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    hanihoney820

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    hanihoney820

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    「宇宙人なんていないから」の続き
    先生と空却くん。たくさん捏造。

     神宮寺の家は、代々医者の家系だった。

     寂雷の父も、祖父も、曽祖父も、高祖父も医者だった。母も、祖母も、高祖母も医者だった。曽祖母は違ったらしいが、むしろその方が自然だろう。いくら医者の親は医者が多く、医者同士の結婚が多いと言えど限度がある。純粋培養極まれりだな、と呆れと感心半分で言っていたのは、中学来の旧友だ。
     ただ、だからと言って父や母から「医者になれ」という圧力を感じたことは一度もない。むしろ彼らは十分過ぎるほど寂雷に選択肢も機会も与えた。勉強も、運動も、芸術も、何をしようと自由だった。寂雷は数学者になることも、野球選手になることも、ピアニストになることだってできた。
     それでも、神宮寺寂雷は医者になった。神宮寺家は先祖代々医者の家系だった、と言われる中のひとりになった。

     寂雷が今現在住んでいる家もまた、先祖伝来のものだった。もちろん複数回に渡りリフォームされ、おそらく数十数百年前の面影はもうほとんどないのだろう。寂雷が物心ついた時には既に今の外観だったので、この家に百年以上に渡る歴史がある、と言われてもあまりピンとこない。
     何より神宮寺の家は、代々少しばかり短命だった。悲劇として捉えるほどのものではない。けれどだいたいが五十、六十を過ぎると、ころりと息を引き取るのだと。それは寂雷の祖父母とて例外ではなく、両親の歳がいってからの子供であった寂雷は、彼らとあの家で暮らしたことがない。
     だから、寂雷は両親が死んだ時も、当然の道理としての悲しみはあれど、来るべき時が来たのだと自然に思った。やるべき事をやり、志を全うし、温もりの中で笑いながら死んでいったあの人達。美しく穏やかな、正しい死。
     彼らのように生きたいと思った。彼らのように死にたいと思った。

     家のことに、話を戻そう。
     複数回に渡りリフォームをされ、内観も外観も古式ゆかしさは残せど清潔で使い易い家だった。何より、広い。
     特に気に入っているのは書斎で、二階の廊下の突き当たりに位置するそこは、家の中でリビングの次に広い部屋だった。そしてその壁一面は全て、本で埋め尽くされている。
     医学書はもちろん、その他様々な分野の本が揃っていた。専門書にエッセイ、歴史書に図鑑、そして娯楽小説も。可動式本棚にぎっしり詰まっても収まりきらなかった分は、床に山と積まれる程。
     祖父母にも曽祖父母にも高祖父母にも会った事はない。この家が先祖伝来のものという意識も薄い。けれどこの部屋に収まる、ジャンルも年代も様々な本に囲まれている時、寂雷はこの家の、血の歴史と繋がりを感じるのだった。

     特に曽祖父の日記を読んでいる時はその感覚が顕著だった。他人の日記を盗み見るなんて! と憤慨されそうなものだが、曽祖父に許された祖父が。そして彼に許された父も読んだものだった。あまり筆マメな人間がいなかったらしい書斎に残された日記はそれくらいで、日々の仕事を主に連ねたそれを読むことは、もしかしたら寂雷の人生に大きな影響を与えたのかもしれない。
     少し堅い、几帳面な文字で丁寧に綴られた日々だった。忙しなく、けれど穏やかで、満ち足りた人生の物語だった。「こうありたい」と思わせる手本だった。
     大学時代、何かに悩んだり、困難に直面した時。日に数ページずつ、その日記を捲るのが寂雷の習慣でもあった。

     もっとも、当時不思議と、寂雷にはうまく読めないページがあった。他のページはとても丁寧に綴られているのに、とある期間の十数ページだけ、殴り書いたように荒い文字が踊っていた。何か酷い事でもあったのか。父に訊いたが彼も首を振り、傾げるばかりだった。自分も読めなかった。祖父も読めなかったそうだ。曽祖父は何も伝えていないと。
     墓を暴くような好奇心だと知りながら、寂雷は折を見てそのページを眺めた。けれど結局、大学時代の。正確に言うならば戦地に赴く前の寂雷がその日々を読み解くことは、ついぞなかった。





    1




     暑い。

     飾り気なくそう思いながら、寂雷は食料を配給していた手を止め滴りかけた汗を拭う。白地なので目立たないが、着ているTシャツの首周りはすっかり水気を吸っていて、束ねた髪も首元にまとわりつき鬱陶しい。少しでも熱を逃すために息を吐けば、自分が火炎放射器になったような錯覚を覚えた。
     インドには三つの季節がある。ホット、ホッター、ホッテストだ。そんなジョークの存在を聞いたことはあったし、これまでに訪れた国でも猛暑に苦しめられたことは少なくない。我慢強さは人一倍だと自負していたつもりだが、ここ数年日本にいたが故の弊害だろうか。すっかり平和ボケが板についている。
     けれど寂雷が辟易する道理もある。実際にインドに存在する季節は雨季、乾季、暑季の三つで、今は五月後半。雨季に移り変わる寸前の、暑季だ。峠は越えているとはいえ、インドで一番暑い時期の真っ昼間に長時間屋外にいれば、少しくらいバテても仕方がない。

