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    管(クダ)

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    管(クダ)

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    名家の嫡男である司と書生の類のパロディ3章

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    書生物語3章 夏も終盤に差し掛かって過ごしやすい陽気になった。類の足もすっかり完治し、今は元気に機械いじりに精を出している。まあ、治る前から機械いじりはしていたが。オレがいくら大人しくしていろと言っても、あっちから爆発音がした、こっちから異臭がする、と遠くから類の実験で巻き起こされた騒ぎが聞こえていた。もっと自分を大切にしてほしいと困ってはいるが、類の優秀さを疑うつもりはない。今日もその優秀さを裏付けるようなことを伝えに行くところだ。
     類がいつも籠っている書斎の扉を開ける。
    「類はいるか!」
    「ここにいるよ。どうしたんだい」
    文机の前に座っている類の横に腰を下ろす。机の横に置いてある時計はかちこちと音をならし、今は昼の三時を指していた。
    「先日の電池の件だが、特許の申請が通ったぞ」
     電池の件とは、類が蔵から脱出して帰ってきて早々「これが試さずにいられるのかい!?やろう!今すぐ!」と妙に高揚した類に押し切られて実験の場を提供し、三日三晩そこに籠った末開発した液漏れしない電池のことだ。類曰く部品の腐食を防ぐために、蝋を沁み込ませた何かを使うとなんやかんやあって上手くいったということだった。よくわからなかったが楽しそうな類の話の腰を折るのも気が引けて全て頷いておいた。目の前のこの時計も先日類が修理し、その電池が使われ、今も止まらずに時を刻んでいる。そんな類の発明品の特許が下りたので、早速伝えにきたというわけだ。
    「ふふ、司くんが出世する前に僕がお金を払い終わってしまうかもしれないね」
     手渡した特許の許諾書で口元を隠しながらそんな可愛くないことを口にしているが、嬉しそうに許諾書を見る表情のその頬がいつもより色濃く色付いているので、こいつなりに初めての手柄をとても喜んでいるのかもしれない。
    「その心配はない!何故ならオレは未来を切り開く男だからなっ!」
    胸を張ってそう言えば類は「いやあ、ぶれないね」と嬉しそうに笑っていた。
    「それはそうと、類の初めての手柄を盛大に祝おうと思う!何か欲しいものや食べたいものはあるか!?」
     右手に体重をかけて、隣に腰掛ける類に向かって体を乗り出す。類は顎に手を当てて考えを巡らせていたようだが「そうすぐには思い浮かばないかな」と困ったように答えた。欲しい本だったらすぐに答えられるくせに。ザラメが美味しいと言っていたカステラはどうだ?冷たくて驚いていたアイスクリームは?キャラメルも美味しそうに長いこと舌で転がしていただろう、そういくつも提案してみたが類は「どれもいいねえ」と言ってどれが良いとは言わなかった。仕方ない、こうなれば料理長と相談して少しずつ全部用意するか、先日の件で食が細くなってしまったのも気がかりだ。いっぱい食わせてやらねば!
    「折角だから冬弥たちも呼ぼうではないか!」
     賑やかなほうがいいだろうと思い、そう提案する。冬弥ならば類の小難しい話にもついてこれるから類も楽しめるだろう。オレが祝いの席の算段を立てていると、類がはにかみながら言った。
    「なんだか司くんのほうがはしゃいでいるじゃないか」
    「当然だ!主人としてオレも鼻が高い!!」
     父から特許の申請が下りたと聞いた時、オレは思わず父の執務机に身を乗り出して「本当か!?」と叫んでいた。類が認められたようで嬉しかった、この喜びを類にも知って欲しくて、早く類に伝えたくてその足でここに駆け込んできたのだ。今までの境遇を思うと類には沢山の楽しみや喜びを見つけてほしかった。類を楽しませることがオレの最近の趣味と言っても過言ではないな!


