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    hanihoney820

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    hanihoney820

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    円満和解壁崩壊後前提乱寂。
    宇宙に飛ばされそうになる先生と、なんとかしてそれを止めたい乱数のお話。
    エセSF(少し不思議)、暴力表現あり。その他なんでも許せる方向け。

    宇宙に行かなかった。77




    「──こんなとこにいたのか」

     聞こえてきた声に、顔を上げた。そこにいたのは一郎で、あまり予想していなかった存在に素直に驚く。困ったように、でも優しく笑った彼はごく自然な動きで乱数の隣に腰を下ろした。地面に直接、何も敷くことなく道端に蹲る、乱数の隣に。

    「夢野さんと有栖川さんが、心配してたぞ」
    「うん……そっか、ごめん、もうこんな時間だったんだ。気付かなかったな」
    「はは、ぼーっとしてたのか?」
    「うん、ぼーっとしてた」

     乱数がこの場所に──一郎と描いていた未完成のグラフィティの前に来た頃、まだ周囲は明るかったはずだった。それなのに今辺りはとっぷりと日が暮れて真っ暗で、それなりに人通りもあるはずの道にも人っこひとりいない。いったい今は何時なのだろう、一郎は乱数を探してこんな時間にこんな所まで来てくれたのだろうか。だとしたらあまりに悪い、仮にも未成年をこんな時間まで──。反射的にそう考えかけて思い出す。一郎はもうだいぶ前に、成人を迎えたのだった。
     あっという間に何もかもが変わっていってしまう。子供だと思っていた人だって、すぐに大人になる。

    「……寂雷さんの件、びっくりしたな」

     そんなことを考えている間にも、一郎は的確に確信を付いた。「え〜? なにが?」なんて誤魔化そうかと思って、やめる。

    「うん……すっごくびっくりしたね」
    「夢野さんと有栖川さんから、お前がどっか行っちまったって連絡貰って……悪いな、その時に、だいたい聞いた」
    「そっか、それでわざわざ探しに来てくれたんだ?」
    「ああ。……ごめんな、乱数。俺、余計なこと言ったな」
    「まさか! 一郎のせいなわけないじゃん! 僕が自分で決めたことだよ……」

     無理に声のトーンを上げて、笑顔を作って。そうして吐いた言葉で、同じようなやりとりをつい最近したことを思い出した。本当に、つい最近。さっきの今。『私の選択と君とは、何の関わりもありません』。
     それに気づいて、笑顔を消す。大袈裟な身振りもトーンを上げた声も元に戻して。そしてまた俯いた。

    「……こんなことになるなんて、思ってなかったんだよ」
    「ああ……俺もだ」
    「あのまま宇宙に行ってたら、こんなことにはならなかったのに。寂雷に与えられたのは地位とか名声とかそんないいものばっかりで、どこに行っても誰に聞いても賞賛の声しかなくて。もしかしたら教科書や辞書にも名前が載って、それで千年後の未来で、一生楽しく人のために尽くしてたかもしれないのに。さみしいなんて一過性の感情で、僕らも寂雷もそんなの当たり前みたいにすぐに忘れて。案外、そんなものだったかもしれないのに」
    「そうとも……限らないだろ? もしかしたら、失敗して大変なことになってたかもしれねえし……」

     一郎の言葉が空々しく響くのは、おそらく彼も同じことを思っていたからだろう。引き止められなければ、きっと寂雷はあのまま宇宙に行っていた。それがこの世で一番いいことなのだと信じたまま、信じさせたまま。そして、何故だろう。寂雷達を乗せた船は、きっと滞りなく宙に辿り着く。そんな気がした。完全無欠のハッピーエンド軌道に乗せられた方舟への乗船チケットが、彼に与えられたものだったのに。

    「そうかな、そうかもね? でもわからないもん、先のことなんて。だけど今の寂雷の置かれた状況が大変なものだってことくらいはわかるよ。これから先あいつは医者として働くのも、それどころか普通に生きてくのだって難しいんじゃない? 記者やテレビに追われて、誰もがあいつの顔や名前を悪い意味で知っていて、誰からも後ろ指刺されて……」
    「乱数……」
    「そんな責任負えない、負えないよ……」

     抱えた膝を、さらに強く抱きしめ膝を埋める。蒸し暑かったはずの大気も、いつの間にか夜闇に冷やされた。夜の帷に混ざるように、ふたりの間に沈黙が落ちる。一郎が言葉を探してくれているのがわかった。乱数のせいじゃない。仕方がなかった。気にすることはない。きっと、そんな優しい言葉を。
     事情を聞いた幻太郎や帝統も、そう言ってくれた。寂雷だって、ああ言っていた。きっと誰に聞いても、そう言ってくれる。乱数のせいじゃない。乱数のせいなんかじゃない。

