オレンジケーキ二ヶ月ぶりに住んでいる街に帰ってきた。
籠と手、その他諸々が入ったキャリーケースが行きよりも重く感じながら、いつもの街路を歩いて帰っていると、見覚えのない可愛らしい店が建っていた。
「ケーキ屋…か」
最近出来たのだろうか、所謂キラキラ系女子が多くいる。
あんな所に入っていく勇気はない。
しかし、久々に家に帰るというのに何の手土産もなしに帰っては、彼女に悪い。
仕事着で来なくてよかった、絶対に悪目立ちする…。
そう思いながら、シュートはパステルピンクの取っ手を掴んでガラス戸を引いた。
女性達の合間から見えるショーケースのケーキ達を眺めながら何にしようか考えていると、近くにいた小学生位の子供が自分の左袖をじっと見つめていて、早く出たいと思ってしまう。
「おにーさんも、ここのケーキ好きなの?」
話しかけられてしまって、無愛想な感じに「いや、初めて来た」と返したのは、冷たい奴だと思わせればすぐに会話が終わるだろうと考えたから。
だが、子供は会話を続けてきた。
「人多いと、待つのやだよね」
「まぁ、な」
「でも、待ってる間ってどのケーキにしようとかって考える時間が増えるから、そこはいいとこだよね」
「そうだろうか」
「そうだよ。特に誰かにあげる時は」
「………」
「おにーさんも誰かにケーキあげるの?」
「ああ」
「喜んでくれるといいね」
子供がニカッと笑って、妙齢の女性の元に行った。ケーキの会計を済ませた母親にそのまま笑顔を向けて「おとうさん、よろこんでくれるかな」と言っている。
「じゃーねー!」
無邪気に振られた手に、控えめに手を上げ返すと、ショーケースがよく見えるくらい、いつの間にか客が少なくなっていた。
「どれをお取りしましょうか」
染めたような茶髪の店員に微笑みかけられて、ぎこちなさげに「あ、えっと……」と返すと、ケーキに視線を戻す。
ショートケーキ、チョコレートケーキ、ロールケーキ……彼女は何が好きだろうか。
悩みに悩んでいると、さっきの子供が言っていたことを思い出す。
「(喜んでくれる…か)………!」
ショーケースの一番右端、一つしかないケーキ。
瑞々しいオレンジの輪切りがのったチーズケーキ。
名前は『Ms.Summer』。
彼女を…彼女の笑顔を連想させるような名前と見た目だ。
「これを…」
「かしこまりました。保冷剤とフォークはお付けしますか?」
「いや、いい」
小さな小さな紙箱を持って、店から出ると、夕日で橙に染まったコンクリートの坂道を登って、賃貸マンションの階段を上がって、五階あるうちの三階へ。
リースのかけられたドアの鍵穴に、鍵を差し込んで回し開けると、ふわっといい匂いが鼻腔を満たした。
「ただいま」
「おかえり!!」
エプロン姿で元気に振り向いた彼女の顔を見ると、自然とこちらも元気になってくる。
これは、修行時代から感じていることだが…彼氏でもないのに、不思議だ。
「どーしたの?それ」
「土産だ。後で食べてくれ。先にシャワー浴びてきていいか?」
「うん!それまでに晩御飯用意するね!」
流れてくる湯の音も久々。シャンプー切れてたから変えといてよかった。
それにしても何買ってきたんだろ。
ちょっと悪いことかな。冷蔵庫にいれたばかりだけど見ちゃお。
「シュート君!!」
「!???」
ノックもなしに風呂場に入ってきたラキにシュートは大事なとこを手で隠して大慌て。
「なっ、何だ!!ゴキブリでも出たのか!?」
「ちーがーいーまーすー!ケーキよケーキ!」
「き、嫌いだったか?オレンジ…」
「ちがうちがうちがーう!」
ラキは靴下が濡れるのも構わずに大股でシュートに歩み寄り、反射で退いていったシュートは壁に追い詰められて壁ドンの体勢になった。
「何で一個だけなの?!シュート君の分は!?」
「え……?」
予想だにしない答えに元々小さい黒目が更に小さくなった。
「あたし一人だけ食べるのやだから、半分こしてもいい!?」
「か…、構わない…が……」
気圧されるままに頷くと、ラキは満足して風呂場から出ていった。
「付き合ってない男の全裸を見るのは良くないと思うのだが……」
小さく呟いて、湯気の絶えない浴槽に浸かったのだった。
トマトベースの鍋をメインにした夕食を食べ終わったあと、ラキは嬉しそうにケーキの入った小箱と二人分の皿とフォークをテーブルに並べた。
「お前一人で食べてもいいのに…」
「それはやだ!」
綺麗なまでに半分にすると、それぞれの皿に置いて、シュートの前に差し出した。
「二人で食べた方がもっと美味しいって分かってるでしょ?」
ニコニコ笑ってケーキを頬張る彼女の笑顔に思わずドキドキしながら自分も一口。
オレンジの甘酸っぱさがやけに際立った。