めた兵の表情は、ステッドにとって印象的なものであった。
しかしドニエスク周辺の底にまで干上がった戦火の傷は根深く、周辺を見やれば知った顔が道端に転がっている。当然、その中にはステッドの友人たちもいた。祈りを捧げながら戦地の跡を歩く、一歩進むたびに恐怖と諦観が背を凪いでいく。だがその暗闇の中に、ステッドは何かきらりと光るものを見つけた。
それは硬貨だった。遺体に供えられるように置かれた数枚の硬貨が、夕暮れの光を反射していたのだろう。それを見つけたステッドは震えた手でそれに触れ、「あぁ」と言葉にならない吐息をこぼす。
その遺体は確かにステッドの友人であり、しかし人と呼べる姿でなくなっていた。
友人に手を下した者の名をステッドは知っている。
兵に機会を与えた者、そして以前行動を共にした旅の剣士。戦の気配と共にドニエスクに現れ、死力を尽くし人々を守ろうと戦い、戦禍と共に中ツ海の戦場へと去っていった“朱の黎明団”の長。
ステッドの庭に等しいドニエスクを荒らしどこぞへと行ってしまった、憎たらしい嵐の人。──それが、ヨルンという存在との出会いだった。
ドニエスクは変わっていく。良い方へも、悪い方へも。
女帝タトゥロックの死刑を求めて兵や民がエドラスに向かい、別件で騒ぎが起きたらしく結果的に言えば訴えは退けられたという話を聞く。
ステッドの胸の内に込み上げたのは、やり場のない怒りだった。
聞けばあの女帝タトゥロックを追い詰めたのはエドラスの兵ではなく、あの朱の黎明団だとか。
理不尽だ。あなたは私の友人たちを殺したくせに、かの血濡れた女帝の首は落とさなかったのかと。怒りを感情のまま叩きつけてしまいたい衝動と、それではいけないことを知っている理性が悲鳴を上げる。エドラスの女王が目指す未来がステッドにとっても望ましいものであることは確かなのだ。変わらなくてはならない、変えなくてはいけない。善性の暴力を行使してでもやらなければならないことであることはステッドも理解している。
ただそれでも、胸の奥の灼熱が収まることはなく。その時ばかりは誰にも会いたくないと願うほどだった。この怒りをぶちまけてしまいそうで、そうなってしまえば心が感情で破裂してステッドという形を失ってしまう気がしたからだ。
だというのに。
だというのにこの男は。
「なぜ戻ってきたのです?」
「単純に様子を見に来ただけだが……?」
本当に間が悪いものだから。
「ふざけないでください。勝手に来ては勝手にどこかへ行って、あなたという人は……っ!!」
……彼がドニエスクの行く末を気をかけているというのは、ステッドも理解はしていた。でなければわざわざこの街に戻って来ないだろう。だがあまりにも間が悪く現れたヨルンにステッドが放ったものは、お世辞にも真っ当とは言い難い己でさえも理不尽だと思えてしまうほどの怒りの言葉だった。
ひとしきり、本当にひとしきり。友人たちを殺したこと、タトゥロックを殺さなかったこと。ありったけの感情をステッドはヨルンにぶつけてしまう形になってしまった。彼だけの責任ではないということも分かっていたはずだというのに、ステッドの内に溜め込まれていた澱みは制御の効かない濁流となって喉を裂いていく。
濁流が収まり感情を吐ききる頃には、ステッドは肩で息をするほどに消耗していた。そして己がどれほど理不尽なことをしてしまったかに気がつき震え上がった。
彼らが多くを救うべく命懸けで西方の軍勢に立ち向かい、抗い抜いたということも知っていたというのに。
はっと顔を上げれば、そこにはただ彼がいた。ステッドが吐いた理不尽な言葉の数々に怒りを示すこともなく、ただ受け止めている。むしろ打ちひしがれて言葉も出ないような、そんな痛みさえ飲み干してしまったかのような、そんな表情だった。
「……、」
ただそれでもステッドの予想を全て裏切っていく男なことには代わりなく、一つ息を吐くと彼は意を決した表情を見せてはまたとんでもないことを言い出した。
「自分の目で見極めてみたらどうだ」
「……どういう意味です?」
「旅団を利用する気はないかと聞いている。これからまたエドラスに戻る予定だ、旅団の一員なら城への出入りもできる。お前が望むものも、見つけられるかもしれない」
“運が良ければ顔を合わせることが出来るかもしれない。アラウネとも、タトゥロックとも”
そう言われてステッドは一瞬頭の中が真っ白になった。自分が? 直接? 彼女らに会えるかもしれない?
