平和・血臭・意地どこともわからない世界。異なる世では恐れられた親子がアフタヌーンティーよろしく卓を囲んでいる。
夫婦は見た目には年が離れすぎているが、それは没年を投影した姿であるため。現実では決してありえなかった光景を遠巻きに見る者も多いが、誰一人近付いてこようとはしない。「ドラキュラ」と「アルカード」、永遠の争いを宿命付けられた者たちが共にいる場所には。
「アルカード、あなたはお酒は飲まないの?」
「飲めはしますが、こだわりはありません。ビールだろうと日本酒だろうと何でも」
「あら、強いのね。あなたも、お酒はほどほどに」
「リサ…酒に悪酔いする吸血鬼などいないぞ」
立派な成年(?)を迎えた息子と離別を余儀なくされた夫との会話を楽しむ妻であり母。周囲が聞いたら驚くほど平和な会話だ。
「………」
ただ、母の会話の主導が途切れるたび、息子がもじもじと父の様子を伺う様子が見て取れる。
「アルカード、どうしたの?」
「その…父上に、聞きたいことが…」
「何だ?」
「……」
聞いておきながら押し黙る息子と怪訝な顔をする父を見て、母はふふと笑って席を立つ。
「私はサラさんとお話してくるわね」
父はその行動でようやく、息子が母には話しづらい話をしたがっているのだと気付いた。
息子と二人きり残され、魔王とまで恐れられた男には全く似つかわしくない戸惑いが胸中に過る。
城主ではなく父として息子と接した経験は、多めに見ても幼い頃の十数年程度。それもはるか数百年の昔の話。今更何を話したいというのか…。
それらは鉄面皮の魔王(休暇中)の面にはまるで現れない。
やがて同じように無表情の息子が、口の端を歪めるように言葉を発し始める。
「その…吸血衝動について、父上はどのように…対処しているのですか?」
「──ふむ?」
息子はダンピール、生まれながらに吸血鬼であり人間でもある。日光も嫌わず魔力をもち変身もでき、身体能力も人を超え、しかし流水には痛みを感じる。寿命がないことなども含め、ダンピールの特性は多様なものだ。赤子の頃は食べられるものや体の耐性を調べるのに妻と細心の注意を払ったものだ…。
(いやそうではなく)
いまアルカードから、自身の吸血衝動について尋ねられている。幼少時より、息子が生命維持に人の血を必要としないことは知っている。食事のためでないそれはおそらくは…
「………」
父は押し黙り、それは息子の続く口をも閉ざす。沈黙の間、それぞれが思考を巡らせている。
「アルカードよ…私は、妻を吸血したことはない。そもそも私は元人間だ。真祖となった後も、特段の吸血衝動はないのだ」
上流階級の装いや威圧的な外見と同様、吸血鬼たるパフォーマンスとして飲めなくもないが、普通にワインを嗜む方を好んでいる。いるかもわからない「ヴァンパイア」を探す者が集うこの世界では、パフォーマンスの必要がないのだ。
「?!」
父の言葉に息子が驚きで目を見開く。
(私の過去は特に教えていなかったからな。今度、レオンと引き合わせてやるか。奴に任せれば勝手に話をしてくれよう)
そんなことを考えるうちに、息子の顔が白からみるみる赤に歪んでいく。
「そ…、その、すみません、何も知らず……」
別に詫びを入れることではないのだが、と思いつつ、言ってしまったこと自体を恥じる胸中は察せられる。吸血そのものを恥と思っているのかもしれない。
人と吸血鬼の違いはよく理解しているのだ。
思春期(?)の息子に訪れたらしい人への吸血衝動。すなわち。
「魔物の血では満足できなくなったか?あるいは…好いた相手ができたか」
金色の瞳は揺らぎ、見苦しいほど頬が紅潮した。
人間を愛おしむことは己の実例を考えれば何とも思わない。推奨もしないが。息子がずっと人と親しくしていることを考えると当然の流れでもあろう。
そこに芽生えた吸血鬼の本能。
半分とはいえ人である息子には抵抗があるゆえに戸惑っているのだろう。
あるいは、純吸血鬼の親子というものがいればどう導いてやるものなのか。数多の魔物を統べる魔王であってもその伝手は残念ながらない。
「では、私から尋ねる」
父がさらに口を開くと、動揺の治まらない息子がびくりと肩を揺らす。
相手がヴァンパイアハンターかそうでないかだけは確かめておく必要があるのだ。
「う…」
それを尋ねると息子は完全に答えに詰まる。息子の交友関係を詳しく知るわけではないが、嫌な予感がする。
「…今は咎めぬゆえ、正直に答えよ」
「……そうです」
「そうか…」
少し頭痛がする。討伐された身として、女の狩人など昔から珍しくもない。いざ戦いを再開したとき手心を加える気もないが、今後の付き合いを考える上で誰であるかは大いに気になるところだ。
(後で妻にも話さねばなるまいし)
そう考えるのは、魔王としてではなく、完全にひとりの親としてだ。
「誰だ」
「っ、その」
「私には言えぬ者か。誰であろうと、今は咎めぬと言った誓いを破るとでも?」
「そうは思いません…父上が約束を違えるとは」
「では母になら言えるか」
「いえ、母上は知らぬ者ですから…」
「なに?」
(私は知っている相手ということか)
ならばなおさら名を知っておきたい。
「アルカード。お前がその者の血を吸うことを厭うなら、我が庇護を与えてやってもよい。名を言ってみろ」
狩人をダンピールが襲わないようにドラキュラが守る。すごく…ものすごく本末転倒な気がするが指摘する者はここにいない。
「……確かに、それは俺にとっても守りたい者です。だからこそ吸血衝動を自分で何とかしようと…父上にはお許しいただけぬものと思っていたので…」
「人間であれば誰でも害するわけではない。悪魔精錬士を初め、お前が城にいた頃に多くの人間がいた事を知らぬわけではなかろう」
渋りに渋る息子と更に長い問答が繰り広げられ、ついに観念して息子は相手の名を口にした。
「ベルモンド………ラルフ・ベルモンドです……」
ドラキュラの手の中でワイングラスが音を立てて弾け飛んだ。
ああ、それは私には到底言えぬな。
共に我が命を奪った者。いつの間に、戦い以外の意味で我が息子を誑かしたのか。
(許せぬが今は殺せぬ。息子との誓いにかけて)
誓いが明けたら、必ず、かの憎き宿敵を除かねばならぬと思った。あとレオンに文句を言わねばならぬと思った。子孫のことは預かり知らぬと言われてもだ。
(リサにはどこからどのように話をすべきか。反対しないだろうが何としても認めたくない…)
ドラキュラは真祖となって以来おそらく初めて頭を抱え、臍を噛んだ。