「作戦概要は以上です。何か質問は?」
「…スネイル、レイヴン一人にこの配置は…少々危険ではないか?」
「貴方には聞いていませんよ第4隊長」
ここはアーキバスの作戦室。卓上に表示されているモニターの明かりが薄っすらとこの場にいる3人を照らしている。
621は先の任務で確保した物資の輸送をし終えた直後に新たな依頼を申し込まれた。
それは惑星封鎖機構の特別拠点の強襲作戦で、急遽決まったものだった。独立傭兵を囮として主力部隊を釣り出し、別方面からアーキバスの部隊(今回はラスティがメインで抜擢された)が拠点を叩く。主要拠点ではないことから配置されている敵の数はそこまで多くない。とは言え、一人で捌くには並大抵のAC乗りでは死にに行くのと同義である。
「どうです?独立傭兵レイヴン」
「わたしは問題ない。ウォルターは?」
『…V.Ⅳの言う通り些か危険ではある』
ブリーフィングを通信越しに聞いていたウォルターが答える。ウォルターは悩んでいた。彼は621の実力を軽視している訳ではないが、(むしろこういった仕事のほうが621に向いている気はしている)作戦が作戦なだけに621への危険度はやはり高い。事前に申請があればこちらで十分調べも付けられたが、突発的な依頼故にそうもいかない。なので了承の返事をすぐにしなかった。
「気に食わないのであれば、別の仕事を回しましょう。地べたを這いずり回る簡単な仕事も無くはない。過保護な貴方でも安心ですよ?最も、この犬には到底満足できない仕事でしょうがね。全く、猟犬として使っていながら、飼い主は駄犬を随分と甘やかしている様だ」
この危険な猟犬の何を心配する必要があるのかと辟易したスネイルはウォルターを煽る。
流石にそれは言いすぎだと言わんとしたラスティや、621の尊厳を何処まで侮辱する気だと言わんとしたウォルター達よりも先に、口を開いたのは、意外にも621だった。
「わたしがやる」
「ほう、よほど自信があるようですね」
「数は多いけど、その分報酬を追加してくれる。仕事に釣り合わない報酬を提示されているわけじゃない。それに、あなたはわたしに出来ないことは依頼しない。わたしはそれに答えるだけ。だから、最初の作戦をやらせて」
スネイルの切れ長の目が更に細くなる。
「よろしい、いい返事です。ハンドラーもそれでよろしいですね?」
『…了解した』
ラスティはスネイルの組んだ手の間から彼がほくそ笑むのを見逃さなかった。
(スネイルの奴、ハンドラーを煽る事で戦友が動くように仕向けたな?確かにここは放置すべき拠点ではないが…)
この嫌味ったらしい上官は、最近やたらとレイヴンに対して難易度の高い依頼を提示するのである。それこそ先の任務も自分のようなヴェスパーの番号付きが出るべき内容だった。しかし、一歩間違えればパワハラにもなりかねない無茶振りを、依頼を受けている当の本人はけろりとやってのけるのだ。それがあの独立傭兵レイヴンの凄さではあるのだが。
「では、ブリーフィングは以上です。各自、時間になったら配置に着くように」
立ち上がろうとしたスネイルの目の前に621が立ちはだかった。
「スネイル」
立ち上がったままの状態のスネイルを621はじっと見上げていた。彼の眼鏡型デバイスの先にある薄紫色の瞳を、彼女の血とコーラルで構成された紅い瞳が真っ直ぐに捉えている。
「ウォルターの悪口を言うのはやめて」
621は声色はいつもと変わらず淡々としているものの、いつも以上にはっきりとスネイルにそう告げていた。スネイルはかつてこの女の飼い主もその様に宣ったのを思い出した。軽蔑を隠さず、鼻で笑う。
「…どこまで犬は飼い主に似るんだか」
相変わらず飼い主に向かって尻尾を振ることしか考えていない駄犬だ。あのハンドラーは一体どんな条件付けでこの様に仕立て上げたのか、下世話な手口でやり込めたに違いない、などとスネイルは思考した。が、次の瞬間、その頭から何もかもが吹き飛んだ。
「スネイルは、優秀な人だから…」
「…は?」
「もったいないと思う。人に自分から嫌われに行くのはよくない」
『………』
621の発言に誰もが言葉を発せないでいる。
言われた本人のスネイルも混乱しているし、その状況を見ていたラスティだって混乱している。
