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    raisegoodnan

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    raisegoodnan

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    2089の本編前、硝子から見た二人それぞれの話。
    !Caution
    本作は、本誌【2089】の Part1とPart2間、
    または本編読了後のお読みを推奨しています。

    208801(Nov.2086)

     サイレン、サイレン、サイレン。
     くるくる回る散光式蛍光灯、通称パトライトと、昼も夜も関係なく上げ続けられる悲鳴のようなサイレンが私の開戦の合図。私たちは白衣を着た兵士。皆同じ方向へ顔を向け、名前しか知らない誰かのために崇高な使命を持った私たちは心を削る。
     家入先生! 家入先生! はいはい待ってなよ、今行くから。
     医療が進んだとはいえ、人は死ぬ。突然脳の血管は詰まるし心臓は止まる。半世紀前より格段に心筋梗塞や脳卒中の存命率は上がった。そりゃそうだ。半世紀前と比較して、医療が何も進まないはずがないんだからさ。医療機器も薬も進化し続けてる。自動運転の精度だってかなり高まったし、交通事故の死亡率も劇的に低下をした。電車に飛び込んでみたくなったり、手首を切ってみたくなったり、そういった衝動に勝つすべは見つかってないけれど、日本がヤバヤバの頃、今から七十年前と比較すると天地の差。豊かになった我が国で、死ぬ理由を見つけるほうが難しいだろうね。あ、おまけに言うと、二〇二〇年代に世界中で大流行した未知のウイルスについて、日本は打撃を受けなかった。というよりも、あんな状態の日本を訪れる外国人はいないし、帰国する日本人もいない、ウイルスが入ってくる経路がなかったわけ。世界のパニックと日本のパニックは別々のものだったけど、それ以上の経済損失を被ったにも関わらず、よくここまで持ち直したもんだって思うよ。
     以上、戦場が未だ戦場たる所以はご理解いただけたと思うんだけど、ちょっと違うのはここから。
     我が国には呪霊というものが発生する。人の負の心の吹き溜まり、が形を持ったもの。これらは厄介なことに人へ危害を加える。ひとたび出現すれば災害並みになることも。
     ゆえに、戦場は在り続ける。この国が、昏い感情に包まれる限り。

     医局の椅子を三つ繋げて寝ていた。仮眠室を使えばいいのに、という視線を最初は感じていたが、今ではすっかり周囲は慣れてしまって、誰かがそっと私へ夏はタオルケット、冬はブランケットを掛けてくれる。いつ呼び出されるか分かったものじゃない、仮眠室でぐっすり寝込んで起こされるほうが、よっぽどか辛いのだ。半端、夢半ばに意識を漂わせておいたほうが浮くのが楽ってこと。
     誰かがじっと見ている。そんな気配がして、うつらうつらしていた目を開けば、看護師が私を見下ろしていた。「あっ」と小さく声を漏らし、自分が起こしてしまったことへ、申し訳なさそうな顔をしている。私は丁度起きようとしてたところ、というように肩をすくめて上半身を起こす。
    「家入先生、面会みたいなんですけど……」
     と情報が転送されてくる、電子名刺だ。書かれた社名は「五条メディカル」。
     出入りの業者の一つ。ただ普段の担当者とは名前が違う模様。なに? 上司かなんか? 私が器機導入の決定権を持ってるわけじゃないんだから、部長に話して欲しいんだよな、と伝えに行くべく、
    「分かった、行く」と私は答えた。
     救急を出た廊下に、紺色のスーツの男がビジネスバッグを提げて立っている。資料は電子で遣り取りされるようになった今、ビジネスバッグはスーツと同じくただの形式と化している。あるいは、当人が食べるおやつでも入っているとか。個人的には、そっちのが好感度高い。
    「はじめまして、家入先生」