    「……でも、そう思うのに。そのはずなのに……どうしてかな」

     一郎が見つけた言葉に音を載せるよりも先に、不意に乱数は顔を上げた。上を向けば自然と、夜空が目に入る。今宵は月明かりの少ない夜らしく、東京のど真ん中でも、いつもに比べれば少し多く星が見える。乱数が行き損ねて、寂雷も行かなかったあの場所。

    「それでもやっぱり、僕の明日にあいつが居なくてよかったとは、思えないんだ」
    「……!」
    「あれから、何度も、何度も何度も考えてみた。こうなるってわかってたら、僕はあいつを引き止めなかったかなって。あの日寂雷を呼び出したりなんかしなくて、プラネタリウムにも行かなくて、それでパーティなんか開いたりして、いってらっしゃいって。こうなるってわかってたら、そうしてたのかなって」

     でも結局、わかっちゃったんだ。どんなに迷って、悩んでも、最後には僕はおんなじことをしてる。

    「ひどいことを言われて、大嫌いだって思った。つまんなくてお堅くって口うるさくて、今だって僕にとって一番大事なのはポッセで、あいつともそりゃあ、仲直り? はしたけど、もうそういう感じじゃないし。これからは少しは遊んだりとか? できたらとかは思ってたけど、でもそれだけのはずで……」
    「……」
    「なのにたぶん、僕はもし神様が時間を巻き戻してもいいよって。全部無かったことにしていいよって言ってくれたとしても、おんなじことをしちゃう。あの日あの時あの場所で、寂雷を引き留めちゃう。宇宙になんて行かないでって、そう言っちゃう。軽い気持ちで言ったはずのことだったのに、今だって後悔してるはずなのに。考えても考えても、僕は同じ場所にいる。あの時僕に怖いって言ってくれたあいつのこと、なかったことにしたくないって、そう思っちゃう……」

     ねえ一郎。こういうさ、どんなに後悔しても、他に選択肢を貰えたとしても、それでもこうしちゃうって。そういうもののことを、覚悟とか、そんなふうに言うのかな? 最後におどけて見せた乱数にも、一郎はつられて笑ってはくれなかった。乱数の言葉を、とても複雑そうな顔で、よく噛んで飲み込むような顔で聞いている。
     沈黙に沈黙が連なって、さすがにそろそろ帰ろうかと乱数から言い出そうとした頃、一郎が口を開いた。

    「……今回の件でさ、俺もけっこー取り乱したんだよ」
    「え……」
    「俺だって、そんな、考えて言ったわけじゃなかったから。寂雷さんの宇宙行きはすごいと思ったけど、会えなくなるのは寂しいなって。だからって行かないでくださいなんて言えねえけど、寂雷さんと仲良かった乱数ならなんか、そんなふうに言う権利もあんのかなって。結局俺は自分じゃ言えないこと乱数に押し付けたみたいなもんで……それがこんなことになるなんて、思ってなかったから」
    「そりゃ、そうでしょ。一郎が気にすることなんてホントに……」
    「ん、ありがとな。でも、それでも俺は焦ったし、とにかく誰かに話を聞いて欲しくてさ……そんで泣きついちまったのが恥ずかしい話、左馬刻んとこだった」

     左馬刻。少し予想外の名前に驚く乱数に、一郎は苦笑を浮かべる。乱数を笑うものじゃない。それは自分自身を笑っているような。

    「俺がたいして考えもせず余計なこと言ったからこんなことになっちまったのかもしれねえって。こんなことになるとは思ってなかったって。たぶんそんな感じのことを、メチャクチャに口走ってさ」
    「……うん」
    「あの時のこと、正直今でも完璧に許せてるわけじゃねえし。最近だって顔合わせると結局ケンカばっかで、まともなやり取りなんてほとんどできてなかった。でもあの人は、突然押しかけて迷惑も何も考えずに捲し立てた俺の話を、ちゃんと聞いてくれた。ちょっと落ち着けって中入れてくれて、コーヒーも出してくれて。そんで全部聞いた後に呆れたみたいに……『アホか』って」
    「あはは……左馬刻らしい」
    「本当にな。変わんねえよ、あいつ。そんで、やっぱり左馬刻もそんなの俺のせいなわけねえし……それにたぶん、乱数は俺に言われなくたって、最後には似たようなことしてただろ、って」
    「……」
    「お前は、そういうヤツだろって」
    「……左馬刻が?」
    「おう」