その場にいないウォルターなんて、自分を貶すなと言った621に感慨に浸りそうになったところにこれである。危うくデスクのフィーカを倒しそうになっていた。
「戦友…もったいないとは…??」
しかし、その静寂を断ち切ったのはラスティであった。そのラスティも、待ってくれ戦友、この男の悪いところなんかいくらでも叩けば出てくるぞ?と脊髄反射で言いそうになったが、そこは耐えた。この男、伊達にヴェスパーに潜伏していないのである。
「だから、スネイルはもったいない人だと…」
「何を言い出すかと思えば、駄犬の分際で…!」
スネイルの怒り声をウォルターが遮った。
『…621、一度ガレージに戻れ。作戦までの時間が惜しい。アセンブルの最適化を行う』
先程のスタッガー状態から体勢を立て直したウォルターは621へここから退出するように促す。これ以上そこの不遜な男に自身の飼い犬への侮辱をさせたくなかったし、それ以上に621が何を言出だすかが判らなかった。621にはあとで問いたださねばならない。
「わかった」
飼い主の命令を聞き、621は即座に作戦室の出口に向かう。退出する621に向かって、スネイルが言った。
「…期待はしていませんよ。やって当然のことをやってもらうまでです」
「わかってる」
621はスネイルに一瞥もくれず、部屋を出た。
―――――――
「スネイルの言うことは気にするな」
「何故?」
背の低い彼女の歩幅に簡単に追いつくことの出来たラスティは、今度はその歩幅に合わせるように歩く。
「何故って…彼は常に人当たりが悪いが、最近は君に対してよりキツく当たっているように見える」
「わたしはいいの。でも、ウォルターが悪く言われるのは嫌」
「上司想いのいい部下だ。ハンドラーの爪の垢をスネイルに煎じて飲ませたいぐらいだ」
「…それは衛生的に良くないと思う」
「ははは、そう言った例え話さ」
実直で裏表のない彼女の言葉にラスティは顔がほころぶ。戦友と共に居る時間は、ACに乗ってなくとも自分も自由に飛んでいるような気持ちになれた。戦友はレイヴンと言う名に相応しい人物だ。
「それにしても、君はスネイルからの仕事をほぼ断らないな、何故だい?」
621はそう言われ、ふと立ち止まる。
ウォルターが持ってくるから。と言ってしまえばそれまでだが、別にウォルターに言われたすべての仕事をこなしているわけではない。今日のような例外もある。最初こそ言われた仕事をこなしていたが、今ではウォルターは自分にやりたい仕事を選ばせてくれる。
そういえば、確かに最近はアーキバスの仕事をよく選んでいたように思う。何故だろう。考えて、ふとあの眉間に皺の深く入った彼の顔が思い浮かんだ。
人には人それぞれに役割がある。お前はACに乗ることがそうだ、それ以外の仕事のことは今は気にしなくていい。とウォルターに教わっていた621は、スネイルが何処でも仕事していることを不思議に思っていた。司令室で指揮を取ることもあれば、前線で戦闘も行うし、ガレージで自らACの整備を整備士たちと行っているところも何度か見かけた。そしてこうして作戦を立て、直接自分に依頼をしてくることもある。つまり、あのスネイルと言う男は何でもできるのだ。こんなに大きい会社の中で、621の仕事とウォルターの仕事、両方を一人でやってのけている。もしかしたら、エアやカーラのような仕事も出来るのかもしれない。だから優秀な人なのだなと、そう思ったからああ言ったのだ。(当のスネイルは気に障ったようだったが、621は何故彼が怒っていたのがわからなかった)
「……、スネイルは、わたしの仕事を評価してくれている。ACに乗ることしか出来ないわたしにとっては、それは良いことだから」
そしてそんな男が何度も依頼してくると言うことは、きっとそうなのだろうと考えた。自分は有用であるのだと。それは自分にとって願ってもないことだった。仕事をこなせば、金が稼げる。金を稼げば、ACの調整が出来て、残りはウォルターの言った人生を買い戻すための貯金が出来て、それから仕事がまたできる。621は正直なところ、人生を買い戻す、というのにまだピンときていないのもあってか、今の生活を気に入っていた。
