カメレオンの仮面の下「俺はさ〜、もっと上手にやれると思ってたんだよ。サッカーも……、お前との付き合い方も」
人気の無い食堂の、端の方のテーブル席に座り、ぽつり、ぽつりと御影玲王は呟いた。誰に聞かせる訳でもなく、聞かせたい相手がいる訳でもなく、ただただ思考を整理するためだけの独白。
玲王はぎゅうと背を丸め、膝を抱き寄せる。こつんと額を膝に預けて、声にならない声を絞り出すように、己の気持ちを吐露する。
「何で、こうなっちゃったかなぁ……」
脳裏に浮かぶのは、潔と同じチームで楽しそうにサッカーをする凪の姿。俺と一緒にプレーしてた時よりも目ぇキラキラさせてさ、どんどん凄いプレーを目の前で繰り出してさ、お前は先に進んでいった。俺を置いて。
――面倒くさいよ玲王
凪の声が脳裏に蘇る。
――もう知らない
ギリ、と唇を噛み締める。無理矢理、國神に顔を上げられ、次のステージへと進む凪達の背中を見ることしか出来なかった。
「……お前と出会ってから、思い通りにいかない事ばっかりだ。凪」
【カメレオンの仮面の下】
容姿端麗
頭脳明晰
スポーツ万能
おまけに一流企業の御曹司
御影玲王を形容する言葉は、枚挙に暇がない。
それを本人は驕ることなく、クラスメイトとも気さくに会話し、自然と人の輪の中心となる、一際目を引く存在“だった”。
サッカーというスポーツの世界に足を踏み入れ、凪誠士郎と出会い、『青い監獄』の中で敗北を知るまでは。
試合を重ねれば重ねるほど、玲王は自分が特筆するものがなく、突出した才能の無い、汎用性の高い選手なだけ、という現実を突き付けられた。己の武器が何なのかすら分からず、見つけられないまま二次選考を勝ち上がり……今、玲王の手の中に三次選考の投票用紙が握られている。
――お前の未来と運命を握る、最高の共闘相手を
絵心甚八の言葉を何度も反芻する。最高の共闘相手……サッカー始めたばかりの、勝利に酔いしれて、夢中になっていた頃なら、迷わずCチームを選んでいただろう。
敗北を知り、己の実力を知り、アイツとの実力差を知って、どんどん臆病になっている。こんな事、今まで無かったのにな。それとなく器用に、上手く立ち回って、面倒事を躱して、失敗知らず。負け知らず。そうやって、日常生活を不自由なく、思い通りに玲王は運んできた。
普通に生きていて、生活していて「怖い」という感情を抱くことで、行動を躊躇ってしまうことがあるなんて、初めて知った。
そんな感情をモニタリングルームで会った潔に話すなんて、今更ながら何やってんだ……って思ったけど、アイツは笑うことも茶化すこともしなかった。ただ、俺の話に耳を傾けて、自分の気持ちに素直に答えを出す姿を見せた。迷いなくAチームに丸を付けた潔は、正直……カッコイイなって思った。
***
モニタリングルームに残った玲王は、未だに印を付けられないままの自分の投票用紙を手の中で弄ぶ。やっぱり凪と一緒にプレーしたい。なら、さっさとCチームを選べって話だ。
暫く凪の試合映像を流していたが、ただただ「凄い」としか言えないプレーが続く光景に魅入ってしまい、内容が全然頭に入ってこなかった。結局、答えが出せないまま、印を付けられない投票用紙と共にモニタリングルームを後にした。
「玲王」
耳馴染みのありすぎる、それでいて久しぶりに聞く声がモニタリングルームから出てきた玲王を呼び止める。
「TOP6の凪誠士郎クンじゃん。何か用?」
「二次選考、なんか変な別れ方しちゃった気がして」
「……で?」
「玲王ならモニタリングルームに居るぞ、って潔が教えてくれたから、会いに来た」
大股で、ぴょんと二歩ほど歩けばすぐに詰まる距離に居るのに、互いに距離を縮める事なく言葉を交わす。
「らしくない顔、してる」
ぽつりと落とされた凪の一言に、玲王は一瞬動揺する。御曹司として社交界を渡り歩き、自身を取り繕い、見栄を張り、弱味を見せない玲王の、その一瞬の揺らぎを凪の目は見逃さなかった。