     本当にそうだったな、と一郎は笑う。今度は皮肉とか自嘲なんかじゃない。大切だったものを懐かしむような、愛おしむようなもの。

    「あいつのこと、ムカつくこともたくさんあるし、やっぱり許せねえって思うこともある。でもやっぱり……左馬刻さんは、スゲー人だよ」

     なあ、乱数。と、一郎が乱数の名前を呼ぶ。隣に座った乱数の顔に、更に覗き込むように近いて。闇に紛れて明度の異なるオッドアイが、最後通牒のように光った気がした。

    「俺達はさ、俺達を一番にはしてくれない人を、好きでいる覚悟が必要だな」

     左馬刻は、一郎を切り捨てた。妹と一郎の弟の二択を迫られた時に、迷わず一郎の手を振り払った。
     寂雷は、乱数を信じてはくれなかった。身内に昏睡の事実に、すぐさま乱数を糾弾した。
     今手が届いたように感じても、明日心が繋がったように感じても、きっといつか同じことを繰り返す。左馬刻の一番は一郎では無かったし、寂雷の一番も乱数では無かった。左馬刻は妹よりも一郎の大切なものを優先してはくれなかったし、寂雷はたとえ君がやったのだとしても、私は君の味方ですとは言ってくれなかった。
     たとえ今、その相手に心を砕いても。この覚悟を決めてもいいと思ったとしても、またいつか同じような思いをするかもしれない。それでもいいと、そう言える覚悟。

    「……でもさ、一郎だって、左馬刻を一番にはしないでしょう?」
    「……そうだな。俺も、弟達が一番大事だ。あの時のあいつと同じ状況になった時、俺が絶対にあいつを切り捨てないでいられたか、絶対の自信はねえよ」
    「うん、そうだよね……でも、僕は違うよ」
    「……」
    「たぶん僕は、あの時寂雷が絶対に僕が一番だって。そう言ってくれたなら、僕もあいつを一番にしてた」

     想像してみる。それとも、夢に見てしまったこともあった?
     衢の昏睡を知った寂雷が、乱数の元に来る。そして寂雷はそこで乱数を責め立てるのではなく、君にもきっと何か事情があるのでしょう。すぐにではなくていいですから、いつか話してくださいねと。私はずっと、待っていますからと、そう笑って優しく頭を撫でる。そうしたら、もし、そうしてくれていたのなら──。

    「それでも、あの頃の僕にとって一番大事なのは自分で、それ以外のものなんてなんにも持ってなかったから、最終的にどうしていたかはわからないけど……でもそれでも、みんなとは違うよ。僕には合歓ちゃんもジローくんもサブローくんも衢もいなかったから。だから寂雷が僕のことを一番にしてくれていたら……なにか、違ったかもしれない」

     そういうのが、なんだかずっと、悔しいんだ。
     今の乱数にとって一番大事なのは幻太郎と帝統で、それでたぶんあのふたりも乱数のことを、Fling Posseのことを一番にしてくれている。でもそもそも乱数は、あのふたりが乱数を選んでくれたから手を握り返せたのだ。自分の何を捨ててでも、乱数のことを優先してくれる覚悟。それに応えただけ。
     だけどこの先、寂雷が乱数を一番にしてくれる日なんて、絶対に来ない。寂雷が衢と出会ってしまったから、それとも、その更に前から? 寂雷の席に、もう空きはない。ずっとなかった。乱数がこの世界に生まれ出た時点で、もうその空席を埋めるには遅すぎた。
     そんな相手に──この覚悟を決める、価値はある?

    「ねえ、一郎」
    「……なんだ?」
    「ひとつ、考えてることがあるんだ」

     それをしたらたぶん僕はとっても大変なことになるし、幻太郎や帝統、一郎や左馬刻、それ以外にもたくさんたっくさんの人に、いっぱい迷惑をかけるかもしれない。意味なんてほとんどなくて、ただの自己満足で、きっと寂雷だって少しも喜ばない。むしろ怒って傷ついて、誰ひとり幸せになんてならないかもしれない。でも、それでも僕はどうしてもそれをやりたいと思うんだけど──。

