白鴉の猟犬について「…食事」
「この後の予定がなければ、如何ですか?」
何故この企業たる私が駄犬相手にこんな事をしているかといえば、無論この駄犬こと独立傭兵レイヴンとその飼い主であるハンドラー・ウォルターの調査のためである。(気に食わない相手との食事など幾度も経験している。この程度のこと造作でもない)
この2人組の独立傭兵はいくら漁っても明確な情報は出てこない。それこそハンドラー・ウォルターは悪名高い傭兵使いの異名が存在するものの、この独立傭兵・レイヴンは我が社の依頼を受け始めてからの戦績しか存在していないのだ。それにも関わらず、異様なまでに突出した戦果を見せている。もはや直接聞き及んだ方が早い。今後の独立傭兵の運用を判断すべく、私はこの様な行動を取った。
アーキバスからの依頼を終え、帰投しようとしていたレイヴンは「ウォルターに確認してもいい?」と告げてきた。こちらも構わない旨を告げると飼い犬は飼い主にコールをかける。
駄犬といえど、その振る舞いはさながら忠犬だ。
戦場ではミッションを確実に(追加報酬目当てか賤しくもそれ以上に)こなすものの、その戦いぶりはお手本とは言えない(野良の独立傭兵故か)イレギュラーな動きをしている。犬はリードをつけているにも関わらず、飼い主はそのリードを全く手にしていないかのような振る舞いを見せる。駄犬と侮りはしているが、一歩間違えれば危険な害獣と化す可能性もある。こうして本人を目の前にするとがらんどうの人形を彷彿とさせる希薄な存在だというのに、ACでの戦いぶりと比較すると矛盾した気味の悪さを覚えた。飼い主同様に腹に何か抱えているのではないか。そう思わざるを得ない。
コールは即座に繋がり、レイヴンは事のあらましを簡潔に伝えた。飼い主は駄犬が余計な事を喋るのを忌避してか無言の思案を数秒続けた。
『621、お前はどうしたい』
不承の一言が返ってくるかと思ったが、飼い主は飼い犬に選択を迫っていた。
「……経験したことがない。ウォルターが構わないなら、行ってみたい」
『なら許可する。ただし、あまり遅くはなるな』
「はい」
レイヴンは短く返事をし、通信を終える。
「許可を得た。同行できる」
彼女はまっすぐ私を見据えた。コーラル技術を用いた旧世代型、その特徴として現れる虹彩の赤化。その鮮やかな赤は、火を、血を、恒星を思い起こさせる。どうも私は、この瞳が気に入らない。まあいい、これは仕事だ。ミッションの第一段階を突破し、第二段階に移行する。
「では此方に。拠点内のカフェテリアを案内します」
食事どきの時間からズレているためか、カフェテリアは閑散としている。
社員のリラクゼーションの場も兼ねているため、室内は開放感があり、中央には大型の水槽もどきが設置されている。と言っても中に入っているのはサンゴ礁を模したまがい物で、そこを泳ぐ生き物ももちろんただの映像だ。映像を物珍しそうに見る駄犬を注意し、注文カウンターへと向かった。
レイヴンに注文の仕方を説明し、先に自分がメニューから何品かを選んで受け取る。食事といえど本来の目的はレイヴンの聞き取り調査だ。量は6分目の2人前ほどに抑えた。
しかし、隣の駄犬はメニュー表をみたまま動いていない。漫然と瞬きを繰り返している。
「何をボーっとしているのです。注文の方法は先ほど説明したでしょう。好きなものを選びなさい」
「ごめんなさい、…わからなくて」
「何?」
「こういう場所で食事をしたことがないの」
どうやらメニューの内容も、どんな食事が出るかわからず(たとえメニューを把握したとてあまりに選択肢が多すぎて)混乱しているようだった。
「いつもはどの様な食事を?」
「ウォルターが用意してくれたもの…スープやサプリメント…あとはブレッド」
質素な食事というのが第一印象。だからこんなに華奢なのかと言うのが第二印象。
仕事をした端から借金でも返しているのか?しかし、企業の持ち物でない強化人間はほとんどが訳アリだ。この女もそうなのだろう。
メニューの多さに困惑している駄犬に、私は適当なものを選んでやった(身体の小ささを見て、一人前よりやや少なめにオーダーした)
人気が無いとはいえ0ではない。
食事を摂る者、一人で休憩する者、社員同士で歓談する者、仕事を持ち込む者がまばらに存在していた。
出来る限り人目の少ない場所を選び、席についた。駄犬は、淡々とした表情でキョロキョロと周りを見回している。
落ち着きのない。ここがそんなにも珍しいものなのか?