     と男は深々頭を下げてみせたけど、私はすぐに違和感へ気付いた。営業マンじゃないなこいつ。漂わせる雰囲気が違う。物を売り込もうという気概や熱意を感じられない。きちんと身分証通り、五条メディカルの人間なんだろうけど、表現するのが困難なクレイジーな雰囲気を漂わせている。
    「お話外でも? 煙草は大丈夫ですか?」
     私はめんどくさい医者を演じてみせた。もちろん、医者が煙草を吸うなんて、と嫌な顔をされること前提だったのに。一瞬嫌な顔を見てから、冗談ですとか誤魔化す予定だったのに。
     もちろん、と男は嫌な顔ひとつせずほほ笑む。その瞬間また悟った。こいつ私のこと調べてんな。
     裏口から出て、ポケットからにおいのつかない、ただニコチンを摂取するためだけの電子煙草を取り出す。本当は紙がいいが、患者から煙草のにおいがするとクレームを入れられると面倒なのだ。なので電子煙草。電子煙草も良い顔はされない、が、救急の面子は煙草が私の救いの一つと知っているので、医局でサプリメントを摂っているのと同じ、反応としてはもはや無である。
     くわえて一息吹かしたところで、胃がむかむかした。他人の呪力の中にいる感覚は久しぶりだ。帳か結界か。どちらにせよ、この会話を誰にも聞かれたくないってことね。
    「ご用は?」とエセ営業マンへいちべつもくれず冷ややかに言った。
    「我々と共同研究をしてくださいませんか?」
     はぁ、と私は気のない返事をする。実際、気はない。救急は多忙であって、自分の研究に時間を割いている時間はほとんどないし、私が抜ければ立ち行かなくなる。何よりいつ呪術師が運ばれてくるか分からない。休みの日だって、正直センターにいる方が気が休まる。
     医者の仕事は患者の治療だけではない。研究だってする。研究を重ねて企業と合同で新薬や医療機器の開発に携わったりするし、新たな治療法を提案したり、新たなオペの手法を提案してみたり。簡単なオペはアンドロイドが担当するようになった時代、アンドロイドに己の手術処理をトレースさせる、とか最近の流行りだ。それでも依然、医療の現場では人間の方が信頼されているようで、アンドロイド医師は普及していない。受付とか介護とかには積極的に導入されてるけど。
    「一体どんな?」
     と私は世間話として、最近の流行りを訊くみたいに、一応訊ねておくことにした。
    「不老不死の研究です」
     出た出た。人類最大の命題。反転術式を使えるせいで、持ちかけられたことはある。
    「興味ないですね。そんなの実現したら、医者は食いっぱぐれるので」
     まじで興味ないしバカバカしい、と一蹴しなかった私は褒められていい。なんだか同窓みたいな遠回しに嫌味な返し方をしてしまったな、となんとなく思った。
     まぁまぁそう言わずに、と男は人のいい笑みを貼り付けたまま続ける。
    「肉体から抜き出した魂の情報を、義体に入れるんです」
     義体? アンドロイドの? と私。ええ、と男。
    「そして家入先生には、疑似術式の構築と、呪力を使用できる神経回路の構築をお願いしたく」
    「今度は国民全員を呪術師にしようって?」
     さすが家入先生、聡明でいらっしゃる、と男はうなずく。そういうのいいので、と首を振る私。
     呪術師と非呪術師、どちらも呪力を扱え呪力は体内を巡るが、呪術師は非呪術師と比較し、より体内を呪力が巡る。術式のありなしが、なぜ違いをもたらすか原理はいまだ不明。術式があれば、呪霊は恨みつらみを持って死なない限り発生しない。これは確かなこと。
    「そうすれば、呪霊の発生もほぼなくなりますよね。日本が穢れの拡散と漏出に怯えることもなくなります。呪霊によって傷付く人間も減ります。家入先生のお仕事は、なくなるかもしれませんが」
     壮大な理想を男は語る。実現できると確信を持っている顔に、狂気はまったく見られない。
     ばかばかしい、再び心中で思ったつもりが。うっかり態度に出てしまっていて鼻で笑っていた。ただ、外側では冷笑を向けておきながら、恐ろしいことに内心は動揺している。
     私たちが人間をやめた結果、あかるいみらいを本当に実現できたなら? 
