親父が死んでから、ますますVIVIANITEに通うようになった。ギターを弾いて、歌って。音の渦の中にいる時だけは、孤独を感じずにいられた。
ある時、社長の目に留まったらしく、事務所に声をかけられた。歌う場を用意してくれると言われれば断る理由もなかった。喋るような仕事も増え、少し忙しくなったが、約束通り色々な場所で色々な歌を歌えた。マネージャーになった加賀もいい人だ。少し口うるさいけど、面倒を見てくれるのは助かる。
高校時代、趣味はギターを弾くこと、と言っていたけど、正確には音楽、だったと思う。
ギターの演奏に加え、どこにも公開しないのに曲を作ってみたり、好きなバンドの曲をアレンジしてみたり。その延長みたいなものだったけど、高校卒業後は音楽の専門学校へ進むことにした。他にやりたいこともなかった。
専門学校で技術を手に入れるたび、音楽を作るのはますます楽しくなった。学校に持ち込まれる賞やコンテストに次々と応募して、というか作り溜めた曲を目についた賞に送っていくうち、ぽつぽつと評価をもらうようになっていった。次第に仕事をもらえるようになり、卒業後もそれだけで食べていけるようになった。
ありがたいことではある。音楽とともに生きていけるのだから。
求められている曲を作る、そんな現状にも不満はない。自分の作りたい曲がどんなものかもわからなかったし、そんなもの無いんじゃないかとさえ思う。
「なんて読むの、この名前」
「『すずのちや』です。聞いたことあるでしょう」
そう言われてもピンとこない。
「ともかく、次のシングルの楽曲提供者になります。」
渡された資料をざっと読み、ふーん、と声を漏らす。
「どんな曲つくってくれんの」
「そこですが、直接会って相談したいそうです。場所もセッティングしました。」
はあ、と加賀は大袈裟にため息をつく。
「歌には心配はありませんが、その態度は毎回困りものですね。資料はちゃんと読んでおきなさい。向こうは随分とあなたに会うのを楽しみにしているようなので、くれぐれも失望させないように。頼みますよ。」
「楽しみ?」
「ええ。今回のことも、先方からの強い希望で決定しました。」
「ふーん…」
言われた通り、家に帰ってから資料はきちんと読んだ。これも気持ちよく歌うためだ。
「強い希望だってにゃー、どんな奴かにゃー」
腹の上の猫に話しかけてみても、返事はない。また一から人間との関係を築き直すのかと思うと面倒だ。自分で作曲すれば人と関わらなくて済むが、音楽の難しい理屈はわからないので作曲なんてできるはずもない。専属の作曲家でもついてくれれば、その人に任せきりにできるのに、などとも思う。
偶然耳にしたその声は、他の誰とも違っていた。思わず足が止まるほどに。街頭のディスプレイの質の悪い音だったのにも関わらず、その声は光り輝いて聞こえた。
ギターを手に歌うその人物は、檜山朔良というらしかった。
足早に家に帰り、檜山朔良について調べる。さっきよりクリアな音で、あの素晴らしい歌声が流れる。
「…僕なら、もっと」
僕ならもっとこの歌声を活かせる。
歌わせたいメロディが、それを支える伴奏が続々と浮かぶ。
作りたい。歌ってほしい。聞かせたい。
「檜山朔良、に、僕の曲を…」
「作ってくれんのは1曲って聞いたけど」
楽曲提供者となる人物が持ってきたPCの中の「demo.08」まで聴いたところで、抑えきれない疑問に口を開いていた。
「そうです」
「あんた、いろんな人に曲作ってんだよな」
「はい」
「いつも最初からこんなにデモ作ってくんの」
「そういうわけじゃ、ないんですけど」
初めて顔を合わせた珠州乃千哉という人物は少し言い淀んで、それから決心したように続けた。