「あなたはいつもここで食事をしているの?」
駄犬は明るくていい、よく顔が見られる。などと脳天気なことを抜かしていた。普段一体どんな場所にいるんだ。本当に犬小屋にでも入れられているのだろうか。
「私はあまり利用しません。」
「どうして?」
「わざわざここまで来て食事をするのは時間の無駄です。デリバリーもありますし、食事は執務室で事足ります」
「…では、今は私のために利用しているの?」
「……執務室に部外者を入れる訳にはいきませんので」
「…そうね。時間を割いてここにつれてきてくれてありがとう」
無表情でありながら、真っ直ぐにこちらを見て駄犬は言った。
本当に、やりにくい相手だ。
レイヴンは、手を合わせて「いただきます」と謎の仕草をしてから食事をし始めた。食事の前に祈りを習慣にする者もいるが、そのようなものだろうか。流石に飼い主の教育があってか、食事のマナーで気になるところはなかった。ただし、ちまちまと食事を口に運ぶ姿は、まるで砂糖の粒を巣に運ぶ蟻のようであり、これは会話どころではないのではないかと訝しんだ。誘いはティータイムにすればよかった、と今更ながら後悔し始めた。
「味は、如何です?」
「…………、おいしい、と思う」
駄犬は食事の味が物珍しいのか、時間を掛けて咀嚼してから答える。この手の仕事は第三隊長にやらせるべきだったと私は更に後悔を重ねた。
「食事、おいしいから、たくさん食べるの?」
私の食事量を見て駄犬がまた間抜けな発言をす
る。何故、向こうから質問されなくてはならないのか。質問するのはこちらの方だ。
「私は必要カロリーが常人とは異なります」
と適当に返事を返してから、調査の本題に入った。
「何故、貴方は傭兵の仕事を始めたのですか?」
「…それが仕事だと言われたから」
「あなたの飼い主に、ですか」
「…そう」
「あなたのハンドラーとはいつから?」
相変わらず食事をゆっくりと咀嚼し、一息ついてからレイヴンは答える。
「ルビコンに来たのは少し前。ウォルターと会ったのは…それより前」
「曖昧ですね。ハンドラーから口止めされているのですか?」
「…いえ、わたしの記憶の感覚が、まだあまり正常に機能していないからだと思う。わたしは、不良在庫だったから」
強化人間のブローカーの下に長期間冷凍保存され、それをあのハンドラーが買ったのだと言う。
その間に以前の記憶は失われ、自分が何者であったのかも、覚えていないと言う。
「…ウォルターは、お金を稼いだら人生を買い戻すと良いと言っていた」
借金のカタに強化人間手術の実験台にされ、その後に金稼ぎの道具として使われるのはよく聞く話だ。恐らくハンドラーもその手の者であろう。
「でも、それが良いことなのか、わたしにはよくわからない。強化人間手術を受ける前のわたしを、知らないから」
惨めな人生を送っているものだ。自分の人生がこうでなかったことに心の底から安堵した。
「今は、仕事をする方が大事だと思う」
「何故です」
「それがわたしの意味だから。ACに乗って仕事をするという意味を、ウォルターはわたしに与えてくれた」
レイヴンは手に持った食事を見つめている。
「最初は、歩くことも、話すことも、何もできなかった。こうやって、自分で食事をすることもできなかった。それが出来るようになるまで、ウォルターがずっと側で介護してくれた。だけど、体が動かなくても、ACを動かすことはできた」
「…あなたのその類稀なる才は、何か特別な訓練でも?」
口にしたくはなかったが、この女が他の独立傭兵とは一線を画した存在であることは事実だった。
何か特別なことがあるに違いない。ここまで愚直に身の上を話すものだから、なにか聞き出せるだろうと画策した上での発言だった。
「…特別かはわからない。まず身体が動かせるようになるまでは、シュミレーターを使ってた」
最初は神経接続のみでのシュミレーション。
リハビリが完了してからは実際にACへ搭乗してのシュミレーションと実機訓練。経験したのはそれだけだと、そう彼女は話した。
特別なことはなにもない。我々ヴェスパーと何ら大差ない。いや、彼女は我々以下の負荷しか耐えられないだろう。
しかし、この女のイレギュラーさはどこから生まれてきたのか。戦場を一瞬で己の舞台へと塗り替えるあの動きはどうやって。
「ウォルターは、わたしがACを動かすことを、必要としてくれた。それがわたしの意味だと、教えてくれた。だから、わたしはウォルターに従って仕事をしている」
そうあれかしとただ言われたからやっている。
不良在庫として買い取られ、ACを動かせるよう調整された。ただの部品としてだ。何も特別なことなどない。それだけのようだ。自動人形とさして変わらない。最低限の人の価値すら存在しない。
では何故だ。何故あの様に飛べるのだ。
もし私がこの猟犬と対峙した時、私はこの猟犬を捕まえられるのか。縦横無尽に空を駆けるあの白鴉のACを。