    「ジャクライさん、お疲れ様です。そろそろ休憩にしましょうか」
    「アンシュくん」

     寂雷に声をかけたのは、褐色肌に少し癖の付いた長めの黒髪が特徴的な青年だった。黒目がちで小柄な彼は幼くも見えるが、歳の頃はすでに二十歳過ぎだという。インド人男性の平均身長は百六十五センチ程度と、世界全体の中でもトップクラスに低い。それに届くか届かないかの彼が幼く見えるのは、寂雷が人並み以上に高身長だということを差し引いても仕方のないことだろう。
     モスグリーンの細めの立襟で着丈の長い、ワンピースにも似た上衣と、白いゆったりとしたズボン。それぞれクルタとパジャマと呼ばれるそれらは、インドの伝統的な民族衣装だ。動きやすく通気性のいいその衣服は、肌の露出を好まない風習にも沿った合理的なものだと寂雷も思う。

    「いえ、まだ半分も配り終えてないでしょう? 私は大丈夫ですから、せめて皆さんの昼食の分だけでも済ませてしまいましょう」
    「そうですか? あまり無理をしないでくださいね。慣れない気候で大変でしょうに、日本からこんな田舎にまでわざわざ来てくださって、私たちはそれだけで十分に感謝しているんですから」

     アンシュとはヒンディー語で「太陽の光」という意味なのだと、初対面の時に彼は言っていた。
     日本発の特定非営利活動法人「あかつきの海」のインド支部所属だという彼は、今回の寂雷の旅の案内人として派遣された青年だった。ハネダ空港から十六時間ほどかけてコルカタに向かい、彼とそこで落ち合い、ガヤ空港まで一時間。今寂雷達はビハール州という、住民ひとりあたりの経済水準がインド二十八州の中でも最低といわれる場所の、とあるスラム街に来ていた。
     「あかつきの海」は主に経済的に貧しい人々に対する支援を、国家の垣根なく行なっているNPO法人だ。今回寂雷がインドを目指したのは別件だが、以前から協力していたこの組織からの食糧配給の依頼を、ついでのような形で引き受けた。その際によければ案内人をつける、と言われて派遣されたのが彼だ。初めは断ったのだが、アンシュは気のいい青年でよく働き、インド旅の指南役としても優秀だった。
     太陽の光、というよりは、どちらかというと月を思い起こさせる顔で笑う青年。

    「それにしても……彼はあの格好で暑くないんですかね? 涼しい顔して、汗ひとつかかないで」
    「……そうですね。ええ、本当に」
    「当初はジャクライさんだけでいらっしゃるというお話でしたから、驚きました。まさかビクシュとご一緒だとは」
    「ビクシュ?」
    「オボウサン?」
    「ああ……。ええ、そうですね、本当に」

     聞き慣れない語彙に問い返すが、我ながらぎこちなく応えてしまい、思わず苦笑する。彼の視線の先には、子供達に囲まれながら袈裟の裾が土に汚れるのも厭わず身を屈め、子供達に食料を与えている赤髪の青年の姿があった。




    「やっぱインドか! いつ出発する!?」
    「空却くん」

     何故ここに、という言葉は、声にならなかった。その程度には、驚いた。
     だって寂雷はその日その時その場所からインドに発つことを、日本にいる知人の誰にも話したことはなかったのだ。
     なのに、波羅夷空却はハネダ空港の出発ロビーに、小柄な身体をすっぽり隠してしまうほどの巨大なバックパックを背負い仁王立ちで立っていた。明らかに、見送りという雰囲気ではない。まるではなからここで待ち合わせだったような顔をして、空却はそこにいた。

    「……まさか、一緒に行くつもりでは、ないですよね?」
    「あ? なんか拙僧がいてフツゴーでもあんのかよ。安心しな、さすがに旅費までたかろうなんざ思ってねえよ」
    「不都合というか、何故、急にそんな突拍子もないことを」

     空却は数年前、H歴においてディビジョン・ラップバトルというものが開催されていた時代、ナゴヤ・ディビジョンのリーダーとして活躍している青年だった。寂雷率いるシンジュク・ディビジョンは第二回のバトルにおいて彼と戦ったこともあり、またその後超常の出来事が起きた際、彼に助けられたこともある。
     その縁と、彼のチームに寂雷の旧友がいることもあり、H歴が終了しディビジョンという垣根がなくなった後も、ちょくちょくと顔を合わせる仲ではあった。相変わらず、他人と言うには近く、けれど衒いなく友人と言ってしまうにはどことなく遠い、歳の離れた奇妙な知人。空却の関係を問われそう答えれば「人類皆友、みたいなこと言いそうなクセして、意外」とかつてのチームメイトは言葉通り不思議そうな顔をしていた。
     言われてみれば、そうかもしれない。寂雷は一度二度食事を共にした程度の相手だって、友と呼ぶことに抵抗はない。けれど、何故だろう。食事程度なら幾度となく共にし、枕を並べたことだってある彼を「寂雷の友」と呼ぶことに、違和感を覚えた。