     ポケットから取り出した携帯灰皿へ突っ込んで二本目を装填してスイッチを入れる。それマジで五条家は考えてるんです? と私が問おうとしたところで、目の前がちかちかと点滅を始めた。
     拡現へ強制的にポップアップ、それもアラートが表示される。都内文京区にて呪霊発生。等級は二級程度、民間人は避難開始、警察は出動済み、呪術師一名が現着済。十数名の怪我人発生、対応病院は受け入れ準備をされたし─。
     クソ最悪、スイッチ入れちまった。一本五百円する煙草が、たったひと吸いでおじゃんときた。
    「申し訳ありません、仕事が入ったのでこれで。大変興味深いお話でした」
     と嫌味を投げつける。あなたたちにも伝わってるでしょうけど、とまばたきを一つ付け足して。それでも男は鏡の前で何回も練習したようなほほ笑みを崩すことなく、
    「もしお気持ち変わりましたら、どうぞこちらへ連絡を」と番号が転送された。「私直通です」
    「どうも」
     私は片方だけ肩をすくめ、電子煙草をポケットに滑り落とす。男が深々と頭を下げる気配を察知したが振り向くことなく裏口を開いてくぐり、肺の息を入れ替える。これより先は戦場。

     呪霊の発生地から最寄りの病院はうち。救急外来には続々と怪我人が運ばれているが、ぱっと見幸いほとんど軽症のようだ。が、問題は体ではなく心の傷。ここからは私の専門外。
     病院内の精神科の連中がぞろぞろ出てきて、勇んでしかし表情は穏やかで柔らかに、一人一人のメンタルケアへあたりはじめている。現場でも厚生労働省直属の部隊が派遣されて、心のゆらぎを落ち着かせるべく奮闘しているのだろう。呪霊は祓われましたご安心を、皆さんの心の安静が平和を保たせるのです、どうぞ落ち着いて。国民IDをご提示ください、休養補助のお手続きをします。そんなように。休養の手続きをすれば、見舞金も出るし、労働も免除される。
     体内を巡り切れなくなった呪力は漏出して呪霊になる。日本に住む者ならば公然の周知のそれ。そしてこれは、呪術師のみが知る我が国最大の秘密だ。恐怖や不安、負の感情が連鎖し爆発すれば瞬く間に穢れは日本から漏出し世界を包む。結論を言うと世界が滅ぶ。ヤバすぎ、ウケるっしょ。
     そうならないために、呪術師は特別扱いで、非呪術師はガラスでできた見えない壁、箱庭の中で見事に飼い慣らされてる─飼われてるだなんて大半のやつらは思ってない─んだけどさ。
    「家入先生に急患です!」
     家入先生、急患です。ではなく、家入先生に、急患です。これは一つの事実を示している。反転術式を使って治療をしろという合図。反転術式の使用を許可される対象は、呪霊による傷を負った呪術師のみ。一体誰が運ばれてきた? 学生だったらかわいそうに。
    「負傷者の名前は?」と軽症者の消毒を終えて立ち上がり、歩きながら看護師へ訊ねた。
    「夏油特級呪術師です」
     一瞬で頭が混乱するのが分かった。夏油がそんな大怪我を? どうして? 発生した呪霊の等級は高くて一級、低くて二級と聞いた。今さら夏油が怪我を負うとはどんな呪霊が? 
    「……で処置室に。出血多量で気を失われているようです。現在のバイタルは転送した通りです」
     ぐるぐる考えている間にも、せっせと配属一年目のA君は報告を進めていて、心電図その他が表示される。血圧がやや低いくらいで他は安定していて、悟られないように胸を撫で下ろした。
     うつ伏せにされた夏油の背中にはえぐれて骨まで見えてる、ひっかいたみたいな大きな傷。
    「ありがと。あとはこっちで治すから、あっち手伝ってきて」
     分かりました、A君は決意に満ちた返事をして、ばたばたと処置室を出て行った。
     扉一枚隔てた救急センターが嘘みたいにしいんとした処置室。フレッシュはいいね、希望に満ち溢れている。初めて人を治療した時の気持ちなんて忘ちゃってるわ。初心忘るべからず、なんてな。
     呪力の出力を反転術式に変え、夏油のぱっくりいった傷に手をかざしたなら、ショーの始まりだ。まず血管がつながり始め出血が止まる。脊椎が損傷してなくてよかった。いくら反転術式とはいえ、神経は厳しい場合も有り。次に筋繊維の再生、そして皮膚の再生がはじまる。
     三十分くらい反転術式を展開し続ければ、タネも仕掛けもある手品はおしまい。