    「一郎──萬屋山田さん、手伝ってはくれませんか?」

     スクッと立ち上がり、一郎に手を伸ばす。折よく雲に隠れていた月が顔を出したようで、月光がまるでステージライトのように乱数を照らした。舞台に上がるにはあまりにおあつらえ向きな空の下、一郎もどこか少年らしさを残したいたずら坊主の顔で「ご依頼ですか? 喜んで!」と乱数の手を取った。




     帰り道、乱数はここ最近すっかり眺め過ぎて、空寂ポッセやTDD時代ですらソラでは言えなかった寂雷の電話番号を押した。登録はしてあったのだけれど、何となく。手元も見ないまま、ピ、ピ、ピ、と。
     軽快な呼び出し音の後、そう間を置かず電話は繋がる。あれから一郎となんだかんだ話して、もう日付も変わって久しい。それなのにこんなに早く呼び出しに応じるということは、彼も眠れていなかったのだろうか。

    「──もしもし? 寂雷? 元気してる?」
    『ええ……こちらは変わらず』

     「こんばんわ、飴村くん」という律儀な挨拶に、乱数も「こんばんわ」と返してみる。こんな深夜にかけるなんて非常識だ、と怒られるかと思ったけれど、そんな様子はなかった。それどころか用もないのにいつだって、ただ声を聞きたかったからとか、そんな理由でかけられる電話が当たり前かのように、寂雷は乱数に応じている。

    「変わらず、引きこもり生活?」
    『そうですね、少なくともほとぼりがもう少し冷めるまでは』
    「相変わらずどこにいるかは教えてくれないんだ」
    『教えて押しかけられては困りますしね』
    「え〜ひっど〜い、そんなことしないのにな〜」

     最近の乱数は、寂雷に連絡をするには理由が必要で。定期検診を受けなくちゃいけないからとか、何か渡すものがあるとか、そういう理由なしにはこんなふうに話すことも難しくて──難しいと、思い込んでいて。でもこうしていざかけてしまえば、こんなに呆気ないほど簡単なことだったのか。
     それなのに、常と変わらないように装う声に、疲れが滲んでいると感じるのは傲慢だろうか。そんな差異なんて、本当は少しもわかっていないのだろうか。どうなのだろう。わからない。わからないけれど──疲れているんだったらいいなと、そう思う。

    「ねえ、寂雷」
    『はい、何でしょう』

     疲れているんだったらいい。傷ついているんだったらいい。苦しんでいるんだったらいい。
     だとしたら──そうだとするなら。

    「こんなことになったのは、全部全部僕のせいだって、そう言ってよ」
    『……何を、馬鹿なことを言っているんですか』
    「じゃあ寂雷に質問。寂雷は、たとえば自分が軽い気持ちでそんな会社は辞めたほうがいいって言った相手がさ、その言葉を鵜呑みにして会社を辞めて、転職先が更にブラックで最悪な会社でろくに休みも取れずに働き詰めで、挙句に過労死寸前で救急搬送されたとして──おまえはそれを、自分のせいだと思う?」
    『それは……思い、ますけど』

     乱数が何を言いたいのか、寂雷にもわかっているのだろう。けれどわかっていても嘘を吐けない、愚直なまでに誠実だから。寂雷のそういうところを逆手に取って退路を断つのは乱数の十八番で、そんな時の寂雷の顔が乱数は案外、嫌いじゃなかった。
     顔が見たいなと、また思う。

    「ねえ、お願い寂雷。僕のせいだって、そう言って」
    『飴村くん、それとこれとは話が──』
    「関係ないなんて言わないでよ』
    『……!』
    「おまえの選択に、おまえの人生に、僕も関わらせてよ。今こんなことになってるのは僕のせいだって、そう言って。おまえの中で僕をないものみたいにしないで。何度やり直せたとしても、やっぱり僕はおまえに行かないでって言いに行くから。気の迷いとか軽い気持ちなんかじゃない──おまえが今ここにいる責任を、僕にも負わせて」

     結局乱数は、ただひたすら「おまえには関係ない」と、そう言われたことが気に喰わない。だってあの時、確かに驚いた顔をしていたのに。乱数に言われて初めて宇宙行きを辞めるという選択肢を思い出して、それで確かに嬉しそうな顔をしていたのに。寂雷らしくなく、怖いもののことなんて、そんな話だってしたのに。まるでそんなもの何もなかったみたいに「関係ない」と、乱数は無関係だと言われるなんて、そんなの納得いかない。

