永遠みたい 結局、ドラブ・バトラーが選んだのはクォーターパウンダー・チーズデラックスだった。目の前に座る相手、フェイス・ベネットは既にチーズバーガーの薄い包みを開き、頬をもごもごと元気よく動かしている。ゴクンと喉を上下させたかと思うと、セットのポテトを二、三本摘み大きな口に放り込む。
「食べないの?」
まあ、こんなものだろうと予想はついていたが。今日は【恋人になること】について話をすると見込んでここまで着いてきた。今更リードの一つや二つ奪われたところで気にはならないのだが、自分から話を始めるのは些か面倒でもあった。返事代わりのため息を塞ぐように自分が選んだバーガーを口へと運ぶ。シャクリとしたレタスの瑞々しい音が耳に届き、チーズの香りと肉厚のパテの脂が口内に広がった。食べ慣れた味だ、とびきり良くもなく、悪くもない。
「オレやっぱチーズバーガー好き〜、ぺたんこのやつ」
「良かったな」
「うん、でもドーのも一口頂戴」
無言で差し出せば、プラスチック製の椅子が床を引きずった音を立てて目の前の男の顔が近づく。一口がでかい。
「いつもと同じだろ」
「んー……うん、いつも美味しい」
そう言うわりには自分でこのメニューを頼むことはない。いつも薄いチーズバーガーを数個。食べ始めと食べ終わりが何回もあった方が楽しいらしい。理由を聞いたとて「ああ、なるほどな」と納得できることではないが、人間の好みは様々であり、特にフェイスは自分の人生観では理解が追いつかないことをよくしでかす。もうそれにも慣れた。俺にとってとびきり良くもなく、悪くもない。無理矢理かぶりついたバーガーから溢れたソースがついた口は赤い舌に舐めずられたあと、にん!と笑みを浮かべた。
「今日さ、結婚式の誓いしない?」
「……意味がわかんねぇ」
「恋人にはならないけど結婚はしたいってドーが言うからオレもどうしたら良いのか考えてて」
「永遠の愛?」
「なんで笑ってんの、真剣なんだけど」
緑色の瞳がこちらを射貫く。普段は愛想がたっぷり詰まっている目尻も少々引き締められ、頬は息で膨らんでいる。そっちこそ真剣な表情しろよ。もっと怖い顔できるの知ってんだからな、それを口には出さずにストローを噛む。
「オレ、言ってた通り『君だけ』ってのは多分難しいんだけどさ」
「ああ」
「うん、結婚式ってこれから幸せになるふたりをお祝いする場じゃん?」
「大体は」
「でも、『病める時も』って前向きじゃない可能性について確認してくれるところ、すごく信用できるなって思うんだよね」
「フーン」
「もちろん本当の意味ではひとつになれないからさ、そこで正直に答えないでいてくれたってオレはいいんだけど、すごく真っ直ぐで嘘のない言葉たちだと思って」
「考えた事がなかった」
ズズズ、とコーラを吸い上げるとフェイスは続ける。自分もポテトを数本くわえた。
「もちろん心や身体が『健やかなる時』、つまり、ふたりや周りの人間との関係、世の中の状況がいい時も、相手へ真心を尽くすことを誓う」
「それはわかりやすく前向きだな」
「うん、正しいと思うし綺麗だ」
「へえ」
「本当にオレと付き合ってくれるんなら、なるべくそうあれるように努力したい」
「……フーン?」
「フェイス・ベネットだからって話ではないけどさ。互いに良いことも悪いこともあるってことを理解し合った上で、君とこれからも一緒にいたいから誓いたいと思った」
「……」
「あー……オレの愛し方?が普通じゃあない、ことはなんとなくわかってるんだけど……」
返事がすぐに思いつかなくてバーガーを多めに頬張る。トマトのゼリー状の部分がどろりと喉に流れた。自分がそうするのを見て相手も一旦自分のチーズバーガーをかじる。周りのにぎやかな声と自分の咀嚼音が嫌に頭に響いた。俺はコイツの心のひっかかりは見抜けるが、それまでだ。
「何が普通か、なんて状況によって違うだろ」
「ありがとう、いや、オレは結婚とか無縁だと思ってたからさ」
「あのなあ、」
「でもドーに名前を分けてあげたいなって思ったことはあったし」
「……聞いた」
「セックスはうまくいかなかったけど」
「……ああ」
「でもドーが元気だと嬉しくてさー」
「……ああ」
「ずっとこうがいいんだよね」
目の前の顔がふにゃっと崩れる。頭の中に浮いた考えに勝手に顔が緩んでしまった、みたいな笑い方。
「病める時も〜?」
「ハア」
「健やかなる時も〜?」
「本気で誓いたいのか?」
「……いや?神様はあんまり信じてないからちょっと違うかも」
「だろ、腹が痛いのかと思った」
ううん! と呆れるほど素直な返事が返ってくる。惹かれたものには全力で向き合い、知り尽くすために動く、探究し続ける。妥協しない。そうして欲しいものはその内手に入れている。きっと俺はかなり昔から、コイツの射程圏内に入っている。
「わはは、まあココは特に神聖な場所でもないしね」
「ムードがないのは今更だろ」
「今から神聖なるものにするさ」
その声はひどく落ち着いていた。ときにフェイスの風采は一種の崇高さを感じさせることがあり、犯すべからざる異様な眩しさを浴びせてくる。最初、俺はそこにハッキリと線を引いたし、その後だって溝ができそうなほどガリガリとその線をなぞった。フェイスも決してそれを超えてこいとは言わないし、自分の圧力は理解しているようだった。ただその上で無慈悲なまでに与え、求めてくる。自分の隣で歩けと。自信家で寂しがりや。でも話が通じねぇ、何を言っても無駄で意味がないとは思わない塩梅なのが腹が立つ。