     送られてきた呪術師を反転術式ですぐに元通り、まるで家電を直すみたいにあっさりと。瀕死の呪術師を治し次の日には送り出す。非呪術師を守るために送り出す。同じように何人も見送った。助からなかった呪術師の、その誰も恨み言を吐かなかった。呪いへ転じなかった。
     私はどうだ、呪いに転じずに終われるだろうか。間違いなく終わるだろうな。私には、この世を呪うほどの度胸もなけりゃ気概もない。

     治療を終えた夏油は、精密検査のため一日入院となった。呪霊の呪いが残ってる可能性もあるし。もちろん病室は個室の特別室だ。さすが、特級呪術師様は扱いが違うね。
     失った血を補うためか、それか人のこと言えたもんじゃないけど日々の寝不足か、運ばれた当日ぐうすか寝てたらしいけど、今日検査が終わってからは、看護師に冗談飛ばしてたらしい。
     夜も遅いし寝てるだろと思って、ノックもせずに病室へ入った。音もなくスライドする扉を通り、ベッドの上で目を閉じている夏油の顔を覗き込んだ。
    「硝子かい……?」
     起きてた。消灯時間過ぎてんだよ寝てろし。私はノックもせずに入った不法者になってしまった。
    「家入教授の総回診です」
     と茶化しベッドのふちに座った。夏油は一度、二度、まばたきをしたあと、
    「わたし……、まだ生きてるね」と感じ入った声で言った。
    「当たり前だろ、どこに運ばれたと思ってんの」と口をへの字にして言う。
     夏油は、はは、と困った笑いを漏らした。「すまない、迷惑かけたね」
    「仕事なんで。プロなんで」
     と私は無用な謝罪を、親指と人差し指で円を作ることで跳ね除けた。いらねぇからそういうの。
    「背中ばっさり。あ、跡残んないから安心しな。女に見られても安心だね」と皮肉っぽく言うと、夏油はいやいや、と力なく笑う。「で、何やらかしたわけ?」
     こんな酷い怪我を負った同窓を見たのは何年振りか。本人の無事を確認した今だからより分かる。私は自分が思っているよりも、動揺しているようだった。
    「逃げ遅れた非呪術師の子どもがいて、かばったらばっさり」
    「マジかよ。テンプレすぎんじゃん」
     私は笑い飛ばしてやった。同時にこの男は、本当にそういった気質の持ち主なのだと。持てる者としての責任、庇護の対象。日本に二人しかいない特級呪術師の責務。偽善ではなく、心の底からかくあるべしと信じてやまない。光と同時に生まれている深い影に、気付いてはいないのだろう。あるいは気付いているからこそ、感情へ蓋をしている。
    「夏油、いつかその善意に潰されておかしくなりそう」
     お前だけじゃなくて、七海も灰原も、歌姫センパイも冥さんも他の呪術師たちも、よくやるよ。それぞれ金のため生きるためとかあるけどさ。誰かのために、へうんざりして去りゆきやがて愛は憎しみへ。呪詛師は人を愛し過ぎたゆえのオチにほかならない。
    「何か言ったかい?」
     ごめんちょっとうとうとしてて、と夏油が言った。
    「なんも」と私は首を横に振る。「空耳だよ。うとうとしてんなら寝な。邪魔した」
     安眠妨害したの私だけど、とわたしがベッドから腰を浮かそうとすると、
    「そういえばわたし、先週君に連絡してたんだけど……」
    「え、嘘」メールボックスを展開、夏油傑で検索……あった。受信は二週間前午後十時三十二分。要件は、「再来週硝子の誕生日だろう? 久々にご飯でもいかないかい?」とまあありがたい内容である。「酔っ払ってたなこの日。読んでそのまま返したつもりでいた。素直にごめんなさい」
    「良かった」と夏油は安堵の表情。「わたし、君に嫌われることしたかって不安になってたんだよ」
     死んでも死にきれないところだった、と夏油。私は洒落になんねーわと思いながら、
    「え? 夏油ってそういうこと思うタイプだっけ?」とわざとらしく言う。
    「そうだよ。わたし、気にしいだからね」と悲しそうな顔をして夏油は言った。それから、「じゃあ、無視のお詫びとして、来週あたりどうだい」とウインク付きで。
     しょうもな。私は今すぐニコチンとアルコールが欲しくなる歯痒さへと、呆れ笑いで返す。
    「どっかあけとく。夏油特級呪術師の命救っといて得したよ」




    02 Dec.2088

    02

    「ショーコ、ショーコショーコショーコ」無駄にいい声が子どもみたいに私を呼んで、二本持ったラケットのうち一本を、にこにこ差し出してくる。「バドミントンしよーぜ」
    「ハ? やだよ寒いし疲れるもん」