     オレは先日のそんな類とのやり取りを思い出しながらつらつらと妹の咲希に話していた。家の茶室で妹の稽古に付き合っている時のことだ。本当は私語も慎むべきなのだが妹の「お兄ちゃんは付き合ってくれてるだけなんだから気楽にしてて!」という言葉に甘えて、この場はいつもオレから咲希への近況報告の場と化していた。茶を点てる様を眺めながら、類が自分を大切にせず困っていること、類が自分から離れている間は気が気でないこと、最近は類がどうしたら喜ぶかを考えていることを話した。
     咲希が恭しく茶を差し出す。「頂戴する」と礼を告げてから二回茶碗を回して口をつける。普段、稽古の間は私語を謹んでいる咲希だが、今日は珍しく正座で美しく背筋を伸ばしたまま淑やかな佇まいでこう言った。
    「お兄ちゃん、それって恋だよ!!」
    「ぶっふぉ!!ぐっふぅ、んぐ、ごほっ!!!」
    「きゃあ!大丈夫!?お兄ちゃん!!」
    「きか、ごほっ!……気管に、入った」
    口元を抑えながら咲希に渡された布巾で着物にしみ込む前に噴き出した茶をふき取る。
    「咲希が急に妙なことを言い出すからだぞ。しかし茶はいつも通り上手かった!」
    まずは咲希が気に病んではいけないと、誤解を訂正する。しかし咲希はもともと気にしていなかったようで、「今日もお稽古付き合ってくれてありがとう!」と言って道具一式を丁寧に手入れし始めた。稽古の終わりを受けてオレも足を崩す。
    「でも急に思ったわけじゃないよ」
     咲希が茶筅ちゃせんを丁寧に拭いながら再び口を開いた。すぐには話の繋がりがわからず「ん?」と疑問を投げる。
    「だってお兄ちゃん最近るいさんの話ばーっかり」
    くすくすと楽しそうに咲希はそう言った。オレはそんなに類の話をしていただろうか、確かにこの場ではそうだったかもしれんな。類が居ない間ですら、類の野菜嫌いから始まりしっかり生活しているか心配だ、といったようなことを話した気がする。
    「心配したり、独り占めしたり、喜ばせようとしたり、すっごく悩んでるのにお兄ちゃんとっても楽しそうなんだもん」
    「独り占めしていたか?」
     咲希の話が自分に当てはまるような当てはまらないような、座りの悪い心地だ。
    「私がるいさん呼んでくるよって言っても絶対譲ってくれない」
    気付いてなかった?と問いかけてくる咲希に気付いてなかった、と正直に答える。しかしそれは単に咲希に手間をかけさせるのが憚られた故の行動だ。心配だってあんなことがあれば心配して当然ではないか?類を喜ばせたいのだって今まで苦労してきたあいつを労いたいからだ。
     最近女学生の間で流行っているという少女雑誌には恋物語も多く掲載されていると聞く。きっと咲希もそういったものに触発されて憧れを抱いたのだろう。それでオレが類を好いているなどと誤解をしてしまったのだ。咲希もそういったものに興味がでてくる年頃だ、そうに違いない。オレが類を好いているなどと、そんなことあるはずが……

    「いや、どう考えても惚れてるじゃないですか」
     そんなことをつらつらと図書室での空き時間に彰人に話していればそんな言葉が返ってきた。
    「そ、そんなことはないだろう」
    冷や汗を流しながら否定したが、彰人は「そんなことしかないだろ」と取りあってはくれなかった。
     オレはもう明確に相談という体で冬弥に事の顛末を話した。咲希や彰人に話したような類に関することを話し、咲希や彰人はオレが類に惚れているなどと言うんだ、困った奴らだろう、と最後に付け加えた。少し否定してくれ、という含みを持たせた話し方になってしまったのは目をつぶって欲しい。
    「神代さんをお慕いしているんですね」
    そしてにこりと笑った冬弥から返ってきたのはそんな言葉だった。オレの含みは全く考慮されていなかった、さすが冬弥は芯がしっかりしている!結果、オレは頭を抱えることとなり、そんなオレを見て冬弥はオロオロと狼狽えていた。
     三人に揃ってそんなことを言われてしまうとオレは本当は類を好いているのではないか、と自信がなくなってくる。しかしオレは決してそんな邪な理由で類を書生にしたわけではない!最初は冬弥の友人を助けたい、そんな思いから始まったはずだ。それから噂ほど話しにくい奴ではないと知って、助けを乞わない気高さに意地でも手を差し伸べたくなった。類のような男がただ不幸になる世界はオレの望むものではないと思ったのだ。そうだ、オレはオレの望む世界のために類に手を差し伸べた。それは決して類をオレの隣に縛り付けるような打算的な考えから来たものじゃない。
     うちに来てからの類はこちらが舌を巻く勢いで勉学に熱中していた。今は珍しくないが、興味のあることについて熱弁する類を初めて見たときは驚いたものだ。なんだ、同い年らしいところもあるではないか、と嬉しく思った。まあこの後あいつは図体だけ大きい子供だと、大人びているなどと程遠い男だということがわかるんだが。野菜は残すわ、夜になっても寝ないわ、布団に連れてけと強請るわ、実験と称して珍騒動を巻き起こすわ。類がこんな賑やかさをもたらしてくるとは全く予想外だった。それに初めて類が作った絡繰りを見せてもらった時にとても感心して類を褒めちぎったのだが、その時の表情は今までのどれとも異なっていて、目を細めて緩やかに弧を描いた口で「うん、ありがとう」と喜びを噛みしめるように言うものだから、その様が凄く……すごく……可愛いと、もっと喜ばせたいと、思ってしまったんだ。だから類が好きそうな物を贈ったり、料理番に頼んで甘いお菓子を用意してもらった。冬弥や彰人にそんなことをしたことは無いのに。
     類からの電話で足を折られたと聞いた時は心配で気がおかしくなりそうだった。今まで呑気に類の帰りを待っていた自分を怒鳴り飛ばしてやりたかった。もし類が現れるのがもう少しでも遅かったらあの主人を無理矢理黙らせてでも類を助けにいっていただろう。
     そうして気付けば、咲希が父に声をかけに行くときは何とも思わないくせ、類の時は譲らない自分がいた。最初はオレの志のために手を差し伸べただけだったのに、いつのまにかオレが類を幸せにしたいという気持ちに変わっていた。この気持ちを恋というのならば、確かにオレは類を好いている。自覚した途端に心臓がおかしくなって顔が茹りそうなほどに熱くて、思わずしゃがみ込んでしまうぐらいには、どうしようもないほど類のことを想っていた。

