その手を握る(ヒュブラ)空には名も知らぬ星座たちが輝き、風に乗ってかすかに波の音が聞こえる。ここは惑星ガイア。新たな戦いの場として選ばれた、ストームポイントと呼ばれる自然豊かな島だ。ゲーム後、迎えのドロップシップが整備不良で飛べなくなったと通達があった。レジェンドたちは急遽この島で一夜を過ごすことになったのである。緊急用の支給品、つまりはキャンプじみた装備があるので幸いだ。野生生物の心配をする声もあったが、不用意に彼らの住処に近づかなければ危険は少ない。人嫌いな者はさっさと姿を消し、おしゃべり好きはビーチで騒ぎ、そして私たちは草木の生い茂る一角に。
火の番をする私の目の前には、この地で狩ったばかりの獲物がある。ざわめく木々の間から機嫌の良い鼻歌が聞こえてくる。やがて追加の焚き木を抱えた男が姿を現す。それを見計らって下処理の済んだ肉を炙り始めるとたちまち香ばしい匂いが辺りに漂い始めた。
「お、美味そうだな。これは何で食うのが美味いんだ?」
隣にどっかりと座った彼が指さす。金属製の眼帯と義手が炎で赤く輝く。
「別な調味料でも問題ないが、塩がいいと思う」
「シンプル・オブ・ベストって訳だな。狩人様のオススメに従っておくぜ」
そう言って男はわざとらしくウィンクをする。これは私から提案したもの。元々は彼の言葉ではあったが。
「お前の獲物でバーベキューをしようとは確かに言ったがな。誘ってくれるなんて嬉しいじゃないかブラハ。まさかこんなに早く実現するだなんてな」
件の連絡のあった直後、思い切って声をかけたのだ。彼は右目を丸くしたと思えば次の瞬間、私の肩を叩いて笑っていた。先程まで飛び交う鉛玉や爆煙の中にいたとは思えない、とびきりの笑顔で。
そうこうしている間に火が通って来たようだ。頃合いを見て引き上げた肉に軽く塩を振る。熱い内に口へ運び咀嚼する。
「お!こりゃ塩が正解だ。バーベキューソースなんかつけたらこの脂の美味さが分からなくなっちまう」
「そうかそれは良かった」
「冷えたビールもありゃぁ良かったんだがな。アイテムの女王様を呼んでもマーケットにンなもん置いてないだろうし、ウーン……これは次回に持ち越しってことで良いか、なぁ親友?」
「あぁ構わない。クーラーボックスをいっぱいにして来るといい」
望むところだと笑う声につられ頬が緩む。水はいるか?と聞かれ頷く。支給品にあったボトルを放って寄越す。この男……ヒューズことウォルター・フィッツロイは私を気にかけてくれる。あの幼馴染のことを思い出すのかもしれない。サルボであったことは本人から聞いている。決して穏やかではない別れだ。直接見てはいないにしろ一連の騒動の起こった現場に私もいた。確かではないが、あの時のように手が届かないのを繰り返すつもりは無いのだろう。そしてつい一ヶ月ほど前に私が陥った状況を、彼が黙って見ていることは無かった。ゲーム中にだって何度も声をかけられた。愚かな事にも私はその声をろくに聞こうともしなかったが。最終的に口より先に手が出るという彼にしてはらしくないやり方でも私に手を差し伸べ続けた。しかし彼らしい内容のあれを。
「ブラハ?」
ふと黙った私に首を傾げていたが、バツが悪そうに頭を掻いた。私が懐から取り出したある封筒を目にしたからだ。中身は手書きの文字の並んだ手紙である。ある日、目覚めるとドアの下からこれが顔を出していた。運営の通達やファンレター類はまずこのような届け方はされない。封筒には「親友へ」。筆跡や私に手紙を書くような人物という条件だけでは検討もつかなかったろう。が、私をこのように呼ぶのは一人しかいない。
「許してほしい。これを読んだのは最近のことなのだ。本当ならすぐに開けるべきだったが……。できなかった」
「いいんだ。俺がそういうやり方したんだからよ。手紙を読むタイミングは貰った側の自由だからよ……許しだのどうだの気にしなくていい」
本当なら見つけてすぐに目を通すべきだったのだろうが、手が止まった。彼のことだから私に寄り添う内容だと見当がついてしまった。このまま許されてしまったら、己を許してしまったら。自身の犯した罪に向き合わなければならないと思っていたその時は、急に恐ろしくなって開封しなかったのだ。真白な鴉を追い、傷ついた獅子がその苦痛から解放されたのを見届けた後、胸の辺りにしまったままの存在を思い出した。苦しんでいるのは故郷の人々や私だけではない。親密になった仲間も同様に私を心配し続けてくれている。少し端が折れていたり汚れていたりするのは、私が繰り返し読んでいたせいではなく元からだ。丁寧だがあまり整っていない字を指で撫でる。力の入り過ぎたペンの通った跡が、小さな轍になっているのが僅かに感ぜられる。視界の隅でヒューズがもぞもぞと体を動かす。
「ええと、もういいんじゃないか?その、なぁ。言わせてくれるなよ……。ちょっと恥ずかしいんだよ」
「同士よ、これは決して恥ずべきものではない。大切な贈り物だ」
「贈り物って、まさかずっととっておくつもりか?!おいおい……慣れないことはするもんじゃねぇな……」
珍しく照れている彼は自身の髪をくしゃくしゃといじくる。私はそんな男の義手を上から握った。こちらを向いた彼の眼帯にうっすらと己の影が映っているのが見える。
「ウォルター、感謝している。……ありがとう」
口髭が緩く口角と共に動く。
「俺は……何もしてねぇよ。でも今度はちゃんと力を貸させてくれよ?いつでも準備は出来てるんだからな」
お互い多くのものを失っている。でも失うものがこれ以上ないほどに空っぽ、ということでもないのだ。血の通わないステンレススチール製のこの指を温かく感じるのは、近くの焚火のせいだけではないだろう。