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    hanihoney820

    @hanihoney820

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    hanihoney820

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    円満和解壁崩壊後前提乱寂。
    宇宙に飛ばされそうになる先生と、なんとかしてそれを止めたい乱数のお話。
    エセSF(少し不思議)、暴力表現あり。その他なんでも許せる方向け。

    宇宙に行かなかった。1010




    「何か飲むか?」と訊かれて「それでは、烏龍茶を」と答えた。そうしたら彼は苦虫を噛み潰したような顔で「……酒じゃなくて、いいのか」なんて言うものだから、寂雷は思わず笑ってしまう。
     中学時代からの旧知の仲である天国獄の部屋に入るのは十年越しのことだった。ただもちろん彼はその頃と同じ部屋で暮らしてはいないし、間十年以上関係が途絶えていた人間を臆面もなく旧知の仲と呼んでいいのか、少しわからなくもある。DRBを通し、獄の想いを知る機会を得た今、なおさら。
     それでも、寂雷が知らずともそこは確かに天国獄の部屋だった。広くて高級感のある内装、立派な調度品に貴重なコレクションの数々。あの頃の見る影はないけれど、それでも面影はある。飾られたギター、丁寧に手入れされたコレクション、その真ん中で、苦い顔でウイスキーを飲み込む彼。

    「……寂雷」
    「なんだい? 獄」
    「こんなことになっちまって、悪かった」

     そして、そんな彼の、どこまでも誠実で真摯なところも。
     変わらないものを再認識して思わず微笑んでしまったのがいけなかった。獄はあからさまに気分を害したように眉間の皺を深くする。もちろん馬鹿にしたつもりも侮ったつもりも毛頭ない。ただ本当に嬉しかっただけだと、そういうことが正しく伝わればいいのだけど。

    「まさか、獄のせいではないよ。むしろ君は本当に、精一杯やってくれた」
    「いや、俺がドジ踏んだんだ。相手に出されるより先にこっちから手の内明かした方がまだダメージが少ないかと思ったんだが、まさかあそこまで周到に準備されてるなんざ、思ってもみなかった」
    「そんなの、誰だって思わないよ。君は間違いなくあの時考えられ得る最善手を選んだ。どうか本当に、気に病まないで欲しい」
    「気に病むに決まってんだろうが!!」

     ガン、と、獄の持つ洒落たグラスがテーブルに叩きつけられる。激情を孕んだ叫びと打って変わって、続いた言葉はあまりにか細かった。

    「……お前がようやく、俺を頼ってくれたっつうのに」

     その血を吐くような叫びに。胸を痛めると同時に、このように素晴らしい友人を持てたことを喜ばしく思ってしまうことを、どうか許して欲しい。

     『ラザロ・プロジェクト』への不参加を決意した時から、寂雷には薄々このようなことが起こることを。寂雷の過去の汚点が世間に晒されることを、予想していたし、覚悟もしていた。いや、あの計画の主催者に脅迫まがいの勧誘を受けた、その時から。『この素晴らしい計画に、神宮寺さん、貴方なら賛同してくださるでしょう? 過去の罪を清算したいと、そう願う貴方なら』という、美しい微笑みが今も瞼の裏に浮かぶ。
     脅しに屈しただけのつもりはなかった。『千年後の未来の為に』を謳うあのスケールの大きな計画を、素晴らしいものだと思ったのも本当だ。けれど、過度の視野狭窄に陥っていたのも事実だった。「宇宙にいくしかない」。そう思い込んでいた。
     けれどそんな寂雷を引き留めてくれたのが、まさかの乱数だった。寂雷のラップの師匠であり、元チームメイトであり、友人でもあり、そして仇敵でもあった彼。「宇宙になんて、行かないでよ」。寂雷と異なる世界を見つめる彼は、いつだって寂雷の世界を広げてくれる。人の気も知らずになんて無責任なと思う一方で、「行かなくてもいいのか」と、案外納得してしまった。
     行かなくてもよかったのか。行きたく、なかったのか。例えどれほど人類の為になると謳われても、それでも『今』に執着してしまうのか。そんな自分の弱さを、醜さを、気付かされた。寂雷は、寂雷の愛する人々がいる今のこの世界で、彼らの為に生きていたい。
     その選択が多大な犠牲を払うものであることを理解はしていた。それが寂雷だけが支払えば済むものならいくらでも払う。しかし事は寂雷だけの問題ではない。寂雷の縁者や一二三や独歩、元TDDのメンバー、勤務先の人々、患者。多くの人間に途方もない迷惑をかけて、莫大な不安を与えるだろう愚行。それこそ宇宙に行ってしまった方が、何もかもうまくいく可能性が高い。それでも。