     季節は十二月。大人は寒いのが苦手なんだよ、無駄に優秀な論理メモリーに刻んどけ。
    「えっヤダァ硝子、年……?」
     ハァと私はクソデカため息を吐いた。私は君みたいに体温センサーのオンオフできねぇの。
     京都の五条家へ着いてコートを脱ぐ前に手を引っ張られた私は、人の気配を全く感じない本邸の縁側へ腰掛け、脇に手を挟んで震えてるわけなんだけど。誰だよラケット買い与えたやつ。
     甘党で、クソ生意気で、口が悪くて、人のことを見下してバカにしてからかってくる、見た目二十歳前後の青年は、人間じゃない。本来の性質はどこへ行ったやらの、機械人形である。
     呪物を埋め込んで、術式を埋め込んで、何度も試したけれどどれも起動しなかったり挙動がおかしかったり、術式が使えなかったり。その度にそいつらは廃棄された。呪物を引っこ抜かれて、術式が外へ漏れ出さないように燃やされた。人を救う身として、人の形をした機械が壊されるのは最初微妙な気持ちだったけど、すっかり慣れてしまった。愛着も思い入れもないので仕方ない。
     何百回目かのテストで、こいつは目を覚ました。
     もはやこれは執念だよってくらいきれいな、青い目を開いた。
     五条家相伝の特別な目、六眼。呪力を判別できる特別な目は、死後くり抜いて標本にされている例が多数あって、わたしはその死んだけど仕組みだけは生きてる目を分析した。で、人が顔を区別するための神経を犠牲に、個人の呪力と術式を見通す目を作り上げた。水晶体は伸び縮みするゼリー状の物質、網膜は人間と同じように固有の血管が模されている。徹底したこだわりようのうちでも、一番ヤバいって思ったのは、解剖した目とそっくり、そのまま同じ色した、とかく澄んだ色の虹彩。日本人の遺伝子では持ち得ない、特別のあかし。だからこだわったのだろう。
     本来は、五条の生得術式の分解をして再構築して五条型試作機に埋め込んで、六眼と術式の発動確認が出来たら役割はおしまい、メンテは別チーム、の予定だった。
     それが、なんで。
     グラサンの向こうの青い目をきらきらさせ、ショーコショーコとついてくる。全くかわいくない。アンドロイドにも刷り込みがあるのか? と周囲はざわついた。いや私が知りてぇから。起動時にぶつけた私の呪力の影響じゃないか、と推論されているけど定かじゃないし証明しようもなくて。
     そのせいで適宜京都に通い、五条の相手をしている。
     離婚した親の片割れとの面会? 遠距離恋愛の恋人ってのは全く違うし、なんて言ったらいいか。呼び出しがあれば京都に馳せ参じることになってる。参勤交代の逆バージョン。
     曰く、一番懐いているのが私で一番心(なんてないくせに)を開いているのが私だから、呪力と術式の安定のためにも様子を見てくれ。勿論金は弾むし、所属の病院へ寄付金も弾むし、五条家が運営している系列病院から優秀な医師を数名派遣するので。と言われては断れるはずがない。勤務先である国立病院は万年医師不足。心の底から嫌だって顔してやりながら、首は縦に振った。
     私が常駐していた頃からそうだけど五条─正しくは五条型試作機三一六号─は普通の人間と同様に扱われている。三食飯は食うし夜は寝る。時々おやつを所望する。基本的に屋敷内は自由に歩き回ってもいい。チームの連中も態度としては人間みたいに扱うけど、謎の進化を観察したいがためだろうし、心ん中じゃあくまでも機械扱いに違いない。
     ちなみに、きちんと許可を取って護衛も付ければ外出も許される。「ショーコ、パフェが食べに行きたい」とかなんとか言って、街に繰り出したことは数知れず。誰だよ甘党の設定したやつ。
     誰も五条がアンドロイドなんて気付かない。精巧に作られた見た目に、核が生み出す呪力で充電(正しくは充呪力と言うべきか)はいらない。他のアンドロイドとは比べものにならないほどに、表情も感情も豊か。表情筋は隅から隅まで仕事して、私よりもよく笑うしよく怒る。
     最もそれは、呪力よってに人格プログラムが影響されているだけで、偽物にほかならない。
    「じゃあほら、ショーコはそこ立ってるだけでいいよ」
    「は?」とわたしは眉を寄せた。
    「硝子の打った羽、僕が全部硝子のいる場所ぴったりに返すから」
     みてな? 僕の優秀さ思い知るから、言った五条は私へシャトルを手渡し、五歩くらい離れて、ぶんぶんラケットを振ってみせた。お前それバドミントンって言えんの? お前はそれでいいわけ?