    「なんだよテメエ、マジで忘れたんかよ」
    「何がです?」
    「テメエが言ったんだろうが。一緒に行くかってよ」

     明らかに不興を買ったように。もしくは拗ねたように? 唇を尖らせる空却に重ねて問いかけようとして、辛うじて思い出す。確かにかつて、そんなことを言った。海外旅行に尻込みをする空却に、ならば一緒に行くかというような、戯言を。
     戯言だ。十以上も離れて、性格だって正反対に近くて、友人も多い空却が、わざわざ旅の同行者に好き好んで寂雷を選ぶはずもない。寂雷個人としては空却のことをかなり好ましく思っているが、空却がそれほど己を買ってくれていると思うほど思い上がれない。
     それが、こんな不意打ちのように。

    「確かに、言いましたが。ですが何も、こんな急に」
    「インド、行くんだろ? ますますもっておあつらえ向きな、拙僧にぴったりの場所じゃねえか。混ぜろよ」
    「いや、しかし」
    「──なんだよ、マジで迷惑か?」

     寂雷に背を向けてずかずかと搭乗ゲートに向かって歩き出す空却を制そうと手を伸ばせば、振り向いた彼は猫のような大きな瞳を細めて寂雷を見つめた。見透かすような瞳。寂雷には視えないものを、視ることのできる眼を持つ青年。
     この日この時間にこの場所にいることを、誰にも言った覚えはない。近々海外に発つかもしれない、と報告した心当たりはあるけれど、それ以上の手がかりなど誰にも与えなかったはずだ。なのに彼は、ここにいた。




     このインド旅の始まり。空却と出会った時のことを思い出しながら、再度子供達に囲まれる彼に視線を戻す。
     出発の際はいつもの修行服にスカジャンという格好だった彼だが、ここに着くなり袈裟に着替えていた。あんなにも大荷物を抱えていた理由に合点がいく。それは、嵩張るだろう。
     寺にいる時も滅多に着ない、と言っていた彼に理由を尋ねた時は「動きにくいから」と至極明快な解を頂戴していた。実際彼愛用しているノースリーブの修行服は機能性重視らしく、袖を捌く必要もなく動きやすそうだ。けれどそんな彼が、わざわざこの極暑の地で、あんなにも暑そうな衣装を身に纏っている。

     ──何か、視たのか。

     波羅夷空却は、予知夢を見る。彼自身ですら若干半信半疑ではあるようだが、実際寂雷はその能力に助けられた。寂雷がお化けやら宇宙人やらに襲われる夢を見た彼は、ナゴヤくんだりから遠路遥々シンジュクまでやって来た。
     今回も、そういうことだろうか。本人すら半信半疑の、不可解な力をもってして何かを察した彼は、無茶を言って今このインドの地を踏んでいる。
     遠目に見る空却の横顔からは、何も読み取れない。相応に歳を重ねたのか、それとも荘厳な袈裟姿の効果か。いつもより少し大人びて見える彼は、子供達に食料を配ってはせがまれるままに経を唱えてやっている。極暑の中、にも関わらず汗ひとつかかない僧侶が唱える漣のような音は、なんだか知らない聖人が奏でるものに聞こえた。

    「ジャクライさん? 調子が悪いようなら、やはり休憩にしますか?」
    「あ、いえ。申し訳ありません。大丈夫ですよ」

     黙り込んだ寂雷を訝しんだらしいアンシュに覗き込まれ、寂雷は慌てて手を動かす。荷車にはまだ大量の食料が積んであるし、炊き出しの雑炊も火にかけたままだ。突拍子もない同行を試みた空却の意図が何であるかは不明だが、寂雷には今すべきことをやる他に道はない。
     味見をした雑炊が満足のいく出来栄えなのを確認してから、空却に声をかける。

    「空却くん! それが終わったら、私たちも昼食にしましょう!」
    「お~! いいかげん腹ペコだ!」
    「何か、食べたいものはありますか!」
    「唐揚げ!!!!」

     インドまで来て? という言葉は飲み込む。
     神聖めいて見えた彼がいつも通りであることに、寂雷はなんだか少し安心してしまった。




    2




     焼肉でも食いに行くか、という言葉が符牒めいて聞こえたのは、別に空却の勘やら第六感がどうこう、という話ではないのだろう。
     連れて行かれたのはナゴヤ駅周辺の居酒屋に混じって建つ老舗の店だった。外見は少し古びて見えたが「知り合いから紹介された店なんだがな、これがうまいんだ」と語る獄の保証つきなら、クオリティに間違いはないのだろう。
     だからこそおかしいのだ。そんな一推しの店に、獄が十四を置いて、空却だけを連れて来るなんて。

     数千円の食べ放題ではなく、メニュー表に何グラムいくら、と書かれているような店だった。肉数枚で空却の一日分の食費が飛ぶ。けれど彼は遠慮をするようなタマではないし、獄も「好きなもん食え」と口にしながら、早速店員に適当な部位を注文している。タン、カルビ、ハラミ、ヒレ、ロース。店内に入った瞬間から漂う炭火に炙られた肉の香りに、ぐうと腹の虫が鳴く。
     空却は、焼肉が好きだ。もしかしたら、好物と声高に叫ぶ唐揚げよりも。だって今目の前で、この焼肉と唐揚げどちらかしか食べられないと言われれば、間違いなく焼肉を選ぶ自信がある。けれどそういう人間は多いだろう。普段好物と語るものは、普通手の届く範囲のものを選ぶ。一生に一度しか食べたことのないフォアグラを永遠に好物だと紹介する人種は少ない。希少性に対する付加価値は、また別の話。