    『僕は……おまえに会えなくなるの、さみしいよ……』

     結局、いくら理屈を捏ねたところで、惜しくなっただけなのかもしれない。そしてそれはきっと、寂しいとも言い換えることができる。和解を経たと言っても顔を合わせれば喧嘩ばかりで、結局乱数が寂雷のことをどう思っていたのか、そして今どう思っているのかもわからずじまい。仲間? ペアレントフレンド? ウザいジジイ? 大嫌いな敵対者? 乱数が寂雷のことをなんと思っていたとしても、寂雷は乱数を救う。その決意をした時から彼が寂雷に向ける感情と向き合ったことは、ついぞなかった。
     けれど、だから、あの時の言葉は。それが真実である保証などどこにもなくても、嬉しかった。もしかしたらまた、乱数とかつてのような関係に戻れるのではないかと、そう思ってしまう程度には。

     抱える負債が寂雷だけのものなら、何の迷いもなく決断できただろう。一人で奔走すれば解決するのなら、どんなことでもしただろう。けれど、そうではなかったから。
     なら、どうする? そう考えた時に真っ先に浮かんだのが、獄だった。

    『……俺にはなんも話してくれないんだろ?』

     話しても、いいのだろうか。迷惑ではないだろうか。困らせはしないだろうか。いや、その後獄は言っていた。迷惑に決まってる。困るに決まってる。驚くし怒るし理不尽な言葉だって投げかけるかもしれない。でも、それでも話して欲しかったと。例え寂雷が人殺しだったとしても、それでも、話して欲しかったと。俺はお前ほど人間ができていないから、もしかしたらお前を傷つけるような言動をとってしまうかもしれない。それでも最後には絶対に、お前の味方をしてやるから、と。
     そう言ってくれた獄を、今度こそ信じてみようと思った。

     案の定、一連の話をした獄は驚き、呆れ、怒っていた。『ラザロ・プロジェクト』の件を話さなかった時も怒られたけれど、その比ではない。何故もっと、早く言わなかったのか、と。
     宇宙に行くべきだと、そう思うかい? と尋ねれば、お前が行きたくねえのに行く理由なんてあるわけねえだろと、そう言ってくれた。寂雷と獄の間に関係があったことが露見すれば獄にも不利益があるかもしれないと。そう言ってもなお、獄は呆れるばかりだった。不利益なんざ、俺がこの先一生お前に勝つ機会すら与えらんねえことに比べりゃ、なんてことねえと。どこかの誰かみたいなことを言う、と。その時もやっぱり寂雷は笑ってしまって獄に睨まれた。

     その後獄と寂雷は額を突き合わせ、夜を徹して今後のことを話し合った。寂雷の過去がなんらかの形で暴露されるとして、そのダメージを最も軽減するために、何ができるか。いつどこで、どのようなタイミングで対策を講じるべきか。二重三重に不謹慎かもしれないけれど、そんな時間はかつて獄と彼の兄を追い詰めたイジメの首謀者を探っていた時のことを思い出して、少し懐かしく、楽しかった。
     寂雷自身の口で、暴露されるよりも先に暴露して閉まった方がいいのではないか。そう提案してくれたのは、確かに獄だった。

    「は……やっぱりあの頃、俺になんざ話さなくて正解だったかもな。今の俺ですらこの体たらく。あの頃の俺なんざ、糞の役にも立ちゃしねえだろうよ」
    「獄、そんなことを言わないでくれ。私は君に本当に感謝しているし、あの時も君に話せばよかったと、本当にそう思っているのだから」
    「いーやんなことないね。さっすが神宮寺寂雷様だ、その慧眼恐れ入る」
    「獄……」
    「……悪い。今1番キツいのは、どう考えてもお前なのにな」