    「僕にかかれば、それくらいお茶の子さいさいだからね」
     やれやれどっこいしょ、諦めて私は立ち上がる。運動音痴じゃないけど得意でもなくインドア派。バドミントンなんて高校の授業でやって以来かも。放っておけばキャンキャン言い続けるだろうし、機嫌損ねるのも面倒だし相手をしてやろう。動けば体もあったまるかもしれない。
     風向き、風速、空気抵抗を瞬時に計算しているのだろう。ぴったりラケットに飛んでくる羽根を、適当にラケット振り回し打ち返す。羽根は不規則に飛ぶ、本来は屋内スポーツだ。風に流されふらふら思いもよらない方奥へ飛ぶ、五条はそれを追いかけて走ってまたぴったりに打ち返してくる。楽しいのかこれ? フリスビーを飛ばしてやった犬みたいだ。それか適当に振られるねこじゃらしで延々と遊んでる猫。共通するのは、どちらも見えないリードの繋がれた。
    「上手いっしょ。オリンピック目指そうかな」
    「アンドロイドはオリンピック出れないよ」と私はへろへろのシャトルを打ち出す。
    「わかんないじゃん。出れるかもよ? 誰も僕がアンドロイドだなんて気付かなくてさ」
     わはは、と五条は快活に笑って見せた。反対に私は表情を失う。
     誰も君が、人ではない何かと気付かない。今までも、これからもそうだろうな。完璧な美しさに、都度バージョンアップ可能な演算装置、に詰め込まれた不完全な人間性。
     君は誰なんだろうな、五条。君に埋め込まれた核の人物なのだろうか、あるいは私や他の研究者と接するにあたり生まれた、別の誰かなのだろうか。
     君のその笑った顔も、せっせとシャトルを打ち返す行動も、誰の意思で感情なのか。
     私はこれから君に待ち受けている運命を知らない。作るだけ作っておいて、あとは知らない勝手にどうぞってバトンを投げる。もともとクソ野郎だと思いながら研究開発を引き受けたし、作っちゃったもんは作っちゃったってのは、研究者として正解極まりないが、いま、私はクソ野郎だと思ってる。クソ野郎と自認した上であれこれ考えてる。
     だって、君みたいなのが完成するって、誰が予想できた?