「檜山さんの声を聞いてたら、色々と浮かんでしまって…その、コンセプトに合致しきらないものもあるんですけど…聴いて欲しくて」
言っていて恥ずかしくなったのか、耳の先がほのかに赤くなっている。
「俺の声に合わせて作ったから、聴かせたくてこんなに持ってきたってこと」
追い討ちをかけるように尋ねると、俯いてしまった。長い前髪のせいで表情は見えない。
「……」
「公私混同じゃねーの、それ」
「…す、みません。あの、聴くの、もうそこまでで結構ですので」
さらに動揺した様子の珠州乃はコンセプトに合うものは番号の若いほうに固めていたので、などとごにょごにょと漏らしながら俺の手からPCを奪おうとする。
「いーよ」
俺はPCを机に押さえつけ、それを防ぐ。
「まだ聴く」
「で、でも、その、シングルに使うのは僕も正直ここまでのどれかかなって」
そういうことじゃねーよ、とPCを自分の方へ引き寄せる。
「俺、あんたの曲好き。だから、聴く」
「え」
驚いて力の緩んだ手からPCを奪い返し、「demo.09」を再生する。
聴こえねーから暴れんな、と付け加えると、珠州乃は顔を真っ赤にして大人しくなった。
完成した曲を檜山さんが歌っている。
初めての打ち合わせ以降、彼の放った曲が好きというダイレクトな言葉を思い出すたび、嬉しさとその思いを裏切りたくないという気持ちが体の底から湧いた。
「期待通りのものを作れたのかな…」
「ええ。」
予期せぬ返答に顔を上げると、声の主は隣でレコーディングの様子を見ていた彼のマネージャーさんだった。
「大満足ですよ。朔良の表情、そして声がそう言っています。」
「そう…なんですか?」
僕にはその顔はいつも通りの涼しげなものに見える。そんな疑問が顔に出ていたのか、マネージャーさんは少し目を細めて頷いた。
「朔良は表情に乏しいですからね。ですが間違いありません。」
付き合いの長いマネージャーさんは微細な違いがわかるらしい。自信満々なその様子に、僕も信じざるを得なくなる。
「…だったら…よかった…です」
最終調整が終わり、曲が完成したと珠州乃から加賀づてに連絡が来た。レコーディングから数日が経過していた。
お披露目された曲は文句のつけようがなく、曲はめでたく完成となった。
完成記念と称して半ば強引に珠州乃を大衆居酒屋に連れ込み、あれこれと注文する。
「あの、自分の分は自分で出します」
「奢られとけって、歳下なんだし」
「もう成人ですし、檜山さんと僕はひとつしか違いませんよ」
「いーから」
会計でまた揉めそうだな、と思いつつ運ばれてきた料理に箸を伸ばし、ついでに話題も変える。
「曲、すげーよかった」
すかさず「檜山さんの歌も素晴らしかったです」と返される。
「俺、歌うの好きだけど、今回は特に楽しかった」
曲がいいからな、と言うと、珠州乃はいつかのように赤くなる。
「珠州乃、曲好きって言われるたびにそんな反応してんの」
手に持ったグラスの中身を飲み干し、珠州乃が反論する。
「違います!これは檜山さんだからで!僕、檜山さんの歌う曲が作りたかったんです、僕も檜山さんの歌が好きだったから、それで嬉しくて、」
そこまで言ってますます恥ずかしくなったのか、珠州乃は顔をさらに染めて黙りこんだ。身内だったらからかうところだが、あいにくそんな仲でもないので料理を勧めてやる。
決まりが悪そうに箸を動かす珠州乃に俺はそっと話しかける。
「俺、やっぱあんたの曲好き」
「…ありがとう、ございます」
「またやろうな、『檜山朔良 feat.珠州乃千哉』。今度は1曲だけじゃなくて、いっぱい」
「…はい!」
珠州乃の顔がぱっと明るくなり、力の入った声が返ってきた。
俺がジョッキを持ち上げると、珠洲乃がそこに自分のグラスをぶつける。
チン、というその音は涼やかだったが、少し小さいような気もした。