     次の日、帰り時に冬弥と彰人と、同じく女学校終わりの咲希を連れて茶屋に立ち寄った。類はいつも通り実験室に籠っていたので先に帰ると告げてきた。目の前に三人を座らせて茶が運ばれてくる前に腕を組んで堂々と口を開く。
    「というわけで三人にはオレと類の恋路を応援してもらいたい!!」
    「て「ま「おれんかにおかせて!ついだいてできがおはるこにやいとがい」ちゃあれん」ば」
    三人は一斉に反応を示した。ちなみに
    彰人「展開が早い」
    咲希「任せて!お兄ちゃん」
    冬弥「俺にお手伝いできることがあれば」
    だ!!
     唯一乗り気ではない彰人が「なんでオレが」と不貞腐れたように独り言つ。
    「自覚させたからには最後まで責任を持つものだぞ!」
    そう笑顔で言ってやれば「正直に答えるんじゃなかった」とため息をつかれた。
    「まあそう言うな、好きなものを頼んでいいから」
    オレが壁のお品書きを指させば、彰人は一切遠慮せずあんみつを注文した。全く驕りがいのあるやつだ。咲希も同じものを、オレと冬弥は三色団子を注文する。
     運ばれてきたおやつに舌鼓をうちながら、早速オレは本題へと入る。
    「オレは類に想いを伝え、ゆくゆくは籍を入れたいと思っている。そこでお前たちにはどうやったら類にオレの想いを受け入れてもらえるか助言を願いたい」
    うむ、ここの団子はもっちりとしていて、ほんのりとした甘さが舌に広がり格別に美味い。類にも二つほど買って帰ってやろう。
     オレの発言にやはり彰人だけが「だから展開が早い」と否定的だったが、咲希と冬弥はいいことだとオレの背中を押してくれた。
    「想いを伝えるというのであれば、手紙を認めるというのはどうでしょう」
    「とっても素敵だね!」
    手紙か。そもそも一介の学生が紙を買い、郵便を出すという金のかかることをするのは敷居が高い。そのせいもあってか、手紙を送るという行為事態がどこか背伸びしたものに捉えられていた。意中の相手と文通するというのは大人の世界の出来事で、どこか絵空事で、だからこそ若人の憧れであった。
    「それにお手紙だったらずっと形に残るよ!」
     咲希が嬉しそうに冬弥の案に付け加える。
    「いいとは思うが、しかしオレは公的な文章しか書いたことがなくてだな」
    自分の思いを綴ったような詩的な文章が書けるだろうか。
    「それなら恋文の文例集を参考にするのはどうでしょう」
    「そんなものがあるのか!?」
    「はい」
    なるほど、それほど想いを伝える手段として浸透しているとは知らなかった。
    「やはりお前たちに相談して良かった!!」
    話がまとまったところで、無言であんみつを食べていた彰人が匙を置いた音が響いた。