    『君の……』

     乱数の言葉に影響されて、おまえは一世一代の選択を違えたんじゃないか。そんな大それたこと、なかったことにされて堪るか。

    『……君のおかげで、今私は、ここにいるんですよ』

     耳元で躊躇いがちに、掠れながらも確かに囁かれた声に、乱数は叫び出したい気持ちをグッと堪える。やった、やった! 言わせてやった、あの寂雷に。岩よりも頑ななあの男に、乱数の責任を認めさせてやった!!
     ん、ありがと。それならい〜んだ。と。それじゃあもう遅いし切るね! おやすみ! と。大仰な前置きの割にあっさりと通話を切ろうとする乱数に追い縋る声があったけれど、聞こえなかったふりをしておしまいにする。折り返しの電話がすぐにかかってきたけれど無視をして、そのままスマホをポケットにしまった。
     だって明日から乱数はとっても忙しくなる。だから今日は、少しでも早く寝なくては。



    * * *



    『──ところで皆様は【ドレイクの方程式】と呼ばれるものを知っていますか? それは別名【宇宙人方定式】と呼ばれるものでして。この方程式を用いれば私達の生きるこの天の川銀河に存在する、我々と交信可能な知的生命体が住む星の数がわかるというものです──まあ、理論上は、という話になりますが。ちなみにその方程式はN=R*×fp×ne×fl×fi×fc×Lとなりまして……ええはい、わからずとも結構です。何せ今こうしてお話ししている小生も微塵もわかってはいませんので。まあとにかく、この式に天の川銀河で構成が形成される速さやら星間通信を行うような文明が存続する推定期間などの値を入れることで、我々の求める数字を、ざっくり言ってしまえば宇宙人がこの宇宙に存在する可能性、なんてものを求めることができるわけです』

     『夢野幻太郎と歩く宇宙の旅』、本日は録音バージョンでお送りしてますよっ、と、なんて。そんなことを独りごちながら乱数は爪の手入れなんてものをしつつ流れるラジオに耳を傾ける。ここ最近そんな気分になれなかったり忙しかったりしたので、せっかくの幻太郎のラジオを一週分飛ばしてしまっていたのだ。ちゃんと録音できていてよかったと思いながら、乱数はチラリとスマホに映る時間表示を見る。そして、ああ、そろそろか、と。

    『とはいえそもそもこの項のそれぞれに入れる数字についてあまりに賛否両論あるため当然統一された確実な解など見つかるはずもなく。はてさて結局宇宙人とやらはいるのかいないのか。皆様はいかが思いますか? 宇宙人。いると思います? いないと思います? いたらいいと思います? いない方がいいと思います? そういえば拙作【Stella】も異なる星に生きる者達の出会いの物語──そういった意味では宇宙人達の物語でしたね。異なる星で、異なる文明の元、全く異なる考え、価値観を生きる者達が何光年もの距離を旅した末に出会った。そんな何もかもが異なる彼らが分かり合うのは容易ではなく、ぶつかることもたくさんあったけれど、最後にはかけがえのない仲間となっていく──そう、例えば──』

     ラジオを聴きながら無心で爪にヤスリをかけていると、乱数のスマホが着信を告げた。コール音が鳴り響く。二回、三回、四回。八回、九回、十回。まだ鳴り止まない。根気強くかけられ続ける電話に、しかし我慢比べでもするみたいに、乱数も出てなんてやらない。だって乱数なんてあの電話が繋がるまでに一週間も待たされたのだ。こっちだって少しくらい焦らしてやったってバチは当たらないだろう。
     そんなことを思っている間もコール音は続き、時折一瞬止んではまたかかってを繰り返す。あえて画面を見ていないからもちろんどこかの誰かさんではない可能性もあるけれど。でもどこかのあの男がかけてきているんだったらいい、と思う。
     と、その時。荒っぽい足音が近づいてくる音がした。

    「──っ乱数! 貴方という御人は……!」

     これまた荒っぽく事務所の扉を開けたのは意外にも夢野幻太郎その人で、ラジオと現実で二重奏が始まる。最も静かに淡々と物語るラジオに比べればリアルは雲泥の差。珍しく彼は息を切らせて顔も真っ赤の汗だくで、額に青筋まで浮かべている。こんなことになっても幻太郎ならもう少し落ち着いているものかと思っていたけれど、人間本当に驚けば文豪もギャンブラーもないらしい。
     ヤッホ〜ゲンタロ〜、なんて呑気に手を振る乱数に挨拶を返すこともなく、幻太郎はテーブルの上に放り投げてるテレビのリモコンを手に取ると、家主の許可も取ることなく電源を入れた。最もこの事務所で幻太郎と帝統が乱数のお伺いをたてたのなんて、チームを組んだ初期の初期に数度あったかどうか。誰だって我が家でいちいちテレビをつけるのに許可を求めないだろう。
     そして幻太郎がチャンネルを変えたその先には、乱数が映っていた。ニコニコと楽しそうに笑いながら、大袈裟な身振り手振り表情で、おもしろおかしく何事かを語っている。

