藤の屋敷に迷い込みて戻りたる女の童の話 今は昔、なにがしてふ家の女の童の、年のころ七つなりけるが、門さしたる家の内より煙のやうに消え失すことあり。家のもの皆ののしりさわぎ探しありきけるが、在処つゆ知れず。七日経ぬれども見出されず。父母大いに嘆き、童の日頃なれつる庭に御堂を築き地蔵菩薩の小さなるを据えて朝夕誦経し、子を連れ帰してたびたまへとて額づきて祈りしが、一年のちに下男の御堂開きたるが「あなや」といふを聞きつけ見れば、菩薩の足下に寝てゐたるを見出したりける。
童語りていはく、「雀の子を追うて庭の藤の花の下を行き過ぎし後、見知らぬ家のうちに居たり。泣き騒ぎつつありくほどに、二十ばかりなるらむ女の、白き衣着て淡紫の目したるが、つと走り寄りて『いずこよりか来る』と問ふ。家の名を答ふれば、『この家の主の仕えたりける家なり。宿世の縁深かりし故に道の通じたるらむ。此処は常世にて人の世にあらねば、ただとくとく帰り給へ』とて、吾の手を引きて庭へ出る。あやしき庭にて、椿、梅、菖蒲、萩など、四季折々の花のひとときに咲く。庭に男あり。吾を見て『主』と呼びかけしが、その顔を見ならふことなし。名を問へば、『(収拾者注:判読不能)』と答ふ。吾、知らず。女、背を押して庭の藤の木の下を歩かす。知らぬうちに御堂の内にあり」と。
童の語りたる男の名、上より賜りたりし刀の名なりけるとぞ。いとあやしきことなり。
(現代語訳)
昔、何とかいう家の女の子で、年は七つであったのが、門を閉ざした家の中から煙のように消えたことがあった。家の者は皆大騒ぎで捜し歩いたが、どこにいるのか全く分からなかった。七日経っても見つからなかった。両親は大層悲しんで、その子がいつも遊んでいた庭にお堂を立て、地蔵菩薩の小さな像を建立して朝晩経を読み、どうか子供を連れ帰ってくださいと額をついて祈ったが、一年後にその家の下男がお堂の扉を開いて「おや」と言うのを両親が聞きつけて中を見ると、子供が菩薩の像の足下で寝ているのを見つけ出した。
子どもが言うことには、「雀の子を追いかけて庭の藤の花の下を通り過ぎたら、知らない家の中にいた。泣きながら歩いていると、二十歳くらいの女性で、白い着物を着て淡い紫色の瞳をしている人が、駆け寄ってきて「どこから来たのか」と尋ねる。家の名前を応えると、『この家の主が仕えていたという家だ。前世からの縁が深かったので道が通じたようだ。ここは常世であって人の世ではないので、早くお帰りなさい』と私の手を引いて庭へ出た。不思議なことに、庭には全ての季節の花が一度に咲いていた。庭には男がいた。私を見て「主」と呼びかけたが、その顔は見慣れないものだった。名前を尋ねると『 』と答える。知らない人だった。女性が私の背中を押して、庭の藤の木の下を歩かせた。知らない間にこのお堂の中にいた」と。
童の語った男の名は、父が帝より賜った刀の名前であったという。たいそう不思議なことである。