迷えるバニーに愛の手を ちょっとした後始末をしてから帰るというディーラーと警備員とドリンクサーバースタッフを残して、美少女とバニーガールはひと足先にカジノホールを後にした。
美術室の一角に設けられた簡易フィッティングルーム内でバニーガールから美少年へ戻ろうとして(この表現も大概エキセントリックよね)、
「――あれ?」
わたしは自分のパンツが所在不明になっていることに気がついた。
ご承知の通り、大抵のバニースーツは脚刳りのラインがかなり際どい角度で入っている。わたしに用意されたバニースーツもまたしかり。なので、バニーちゃんでいる間は下着のラインが出ないように、わたしは天才児くんが用意してくれたシームレスタイプのショーツ(こちらもなかなか際どいヴィジュアルだ)を着用していた。
おかしい……。ブレザーもシャツもきちんとハンガーに掛かっているし、脱いだパンツはタンクトップやブラといった他のインナー類と一緒にフィッティングルーム内に置いたはずなのに……。
「ねえ、リーダー。わたしのパンツを知らない?」
バニーちゃんの衣装を身にまとったまま、カーテンの隙間から顔だけ出して訊ねてみると、
「眉美くんのパンツ? はて、僕は知らないな」
くつろいだ様子でソファに座っていた、こちらも美少女から美少年へ戻ったリーダーが首を傾げ――ようとして動きを止めた。すっかり忘れていた何かを思い出したかのようにぽんっと手を叩いて、
「眉美くんのパンツの行方ならば、おそらくミチルが知っているはずだ!」
――は?
不良くんが?
わたしのパンツの行方を知っているですって?
「ち、ちょっとリーダー? それってどういう……」
ことなのとわたしが口にするよりも早く、リーダーは整った顔に美しい笑みを浮かべてきっぱりと言い切った。
「眉美くんのパンツはミチルの腹の中だ!」
「…………」
突拍子もない事態に直面すると、ひとはかえって冷静になれるという話を聞いたことがあるけれど、それはあながち間違いではなかったようだ。
こほんと咳払いをひとつ。
改めまして、今度こそ。
「ねえ、リーダー。それってどういうことなの?」
「ああ、言葉が足りなかったようだね。すまない。つまり、だ。僕は『眉美くんのパンツはミチルが食べてしまった』と言っているのだよ」
言葉を足されてもまったくもって意味不明なのだけど。
ぽかんとするわたしを前にして、なぜなら……と、リーダーが意気揚々と言葉を続ける。
「カジノを離れる前に、ミチルが『パンツ食ったぜ』と話しているのを、僕は確かに耳にしたのだ。ミチルが食べたという『パンツ』とは、即ち眉美くんのパンツを指していたのではないだろうか。その場にはナガヒロもヒョータもソーサクもいたから、後で確かめてみるといい」
確かめてみるといいって……、あの番長、みんなの前でそんなにも堂々と、パンツを食すという奇行を告白していたの?
(『ミチルがパンツでドーピング? そんな、どこぞのロリコンじゃあるまいし』『私はロリコンではありませんし、幼女の下着を嗜むなどという趣味を持ち合わせてもいませんよ』なんて、生足くんと咲口先輩との不毛な攻防が聞こえてきそうだわ)
それにしても……と、リーダーは、ここでようやく首を傾げた。
「布で作られたパンツを食べてしまうとは、さすがは美食のミチルだな」
いや、美食は関係なくない?
「ね、ねえ、リーダー。仮に……仮によ? 仮に袋井くんがわたしのパンツを食べちゃったとして、袋井くんがわたしのパンツを食べる理由というかメリットが全然思いつかないのだけど……」
ふむふむとリーダーが腕組みをする。
「空腹だったから……、或いは、新しいメニューを開発しようとしていたのではないだろうか?」
「わたしのパンツが腹の足しになったり新作メニューのアイデアになったりするなんて、ちっとも思えないわ……」
そこで、はっとした。
ひとは見かけによらないっていうじゃない?
もしかしてもしかすると、不良くんって不良くんって、あんなに強面であんなに硬派な見てくれなのに実は実は実は――
「パンツ好きの変態?」
「誰が『パンツ好きの変態』だ」
ぷぎゃっ!