     ぽとりと私の前でシャトルが落ちる。
    「アー! ちょっと硝子なにぼけっとしてんの! あと三回で百回ラリーだったのに!」
     ぶつぶつ文句を言いながら五条が寄ってきて、しゃがみ込み、足元のシャトルを拾いあげる。
    「ショーコ?」
     私を見上げてくる、真っ青で淀みのない瞳から目を逸らしたくなった。
    「五条」と私が呼びかけると、なに? と小首を傾げる。「楽しい?」
    「まーそれなりに。一人じゃミントンできねーし」言った五条はにやりと歯を見せて笑う。「でもこのあと、硝子が一緒にデート行ってくれたらもっと楽しいよ」
    「……デート?」
     誰だよこいつにこんな言葉仕込んだの。何考えてんだよ、絶対いらねー思考パターンだろ。
    「そう。硝子、先月誕生日だったんでしょ? 祝わせてよ」
     私は目を丸くした。先月、そういえば何度も呼び出しがあった。忙しくて来られなかった。
     機械がさ、人間の誕生日を祝うなんて聞いたことある? ああ、プログラムされてるんだったら、持ち主の誕生日を祝うのは当たり前だろうけど。自発的に祝いたいって、生まれておめでとうって。
     おまえ、その意味わかってんの? 口元が勝手に歪みを作り上げる。不細工で不器用な笑いだな。
     ねぇ五条、おまえはなんで私を選んだの? 他のやつらみたいに扱ってくれればよかったのに。どうして私? 誕生日祝おうって何? 私はお前の誕生日について、考えたことすらないってのにさ。さっぱり分からない。私は、君が特別扱いするに値しない人間だよ。
    「外出許可は取ってあるし店の予約もしてあんの。完璧じゃね? さすが僕」
     何も言わない私の右手を取って、五条はほほ笑む。ああ、きれいだなとうずまく何かをこらえるみたいに、眉を寄せた私は思った。
    「僕たちで五条家の金散財してやろーぜ」
     飛び出たのはばかみたいな理由だ。ばかみたいに俗世的で、ばかみたいに人間っぽい理由に、
    「すね毛一本抜いたくらいにもなんないよ、私たちじゃ」
     人間もどき一歳のくせ立派な口利くもんよ、と私はデコを小突いてやった。
    「家入博士、少しよろしいでしょうか?」
     と唐突に声がかかり振り返る。背後からぬっと現れたのは、細身の銀縁眼鏡を(眼鏡型の拡現だ)掛けた四十代後半のチーフ。二年ちょいの付き合いのうち、この人が笑っているのを一度たりとも見たことがない。それからしゃがみ込んでる五条へ、なんの感情も籠っていない表情そのまま、
    「三一六号は、ラボに戻っているように」と告げる。
    「へいへーい」
     また後でね、連絡して、と付け足し立ち上がった五条は素直に背を向ける。しっかり五条の姿が見えなくなったのを確認してチーフは口を開いた。
    「博士の同学年に、『夏油傑』という呪術師がいますね」
     はい、います、と私はうなずいた。しばらく会っていないけれど、適度に連絡は取り合っていて息災なはずである。に、してもだ。こんなところで、かの夏油特級呪術師の話題を持ち出されると思ってなかったので驚きは隠せない。
    「五条型三一六号の試験も兼ねて、あなたにはとある島に行っていただきたいのです」
     今度はなんのつもりか、文字通りの島流しにでもしようって?
    「その際、『夏油傑』を連れて行っていただけますか」
     私はなんて? と訊き返したくなったのを呑み込む。まるで話が読めない。
    「あなたがお勤めの病院へ、一ヵ月の休暇を与えるよう依頼をしてあります。あなたの代わりにはなりませんが、五条家から医師を三名派遣しました」
     はぁ、はぁ、左様で、そうですか。と気のない返事を繰り返した。それから多額の寄付金がぶち込まれたのだろうと想像する。何十年も前に廃止された人身売買をされてる気分だ。
    「閉鎖空間で外の呪術師と接してみて、あれがどうなるかの実証実験です」
     呪術師でいいならなぜ夏油? 私は心の裡で首を傾げる。夏油の中にいる呪霊と接触させるためとか? 呪霊操術は稀有な術式だ。夏油は教育者の立場だがエゴの塊だし変人で、五条家が夏油の人間性に有益を見出してるとは思えないし。なんて疑問を挟む間もなく、淡々と話は続く。
    「三ヶ月後、三一六号を東京へ向かわせます。あなたと二人で、『夏油傑』へ会いに行ってください」
     おいおい命令形かよ、と私はため息を付いた。その結果? もちろん響くはずなんてない。
    「その際こちらの指名と告げませんように。あなたの方で適当な理由をつけておいてください」
     あのですね、ほうれんそうってご存知ですか? それと契約内容外の話なのですけど。出そうになった文句を呑み込んだ。私情なんて言葉はその辞書にないのだろう、こてこての研究者、自他の私生活に興味のない存在が権力と権限を持った当たり前の結果である。が、今の私にとってはそのマシンみたいな心が羨ましくある。