     届いた肉を片端から放る。空却は焼き肉を食べる際には白米を食べたい派だったので、熱々の肉をタレに浸し、米と一緒にかっこんだ。うまい、うまいと肉と米を消費する空却に「ゆっくり食え」と諫めながら、獄は黙々と肉を焼く。彼はずっと、ちびちびとビールを飲むだけだった。

    「──んで、話ってなんだよ」

     一通り食べ終え、腹もくちくなってきた頃。どこまでも切り出しにくそうだった獄に空却から話を振ってやったのは、彼なりの慈悲だった。獄もそれをわかっているのか、罰が悪そうな顔をして三分の一ほど残っていたビールを飲み干す。
     空却に前払いで対価を払うほどで、十四には聞かれなくない何か。悟り顔で促したところで、心当たりは全くない。

    「……寂雷の、ことなんだが」
    「神宮寺、寂雷?」

     そして案の定、ボールは全く予想外の方向から飛んできた。いくつかあった候補の、そのどれにも掠らない名前。
     神宮寺寂雷はシンジュク・ディビジョン麻天狼の元リーダーであり、天国獄の旧友でもある。H歴においてディビジョンラップバトルで、空却達ナゴヤ・ディビジョンと鎬を削ったこともあった。
     H歴が終わった今となっては、獄と寂雷はかつてのように、とまではいかずとも友人と呼んで差し支えない関係を築いている。そして空却も、時折思い出したようにつるむ仲だ。全く無関係というわけではない。
     けれどこんな、高級焼肉を引き合いに出されるような話は、やはり思い浮かばなかった。

    「近い内に、また海外に行くかもしれねえって、あいつが」
    「旅行、ってわけじゃねえんだよな。テメエのそのツラ見るに」
    「ああ。H歴に関するゴタゴタも終わって、国内も落ち着きつつある。あいつのガキの件も目処がついて、そろそろ、ってな具合らしい。ちょうど昔から協力していたNPO法人からの依頼もあったし、またどこかに行こうか、って」
    「驚くことじゃねえわな。あいつの性分考えりゃ、平和な国内にいるより困った奴のいる外国に行こうって発想は普通だろ」

     口にしてみれば、なおさらすとんと満腹の腹に落ちた。少し苦味のある、デザートのような喉越し。
     寂雷の生き様は獄から聞かされたこともあれば、空却自身身をもって体感したこともある。他人のために身を粉にして働くのが生き甲斐、そのネジが少し──だいぶ、外れたやつ。そういう評価だ。
     ただそれも、獄が言うには少し変わったらしい。ナゴヤ、シンジュクの面々でお膳立てした獄との和解騒動の後。そして、『入ると死ぬ家』を取り巻くひと騒動の後。
     どこが? と訊いても、獄も首を傾げていた。うまく言語化できるようなものではないらしい。ただ「マシになった気がする」と。比較がうまくできない空却には生返事をするしかなく、おまけのように付け足された「お前のおかげかもな」という呟きにも言葉がなかった。

    「それがどうしたってんだよ。そりゃあまあ国内で病院勤めしてるほど平和ってなわけにはいかねえだろうが、昔っからちょくちょく行ってたんだろ。そりゃお友達様からしてみりゃ心配かもしれねえが、ゴタゴタ口出すようなことじゃ──」
    「止めちゃ、くれねえか」

     空却の言葉を遮って放たれた言葉。焼肉の対価に求められた、あまりにも獄らしくない言葉に、口を噤んだ。
     空却の知る天国獄という男は、人の生き様にどうこう口を出す人間じゃない。妥協や卑屈で選ばれた道ならともかく、そこに確固たる信念があると知るなら尚更。己の感傷や欲望を押し通すような真似はしない。
     そりゃあ、あるだろう。友人ならば、危険な地に向かう相手に心配だの、行かないで欲しいだの、当然の感情くらい。けれど空却の知る天国獄という男は、それを理性と、プライドと、思いやりで飲み込める人間だった。
     そんな不満を見て取ったのだろう。空却の視線だけを受けて、獄は続ける。

    「わかってる。んなこと言う権利ねえってことも、言うべきじゃねえってことも。だが──嫌な予感がするんだ」
    「嫌な予感、なあ」
    「笑えばいい。お前みたいに超常の力があるわけでもない俺の言うことなんざ、妄想と変わらない。だがそれでも、今のあいつを行かせちゃいけねえ、そんな気がするんだ」
    「笑いはしねえよ。昔っから虫の知らせだの夢枕だのって言葉がある通り、人間誰にでもそういう第六感の類が働くことはある。特にテメエは拙僧らの影響を受けて、実際に超常のもんを視たこともある。素養としちゃ十分だ。そういうことも十分あり得る。でもなあ──」