     オレは自室の机の前で頭を抱えていた。明り取りの障子からは薄っすらと月明りが透けるだけで、傍に掲げた石油ランプの明かりを頼りに机に向かっていた。
    「お兄ちゃん?」
    埒も明かせず唸っていると、襖の向こうから咲希の声がする。入っていいぞという合図の後に、咲希が行儀よく膝を折った体勢で襖を開いた。苦い顔をするオレを心配して傍に寄ってきた妹に素直に、手紙で行き詰まっていると白状する。
    「見てもいい?」
    「ああ、いいぞ」
    身体を少し横にずらすと咲希が机に広げられた和紙に書かれた文字を読み上げた。
    「『汝ノ高潔ヲ尊ビ歓喜デ満タシタル日々 我胸ノ内ヲ此処ニ認メ オ返事賜リタク』ってお兄ちゃんこれじゃ堅すぎるよ~」
    やはりそうか、気にしていたことを指摘されて肩を落とす。しょぼくれるオレを元気付けるように明るい声で咲希が続けた。
    「お兄ちゃんが心の中で想っていることをそのまま書けばいいんだよ。今は話し言葉と同じ文章だって珍しくないんだから」
    オレが想っていること、か。
    「ありがとう、咲希」
    「うん、頑張ってね!お兄ちゃん!」
    部屋を出ていく咲希を見送って、オレは再び机に向き直った。

     玄関の引き戸を開けて類と二人扉をくぐると、先に帰宅していた咲希に出迎えられた。明るく告げられる「お帰りなさい」に「ただいま!」「ただいま」と類と二人穏やかに答えた。着替えのために各々自室へ向かおうとしたところで、オレは咲希に袖を引かれて立ち止まる。内緒話をするように口元に手を添えた咲希が耳元で小さな声で問いかけた。
    「お兄ちゃん今日はるいさんにお手紙渡してきたんだよね」
    咲希の視線を追い、オレも類の背中へ目を向けた。類は内緒話をするオレ達には気づいてないようで、すたすたと廊下を進んでいく。
    「ん?ああ、渡してきたぞ」
     昨晩、必死に悩んでオレが手紙を書き上げたのを咲希も知っていた、気合を入れるために朝宣言をして出かけたからな。どうやらその結果が気になったらしい。オレ達の様子が普段と変わらなかったからだろうか「もしかしてうまくいかなかったの?」と心配する咲希を安心させるようにオレは胸を張って答えた。
    「安心しろ!お前たちの助言のおかげで類に想いを受け入れてもらったぞ!ずっとオレの隣にいてほしい、という旨を伝えたら、もとよりそのつもりだとな!」
    「お、お兄ちゃん」
    咲希が目を丸くした。なんだ、順風満帆な兄の未来に驚きでもしたか。
    「それ絶対伝わってないよ~!」
    目をばってんの形にして慌てたように言う咲希にオレのほうこそ驚いてしまう。
    「な、なに~~!?」
    そんなはずはないぞ!類だってしっかり返事を返してくれたんだ、と言うも咲希には「絶対右腕とか、相棒とかそういう意味に捉えられちゃってるよ~!」と焦ったように否定されてしまった。「いや、しかし、そんな……」と狼狽えてしまう。オレたちの騒ぎに気付いた類が不思議そうにこちらを窺っていた。


    「というわけでどうしたらいいだろうか」
    「なんでオレなんすか」
    「丁度いいところに彰人がいたからだな」
     翌日図書室に類と冬弥を迎えに行くところで彰人と遭遇し、仔細を伝えて相談すればやはり苦々しい表情を向けられた。しかし、面倒そうに髪の毛を撫でつけながらも、何か答えてくれる気はあるらしい。「あー」とやる気のない声を漏らしながら考えを巡らせているようだった。先日のあんみつ分の協力はしてくれるようだ、なんだかんだと言いながら律儀な奴だ。
    「急に告白しても伝わるもんも伝わらないですって」
    だからまずは仲を深めるところから始めてはどうか、と彰人は続けた。
    「仲はもう大分いいと思うが。何せ一緒に暮らしているからな」
    「だからですよ、そういう対象として見られて無いんすよ。だからまずは意識してもらうところから始めたらいいんじゃねえの」
    素人意見ですけど、と彰人は付け加えた。ふむ、彰人の意見も一理ある……か?しかし仲を深めると言っても具体的に何をすればいいのかさっぱりわからん。
    「一緒に出掛けて、いい雰囲気になって、手でも繋げばいいんじゃねえの」
    「手……っ!?そ、それは逢引というやつではないかっ!?!?」
     類に触れたことは何度もあるが、明確にそういう意思を持って触れるのは違うというか。破廉恥極まりない気がするんだが。
    「うるっせ……。センパイにその気があるならそうですね」
    学生の身分でそのような破廉恥なことが許されるのだろうか、しかし彰人の動じない様子をみるとオレが意識しすぎなのかもしれない。
    「……次の休みに誘ってみる。助言感謝する」
     どこに誘おうか。類はオレと出かけることを喜んでくれるだろうか。手を……繋げるだろうか。考えるだけで頬が熱くなる。彰人が隣にいるというのにオレは類を誘い出すことで頭がいっぱいになってしまった。緊張と気恥ずかしさが大半を占める胸の中に、確かに楽しみな気持ちもあって、学生には早いと提言しておきながら期待している自分を誤魔化すように歩みを早めた。
     有言実行を信条としているオレは、家への帰路の途中、類と二人きりになると早速誘いをかけた、次の休みに二人で出かけよう、と。オレの緊張など知らないように、類はオレの誘いにあっさりと応じた。先の失敗の二の舞にならないよう誘いの意図をはっきりと口にしておく。
    「これは、逢瀬の誘いなのだが」
    わかっているのか、と付け加える。その言葉は自分に跳ね返り、オレは今自分の恋心のために類を連れ出そうとしているのだと、じわりと手に汗がにじむ。類は一瞬驚いた表情を見せたあと、ゆっくりと目を細めてほほ笑んだ。
    「うん、楽しみにしているよ」
    桃のように染まった頬が、どうにも可愛くて、見ていられなくて、オレは学生帽のつばを下に傾けて視界を遮る他なかった。