「あなたは?」
レイヴンは私に問う。
「あなたはどうして、ここにいるの?」
またあの赤が私を見据える。
「あなたも、ここで仕事をするように、だれかに言われたの?」
この赤は胸をざわつかせる。一体何故だ。
…私は、レイヴンの目を見つめ返した。感情の感じられないはずの、それでも心を乱されてやまないその赤い瞳に強い眼差しを向けた。
「私は、私の意志でアーキバスを選んだ。選ぶことすら出来なかった貴方とは、違います」
否、捕まえられるかではない。捕まえるのだ。どんな手を使ってでも。そのための”OPEN FAITH”である。
そして、私の信仰は私が選んだものだ。選ばされたのではない。私自身が選び、そして、神に選ばれた故のものだ。
「そう」
からりと溶け残った氷とグラスが音を立てる。レイヴンはほとんど水に溶けて色の薄まったドリンクをほんの一口すすって、飲み込んだ。
その後、他愛もない会話をぽつぽつと続けた。(何故あちこちで仕事をしているのかと聞かれたが、むしろこちらが聞きたい。何故、私はこんなにも仕事が多いのだ。貴様のせいでまた余計な仕事が増えそうだと言うのに…)駄犬のあまりにも鈍間な食事が終わったところで、席を立ち上がる。
飼い主が唯一命令した遅くならないようにとの約束を守らせてやるために、レイヴンに帰投するよう促した。
ACを格納してあるガレージへ駄犬を連れて向かっていたが、後ろを歩いているはずの足音が遠ざかった。ついにはその音は消え、その代わり、何かブツブツ呟く声が聞こえた。
振り返ると元からあまり良くない顔色を更に悪くしたレイヴンは床にうずくまり、小さな口からけろりと先程の食事を吐き出してしまっていた。
「ええ、第6区画の8番通路です。そちらの清掃を。念の為、消毒もするように」
「…ごめんなさい、戻してしまって…」
「謝罪はもう結構…。ウィルス検査は、陰性か…慣れない食事を内臓が受け付けなかった様だ。こればかりはこちらに落ち度があります。確認するべきでした」
メディカルルームから、清掃員に事故現場の後片付けを指示した。まさか、私が選んだ料理を吐かれるとは思わなかった。何なんだこの虚弱さは。ACに乗っていることさえ信じられなくなってくる。
大人しく点滴を打たれているレイヴンは顔色は良くなっているものの、心做しかしょげた表情をしている。ごく僅かではあるが、全く表情が出ないわけではないらしい。それでもわずかだ。きちんと見なければ判りにくい。
(これの面倒を見ているハンドラーは相当のやり手か、ただのお人好しか…。印象が二転三転する。)
汚れたパイロットスーツはクリーニングへ回し、駄犬にはメディカルルームの患者着を貸し与えた。私も駄犬を介抱する際に汚れてしまったので、ジャケットとスラックスを新しいものに換えた。着替えた私を見て、駄犬はさらに肩身を狭そうにしていた。
「貴方がそれ以上萎縮する必要はありません。私の服を汚した事は不可抗力です。そんな事で貴方を怒鳴りつけたところで、私にはなんの得にもなりません」
自分のせいで吐かれたと思うと嫌味を言う気分にもなれなかった。明らかに非がこちらにあるというのはなんとも居心地が悪いものか。
「ありがとう、スネイル…」
胃液で焼けてしまった喉で喋りづらそうに返された。
「…喉がいたい」
「あれだけ戻せばそうもなるでしょう」
スープやサプリメントが真っ先に上がる時点で察するべきだった。強化人間は内臓強化もするのが一般的だが、レイヴンの場合は粗悪な強化故かはたまた長期間のコールドスリープから目覚めてたせいか内臓機能が正常に機能していなかったようだ。
「……でも、おいしかったの。きちんと食べられるようになりたい」
「…何度もこうなられては堪りません」
「ウォルターと相談して改善してみる」
また食事に誘ってくれる?と駄犬は聞いてくる。その気があるなら、今度はそちらから誘いなさい、と返しておいた。これはただの社交辞令だ。もうすでにこちらの仕事は終わった。それに、互いに忙しい身の上だ。二度目はないだろう。
飼い主に連絡したらすぐに迎えに行くと言われた。回復次第、帰投させるように言うものかと思ったが、話に聞いた通り、やはりこの駄犬に対して過保護な様だった。仕事の振り方といい、この過保護ぶりといい、ハンドラー・ウォルターについてはより理由のわからない男という認識が強まってしまった。
メディックに駄犬の受け渡しを引き継ぎし、私はまだ仕事の残っている執務室へ戻った。
数ヶ月後、レイヴンから食事の誘いが来た。内臓機能は以前より良くなった、そして今度は食べられるものを選べるようになった。と付け加えて。
空いている日時を聞いてきたので、来れるものなら来てみろと、直近の隙間の日時を指定してやった。
彼女は、白い機体を飛ばして指定時刻ピッタリにやってきた。