     少し飲みすぎたか、とグラスから手を離しその手でそのまま額を押さえる。腕の隙間から絞り出すような「俺に任せとけって、そう言ったのにな」という呟きが聞こえて胸が痛んだ。それでも、「言わなければよかった」とは思わない。こんなふうに苦しめるくらいなら、という思いやりの元だったとしても、思ってはいけない。

    「……シラけちまったな。なんか流すか」

     そう言って獄は立ち上がると、愛用のラジオに向かった。適当にチャンネルを合わせれば、聴き慣れた声が耳を打つ。

    『──こんばんは、夢野幻太郎です。諸事情の為前回放送はお休みさせて頂きましたが、この度緊急突発ラジオということで、いつもより短めでありますが少々お時間を頂いております』
    「……悪い、替えるか」
    「いえ、好きな番組ですよ。是非そのままで」

     Fling Posseの夢野幻太郎。そんな彼が出版した本が今夏アニメ映画として全国上映されるということで、このラジオも行われていた。読書家である寂雷は元々幻太郎の著書にも馴染みがあったし、それに何より幻太郎は乱数のチームメイトだ。興味深くて、このラジオも毎週のように聞いていた。確か前回放送は、それどころでなくて聞けていなかった気がするけれど。
     そして獄がこんなふうに気まずそうな顔をするのは、あからさまに「しまった」とでも言いたげな顔をするのは。幻太郎のその映画が、乱数の、ひいては寂雷のせいで無期限の公開延期が決定したから。そしてそれ以上に、今現在乱数が先日の火事のせいで意識不明だからだろう。

    『まずは皆々様、前回放送は唐突にお休みを頂きまして誠に申し訳ありません。何やら私の仲間のとある行動が世間で大問題になっているらしく、ええまあこれがもう誹謗中傷の嵐がものすごくて。私のラジオのメールフォームにも毎日のように何千件何万件とお気持ちが届いている次第でございます。皆々様、律儀なご連絡誠に感謝申し上げます。ええ、本当に』

    「……お前があの飴村乱数っつーガキと組んでるって知った時」
    「飴村くんはああ見えて一応二十四歳ですよ。複雑な生い立ちですから審議の必要なところではありますが、個人的には本人の望む年齢が──」
    「うるせえ細けえこたいいんだよ黙って聞け」
    「はい」

     幻太郎のラジオに紛れるように話し始めた獄の言葉に、寂雷は言われるままおとなしく耳を傾ける。

    『ところでこれは純然たる疑問なのですが、果たしてそのお便りをくださった皆々様方の中に、いったいどれほど彼自身のせいで迷惑を被った者がいたのでしょうね。いえ、もちろん大半の方がそうなのだと思いますがね? だってそうでしょう? まさか己自身が一切関係のないのにわざわざ誹謗中傷を書き込むなんて、そのように暇な方は当然、いらっしゃいませんよね? ましてや確かに彼は少々面白おかしく語り過ぎた節がありますが、彼の不幸かつ理不尽な身の上を知った方ならば、当然のこと』

    「……あの男と組んでるって知った時、あんなガキとかよ!? って、驚いたもんだ」
    「ああ」
    「だが、あいつのラップを聞いて納得したよ。ありゃあ確かにてめえ好みの野郎だろうがよ。あんなナリであのラップ、そりゃあさぞかし興味深かっただろうがよ」
    「……ええ、そうですね。本当に。ラップも、それ以外の所も、興味深かった」
    「だがな、今回の件でよりいっそう、なんでお前があいつとチームを組んだのか、わかった気がしたよ」