     がしがし、と頭を掻きながら目を瞑る。感じるものなんて、何もない。

    「……だいたい、言うならまずはテメエが言えや。言い辛えからって拙僧に押し付けるなんざ男の風上にも置けやしな」
    「言ったさ」
    「言ったのかよ」

     少し、驚く。嫌な予感がするから行かないでくれ。そんな、戦地に向かう男を送り出す女のような甘ったれた台詞を、この男が言ったのか。
     空却の瞠目を受けて獄は罰が悪そうな顔をする。だってお前だろ、力になれるもんならなってみやがれってけしかけたのは、と。獄は拗ねたように口にする。確かに、そんなことも言った。

    「それで、なんだって?」
    「『君がそう言うなら、しばらくはやめておこうかな』だとよ」
    「十分じゃねえか。万々歳の譲歩じゃねえか。何の不満があんだよ」
    「それでもあいつは、俺の言葉なんかじゃ行く時には行くんだよ」

     根拠なんてないだろう。けれど、説得力はあった。んなことねえだろと、気休めでも言えない程度には、空却も納得してしまう。

    「……だとしても、それなら拙僧が言ったとこで同じだろ」
    「いや、お前の言うことなら、あいつは聞くかもしれねえ」
    「んなこと」
    「ある。あいつは、お前が思ってるよりお前を買ってる」

     一筋の迷いもない、断言だった。悔しいがな、と吐き捨てるような呟きに、買い被りすぎだと否定もできなくなる。
     正直に言えば、思い当たる節がないでもない。十以上も年下の空却の言うことを時に寂雷は真摯に聞き入れ、それなのに時に対等のように雑に扱う。空却だってそのことには気づいていて、それを悪くないと思っていた。
     なあ空却、と獄は僅かにテーブル越しに身を乗り出した。火の消えた網の上は、まだ微かに焦げ臭いだろうに。衣服に匂いがつくことも厭わずに。

    「もしいつか、俺じゃああいつを止められねえ時が来たら。せめてお前、いっしょに行ってやっちゃくれねえか」
    「はあ!? なんで拙僧が」
    「だってお前ら、いつか海外旅行行くって約束したんだろ」
    「約束って、そんなかわいいもんじゃ」

     確かに、そんな話をしたことはある。けれどその時の寂雷は間違いなく冗談半分だったし、獄にその話をしたとしても決して真面目なものではなかっただろう。少なくともこんな重大な話の担保にするようなものではない。
     まるきり本気で取られると思っていないような口振りに、鼻を明かしてやりたいと思ったのは嘘ではない。旅路を共にすれば案外悪くないことだって、すでに知っている。

     『入ると死ぬ家』の件以降も、空却は時たま神宮寺家に出入りしていた。それは一郎目当てに東都に突撃し、仕事があるからと無惨に断られた時。他の知り合いに会いに行った時のこともあれば、灼空の用事を共にした時もあったし、気が向いて彼自身に会いに行ったこともあった。
     寂雷勧めの店に入ることもあれば、神宮寺家の食卓に招かれることもあった。一二三や独歩の家に招かれたことだってあるし、寝床も当然のようにたかった。突然過ぎる訪問に彼はいつもそれなりに呆れたような顔をし、けれど歓迎の笑みで迎え入れてくれた。
     なんとなく、友人と呼ぶべき間柄なのかはわからない。けれどそれなり以上に愛着のある相手。獄の懸念だって、空却も身をもって知っている。己の身を削ることに際限のない男を、ひとりで世界に放り出したくない気持ちも理解できる。

    「──無理だ」
    「空却」
    「待て。別にテメエの第六感とやらを疑ってるわけでも、頭ごなしに無理だっつってるわけでもねえ。だが本当に、当分は無理だ──いや、勘弁してくれ」

     縋るような視線を押し止めれば、獄もどうも感触が異なると思ったのか、おとなしく黙った。またがしがしと頭を掻きながら、ひとつ深く息を吐く。はち切れそうなほどたらふく肉と米を食べたと思ったのに、そのひと呼吸で腹の中身がまるきり空になるような心地がした。

    「……少し前に、親父が倒れたって話、しただろ」
    「──! 灼空さん、そんなに悪いのか」
    「……わかんねえ」

     ひと月ほど前、灼空が倒れた。檀家廻りの最中のことで、病院では心臓の調子が悪いのだと診断された。一晩検査入院をして大きな異常が見つからなければ自宅での経過観察と言われ、数日もすれば何事もなかったかのようにけろりとしていた。
     全て、空却が不在中に起こり、終わったことだった。

     もちろん、空却がいた所で何ができたというわけでもない。寺にはいつもそれなりに人がいるし、第一発見者の檀家の人間も迅速で適切な対応をしてくれた。慌てていつもどこぞをふらふらと遊び回っている空却を呼び出そうとした僧侶をたいしたことはないと押し留めたのは灼空自身で、実際その後も元気にしている。
     空却がいないところで、何かが悪転したわけでもない。空却がいたところで、何かが好転したわけでもない。だがそうだ、これこそ「嫌な予感がする」だ。なんとなく、今灼空から目を離すべきではない気がする。それが第六感なのか、それともただの身内への心配なのか、空却にもわからない。

