赤のスカーフリカに会いたくないがために遠回りして向かったコンビニの道半ば。幼い頃よく遊んでいた公園で、出会いたくない光景に出会ってしまった。
「オレの第二ボタンと、それ。交換して、くれない、かな…」
今公園の入口についたばかりの私に気づいていないのか、出口の近くにいる白い制服の彼らは、向かい合いながらいかにも、なやり取りをしていた。私に背を向けている女の子の返事なんて聞きたくないので、一つため息だけ捨てて大通りのコンビニへ向かい直す。そうか、もうそんな時期か。
あぁ、嫌なことを思い出してしまった。
「あれ、椿じゃん!やっほー、今からコンビニ?」
どうやら今日はとことんツいていないようで。
「そうだけど、やっぱりやめようと思ってるところ」
「え〜なんでなんで!?ワタシもコンビニ行くところ、一緒に行こうよ〜」
こうなるからよ、とは言えなかった。とにかく今はリカと一緒にいたくないのだ。あの日のことを思い出してしまいそうになる。
あの日の、リカを。
中学の卒業式。人気者のリカはたくさんの人に囲まれ、鼻を赤くしながら写真を撮ったり、新しい連絡先を交換し合ったりしていた。まだ15歳だった私は、少し離れたところでそんなリカを眺めながら、先生方からもらった花束の香りに浸る。そしてその香りが、委員会で育てていた裏庭の花壇の存在を思い出させた。手間暇かけた、と言えるほどではないが、一年間お世話していたのだ。最後に写真くらい撮ってもいいだろう。いつの間にか消えていたリカに気づかず、私は体育館裏の花壇へ足を進めた。
誰かの声がする。私と同じ考えの人でもいたのか、とのんきに考えていたが、何となく気まずくて、顔を出さずに人が去るのを待った。誰かの声が、足を止めたことでより鮮明に聞こえてくる。
「いいよ、気にしないで!それで、話ってなに?」
リカの声だった。さっきまで聞こえていたのは、声変わりを迎えたばかりのハスキーボイス。間違いなく、男子の声だったはずだ。心臓がドキリとする。
「んー、いや、ほら…今日、卒業式じゃん?オレたち高校違うし、もうこれを逃したら会うことなんて滅多にないしさ」
「えー、そんなことないって!誘ってくれたら全然遊びに行くから!〇〇と一緒の高校でしょ?文化祭とか───」
「違う。そういうのじゃなくて」
ここにいてはいけない。分かっていたけれど、あの日の私の体は動いてくれなかった。聞きたくない。この先の言葉を、聞きたくない。
「オレ、瀬戸のことが好き。付き合って、くれませんか」
時間が止まったのかと、思った。違う、止まったのは私の体だけだ。金縛りにあったようだった。ただ、頭の中だけがグルグルと動いていて、それなのに、何かすることもできないで。
「…ありがとう、でも、ごめん」
その言葉を聴いた瞬間、体が自由になった。さっきとはまるで正反対に冷静で、私は静かにその場を去った。そして、もう片付けも済み静かになった体育館のトイレで、わけも分からず泣いた。有志が作った思い出の動画では一粒も流れなかった涙は、今日で最後の制服の袖を、これでもかという程に濡らしてくれた。
あぁ、私、安心してしまったんだ。人がフラれているのを聞いて。そんな最低な私に、安心してしまった事実に、涙がでてしまったんだ。
だから、バチがあたったのだ。
鏡の前で、自分の顔をチェックする。目は赤いし鼻も詰まっている。でも、もうきっと人なんて残っていないし別いいか。そう思い外へ出たのに。
「あー!!椿、いた!!」
それなりに広いこの学校で、リカはすぐに私を見つけた。どうしてまだ、とか。なんで私を、とか。聞きたいことはあったけれど、リカを見るとさっきの光景がフラッシュバックして、声が詰まる。
「もー、捜したんだよ〜!」
「…ん」
上手く声がだせず、鼻にかかった一文字が零れた。私の変化に気づいているはずのリカは、私に何も聞かずに話を進める。
「今日で、椿と一緒の学校に通えるのも最後だね」
「うん」
「九年間一緒だったんだよ!」
「えぇ」
「ワタシは、ちょっと。ううん、めっーちゃ寂しい」
「…そう」
リカらしくない、遠回しな会話の運び。あの時は、それがもどかしかった。