     乱数が意識不明、といっても、命に別状はないと既に診断が出ている。それでも、煙を吸ってしまいぐったりとしている乱数を見た時には血の気が引いたし、自分のせいで、と思ったものだった。
     乱数が何故、寂雷の暴露に被せるように己の過去までも赤裸々に暴露したのか。その理由を寂雷はおそらく十全には理解できていない。乱数も一応説明はしてくれたが、その言葉をどこまで額面通りに受け取っていいものか寂雷にはわからない。ただ乱数は、寂雷がきっかけでその命までもを脅かされた。かつて泣きながら「生きていたい」と語った、それほどまでに大切なものを奪われそうになった。

    『そうそう、ところで話は変わりますが、先日私のチームメイトが不幸な事故に遭いまして。ええ、事故です。事故でしょう? だってまさかそんな、事実己を害されたでもないのに、馬鹿馬鹿しい正義感と興味本位に踊らされて火遊びをするなんて、そんな愚かしいものを人と呼べるはずもないでしょう? 車が人を害すればそれは事故です。鉄骨が落ちたって事故です。お猿さんが道端で襲い掛かってきたって、それは事故でしょう? ええだから、あれは事故なのです。もっとも、私はそんなお猿さんに心底腹わたが煮えくりかえっている訳なのですが』

    「だがな寂雷。同時にあの男は、お前を騙してチームを組み、そんでお前が引き取ったっつーあの衢とかいうガキを害した、仇敵でもあんだろ」
    「……そう、ですね。ええ確かに、その通りです」
    「お前は飴村乱数の行動を愚かだと言ったがな、それでも実際あの騒動に紛れて世間の目はだいぶお前から外れた。確かにお前らが昔チームを組んでた以上その相乗効果で燃えた面もあるが、それでも飽きっぽくてよりセンセーショナルな話題が好きな世間様の目はあいつに向かってる。……なあ、寂雷」
    「はい」
    「お前がこれからやろうとしてること……そこまでしてやる義理が、本当にあんのか?」

     思ってもみなかった言葉に、思わず目を見張る。冗談や皮肉かとも思ったが寂雷を真正面から見つめる獄の瞳は真剣そのものだった。ならばこれは、真剣な答えを求められている問いなのだろう。

    「何も別に、そいつがしたことはお前が頼み込んだ訳でも、無理強いした訳でもねえんだろ? 全部ひっくるめて、そいつが好き好んでしたことだ。だったらいいじゃねえか、させとけよ。んなことの尻拭いまでお前が面倒みるこたねえ。それが家族だ恋人だお前の全部を捧げても構わねえって相手ならともかく、聞けばとんでもねえ裏切り野郎じゃねえか」
    「……」
    「もう一度訊く。そいつに、お前がそこまでしてやる価値が、本当にあんのか?」

     寂雷が、これからしようとしていること。
     それは、乱数に移ってしまった注目を、もう一度自分に戻すこと。乱数の語った言葉は全て荒唐無稽な物語であり、かつての仲間であった自分を庇うために発されたものだったと。脚本は乱数の仲間でありあの小説家の夢野幻太郎! 説得力としては申し分ない。疑念は残るだろうが、「な〜んだ、人騒がせな」と、そう思い忘れる層だって少なからずいる。
     そして寂雷は、そのままこの国を離れる。幻太郎や帝統にはどうかこれ以上乱数が無茶をしないようくれぐれもよろしく頼むと念押ししたが、それでも寂雷がいればまた乱数はおかしな気を起こすかもしれない。何よりこの前のホテルの火災のような事態を引き起こさない為にも、きっともう寂雷は、この国にいない方がいい。
     動画は収録済み。外国行きの飛行機のチケットも取ってある。急なことになってしまったがこんなこともあろうかと身辺整理はある程度済ませてあったし、知人への別れも簡素ながら済ませた。そして明日がX day。寂雷がこの国を離れた頃、獄がテレビ局に動画を送る手筈になっている。

    「……それは逆だよ、獄」

     静かに語り出した寂雷に、獄は露骨に顔を顰める。

    「彼は私の命を救い、そして私にラップや、様々な事を教えてくれた。その事実はその後彼が私に何をしたとしても変わらない。私はただ、彼にしてもらったことを返すだけだ」
    「それだって、全部中王区の差金なんだろうが。そいつの意志でも好意でもねえ」
    「それでも、だよ。それでも、嬉しかったから。私を救ってくれたことも、ラップを教えてくれたことも。そして彼と過ごした日々はとても楽しくて、そして今回、彼からもらった言葉の数々も。本当に、嬉しかったから」