    「一体全体どういうことなんですかこれは!?」
    「あはは、うん、ごめんね、幻太郎」

     そろそろいいかな、と思いながら乱数はスマホを手に取る。そこに表示されていたのは案の定、乱数が期待していた名前だった。神宮寺寂雷。字面だけでもお堅いその五文字。『ウザいジーさん』から直してやったのは、そういえば最近ことだった。
     ぽち、と通話ボタンを押したか押していないかの内に、鼓膜が破れんばかりの怒声が響く。

    『飴村くん! 君という男は──!!』

     久しぶりに聞く声だった。剥き出しの怒り。剥き出しの感情。かつては寂雷が怒っていると、同じくらい乱数も苛立った。そっちが怒るなら、こっちだって。そっちが許してくれないのなら、こっちだって! そんなふうに互いの怒りは相乗していった。
     でも今は、その怒りが心地いい。寂雷が乱数のせいで取り乱している。引っ掻き回されている。「あはは」と思わず笑い声すら漏れた。「あはははははは!」と、止まらなくなる。

    『──と、まあこんなふうに。おや、こんなふうに言ってしまうと何ともまあ我ながら美しい物語ではないでしょうか。遠く異なる星々に生きる者達は、相容れないことも理解できないこともたくさんあって、下手をすれば言葉すらろくに通じない。そりゃあ絆を深めるのは難しいことでしょう。そうは思いませんか? 皆様。だって我々はたとえ同じ星に生きていてすら、相容れず理解できず、ぶつかり諍い傷つけ合うのに。言ってしまえばそう、我々は一人一人が宇宙人のようなもの。隣人の宇宙すら理解できず、けれどその遠く離れた最果てを、どうにか観測できないかともがくような──』
    「乱数! 聞いているんですか!? どういうことかきちんと説明してください!」
    『飴村くん、君は自分がどれほど愚かなことをしたのかわかっているのかい!?』
    「あははははははははははははははははははははははは!」

     ラジオに幻太郎に寂雷にテレビの中の乱数の声に乱数自身の笑い声も相まって地獄のような五重奏!
     テレビの右上のテロップには『easy Rこと飴村乱数はクローンであり元中王区の工作員!?』なんてセンセーショナルな煽り文句が踊っていた。




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    hanihoney820

    DOODLE◇ ゲーム「8番出口」パロディ乱寂。盛大に本編のネタバレあり。大感謝参考様 Steam:8番出口 https://store.steampowered.com/app/2653790/
    ◆他も色々取り混ぜつつアニメ2期の乱寂のイメージ。北風と太陽を歌った先生に泥衣脱ぎ捨て、で応えるらむちゃんやばい
    ◇先生と空却くんの件は似たような、でもまったく同じではない何かが起きたかもしれないな〜みたいな世界観
    はち番出口で会いましょう。 乱数、『8番出口』というものを知っていますか。

     いえね、どうも最近流行りの都市伝説、といったもののようなのですが。所謂きさらぎ駅とか、異世界エレベーターとか、そんな類の。

     まあ、怖い話では、あるのですかね。いえいえ、そう怯えずとも、そこまで恐ろしいものでもないのですよ。
     ただある日、突然『8番出口』という場所に迷い込んでしまうことがあるのだそうです。それは駅の地下通路によく似ているのですが、同じ光景が無限に続いており、特別な手順を踏まないと外に出ることができないそうです。

     特別な手順が何かって? それはですね──。




    * * *




     気がつくと、異様に白い空間にいた。
     駅の地下通路、のような場所だろうか。全面がタイル張りの白い壁で覆われていて、右側には関係者用の出入口らしきものが三つに、通気口がふたつ、奥の方には消火栓。左側にはなんの変哲もないポスターが、一、二、三──全部で六枚。天井には白々煌々とした蛍光灯が一定間隔で並び、通路の中央あたりには黄色い「↑出口8」と描かれた横看板が吊られている。隅の方にぽつんとある出っ張りは、監視カメラか何かだろうか。足元から通路の奥まで続く黄色い太線は点字ブロックらしく、微妙に立ち心地の悪さを感じて乱数は足をのける。
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