     断る理由はない、というか勝手に物事は進んでしまっているから断れないと言ったほうが正しい。呪術師が旅行しちゃならないルールはなく、基本的人権は非呪術師と同じように。けど私と夏油を島送りにしてる間、何かあったらどうすんだ。って辺りも対策済みだろうな。知らんけど。
    「分かりました」と承諾し、すっと目を細めた。「今回呼び立てされた用件は以上ですか?」
    「私よりは以上です。残りは三一六号よりの依頼を片付けてください」
     片付けてください、だってさ。ぴくりとも表情筋を動かさずの言葉へ、おかしくて笑いが出た。するとようやく怪訝そうに眉が一瞬動く。でもきっとこの人たちは、さっきの五条とのやり取りを見てても、同じように言うのだろうなと思ったら、少し気が軽くなった。
     くれぐれも頼みますね、家入博士。そう最後に念押しをした研究者はくるりと背を向け、口調と同様淡々とした足取りで去っていく。
     話、終わった。
     私はその背を見送りながら、五条へ端的なメッセージを送った。
     数分もしないうちに戻ってきて、ここへ来た時と同じように、にこにこと私の手を引くのだろう。
     五条家のねらいは分からない。何に夏油を利用するのか、五条をどうしたいのかさっぱり見当が付かない。あいつらが夏油のことどこまで調べてんのか知らないけど、二人は、仲良くなれそうにない気もする。礼節と体面を重んじる夏油と、自由奔放唯我独尊の五条。最悪喧嘩が勃発しないか? なんて。夏油は大人だから大丈夫だろうが、五条はなぁ、賢いから大丈夫かなぁ、自信ないや。
     でも、と私は思っている。まさかこんな機会が訪れるとは思わなかったから。
     夏油、夏油傑。私の同窓、特級呪術師、呪霊操術の使い手、呪力研究の先鋒。
     例え裏側にどんな思惑があろうとも、夏油ならばと。
    「ショーコ! クソみたいな話だったっしょ。内容僕知らないけど」
    「あー、クソだった。けどそのうち君も知るよ」
     夏油ならば、純粋で自由で生意気でばかで愛おしいこいつの。どうしようもない、どこにも行けない五条の運命を、何かを変えてくれるのではないかって。
     いま私は、間違いなく願っている。どこまでも勝手な、希望を抱いている。
    「ふーん? ま、今はどうでもいいや。ほら行こ行こ!」
     手が握られる。私よりも大きくて無骨な手を、私は握り返す。そして祈る。
     どうか空いているもう片方の手を、あいつが握ってくれますように。

     <Continue to 2089...>
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    raisegoodnan

    DONE2089の本編前、硝子から見た二人それぞれの話。
    !Caution
    本作は、本誌【2089】の Part1とPart2間、
    または本編読了後のお読みを推奨しています。
    208801(Nov.2086)

     サイレン、サイレン、サイレン。
     くるくる回る散光式蛍光灯、通称パトライトと、昼も夜も関係なく上げ続けられる悲鳴のようなサイレンが私の開戦の合図。私たちは白衣を着た兵士。皆同じ方向へ顔を向け、名前しか知らない誰かのために崇高な使命を持った私たちは心を削る。
     家入先生! 家入先生! はいはい待ってなよ、今行くから。
     医療が進んだとはいえ、人は死ぬ。突然脳の血管は詰まるし心臓は止まる。半世紀前より格段に心筋梗塞や脳卒中の存命率は上がった。そりゃそうだ。半世紀前と比較して、医療が何も進まないはずがないんだからさ。医療機器も薬も進化し続けてる。自動運転の精度だってかなり高まったし、交通事故の死亡率も劇的に低下をした。電車に飛び込んでみたくなったり、手首を切ってみたくなったり、そういった衝動に勝つすべは見つかってないけれど、日本がヤバヤバの頃、今から七十年前と比較すると天地の差。豊かになった我が国で、死ぬ理由を見つけるほうが難しいだろうね。あ、おまけに言うと、二〇二〇年代に世界中で大流行した未知のウイルスについて、日本は打撃を受けなかった。というよりも、あんな状態の日本を訪れる外国人はいないし、帰国する日本人もいない、ウイルスが入ってくる経路がなかったわけ。世界のパニックと日本のパニックは別々のものだったけど、それ以上の経済損失を被ったにも関わらず、よくここまで持ち直したもんだって思うよ。
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