「らしくない……って、どういう事だよ」
玲王の目がスっと細くなる。苛立ちも不機嫌も隠そうとしない剥き出しの感情が、視線が、ピリピリと凪の肌を刺激する。それが少しだけ楽しくて、嬉しくて、僅かに口角が上がる。
「うーん、でも、今の玲王も好きかも」
「そりゃどーも」
「玲王」
「んだよ」
「おんぶしてー」
両手を前に突き出して抱っこをねだる身長一九○センチの子供は、そのポーズのまま動かない。どうしたものかと玲王は凪を見るが、全く動こうとしない、動く気のない凪の振る舞いに気を削がれ、そして破顔する。
「……はぁ〜。仕方のないヤツだな」
一歩、二歩と踏み出した足が軽い。先程まで遠く感じていた距離が詰まる。凪の言ったことにそのまま従うのは癪なので、一発デコピンをお見舞いしてから玲王は背を向ける。
「ほら」
「いって……、ありがと」
***
しん、と静まり返った廊下を玲王は凪を背負ったまま歩いていた。
スウェット越しに感じる体温が随分久しぶり感じるくらいには、互いに離れていたと、改めて気付かされる。
「あのさ、たぶん、面と向かって話すとうやむやになりそうだし、玲王の顔が見えないから話すね」
「何だよその前置き」
「さっき言い損ねたけど、二次選考、勝ち上がってきて嬉しかった」
ぴたり、と玲王の足が止まる。
「信じてたけどさ、やっぱり嬉しい」
「そーデスか」
「そーデスヨ。んで、玲王、俺と一緒にプレーしてくれる?」
「は? 急に飛んだな」
「だって潔がスッキリした顔で話しかけてくるんだもん」
ぶらぶらと足を動かしてくる凪を、こぉら、と一喝すればすぐ大人しくなる。
「あ、決まったんだって分かるじゃん。教えてもらって玲王に会いに行くじゃん、めちゃくちゃ歯切れ悪いじゃん、だから玲王の投票用紙はまだ白紙。推理合ってる?」
「はいはい、ご明察の通り」
凪を背負っているので、両手を挙げた降参ポーズは出来ないが、なんとなく声音で察してくれるんじゃないかと淡い期待をしてしまう。それが通じたのかどうかは分からないが、機嫌の良さそうな弾んだ声が聞こえてくる。
「やった、当たり〜」
「当たっても何にもやらねぇぞ」
「えーっ。玲王のけち」
んべ、と舌を出して悪態をつくと、何故か凪の腕の力が強くなる。大人しく背負われとけよ。そうこうしていると、この他愛もない時間の終わりを告げる扉が見えてきた。
足取りを緩める気は無い。早める気もないけど。
「ほら、部屋着いたぞ」
「ん。ありがとー」
凪は背中から降り、んー、と一度伸びをしてから玲王に向き直る。凪の目の前には、モニタリングルームから出てきた時のギラギラした雰囲気ではなく、いつも通りのそれよりもいくらか穏やかな顔をした玲王が居た。あ、いつもの玲王の顔になってる。
「何かよくわかんないけど、玲王もスッキリした顔してる?」
「まぁ……凪がいつも通り過ぎたから」
ふい、とそっぽを向く玲王に凪は笑う。真剣で、ギラついた玲王もたまにはいいけど、いつもはやっぱりこっちがいい。
暫くそれていた玲王の目が、正面に立つ凪へと戻る。真っ直ぐに、その瞳は射抜く。
「……俺を待とうだなんて考えんなよ、凪」
「うん」
「前だけ見て走ってろ」
「わかった」
「……じゃあな。おやすみ」
言いたいことを全部言って玲王は背を向け、歩いてきた道を戻る。段々離れ、小さくなっていく背中に何か声を掛けたい……言葉を絞り出そうと懸命に頭を働かせていると、玲王の足がピタリと止まり、そして振り返る。
「約束、果たすからな」
忘れんな。
ビシッと凪を指差し、不敵に笑い、玲王は振り向く事無く去っていく。
玲王の表情は、まるで仮面を付け替えている様に豊かに変わる。千変万化なその仮面の下のやわい部分に、今日、凪は一瞬、触れる事ができた。
そんな気がした。