     その日は少し背伸びして類を銀座の歌舞伎座に連れ出した。活動写真を一緒に見ようと、類が好きそうなものを考えて先日新聞の一面を飾っていたこれを思い出したのだ。何を着ていくか悩んだものの、結局はいつもの黒い学生服と学生帽という装いだ。示し合わせたわけではないが、類もいつもの書生服だった。銀座の街中で、学生服でいかにも遊び慣れていないオレ達はもしかしたら異様な存在だったかもしれないが、そんなことは少しも気にならなかった。いや、気にすることができなかった。緊張で心臓が口から飛び出そうだった、誰の前に立つ時だってこんなに緊張したことはない。頭は目の前の存在でいっぱいで、そのくせ少しも顔を見られなかった。終始うつむきがちで、「行こう」とぶっきらぼうに言うことしかできなかった。
     馬車が行きかう道路脇を無言で歩きながら、これでは仲が深まるどころではないと自省する。こちらの好意に気付いてもらわなければいけないのに、これでは嫌っていると思われても仕方がないではないか。ええい!しっかりしろ!天馬司!類を幸せにすると決めたのだろうっ!?
     心臓が爆音で鳴り始めたのを無視して少し後ろを歩く類を振り返る。大きく一歩踏み出して類に詰め寄った。心臓がうるさい、自分の声も聞こえない、顔が熱くて耳が痛い。しかし、しっかりと伝えなければ。
    「今日は!オレの、隣を歩いてほしい!それと、今日を心待ちにしていた。さっきは、緊張しすぎて言葉に詰まった、すまん」
    やはりカッコがつかんな、とため息をつきながら類の隣に並ぶ。すると、耐え切れないような笑い声が聞こえてきて隣を見上げた。やはり類にもカッコ悪いと呆れられたのだろうか。
    「ふふ、ごめんね、違うんだ。僕も柄にもなくとても緊張していてね、君が緊張していることに気付かなかった」
    だから安心して、それでつい笑ってしまったんだ。そう言って類はしっかりとオレを見つめ返した。
    「類が緊張することなんてあるのか」
    「司くんこそ、緊張することがあるとはね」
    ああ、確かに。安心してつい笑みが漏れてしまうのもわかるな。
     二人並んで道なりに進み歌舞伎座に到着した。初めての逢瀬だからと無理をして買った二階角の桟敷席に類を案内する。人でごった返す土間席や立見席とは違い、二人分の座布団が敷かれ衝立で区切られたここならばゆったりと活動写真を堪能することができるだろう。ほどなくして全ての窓に暗幕が垂れ下がり暗闇が訪れた。舞台中央に垂れ下がった大きな白幕にパッと明かりが灯る。カラカラカラという音がする。白幕の中では人々が月を目指して大砲を飛ばしていた。「あれが映写機だよ」暗がりの中、舞台前を指さしながら類がそうオレに耳打ちした。類が示した先では映写技師が映写機のハンドルを回している。それを視止めはしたものの、急に近づいた距離に胸がざわついてそれどころではなかった。
     ふと、類から嗅いだことのない爽やかな香りが漂って来た。いつもインクか油の匂いを漂わせているこいつにしては珍しいことだと思い、もしかして気を使ってくれたのではないかと気付いた。オレが今朝自分の身なりに悩んだように、類も悩んだのではないだろうか。緊張していたと言っていた、オレのために、もしめかしこんだというのなら、それはとても嬉しいことだ。類もオレを好いているという証なのだから。
    「いつもと違う香りがする」
    「嫌いだったかい?」
    「いや、いい香りだ。それにとても似合っている」
     ひそひそとそこかしこから漏れ出る、声に成り損なった音が室内を満たしている。カラカラカラ、映写機の音に紛れて誰の声かなど判断できない。オレ達も顔を寄せ合って、視線は白幕に向けたまま、声を潜めて会話する。この声も、カラカラカラカラ、きっとあの音に紛れてオレ達二人にしか聞こえない。類が不思議に思ったことを零したり、感想を呟いたり、全然関係のないことを話しかけたり、ぽつぽつと声を潜めて薄暗闇の中で会話を重ねた。この空気感がたまらなく楽しかった。
     一つ終わり、二つ終わり、ついに最後の作品へとフィルムが切り替わった。オレは類の正座の上におかれた、ぼんやりと白く照らされている手を横目で見ていた。自分の手を膝の上で何度も握っては開く。類に触れたことが無いわけじゃない、抱き上げたことも、汗を拭ったことも、肩を抱き寄せたこともある。でも自分の気持ちを自覚してからは一度も触れていない。今やもう類に触れて平然としていた自分が信じられない。
     そろりと、酷くゆっくり己の膝から手を下ろす。類に気取られないよう少しずつ、慎重に近づけていく。隣の膝の上に置かれた拳の上にオレの手のひらを重ねた。ダメだ、緊張する、情けない程に顔が熱い。情けない顔を見られたく無くて学生帽を深くかぶりなおす。しかし、意地でも手は動かさなかった。隣から視線を感じる、どう思っているだろうか、嫌がられてはいないだろうか。どうにでもなれっ、と半ば開き直りの気持ちできつく目を閉じてぎゅっと手に力を込めた。
     オレにとってはとても長い時間が経ったように感じたが、実際には数秒もかからない短い時間の後、隣からふっと、聞き間違いかと思われるくらい小さな吐息が聞こえた。類の空いた手がトントンと優しくオレの手をつつく。それに応えるように少し力を抜くと、するりと指同士が絡まるように手が握りなおされて、ゆっくりとしかし同じくらいの力で握り返されたのだった。

