コツコツコツ……、カツン。二人分の足音が止まる。目の前に広がる異様な光景に、眼鏡の奥の海色の瞳が動揺するように揺らぐ。
「おっと、もう着いちゃったか〜。もっとバリ〜に色々教えてあげたかったけど、残念」
「結構ですよ、明星さん。ここに配属が決まってから、自分、嫌というくらい資料を読み漁りましたから」
幾重にも重ねられた鉄の棒は、檻と呼ぶにはあまりにも重厚で、まるで鉄の壁、要塞。地下にあるのが似つかわしくない程だ。
――ここに『終末の獣』が居る。
「で、バリ〜は、今日からここだよ」
「…………はい?」
「俺と一緒☆」
「はいい!?」
配属されて早々に、七種茨は今日一番の大声で叫び、その声は地下に盛大に響き渡った。
***
「明星さん、貴方の登録って『非戦闘員』じゃなかったです?」
「うん。そうだよ」
「じゃあ、何で……」
と、口にした所で茨は言葉を切る。
「思い出した?」
「えぇ……、まぁ」
歯切れの悪い返事を聞き、スバルはポケットから小さな紙切れを取り出す。それを丁寧に折り、やがて小さな鳥が出来上がった。ふう、と息を吹きかければ、紙の鳥は翼を広げスバルの手のひらから飛び立つ。
「……何を飛ばしたんですか?」
「さっき食べた、キャラメルの包み紙☆」
「無駄遣い」
本当に無駄遣いだ。情報の伝達が要の今、スバルの伝書鳩の能力は重宝されるべきだというのに、上層部は本当に無能ばかりで腹が立つ。
紙に命を吹き込み、特定の相手の所まで届ける。その能力は単純だが、紙の質や大きさによって情報の伝達速度は劇的に変わり、その情報ひとつが戦況を左右する。茨が配属されるまで、スバルはその能力で最前線で諜報活動をしていたらしいのだが、そこまで重用しておきながら、今では茨と一緒に何時でも切れるような場所に配属するのだから、理解に苦しむ。いや、理解したくもない。
「また険しい顔してる〜。考えごと?」
「上役が無能だと頭が痛くなるので、いつ蹴落としてやろうかと考えてました」
「ははっ! バリ〜ってば、物騒〜!」
茨は立ち上がり、パン、と上着の裾を払うと、スバルの方へ向き直る。
「あんな薄暗い地下にすぐ来る必要なんて無いですよ。自分一人で大丈夫なので、暫く散歩でもしてきたらどうですか?」
「えぇ〜? 本当に?」
「こんな所でくだらない嘘ついてどうするんですか……。では、自分は先に戻ります。明星さんは、もう少しそこら辺ブラついてから戻って来て下さ〜い」
***
暇、だ。
とてつもなく暇だ。
勿論、監視の仕事はサボっている訳ではない。物理的にこれだけの檻の中に閉じ込めて、更に封印術式を組み込んだ錠までも使っているのだ、早々簡単に破られるものではない。
茨は手にした銃を弄びながら、檻の中が変化していない事を再び確認した。
檻の中央に拘束衣に身を包んだ長髪のヒトが膝をつき、頭を垂れている。目隠しもされており、顔も表情も分からない。金属製の首輪と足枷からは鎖が伸び、奥の壁と繋がっている。
あんな状態なのに『生きている』のだから、常軌を逸している。茨が配属され数日経ったが、水の一滴すら与えられていないにも関わらず、アレは生命活動を維持している。それどころか、時折バチン、と繋ぎ止めている鎖が切れるのだから恐ろしい。勿論、修復の術式を織り込んでいるため、切れた鎖は自動的に元に戻る。
「……戻ら、ない?」
何度見ても、右の足枷を繋ぐ鎖は切れたまま動く気配は無い。
「術式が切れた……? えっ、これ、実は非常にマズイのでは?」
どうしてこういう時に限って、明星スバルは居ないのかと腹を立てたが、そもそも「自分一人で大丈夫なので、暫く散歩でもしてきたらどうですか?」と言ったのは茨自身なので、怒りをぶつける矛先は存在しない。
はぁ、と溜息をひとつ吐き茨は上着のポケットから銃弾をひとつ取り出し握り込む。修復の術式は基礎の基礎、誰もが最初に習得するため対処は可能と判断し、茨は慎重にひとつずつ扉をくぐる。術式を込められた銃弾は鮮やかな緑になり、それを確認してシリンダーに装填した。
最後の扉を開き、銃を構える。目標は床に落ちた鎖。動いていないので、余程の事が無い限り、自分の腕前なら確実に当てられる。ハンマーを下ろし、トリガーを引けば、それで終わり。
の、筈だった。
バチン!バチン!と同じような破裂音が響き、ジャラと鎖が宙を舞う。咄嗟に扉を閉め、息をひそめる。ゆらり、と白い肢体が揺れて視界から消えた。
死を、覚悟した。
「■■■■■■? ■■■■■■……※※?」
脊髄を直接撫であげられる様な、脳を乱暴に揺さぶられる様な、鼓膜を内側から舐められる様な、内蔵のありとあらゆる場所がギリギリと締めあげられ、全身がその音を拒絶する。
「ゔっ……ぇ……お、ぶ……ッ!」
あまりの気持ち悪さに、思わず吐きそうになるが、空っぽの胃から出るものは無く、情けなくえずきながらボタボタと唾液を垂らした。
「※※※? ……んんっ、、……あ〜、聞こえる? 大丈夫?」
「あ、え……?」
あまりにも不快な音が、突如蕩けるような甘く低いテノールボイスになると誰が思うだろうか。
「私の声、ちゃんと聞こえたみたい。ふふ、良かった」
目と鼻の先まで迫った男……『終末の獣』は唯一自由になる形のいい唇をニイと歪め、嗤った。
「……知らない、匂いのヒトだね。初めまして」