    「いや、悪い空却。お前の都合も考えず、無理言った。忘れてくれ」
    「テメエが謝ることじゃねえよ。あいつが心配だって気持ちもわかる。こんな時じゃなけりゃ、まあ興味がないでもねえし、悪くねえ話だったんだけどな」
    「俺が勝手に先走っただけで、そもそもあいつだって当面行かねえって言ってんだ。変に考えすぎて、変に不安になっただけだ。しょうもねえ話聞かせて、悪かったな」
    「んなこと言うんじゃねえよ。拙僧らは、家族だろ」

     もはや決まり文句となった言葉を告げれば、獄も否定するでも照れるでもなく、当然のようにああ、と頷いた。

     空却には金額すら確認させないまま獄は会計を済ませ、ふたりは店を出る。すっかり日の暮れた四月の後半。日中は暑いくらいだったが、夜はまださすがにほんのり肌寒い。油まみれになった指先が少し気持ち悪くて、熱い湯でも浴びたい、とあくびをしながら思った。
     獄を誘って銭湯にでも行くか。若干潔癖の気がある彼はああいった公衆浴場の類は大歓迎というわけではないようだったが、それでも空却や十四が誘えば仕方がない、という顔をしてついてくる。けれどあっさりと空却に背を向けた彼は「今日は悪かったな、恩にきる」とだけ言って手を上げた。今日はここでお開き、ということらしい。
     おう、と頷き、空却も軽く手を上げる。必要のない罪悪感を、感じなくもない。それをわかっているから獄も居た堪れなそうにする。けれどやっぱり今の空却には、あの喰えない頑固親父を野放しにすることなんてできなかった。





    3




     スラム街から一度ガヤーに戻った寂雷達は、「あかつきの海」が所持しているゲストハウスに一泊した後、ブッタ・ガヤーを目指す予定でいた。
     ゲストハウスは日本で言う平均的な戸建程度の大きさだったが、他の客はおらず寂雷達のみだったため、十分に広々と使用できた。夕食はアンシュが案内してくれたタンドゥーリー料理店で摂った。結局昼食は炊き出しの雑炊のあまりで「だったら何で訊いたんだよ」とご立腹だった空却も、これはいたくお気に召したようだった。タンドゥーリーとは他にパキスタンやアフガニスタンでも使われる石窯のことで、いわゆるタンドリーチキンなどは本来ヨーグルトや各種スパイスで漬けたチキンをこの釜で焼いたものを指す。他にフィッシュ・ティッカ、シーク・カバーブなどの肉、魚料理や、ダンドゥーリーで焼いたナーンなどを堪能した。

     翌日は夜明け前にゲストハウスを出て、ブッタ・ガヤーまでの移動に、ガヤー駅からのオートリクシャー、三輪タクシーを使用した。小型オート三輪の後部をふたりがけにした幌付きの小さな車で、インドではメジャーな乗り物らしいが、なんと語源は日本だという。「人力車」が「リクシャー」となったと言えば、日本人にもピンときやすいだろう。
     目的地までの道のりはおおよそ十六キロで、片道一五〇ルピー。一ルピーが日本円にすると一.六円ほどなので、日本のタクシーの感覚で考えると驚くほど安い。ただし場合によっては、ぼったくりに注意。
     元から今日は一日観光、と伝えていたせいか、寂雷の隣に座る空却は動きやすく涼しそうなTシャツと短パン姿だった。寂雷も今回の旅には白衣を置いてきて、やはりTシャツとチノパン姿。車外を過ぎる景色を物珍しげに眺めている姿は無邪気そのもので、寂雷はまた少し安心する。

     ブッタ・ガヤーは仏教における四大聖地のひとつであり、菩薩樹の下で瞑想を続けたブッダが覚りを開いたことで知られる場所だ。当然空却もその存在は知っていて、せっかく近くに来たのだし、観光にどうかと誘えば「おう」と素直に了承した。
     素直に了承はしたが、あんなにもインドへの同行に意気揚々としていたのに特別喜び勇んでいるわけでもない姿が、少し気になりもしたが。

     中でも目指すは世界遺産にも登録された五十二メートルの塔、マハーボディー寺院だ。出発を早朝に選んだのもこのためで、朝靄の中に佇む寺院は荘厳で、その周辺では多くの僧が五体投地を行い、経文を唱えている。そんな光景を見て幾重にも連なる漣の音階に身を任せていると、まるで魂が身体から離れるような奇妙な心持ちになった。ここならば覚りとやらが開そうだと、うっかり錯覚しそうになる程。
     だからこそ、チケット売り場が存在し、入場は無料だがカメラやビデオの持ち込みは有料、と俗な案内が存在したのが、何だかおかしい。