苛立たしげな声がした方へ視線を向けると――いつの間に戻ってきたのだろう、わたしの斜向かいに、大きなバスケットを肩に担いだ不良くんが立っていた。すでにドリンクサーバースタッフの変装を解いて制服に着替えており、毎度お馴染みのエプロンをつけている。
「おまえ、いつまでバニーの格好してんだ? そんなにバニーが気に入ったのかよ」
「べ、別に、好き好んでバニーちゃんの格好をし続けているわけじゃないわ。着替えたくてもできない理由があって……」
って、わたしが着替えられない理由をいちばん知ってるくせに!
飛んで火にいる何とやら……、フィッティングルームから飛び出し、わたしは不良くんに詰め寄った。
「わたしのパンツを返してよ!」
「ああ?」不良くんが眉根を寄せる。「おまえのパンツ? 何の話だ?」
見下ろすように睨めつけられておっかないこと三割増しだけれど、バニースーツにパンツは代えられないわ。ひるむものか!
「だから、ふりょ……袋井くんがわたしのパンツを持っているんでしょ? リーダーから聞いたわよ、袋井くんがパンツを食べたって言っていたって……」
「おい、瞳島。何を誤解してんのか知らねえけどよ、おまえにこれだけは言っておく。頼まれたって金を積まれたってそれをしねえと世界が終わると告げられたっておまえのパンツなんか食わねえよ。俺は被虐嗜好者じゃねえ。自分で自分の腹を痛めつけるくらいなら世界滅亡を選ぶぜ」
わたしのパンツは毒や災厄やカタストロフか。
でも、不良くんの口ぶりにも顔つきにも、同級生のパンツを掠め取ったことを問い詰められて、戸惑ったりごまかそうとしたり……といった様子は見られない。
「じ、じゃあ、わたしのパンツ――無地で淡いラベンダー色でローライズタイプで」
「いちいち詳細を説明するな」
「コットン百パーセントのわたしのパンツは……」
どこにいっちゃったのと続けようとしたわたしの言葉を、リーダーの声が遮る。
「いい香りだな、ミチル。そのバスケットの中は何かね?」
「おいおいリーダー、忘れちまったのかよ」と、不良くんは呆れ顔で肩からバスケットをおろした。バスケットの中身は――パ……、パン?
「夜食にパンを食いたいっつってたから、カジノを出る前に『パン作ったぜ』って伝えたろ。クロワッサンとデニッシュとぶどうパンとバゲットと、ジャムもバターも各種用意してあるぜ」
ああ、そうだそうだそうだった、と、リーダーがぱんっと手を合わせる。
「なるほど、ミチルが言っていたのは『パンツ食ったぜ』ではなく『パン作ったぜ』だったのか」
――聞き間違いにもほどがあるわ!
ちなみに所在不明中のわたしのパンツは数分後、ハンカチみたいに小さく折りたたまれた状態でわたしのブレザーのポケットから発見された。入れたのは不良くんでも天才児くんでもなく、このわたし――そう瞳島眉美本人。蓋を開けてみれば単純にして明快、パンツをそのまま置くのはさすがにどうかと思い自分自身の手でブレザーのポケットへ移したことを、たたみかけるようして起こった今夜のあれやこれやに気を取られていたせいで、わたしはすっかり失念していたのだ。
「俺はとんだ濡れ衣を着せられていたってわけか」
「確かに発端はわたしだけど、油を注いで風を送ったのはリーダーよ。ニコイチよ。共犯よ。勘違いと勘違いの相乗効果よ」
「リーダーはおまえが持ちかけた謎を解こうとしただけだろ。責任転嫁しようとするな」
総じて小五郎を甘やかし過ぎじゃあないかしら。
意見具申しようとしたけれど、どんな皮肉が返ってくるか分かったものじゃないし、バニーの世迷言だって一蹴されちゃうかもしれないし、せっかくの紅茶とパンを没収されでもしたらたまったもんじゃないし、デニッシュを頬張るリーダーはすこぶる幸せそうだし。――そう、お口をもぐもぐさせるその姿は、掛け値なしにいって、こちらへ伝播するのではないかと思えるほどに幸せいっぱいなのだ。
絆されるつもりなんか全然ない。でも、朱に交われば何とやら? 自覚がないだけで、わたしも大概にして大概なのかもしれないわね。
むぐむぐむぐ。
喉もとまで出かかった新参者の言い分を、わたしはバターが香るぶどうパンの欠片と一緒に飲み込んだ。