    「お兄ちゃんお出かけどうだった?」
    「ふふ~ん、完璧だったぞ!我が妹よ!!」
     暗幕が上がった後、互いに顔を見合わせたときに照れたようにはにかんだ類の可愛さといったらなかった。胸が詰まるとはああいうことをいうのだろう、詰まるどころか引き絞られる感じだったが。「とても楽しかったよ」と類は嬉しそうにしていたので大成功と言って間違いないだろう!オレも心躍るひと時でとても楽しかった!!隙があれば積極的に誘おうと決めた!
    「じゃあ次は何しようか、お兄ちゃん!」
    「次だとっ!?」
    「勿論だよ!意識してもらうなら一回じゃだめだよ!」


    「贈り物をあげたらるいさんきっと喜ぶよ!」
     数日後、そう言う咲希に送り出され、オレは類と家の近くの縁日に来ていた。オレは松葉色に暗い金色で模様の描かれた着物を、類は濃紺に金魚が一匹優雅に泳ぐ姿が描かれた着物を着ていた。オレが纏っている松葉色は縁起の良い松の葉に因んだ、生命力をあらわす「吉色」とされていて、両親から贈られたものだ。親しい人と出かける折によく着ている。類が着ている着物も初めて目にしたものだ。
    「初めて見る着物だな」
    「先日実家から持ってきたものだからね。両親から贈られたものなんだ」
     お互いに似合っていると賛辞を送った後、二人並んでカランコロンと下駄の音を響かせて出店の並ぶ縁日を散策する。夕方に差し掛かり、陽が落ち始めた時間帯だ。出店の店番達が軒先の提灯に火を灯し始める。普段とは異なる縁日らしい出店を冷やかしながら、取り留めのない会話を楽しんだ。
     蒸したての饅頭、綺麗な飴細工、甘いものが嫌いじゃない類はきっと喜んでくれるだろう。
     竹とんぼ、コマ、ビードロ、類は子供の玩具だと馬鹿にせず興味深そうに観察している。出てくるのは小難しい何とか力学だとか、そういう話だが「一見単純なのにそこに詰め込まれた英知に気付いた時がとても楽しいんだよ」と言った類の目はキラキラと子供のように輝いていた。
     絡繰り人形にエレキテルの見世物、以前類が興味深そうにしていたから買って手渡したことがある。
     常日頃から類に物を買い与えていることが多いせいで、今さら類への贈り物など思いつかない。類が欲しがりそうな物はほとんどあげてしまった、無意識とはいえ自分が恐ろしい。何をあげようかと悩みながら歩みを進める。
     類が売られている金糸雀カナリアの前で足をとめた。口笛のような鳴き声の鳥たちがぴょんぴょんと籠の中を行き来するのを眺めている。その丁度横の出店では、草履や下駄、髪飾りが並んでいた。そういえば、類が身なりに頓着しないためにこういったものは贈ったことがなかった。特別というのであれば、オレが贈りたいものを贈るというのもいいかもしれない。類が鳥達に夢中になっている隙にその中でも一際惹かれた一つを購入した。