     乱数が今回、何故あんなことを言ってくれたのか。してくれたのか。その理由を、おそらく寂雷は十全には理解できていないけれど。
     それでも、嬉しかったから。そこにあるものがなんなのか。それが真実なのか偽りなのか、それはもう、今の寂雷にはどちらでもいい。

    「ただ、彼には幸福であって欲しいと、そう思うんです」

     そして、それを守る為ならば、なんだってできる。

    『まあという訳で、今現在意識不明の彼ですが、幸いなことに命に別状ないようで、数日もすれば目覚めるでしょうとのこと。──はてさて、前置きが随分と長くなってしまいましたが、気を取り直して本題と参りましょう。本日は、そうですね、前回小難しい数式の話をしましたので、今回は小生の得意ジャンルのお話を致しましょう。【宇宙】を題材とした、物語のお話を。【宇宙】を題材とした物語といえば、以前上げましたジュール・ヴェルヌの【月世界旅行】、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの【たったひとつの冴えたやり方】、アーサー・チャールズ・クラークの【2001年宇宙の旅】。少々毛色は変わりますがサン・テグ・ジュペリの【星の王子さま】なども推したいですね。著名な作品を上げ出せばキリがないながら、私が本日取り上げさせて頂きますのはそう、宮沢賢治の【銀河鉄道の夜】──』

     あからさまに納得していないような顔をする獄に寂雷も苦笑を漏らしながら、熱い前置きの終わったラジオから流れた単語に思わず耳を傾ける。熱く、優しい前置きだった。このラジオの主は、この度のことをあの優雅な微笑みの裏で、心底怒っていた。それはもちろん、ギャンブラーの彼も。
     あのふたりに、どうか本当に乱数のことが大切ならば、何をしてでも何を言ってでも、乱数を止めて欲しいと頼んだ。乱数の意図を十全に理解できているわけではないけれど、彼が意地っ張りな人間であることは知っているから。引っ込みがつかなくなってしまって周りが見えなくなっている彼でも、大切な仲間の言葉なら聞くだろう。

    「懐かしいね、獄。中学の教科書に『銀河鉄道の夜』が載っていたのを覚えているかい?」
    「あ〜……あったっけな、そんなことも。確か一部しか載ってなくて、続きが気になったお前は図書館に直行してた」
    「それは獄だろう? 俺には我慢ならんものが二つある、中途半端に気になるところで物語を止める教科書と無駄に好奇心を煽っといて『後は自分で読んでみてください』で授業をやめる現国の教師だって言っていたじゃないか」
    「……なんで覚えてんだよ」
    「記憶力はいい方だからね」
    「そういうレベルじゃね〜……」

    『この作品は、貧しく孤独な少年ジョバンニと、彼の親友であるカムパネルラが、銀河鉄道に乗り宇宙を旅する物語です。皆様も、元のお話を読んだことはなくともアニメや映画、またはこの作品をモチーフにした別の作品で大なり小なり触れたことがあるのではないでしょうか? ジョバンニとカムパネルラは幼い頃からの友人同士でしたが、成長するにつれ疎遠となります。しかし彼らはこの銀河鉄道で再会し、星空の旅を楽しむのです。北十字星から、南十字星への天の川の旅を』

    「お話を元に路線図を描いてみたりもしたね。実際の星間距離を計算して、彼らの旅路にかかった時間も推測して、あの列車が大体時速何光年で走っているか議論もした」
    「距離はともかく時間が無茶なんだよ、あれだけの物語からんなことわかるかってんだ」
    「ふふ、なかなか興味深い議論だったよ」
    「……お前はあの時、あの話のさそりみてえな人間になりてえって言ってた。いたちから逃げる死に際に、多くの命を奪ったことを悔やみ、他人の幸せの為にその身体を使えと神に祈ったさそりに」
    「君はカムパネルラに怒っていたね。ジョバンニにどこまでも一緒に行こうと言われたのに、それを無視してひとりで行ってしまったカムパネルラに。行くなら行くと、せめてそう一言言ってくれと。そうでないなら、どうしてあの列車にジョバンニと共に乗っていたのかと」