「それにスネイルはあまり褒めないから、たまに褒められるとうれしい。そういった仕事をこなした時はウォルターに、よくやったと言ってもらえる」
ラスティには淡々とした621の声が、そのときだけ少しばかり嬉しそうに聞こえた。
ああ、やはり彼女の一番はあのハンドラー・ウォルターなのだなと少し安心してしまう。…いや、安心してどうする。ラスティは621のことになるとときおり我を忘れる。ラスティは咳払いをしてから621に向き直った。
「戦友、私は拠点強襲の方に配備されている。あらかた片付いたら必ず助けに行く」
「…ありがとう、ラスティ」
621の表情は相変わらず無に近いが、それでも目の前の彼女は、少し前に比べて随分感情豊かになったなとラスティは思った。(初めて顔を合わせた時はさ顔も向けてもらえなかったからだ)尚更、彼女があのスネイルを気にしているのが気がかりになった。
―――――――
621とラスティが部屋を出た後、一人残されたスネイルは頭を抱えていた。621の言葉の意味が理解できなかった。言葉の意味自体は理解しているのだが、何故それをこの企業たる私に向かって?いや、駄犬の言葉などただの無駄吠えに過ぎないのだから、気にする必要はない。だが、よりにもよって優秀だの勿体ないだの所謂褒めの部類に入る言葉をあの犬に言われたのだ。人に嫌われる才能のほうが高いこの男が素直に受け取れるはずもない。621の発した言葉はいつまでも居心地の悪くスネイルの中に居座っている。
「あれ、もう行ったのか。お前のお気に入りの傭兵」
「…フロイト」
番号付きでしか入出できないセキュリティを難なく突破してきたのはV.Ⅰのフロイトだった。
「俺の代わりになるぐらいだ。相当腕が立つんだろう?どんな機体構成だ?戦闘スタイルは?どんな奴なんだ?」
疲れ顔のスネイルにお構いナシにグイグイと訪ねてくる。彼の悩みのタネがまた増えた。まず人のことを聞く時にはAC乗りであるかがスタートのこの男が最近ヴェスパーの作戦で起用されている621に興味を示さない訳がなかった。
「貴方より腕が立つ訳ないでしょう」
「お前の無茶苦茶な作戦をやれるのはアーキバスじゃ俺か4番ぐらいだ」
「そういう作戦しか貴方が首を縦に振らないから回しているだけです」
「なあ、今度俺に貸してくれ。それかアイツが出るだろうミッションにぶつけてくれても構わない。ウォルターの猟犬、どんな動きをするのかこの目で見てみたい」
「フロイト」
スネイルの今までの会話の中で一段と低い声が首席隊長の名前を呼んだ。余程のことをやらかした時でないと聞けない声だった。
「…お前、そんな目するんだな」
「これ以上口を開くな」
スネイルの薄紫色の瞳が鋭く、フロイトの顔を捉えている。それは明らかにお前は手を出すなと言う目だった。アーキバスの利益しか興味のない男が、一人の独立傭兵に執心している。フロイトはより一層その傭兵に会いたくなった。
「…悪かった。怒るなよ」
「であればさっさと部屋に戻りなさい」
「でももしあの傭兵のデータを録る時の相手は4番じゃなく俺にしてくれ」
「貴方の残った仕事をさっさと片付けてくれるのなら、考えましょう」
「言ったな?よし、7番を呼び出して手伝わせよう」
そう言ってフロイトは作戦室から飛び出した。忙しない男である。
再び作戦室に静寂が訪れる。スネイルはデバイスから情報を呼び出し、空間モニターに表示する。それはアーキバスで管理している独立傭兵の雇用リスト。その中に独立傭兵レイヴンの名前があり、それを開く。レイヴンのデータが並べられ、証明写真や所属、過去こちらで発行した依頼の実績リストも表示された。実績はどれも良い成績だった。備考欄にあるトラブルにも臨機応変に対処できていた。他の独立傭兵とは一線を画している。
スネイルは証明写真のレイヴンを見つめる。彩度の高い赤色をした癖毛と赤い瞳は、アーキバスが求めるコーラルを体現したかのような姿だった。
あの瞳に見つめられ、間抜けな発言を耳にしたことがまだ頭から離れていない。
「不快極まりない」
そうぼやきつつも、モニターの明かりに照らされたスネイルの表情は普段よりほんのすこしだけ柔らかくなっていた。