     縁日を離れ、人気のない小川沿いの小道に逸れる。皆祭りを楽しんでいるのだろう、ガス灯がぽつぽつとあるその道には人影がなかった。小川のせせらぎとオレ達が鳴らす下駄の音だけが響いている。ガス灯だけでは心もとない夜道のため、手に持った提灯で明かりを補う。右手に提灯を持ち、左手は類の手と繋いでいた。用事もないのにこの道を進むことを、類も咎めはしなかった。
     懐に入れた贈り物をいつ手渡そうかと気を揉んでいたからか、何度も落ち着きなく類の手を繋ぎなおしていることを類に指摘されてしまった。
    「落ち着かないのは学生帽がないからかい?」
    そう言って、ここ最近赤くなった顔を学生帽で隠す仕草が癖になっているのを揶揄われてしまった。言われっぱなしは癪なので、類のほうこそ手を繋いでからずっと頬が赤いと指摘してやる。
    「好いた人と手を繋いでいるのだから仕方ないだろう」
    やり返したつもりが何故か負けた気分になった。お前、それはずるいだろう。
     丁度ガス灯の下に来たところで足を止める。指摘された後では格好がつかない気もするが、この機を逃せばどうやって話を切り出せばいいかわからない。類に提灯を渡して懐から手ぬぐいに包んだ贈り物を取り出した。類の前で手ぬぐいを開く、中には丸いガラス細工のついた髪留めが入っていた。透明なガラス細工の中には、黄色い絵の具が垂らされたような不規則な模様が広がっている。少ない光の中、ガラス部分だけが光っているようなそれを類へと差し出す。
    「これをいつ渡そうかと、頃合いをうかがっていた」
    本を読む時に垂れる長い髪が煩わしそうだと、髪留めを選んだのはそんな理由だ。色は、類に似合いそうだと、これを身に着けた類を見たいと思ったから選んだ。
    「君の色だね」
    類が黄色いガラス細工を指さしてそう言う。
    「えっ!あ、あぁ髪の色か、確かに言われてみれば」
    「髪と瞳の色両方だよ」
    類に言われるまで全然気づかなかった。無意識に選んだものだったが、もしかして自分の色を身に着けてほしいと、とんでもないことを言っていると思われていないだろうか。
    「ち、違うぞ!たまたま黄色だっただけで他意はない!!」
    「おや、無いのかい?」
    「こともない!!」
    慌しく言葉を重ねるオレを面白がって類がクスクスと笑う。曖昧なままは良くないと、見栄を張らずに正直に白状した。
    「なんとなくこれを身に着けて欲しいと選んだんだが、言われてみればオレの色だからそう思ったのかもしれん」
     貰ってくれるか、と尋ねれば、喜んで、と類は答えた。右手で類の長い髪をそっと耳に掛ける。その肌に触れてしまわないように慎重に指を動かした。耳の少し上に、髪留めを差し込む。藤色の髪に黄色いガラス細工が良く映えた。最後に後ろに髪を流すように指の背で梳いてやる。
     類は照れているのか、珍しく視線をオレから外して下に向けていた。
    「どうかな?」
    「よく似合っている」
    「……僕も悪くない気分だよ」
    そう言った類は笑顔ではなかった。眉を寄せてなんだか困ったような顔をしていた。しかし、嘘をつくような奴ではない。容赦なく「恰好悪いね」「馬鹿なのかい?」とオレに向かって言ってくるような奴だ。言葉通りに受け取っていいだろう、まさか気恥ずかしさや嬉しさが許容範囲を越えてそのような表情になっているとはオレは知らなかった。
     再び手を繋いで来た道を引き返す。今度は左手に持った提灯の明かりが小川の水面に写ってゆらゆらと揺れていた。右側に視線をやれば、当然類の顔が見えるのだが、きらりと光る黄色いガラスが目に入るとどうにも口角がむずむずと持ち上がってしまう。
     類は変わらず正面を向いたまま、オレの口元の緩みなど気付かずに突然話を切り出した。
    「ところで、咲希くんの勘違いはいつ訂正するんだい」
    「なんだ、気付いていたのか」
    同じ家に住んでいてあれだけ大きな声で会話していれば当然だろう、と類には呆れられてしまった。
    「オレは類と将来結婚するつもりなんだが」
    「どうしたんだい改まって。もちろん、僕もその心積もりだよ」
    「いや、咲希に類にオレの気持ちがきちんと伝わってないと言われてしまってな、不安になった」
    「あんな熱烈な恋文をもらって理解しない人間はいないと思うけどね。大方恥ずかしがって、手紙の内容を省略して伝えたんだろう?」