「…ね、椿。ワタシ、椿のスカーフがほしい」
「──私のスカーフ?」
「そ!代わりにワタシのスカーフは椿にプレゼントしちゃう!」
「何よ、交換ってことでしょ」
「そうとも言う、かも」
リカのスカーフなんて、きっとたくさんの人が欲しがっただろう。あの時リカを囲んでいた彼女たちでもなくて、あの時向こう側にいた男子でもなくて、リカは、私にこの真っ赤なスカーフを渡してくれようとしていた。
鼻の奥が熱くなる。
「っ、もう、椿!椿が泣いたらワタシまで…泣いちゃうじゃん…やっと、鼻水止まってきてたのにっ」
「うるさい!私だって…っ」
ちゃんと、リカの幼なじみの青柳椿でいられているだろうか。
この学校の、いつできたかも分からない伝説。
赤いスカーフと第二ボタンを交換した二人は、ずっと、愛し合うことができる。
そして───赤いスカーフ同士、第二ボタン同士を交換した二人は、ずっと、最高の友達でいられる。
本当にしょうもない、よくある話だ。でも、そんなのを信じて泣いている私が、一番しょうもない。花束にリカからもらったスカーフを巻いて、目を赤くして、その日はリカと思い出を語り合いながら帰った。
それから一度も。私はリカに連絡なんてしてやらなかった。
結局、リカと一緒にコンビニへ向かうことになった。あの二人組がいなければ、思い出すこともリカに会うこともなかったのに、と恨めしさが募る。隣のツインテールは、そんな私の思いも知らずに楽しそうに揺れていた。
「あ。そういえば今日、ワタシらの中学校の卒業式だったみたいだよ!さっき見かけた!」
「へぇ、そうなの」
我ながら感心するほど、無関心そうな声を出せた。リカに自分の心を悟られないように振る舞うのは得意だ。
「懐かしいね〜。ねぇ椿、覚えてる?ワタシたちで、スカーフ交換し合ったの」
「…そうだったかしら」
「そうだよ!あんなに感動的に交換したのに〜…」
「何年前だと思ってるのよ」
覚えてるわよ、忘れたいのに。そんなこと言える訳もなく、ちょうどコンビニに着き各々で買い物をした。
のど飴とお弁当の重みを左手に感じながら、リカと帰路に着く。リカはお酒を買っていたみたいだ。(本当にリカらしいお酒で少し笑いそうになったのは内緒)
もうすっかり暗くなってしまった。学生のころいつも別れていた三丁目の街灯の下で、少し先を歩いていたリカが振り返る。
「ね、さっきのスカーフの話だけどさ。椿、中学校のスカーフの伝説、知ってた?」
「えぇ、もちろん」
「そっか。じゃぁ…二個上の先輩たちの話は?」
「二個上の?そんなのいっぱいいるし…思い当たる話なんてないわよ」
街灯に照らされたリカは、少し下を向き、それからまっすぐ私の目を見てきた。
「二個上で、ワタシたちみたいにスカーフ交換した先輩がいたんだよ。でも、その先輩達は伝説通りの関係じゃいられなかったんだって」
「そう…まあ、私達だって何年も離れていたし、そんなものでしょう?」
あの日のように遠回しなリカの会話に、むずむずとしてしまう。左手の中の重みが増していくような感覚。
「ワタシは、どっちでもよかった。ウワサ通りなら一緒にいられるし。先輩達みたいなら…でも、三年間も椿に会えなくて、伝説みたいにも、先輩達みたいにもなれないんだって、ちょっと凹んだりもしてた」
先輩達みたいにも──?それは、どういうことなのだろうか。考え込む私を無視して、一歩踏み出したリカが、街灯から月明かりへと纏う光をかえる。反応が遅れたせいで、リカの顔が目の前に突然現れたような感覚に陥った。
「でもさ、こうやってまた、椿に会えた!伝説通りにはいかなかったけど…それなら、もう一つの方を期待してもいいよね?」
一から十まで理解出来ていない私をよそに、リカは満足したのか、それじゃあ!と右へ進んで行った。
袋を右手に持ち替え、真っ直ぐ進む。少しだけ冷静になった今、私に都合のいい考えばかりが頭に浮かぶ。頭が熱い。あぁ、これだからリカには会いたくないんだ。
でも、まあ。あの公園の二人の行く末を、少しだけ応援してやるくらいなら。それくらいなら、いいのかもしれない。