確かにステッドにとっては想像もし得ない好機だ。ことの中心に立っている人間からの言葉ならば、もしかしたらこの怒りを終わらせる納得を得ることが出来るのかもしれない。
少なくとも祈り続けるだけの日々は終わることになる。良い意味でも、悪い意味でも。
ただ妙だったのが、ある意味で危険なステッドをわざわざ招き入れるメリットのことだった。一体何を企んでいるのですか? 訝しげに問い掛ければ彼はあっさり手の内を晒す。“個人的にはさっきのは建前に近い”と。
「正直手が足りていなくてな、お前の力を借りたい」
「具体的には」
「近いうち遠征に出る。その間エドラスを見ていられる人間が欲しい」
出来るだけ信用のおける人間を複数、本当に出来るだけ。と“朱の黎明団”のヨルンは続ける。
「あれ以降エドラスは荒れている。アラウネに怒りを向けるものも賛同するものも入り乱れている状態だ、もしもがあった時それらを調停できる人間が一人でも多く欲しい」
「今の私はとても公平とは言い難いですよ?」
「だからだ。お前なら彼女の判断を恨むものの気持ちがわかるだろう、お前の言葉ならば彼らにも届く。彼らの言葉も、お前ならば理解できる」
お前にならば出来る。そう言いきるヨルンの目にステッドは心臓を射抜かれる気分だった。
ステッドは震える声をなんとか抑えながらさらに問いかける。「私が彼女らに手を下さないとでも?」と。だが彼は間髪いれず、さも答えを知っているかのように「するのか?」と首を傾げた。
「貴様は確かにクズだが、バカではない」
何よりも人の命を重く受け止められる。貴様が手を下すとなればそれは相当の害悪か化け物だろうと。
「貴様の目は正しく、また濁りもない。ここで燻らせておくには惜しい」
言葉を失うとはまさしくこのことだった。つまり彼は、ステッドの今の心情も能力も理解した上で誘いをかけているのだ。
動ける力があるならいやでも動いてもらったほうが結果的にいいと、普段からステッドが友人たちを働かせるかのように。
「言って、くれますね……! はあ、まったくとんでもない人に目をつけられましたね私も」
「これでも目利きには自信があるんだ。外したことはない」
「だからと言って実際にやるのは中々ですよ。あなた、見た目によらずクズですね……私にも競り勝てるのでは?」
「どうかな……お前ほど舌は回らないと思うが」
「ご謙遜を。私に引けを取らない“悪魔”ですよ、あなたは」
人を振り回す傍迷惑な悪魔だとステッドが皮肉をおっつければ、ヨルンは「そうか」と笑ってそれを受け入れてしまった。
「確かにそうなのかもしれないな」
翳りをみせたままの自嘲するかのような微笑みに、ステッドは首をかしげることになった。──それが実のところ彼がかなり危険な状態にあったというささやかな兆候であったということは、当時のステッドにはまだ知り得ないことだった。
どこまでもどこまでも読めない旅の剣士。硬貨の表と裏、それ以上の側面をステッドはこれからも見ることになるのだろう。
そしてエドラスに赴けば、この胸に巣食う憎しみも終わらせることになる。ようやっと見えた道の先、その先の想像もできない景色にステッドは目が眩むように引き寄せられた。
まるで運命のように。
「いいでしょう、あなたがそこまで仰るのであれば手を貸して差し上げます」
「あぁ、期待しているぞ。ステッド」
握手を交わしたことでステッドは決意を固める。きっと長い旅になる。それは苦しく、苦難に満ちたものだろう。それでも進まねばならない時が来た。
「ではそうそうで悪いですがお仲間たちのところへ案内してください。こうなったらとことん利用させてもらいますよ!」
「露骨に元気になったなこいつ……」
「何かおっしゃいました?」
「何も。まずは副団長と……金回りの連中か? とりあえず近場にいるやつを紹介するよ」
巡礼は、始まったばかりだ。