    概ね類の言う通りだった。しかし馬鹿正直に内容を伝えるわけにもいかないだろう。そのせいで咲希は勘違いしてしまったようだが。
     実はオレの気持ちは手紙を渡したあの日にきちんと類に伝わっていた。そして受け入れてもらって、それどころか同じ気持ちを返されてもいる。先日も、今日もお互いの気持ちをきちんと理解した上での逢瀬だった。
     手紙を書いた翌日、オレは類を連れて衛生室にいた。いつかの日と同じように二人きりの室内で、ベッドの上に腰掛けた。言葉も少なく、ただ手紙を読んで欲しいと言って手渡した。類は何も言わず、ただ黙ってオレの隣で手紙の文字を追っていた。大して長くもない手紙だ、和紙に認めた、たった数文の手紙だった。それでも類はオレがそれを何時間もかけて書いたことを知っているかのように、何度も何度も読み返していた。
    「僕は」
     やがて類が視線を手紙に向けたまま口を開く。オレは自分の膝に置いた拳をきつく握りしめた。
    「君のおかげで自分の価値と言う物を正しく知った。金だって稼げる、今君に放り出されたって一人で生きていける自負がある」
    そう言って、類はあの頃の、オレと類が初めて会話した頃の類を懐かしむように寝台の上へ視線を向けた。そうだな、あの頃のようにただ痛みに耐えて震えているような非力な男ではなくなった、土蔵に閉じ込められたって自力で脱出してくるような奴だ。
    「それを踏まえた上で聞いてほしい。元より一生をかけてでも君の恩に報いるつもりだった。でも、心のどこかで十分恩に報いたと君に言われてしまうのを恐れている自分もいた」
    類はそこで言葉を区切ると寝台から目線をずらして、金色の瞳で真っ直ぐとオレを見据えた。いつもは下がり気味の眉が吊り上がり、口元を引き結んだとても真剣な表情で。
    「僕も君が好きだ、ずっと傍で君の幸せのために尽くしたい」
    つまり類はオレが類の主人だからと、そういう関係を抜きにして、心からオレのことが好きだと、そう言った。
     最初に感じたのは大きな安心感だった。体中から力がどっと抜けた、肩が下がって、強く握った拳を開いた。それからじわじわと類の言葉を脳が理解しだして、次いで喜びと自信が体中を満たしていった。一気に視界が開けたようだ、明日が、先の未来が楽しみで仕方無いような、そんな高揚した気分だった。自然と笑顔が溢れだす。
    「そうか……そうか!!!よかった!!!」
     しかし出てきたのはそんな言葉だけだった。気の利いた言葉など一つもでてこない。
    「今度こそ旦那様と呼んだほうがいいかい?」
    「~~っ!呼ばんでいい!!」
     揶揄うなと怒ろうとして類の方を見れば、類も頬を染めて照れていることがわかった。オレの事が好きでそんな表情を見せているのかと思うと途端に可愛く見えてくるから不思議だ。隣り合って座っている距離もなんだか近い気がして、飛びのいて距離を取る。さっきとは違う意味で心臓がドキドキと五月蠅い。
    「あんまり可愛い顔をするんじゃない!困るだろう!!」
    「そんなことを言われても僕の方が困るよ」
     先ほどまでの静けさが嘘だったように「可愛すぎて生活に支障をきたす!!」と喚くオレに類がくだらない解決案を提示する。先ほど将来を誓い合ったばかりとは思えない騒々しさだ。実はあの時家で冷静に咲希に報告していたが、嬉しさが一周回ってさんざん喚き散らし、落ち着いて帰宅するまでにかなりの時間を要していたことは、兄の威厳を保つためにも咲希には内緒だ。





    神代類様

    拝啓
     この度は貴方に伝えたい言葉があり、筆を執った次第です。気持ちが逸り挨拶の言葉も出てこないこと、お詫び申し上げます。

     私、天馬司は貴方のことを好いています。
    貴方を書生として迎えたことに下心はありません。ただ貴方と過ごすうち、貴方を知るうちに心惹かれていました。
    今や他の誰でもなく私が貴方を幸せにしたいと、学生の身の丈には合わない想いまで抱える始末です。
    心の底からお慕いしております。
    どうかこの気持ちを受け取ってはもらえないでしょうか。



    願わくば、ずっとオレの隣で笑っていて欲しい。
    敬具

    天馬司
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