     少しばかり別に用事がある、というアンシュと別れ、卒塔婆の元でもあるストゥーパ、仏塔が立ち並ぶ道を抜け、これまた鳥居の元となったトーラナ、門を潜る。すると欄楯と呼ばれる柵が立ち並び、これにより俗世から隔離された本殿が存在する。中には黄金の仏像が置かれ、更に本殿の裏側にまさしくブッダが覚りを開いた場所とされる菩薩樹がある。さすがに現存するものはその末裔だが、ブッダが座した場所には金剛座が置かれ、一度でも仏道を志した人間ならば平静でいられるものではないのだろう。
     家としては葬式の際くらいしか仏教徒であることを思い出さない程度。学問としての興味はあるし、座禅などの文化を好ましいと思うが、敬虔な仏教徒かと言われると首を傾げる。その程度の寂雷であっても、この場所には何か、名状し難い力のようなものを感じた。
     無言で寂雷の横を歩いていた空却は菩薩樹の下に来ると、他の数多の僧がそうするように手を合わせ目を閉じ、無心に経文を唱え始めた。明らかにアジア圏からの観光客らしきカップルが、Tシャツに赤髪姿の青年の口から放たれる見事な祝詞に驚いたように目を剥いている。それを見て何だか寂雷は少し得意な気持ちになりながら、彼に倣って目を閉じた。

    「──この近く、オートリクシャーで行ける範囲にマンプルという村があり、そこのバススタンドからはラージギル。ブッダが修行をし、晩年説法を説いたことで有名な場所行きのバスが存在します」

     空却が念誦を終え沈黙がふたりを包んでしばらくが過ぎた頃、寂雷はおもむろに口を開く。

    「また、このインド北部にはいわゆる四大聖地と呼ばれる場所が密集しています。もう少し西に行けばブッダが初めて説法をした初天法輪の地サールナート。そこから北に入滅の地クシーナガル。また国境を越えネパールに向かう必要がありますが、ブッダ生誕の地、ルンビニーが。きっとどこも、仏教に造詣の深い君なら、非常に興味深いと感じる場所でしょう」

     閉じた目を開き、合わせた手を解く。隣を見ればいつの間にか空却もこちらを見ていた。無邪気な猫を思わせる切長の瞳が、寂雷をじっと見つめている。

    「残念ながら私のこの後の予定は詰まっています。元より観光の予定ではありませんでしたし、これから行く場所はきっと、君にとって楽しい場所ではないでしょう。もちろん、放り出したりはしません。君が望むのなら信頼できる案内人をつけます。仏教の聖地ばかりを挙げましたが、他にもインドには観るべき観光地が山のようにあります。タージ・マハル、ハンピ・ヴィジャヤナガル、キーゴンパ。気になっている場所があるのなら旅行プランに効率よく組み込むお手伝いもしましょう」

     ですから、別に、ここで別れてもいい。
     できるだけ自然に、それが今彼の選び得る最善の選択肢だと聞こえる声で、言ったつもりだった。無理強いはしない。けれどせっかくのインド旅行をスラム巡りだけで終えるのなんて、つまらないでしょう。楽しくないでしょう。君の、ガラじゃないでしょう。
     空却はよく、灼空から課せられる修行や雑用についての愚痴を言っている。座禅はだるいし、写経はつまらないし、檀家巡りは肩が凝るし、掃除は飽き飽きだと。だから、確かになと。そうするわと。あっけらかんと投げ出す様が、彼にはよく似合っていた。
     けれど空却は寂雷の提案には答えぬまま、視線を菩薩樹に戻す。

    「仏教の発祥の地って、インドだろ」
    「ええ……そうですね」
    「でも、今のインドにゃ仏教徒はほとんどいねえ。ヒンドゥー教徒が八割、イスラム教徒が一割、あとはキリスト教とかシーク教がちょいちょい。仏教徒に至っちゃ、一%にも満たねえんだとよ」
    「よく勉強してるじゃないですか」
    「意外だろ」
    「自分で言います?」
    「んで、何でそんな有様になったかって言やあ……知ってるか? 寂雷」

     文脈を無視して突如始まった仏教講座に、寂雷は戸惑いながらも頭の中の蔵書を引き出す。霊能関係で教えを請うことはあったが、こんなに生真面目な内容で教鞭を振られたのは初めてだった。

    「確か、ヒンドゥー教の中に取り込まれ次第に存在感をなくし、更に追い討ちのようにイスラム教による弾圧があったはずですね。各地の僧院が襲われ、多くの僧が殺害されたとか」
    「そうだ。ま、そう聞くと他の宗教家連中が悪いみたいだけどよ、だがそれだけじゃねえ。取り込まれたことにも、守られなかったことにもちゃんと理由がある。そうなる前に、一般民衆の心はすでに仏教からは離れてた。この頃の仏教は権力者連中に保護され、高尚な研究だの学問とやらに夢中で、市井に寄り添うことをしなかった。悩みや苦しみから衆生を救済するっつー本懐を忘れて、貴族様達のもんになってた」

     そういえば確かに、以前そんな文献を読んだことがあると思い出す。広く浅く、それなりに知識量には自信があるが、さすがに本職に勝るものではない。空却の口から語られる話を素直に興味深く思いながら聞いていたが、それは唐突に終わりを告げた。