     ラジオからは、幻太郎の耳に心地よい声で銀河鉄道の夜の物語やセリフが語られている。それを聴きながら、寂雷はポツリと呟いた。

    「……最近になって、たまに思うんだ。飴村くんは本当は、全てを置き去りにしようとしたことがあったんじゃないか、と」
    「置き去りに……?」
    「わからないけれどね。彼はもうあまり、そういう話をしないから。でももしかしたら彼は全てを置き去りに、それこそ宇宙に、ある種輝かしい場所に旅立とうとして……私がそれを引き止めてしまったんじゃないかと、そう思うことがあるんだ」
    「意味がわかんねえな。そいつが死のうとしてたとでも言うつもりかよ」
    「彼は刹那的な快楽を追い求める男でもあったからね、もしかしたら、という話だよ。……でも、思うんだ。もしそうだとするなら、やはり私は彼を引き止めた責任を、取らなければいけないんじゃないかと。彼が地上で幸福に過ごせるよう、全力を尽くすべきなんじゃないかと」

    『【──どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかい下さい】』

    『【──カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない】』

    『【──けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう】』

    『【──僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう──】』

    「……それで今度は、お前がカムパネルラになってジョバンニを置いていくってわけか」
    「そういうことに……なるんですかね」
    「どいつもこいつも勝手だ。カムパネルラも、さそりも、っとに……」

     何を言いたかったのか、言葉に詰まった獄はまたグラスを煽り、その中身を空にする。ロックの氷だけが残ったそれを見つめる獄の瞳は眠たそうに溶けていて、だいぶ酔っているなと寂雷にもわかった。こういう時の彼は、本人も望まない言葉を口走りがちだ。それそろ止めてやるのが優しさだろうと制しかけ──。

    「──お前は、成功と栄光だけが約束されたやつだって、ずっとそう思っていた」
    「……獄?」
    「だから、お前に勝ちたかった。何をやっても頂点に立って、できないことなんてなくて、誰からも慕われて誰の助けも必要としない。そんなお前のダチでいるってんなら、何か一つくらいお前に勝たねえと、格好がつかねえだろって……」
    「……そろそろ眠ろうか。後片付けはやっておくから、君は水でも飲んで軽くシャワーを浴びてくるといい」
    「栄光と成功だけが約束されてて……それ以外のもんなんて、なくて。だから、お前がどん底で独りで苦しんでた時があるだなんて、思いもしなかった。今だってそうだ。あの神宮寺寂雷が? 住処を追われて仕事も失って誰からも誹謗中傷を投げつけられ国外逃亡? なんだそりゃ、深酒の夜の悪夢か?」
    「獄」
    「……俺が、お前を助けてやりたかった」

     「お前が一番しんどかった時に、何の力にもなってやれなかったから、今度こそってな」。そんな言葉を空気まじりに囁いた後、またグラスを煽る。彼はそれが空だったことをすっかり忘れていたようで、たいそう不満そうな顔をして立ち上がり、壁際に並ぶ秘蔵のコレクションの一本を手に取った。

    「今日は朝まで飲むぞ。てめえも付き合えや」
    「いえ、私はお酒はちょっと。……君も、それくらいにしておいた方がいい」
    「うるせえいい子ぶってんじゃねえ。飲み明かして忘れてえことの一つや二つあんだろ」
    「忘れたいことなんて、ありませんよ」

     キッパリと、そう言い切った寂雷に虚をつかれたように素面の顔をする獄に、言い聞かせるように微笑む。「忘れたいことなんて、ひとつもありません」と、繰り返す。

    「それに、私は今本当に幸福だと思うんだ。こんなにも私のことを想ってくれる仲間に恵まれて。確かに相応の言葉もたくさん頂戴したけれど、でもそれ以上に、変わらぬ親愛にも気付かされた」
    「……」
    「なに、カムパネルラのように永遠の旅に出る訳でも、これが今生の別れという訳でもない。必ずまたいつか戻ってくる」

