たったそれだけ。「フィナ、これ。酒場のマスターから」
「あら、手間をかけさせたわね。ありがとうリンユウ助かるわ」
リンユウから手紙を受け取ったフィナは、その手紙の質感ですぐに送り主を察し無意識にほっとたため息をついた。
ふと視線を感じ顔を上げると、どこかワクワクするような目でフィナを見つめているリンユウと目が合う。素直で可愛いと思いながらも、フィナは手紙を口元に当ててちょっぴりいじわるをすることにした。
「中は見てないのね」
「まさか、大切な人からのお手紙でしょう? 覗き見なんてしませんっ! ……中身は気になるけれど」
「ふふ、可愛い。でも残念、見せてあげなーい」
「あぁもうフィナったら、また揶揄って……!」
普通の女の子のように振る舞うのは、結構大変だ。
手紙を懐にしまいながら、フィナは手紙の送り主のことを考える。きっと今回も大した事のない内容なのだろうけれど、それを煩わしいと思う気持ちと同じぐらい期待をしている自分がいた。
「……困った子」
だから尚更、悩ましいのだ。
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フィナがヨルンと文通するようになったのは、彼が盗餓人狩りを正式に継いでからのことだ。もう十年か、それ以上になる。
最初は事故のようなものだった。彼らは仕事の経過報告を手紙で送ってくるのだが、その報告書が偶然紛れて黒緋側に届いてしまったのだ。目を引いたのは、彼が見た戦地の状況や各地の情勢といった部分だ。普段あまり外に出られないフィナにとってそれらの情報は有益なものだったのだ。
使える。そうセラフィナは思った。
それからフィナは少しばかり手を回し、ヨルンと個人的に手紙を送り合うようにしたのだ。彼もフィナの思惑に気がついていたのだろう、個人的な手紙のうちにこっそりと報告書の写しを紛れ込ませてきた。フィナもそれに応えるように、こっそりと彼に向けて情報を流したり薬を送ったりしたものだ。
そして思わぬことに、ヨルンが聖火神の指輪を手にしたという。
そのことを手紙で報告された時、フィナはもう彼と文を交わすことはないのだろうと落胆した。ヨルンはフィナが何者であるかを既に知っている、敵対することが定められているのだ。
情報を手に入れることができなくなることよりも、ただただ次の手紙がないであろうことが哀しかった。
彼の手紙には報告書だけではなく、旅先の情景や景色を描いたものも含まれていたからだ。あまり認めたくはないけれど、フィナにとってそれはささやかな楽しみだったのだ。
生まれながらあまり体が強い方ではないフィナは、黒呪炎を得て長い時を生きたとしても旅らしい旅はできなかった。
手紙を眺めることで、フィナもまた彼と旅をしていたように思う。けれどももうだめだ、彼もバカではないはずだ。いずれ敵対しうる存在に情報をよこす気にはならないだろう……。
その日はひどいものだった。何年も生きたはずなのに、寂しくて子どものように泣いてしまった。こんなことをしている場合ではないのに、長い間泣かなかった分まで溢れ出て止まらなかった。
丸一日無駄にして、それから何日も心に棘が引っかかったような状態でフィナは日常を過ごした。こんなことを今まで無かったはずなのに。
『私に手紙……?』
『あぁ、“いつもの人”からだよ。連絡が来て良かったね、フィナさん』
酒場のマスターから渡されたその手紙は、フィナにとっては本当に思わぬことだった。
感情が表に出ないよう気を張りながら、足早に私室に戻ったのを思い出す。なんて事のないはずなのに、ペーパーナイフを持つ手が震えて止まらなかった。
以前よりも少しばかり良質な紙を使ったそれは、手紙の送り主が……ヨルンが少しばかり余裕のある状態なのだということを暗示するようだった。
『バカな子……、どうして普段通りのまま送ってくるのよ……』
内容は、至って普段と変わらなかった。
フィナを案ずるような言葉も、仕事の経過報告も、旅先で見たものや綺麗だった景色のことも。手紙の隙間からシロブドウの花弁が顔を出し、ほんの少しだけ紙から白ワインの香りがした。
その紙の匂いに絆されてしまいそうになって、フィナは思わずその手紙を暖炉に入れてしまった。今までの手紙もそうしていたが、その時ばかりは衝動的なもので……燃やしてしまったことを後悔してしまっている。
どうしてそんなことをしてしまったのか、フィナには分からなかった。彼の言葉に絆されることを恐れたのか、それとももっと別の何かがフィナを突き動かしたのか。
それからフィナは返事を書いていない。
書こうとはしたが、書けなかった。ヨルンからの手紙はそれからも時折フィナの元に届けられては、また暖炉の灰になっていった。
まるで言葉が降り積もるように。
「もう、これしか残っていないのね……」
計画は徐々に最終段階に近づきつつある。運命の日は、もう間近だ。時間が徐々に削られてあとがなくなっていく。
やり残しはあったろうかと問いかける時間が増えていき、フィナは観念するように机に向かう。
人としての未練が残れば神になど慣れたしない。だから、これはやるべきことなのだ。自分が自分にケリをつけるために必要なことなのだと、フィナは己の感情を無理矢理押さえながらペンを手にする。
うまい言葉が見つからない。今更彼に何を伝える? 今まで利用されてくれてありがとうとでも書けばいいのだろうか。突き放してしまいたいのに、手酷い言葉をペンが拒んだ。
「だって、こんなこと大人気ないもの……」
言い訳をするようにフィナは呻く。フィナにとって、ヨルンはそこらにいる子どもと同じだった。百年生きたフィナと、まだ青年の彼。先があるはずなのに自ら地獄に歩みを進める罪人の子ども。
優しさが故に苦しむような不器用な子どもに、酷いことなど言えない。大人失格だ。
かと言って何を。
私は何を、彼に望むのだろう。
必死に考えた末に、フィナはある一説だけを書き留め封筒に手紙を納めた。そして使いガラスを使って彼の元へ手紙を送り出す。
雪空の向こうへ飛んでいくその翼を見つめながら、フィナは手を組み祈るように呟いた。
「……“会いに来て”」
何度も書き直した手紙の屑山に埋もれるように。