    「ま、そんなわけで、そんな邪険にすんなや」
    「……はい?」

     それだけ言って話を締め、空却はさ~てそろそろ行くか、とすたすた歩き出してしまう。気づけば靄は晴れていて、日は完全に登っていた。観光客の姿も次第に増え、菩薩樹の周辺は賑わっていく。
     どんなわけだ、と思いながら背中を追い、それが先程の「ここで別れてもいい」に対する回答であることに気づく。
     脈絡は完全に謎ながらも、それは空却なりの「NO」だった。待ってくださいと慌てて追いかけるが、運悪く観光客の集団に間を阻まれてしまった。無理に抜けようとして睨まれ、何とか抜け出した先随分遠くに空却の背中を見つける。それに向けて駆け出そうとし。

    「ジャクライさん」

     こそりと、潜めるようにトーラナの陰から声をかけてきたアンシュに足を止めた。インドの伝統的な衣服に身を包んだ黒目がちな瞳が印象的な青年は「どうでしたか」と寂雷に尋ねる。それに寂雷が首を左右に振れば、彼は困ったように眉を下げた。

    「空港にあなたを迎えに行った時、彼がいて本当に驚きました。てっきりあなたは、おひとりでいらっしゃるものだとばかり思っていましたから」
    「……私だって、そのつもりでしたよ。今回の旅に同行者を許すつもりは、本当になかった」
    「空港に行ったらすでにいらっしゃったんでしたっけ。不思議ですね。神通力、というものでしょうか。確かにどことなく神秘的な気配のする方です」
    「それは……どうでしょう」
    「あはは、明るくて元気で、楽しい方ですね」

     朗らかに笑ったアンシュだったがすぐにまた困り眉を戻す。肩をすくめながら「だからこそ、心配ですね」と呟く。

    「少し前にも、日本でインド人過激派宗教団体によるテロ行為がありましたでしょう? 末端の構成員は捕まったそうですが、首謀者はインドに逃れているという話です。今観光気分でインド国内を彷徨くのは、あまりお勧めできません。いつどこで何があるか、わからないのですから」

     ね? と念押すようにアンシュが小首を傾げる。それを見て一瞬、寂雷は自分の中で憎悪が炎のように燃え上がるのを感じた。
     少し前に、日本のトウト駅で爆弾テロがあった。通勤ラッシュは終わっているが、それでも人に溢れた真昼の駅に、爆発物を積載したトラックが二台、突っ込んだのだという。一台に二名ずつ、計四名が搭乗していたと見られているが、爆発の影響で身元の完全なる特定は困難。しかし、前後の状況とわずかに残った痕跡から、彼らは十年以上前にほぼ壊滅状態に陥った、インド人の過激派宗教団体の残存勢力ではないかと見られている。
     負傷者二百名余り、死者十七名を出す大規模な事件だった。その日寂雷は運悪く、出張でニイガタに出ていた。交通網の混乱もあり、彼はその事件に、ほとんど関わることができなかった。
     今でも、後悔が強く身を焦がす。あのような酷い事件を防ぐことが、きっと自分にはできたはずなのにと、どうしようもなく苦いものが喉を焼く。

    「お~い! てめえら! ちんたらしてっと置いてくぞ~!」

     その時、空却の声が聞こえて我に返った。顔を上げると、ずいぶんと先に行ってしまった彼が周囲の視線を集めるのも気にせずに声を張り上げながら大きく手を振っている。
     申し訳ありません、今行きますと負けじと声を上げながら、寂雷は空却の後を追って歩き出した。


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    hanihoney820

    DOODLE◇ ゲーム「8番出口」パロディ乱寂。盛大に本編のネタバレあり。大感謝参考様 Steam:8番出口 https://store.steampowered.com/app/2653790/
    ◆他も色々取り混ぜつつアニメ2期の乱寂のイメージ。北風と太陽を歌った先生に泥衣脱ぎ捨て、で応えるらむちゃんやばい
    ◇先生と空却くんの件は似たような、でもまったく同じではない何かが起きたかもしれないな〜みたいな世界観
    はち番出口で会いましょう。 乱数、『8番出口』というものを知っていますか。

     いえね、どうも最近流行りの都市伝説、といったもののようなのですが。所謂きさらぎ駅とか、異世界エレベーターとか、そんな類の。

     まあ、怖い話では、あるのですかね。いえいえ、そう怯えずとも、そこまで恐ろしいものでもないのですよ。
     ただある日、突然『8番出口』という場所に迷い込んでしまうことがあるのだそうです。それは駅の地下通路によく似ているのですが、同じ光景が無限に続いており、特別な手順を踏まないと外に出ることができないそうです。

     特別な手順が何かって? それはですね──。




    * * *




     気がつくと、異様に白い空間にいた。
     駅の地下通路、のような場所だろうか。全面がタイル張りの白い壁で覆われていて、右側には関係者用の出入口らしきものが三つに、通気口がふたつ、奥の方には消火栓。左側にはなんの変哲もないポスターが、一、二、三──全部で六枚。天井には白々煌々とした蛍光灯が一定間隔で並び、通路の中央あたりには黄色い「↑出口8」と描かれた横看板が吊られている。隅の方にぽつんとある出っ張りは、監視カメラか何かだろうか。足元から通路の奥まで続く黄色い太線は点字ブロックらしく、微妙に立ち心地の悪さを感じて乱数は足をのける。
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