     そうしたら、その時はまた酒の席に誘ってくれるかい? と。その問いかけに獄は「……おう」と。苦虫を噛み潰したような顔で頷いてくれた。




    * * *




     そして、朝焼けの空港を歩く。
     長髪を結い上げ目深に帽子を被りサングラスをかけ。一応変装は施しているものの、人気の少ない空港のこの時間を選んだのは、やはり正解だったようだ。人影はまばらで、大半が仕事帰りらしい彼らは、他人に関心がない。待機の時間を睡眠か新聞、食事やスマホに費やし、颯爽と歩く寂雷に気付きはしない。こうしていると本当に、今自分がこの国でどんな立場にあるのかを、忘れてしまいそうになる。
     被害者ぶるつもりはない。悪意を向ける人々を、憎むつもりも。ホテルに火を放った人々には言いたいこともあるものの、それももう終わりだ。乱数は無事に目覚めたと先日彼を預けた病院の医者から連絡があった。寂雷さえいなくなれば、あの動画を獄が有効活用してさえくれれば、きっともうあんなことは起こらない。
     願わくばどうか、乱数だけではなく、寂雷と関わりがあった者達全てが、この先も幸福であらんことを。

    『……それで今度は、お前がカムパネルラになってジョバンニを置いていくってわけか』

     置き去りにすることに、なるのだろうか。寂雷としてはそんなつもりはないのだけど。むしろいつも自分は置いていかれる側だった。獄は寂雷を置き去りにあの部屋を出て、衢は気付けば寂雷の手の届かない場所にいて、乱数も寂雷を屋上に置き去りにした。いつだって彼らの背中を見送ってきた。今回だって、そう。確かにこの国を去るのは寂雷だけれど、過去から逃げて未来に背を向けるようなこの逃亡を、果たして前進と言えるのか。
     そんなことをつらつらと考えながらトランクを転がす寂雷の前に、誰かが立っていた。空調の効いている空港内だから問題ないだろうけれど、外に出たら朝とはいえ真夏に着るには不似合いな黒い、ウィンドブレーカーを着た。

    「寂雷」

     見慣れないモノクロを纏う、乱数の姿が。


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    Replies from the creator

    hanihoney820

    DOODLE◇ ゲーム「8番出口」パロディ乱寂。盛大に本編のネタバレあり。大感謝参考様 Steam:8番出口 https://store.steampowered.com/app/2653790/
    ◆他も色々取り混ぜつつアニメ2期の乱寂のイメージ。北風と太陽を歌った先生に泥衣脱ぎ捨て、で応えるらむちゃんやばい
    ◇先生と空却くんの件は似たような、でもまったく同じではない何かが起きたかもしれないな〜みたいな世界観
    はち番出口で会いましょう。 乱数、『8番出口』というものを知っていますか。

     いえね、どうも最近流行りの都市伝説、といったもののようなのですが。所謂きさらぎ駅とか、異世界エレベーターとか、そんな類の。

     まあ、怖い話では、あるのですかね。いえいえ、そう怯えずとも、そこまで恐ろしいものでもないのですよ。
     ただある日、突然『8番出口』という場所に迷い込んでしまうことがあるのだそうです。それは駅の地下通路によく似ているのですが、同じ光景が無限に続いており、特別な手順を踏まないと外に出ることができないそうです。

     特別な手順が何かって? それはですね──。




    * * *




     気がつくと、異様に白い空間にいた。
     駅の地下通路、のような場所だろうか。全面がタイル張りの白い壁で覆われていて、右側には関係者用の出入口らしきものが三つに、通気口がふたつ、奥の方には消火栓。左側にはなんの変哲もないポスターが、一、二、三──全部で六枚。天井には白々煌々とした蛍光灯が一定間隔で並び、通路の中央あたりには黄色い「↑出口8」と描かれた横看板が吊られている。隅の方にぽつんとある出っ張りは、監視カメラか何かだろうか。足元から通路の奥まで続く黄色い太線は点字ブロックらしく、微妙に立ち心地の悪さを感じて乱数は足をのける。
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