「信じてもない神様なんて今は必要ないでしょ」
「俺とお前がいればいいと」
「そ。大切なのは互いに対する誓約で、オレたちが決めたことか、どうか」
「世界の中心かよ」
「そう思えばそうなれるんじゃない?」
「気が向いたらドーも、真ん中きてよ。ね?」
トントンとテーブルの上をフェイスの指が叩く。【きみの選択がせかいをすくう。】と書かれたトレイマットにはハンバーガーを思わせるデザインをした地球が描かれていた。彼の指はその中心からは少しズレて音を立てている。
「普通の結婚式じゃねえんだから、関係にも好きに名前をつけようぜ。幼馴染でも、恋人でも、家族でも、腐れ縁でも、花嫁でも、他人でも良い。いやつけなくったっていいのか」
「人と人との区別として、ドーにはオレの愛と言葉をたくさんあげる」
「オレも君の愛と言葉をずっと、噛みたい、味わいたい。たまにでいいから、オレに頂戴?」
つらつらと言いたいことを言った後、フェイスは俺側のポテトを一本つまむと、ゆらゆらと口まで運び、少し並びの悪い歯をカチカチ噛み合わせてわざとらしく首を傾けた。息がつまる。苦しい。穏やかに笑いながらその口調には有無を言わせない強さがあった。だが、恐ろしいとは程遠い。ふっと力を抜いて返事する。
「ああ、たまになら。フェイスも気まぐれでいい。執着や我慢で与えてくるなら俺はいらねぇ」
「オッケー、たくさんあげる」
返事と同時に煙草みたいにポテトを咥えたフェイスは、自分側のポテトをわしっと掴んで俺の口につっこもうとしてきたので、咄嗟に腕を掴む。
「わは、ドーありがとう」
「よろしく」
「……!よろしく」
「……病める時も」
「お、うん」
「健やかなる時も?」
「うん♪」
「あー……長い。死がふたりを分かつま」
「ストーップ!」
「ハ?」
黒色の瞳を見開いて、ドラブは掠れた息を零した。出た出た、言ったそばから隣を離れている。睨むように前にいる男の顔を見ると、その視線だけで十分わかっているはずなのに、彼はにこにこしたまま受け取られなかったポテトを一本ずつむしゃむしゃと回収している。
「そこは〜いらない!消そう!」
「勝手に決めるな」
「死ねば終わりなんて嫌だから!」
「『死』にまで逆らうなよ」
「生きてる間が『永遠』なら、どっちかが死んだ時に永遠じゃなくなるじゃん!」
「お前期間限定商品好きだろ」
「ええ!?好きだけど!?」
死がふたりを分かつまで……人間には逆らうすべのない「死」以外に「夫婦でなくなることを認めない」……という誓いはたてられないらしい。「生きている間だけの永遠」は「永遠」ではないと。
「オレだって自分じゃどうにもできないものがあることぐらいわかってるよ。でも絶対諦められないし」
「死んだ後のことなんて知らねぇよ」
「絶対諦められない」
「それは執着じゃないのか」
「違う、愛してるの」
ゆらりと光を反射した緑目玉の中に黒が浮いている。どろどろと零れ落ちる猛毒の色。飲み込まれたらきっと溶かし尽くされる。知っていて手を出したのは自分だ。すでに俺の侵食は進んで変質している。どれだけ残っていれば俺は俺なのか。きっとコイツは気にしない。
「死んでも離さないから」
「今だってそうだ」
「死ねば終わりだなんて思わないで」
「ずっとオレのドーでいて」
神様は無視するのに死後は気にするのか。……いや、別に死後の世界がどうってわけじゃないんだろうな。見えてる範囲では俺が自分のものじゃないと気が済まないんだ。ああ、大変そうで可愛いやつ。俺はお前がものすごく遠いところで光っていれば満足なのに、お前はどうしてもそばにいてくれるんだな。
「オレ……君だけのものにはなれないけど」
「ぶん殴りてぇ……」
「それでも一緒にいてくれる?」
「まあ……もったいないしな」
「ありがとう」
フェイスが少し申し訳なさそうに笑う。愛した相手は馬鹿だったかもしれないが、愛するという行動はそれほど馬鹿なことじゃないのかもしれない。フェイスを見ているとそう思うことがある。素直に認めたくないところではあるが、認めたくないと思うことは、認めていることとほぼ同じだろう。
「俺は今日のこと、忘れない」
「それって、永遠みたい」
「いつも通り好きにしろ」
「はーい。オレも、忘れない!」
二つめのチーズバーガーの包みを開けたフェイスは「やっぱ大好きだな〜」と、ひとりごちる。
多分きっと、彼の愛情は永遠に尽きない。
――――――
「あ、チキンナゲット食う?俺は食べる。まだまだ終わりそうにないしさ」
ガサガサと音を立てて目の前の男が中身を取り出した時、コロンとケチャップソースの容器がふたつ落ちる。
「悪い!マスタード派だったりする?」
「……」
「アンタは何が好き?理解して、受け入れたいんだ」
「……」
「普段からそんな感じ?フェイスの前でも?」
「……調教がヘタクソだ」
「俺、練習したんだけどな。『プロファイリングチームのリーダー』には敵わないか」
「ああ」
「涙ぐましいなあ」