第一印象は酷く目立つ男、だった。
金のドレッドを高く結い上げ、暖色の大きなサングラス。黄色をメインに目立つ色が入った太腿まである上着。後ろに漢字が書いてあったのもよく覚えている。
どこを見ても"目立つ"。その一言に尽きる男だと思った。
大学内でも有名な男は、よく図書室に居ると聞いた。あまり授業には出ないが成績は優秀、程よく人付き合いはしているが、深くは関わろうとしない。酷く似ていると思った。
「なぁシルバ!今日上がってたオクタンの動画、見たか?」
考え事をしていた頭が現実に戻される。隣の席にドカッと、座った男が自分の端末を興奮しながら見せてくる。そんなに近くちゃ見えないぜ、と笑ってやれば少しだけ距離が離れた。
「コレ!いや〜今回も最高だった!マジですげぇよな〜!」
短いショートムービー。映る男が流れている音楽に合わせ華麗にアクロバットを決める。ただそれだけなのだが、多くの人達から反響を得ていた。キレの良さ、難易度が高いアクロバットを軽々と決めるオクタンという男。SNSでは有名な人物だそうだ。
「毎回見てて飽きねぇのか?」
「飽きる訳ないだろ!オクタンはすげぇんだって!!」
「俺はそれ、聞き飽きたぜアミーゴ」
毎度動画をあげる度に報告される側になって欲しい。
だがこの教室内はこのオクタンという男の動画で話が盛り上がっているようで、聞き覚えのある音楽が携帯から鳴り響いている。
再生回数もいいねの数のカウンターも気持ちがいい位に増えている。
「顔出ししたらもっと盛り上がりそうなのにな〜、そこだけは勿体ねぇよなぁ〜」
「そこは個人情報だからな、仕方ねぇだろ」
「そうだけどさ〜〜〜」
ぶつくさ言っている隣の男を宥めるのももう何度目か分からない。時間はもう授業が始まる頃だ。切り替えろよと小突いてやれば教室に響いていた音がピタッと止んだ。教授殿の長ったらしい退屈なお話が始まる。寝てしまいそうな気を引き締めて耳を傾けた。
退屈な話を聞き終え、調べ物の用事ではあまり来ない図書館の扉をゆっくり開けた。基本的に学生なら簡単な申請で本が借りられる。備え付けられてるにしては立派な図書館。あまり人が来ないのがいい。たまにサボる時とかに拝借している。調べ物で来るのは数えられる程度だった。
広く高い本棚の間をゆっくり進みながら探し物をしていると、隙間に見えた派手な色。チラリと見れば、大学内で有名な男が静かに本を捲っている。一瞬固まったが、まぁ成績は良いらしいから本好きなんだな、と頭が理解した。気にせず本を探していると、自分にかかる影に気付く。人の影だ。ゆっくり振り返れば、あの派手な男が立っている。近すぎて固まってしまった。この本棚に用があったのか?足音立てるとか声掛けるとかしてくれよと文句を浮かべながら1本横にずれようとした、瞬間。
「お前、"オクタン"だよな」
耳に入った情報の処理が遅くなった。
こいつは今俺の事をオクタンと言ったか?バレた?何故?顔も声も出してない。大学に行く時は自慢の緑髪も黒に染めている。髪型が似ている位では一致しない筈だ。何故?
頭の中で必死に整理しつつ、体は勝手にあの男の口を手で塞いでいた。反射神経高くて良かったなんて、他人事のように思う。
頭の中の整理とは裏腹に、焦った口はつるりと滑ってしまう。滑稽だ。
「なん、で、しってる」
血の気が引いていくのがわかる。誰から聞いた?こいつは誰に喋った?何もかもあやふやで、曖昧。恐怖感に苛まれた。
震えてた手が、一回りも二回りも大きい手に掴まれ、外される。増すばかりの恐怖感に心臓の音が煩かった。
俺の感情とは真逆の、あやす様な、宥めるような、優しい声色が降ってくる。
「すまない、驚かすつもりは無いんだ。…俺はお前のファンなんだ」
申し訳なさそうな顔をして、温い手が俺の手を掴んだまま。太い凛々しい眉が下がっている。恐怖感が、すっと消えるのが分かった。
「誰から、聞いたんだ」
「?誰からも。一目見て気付いた」
見ただけで気付いた?そんな事があるのか?毎日動画を見せてくるあいつだってそんな事1度も言ってこないのに、何故。
黒い瞳が、真っ直ぐに俺を見る。まるで全てを見透かしてるような、そんな目。実際に見抜かれているんだが。そうじゃない。
「首元にあるホクロの位置と、…体格でわかる。それぐらいお前の動画を見てるんだ」
照れくさそうに言ってくるこの男、相当な俺のファンだということは理解した。派手な見た目をしているのに、全く高圧的でもなければ、その辺に居るような俺の周りの人間とは全然違う。"優しい男"だと思った。
「それ、だけでバレたのは、アンタが初めてだぜ」
「…周りは知らないのか?お前がオクタンだってこと」
「知られてたらどこ行こうと人集りで埋もれてるだろうな」
「確かに、そうだな」
可笑しくなって緩く笑えば、この男も同じように人懐こい顔で笑うから。別の意味で心臓が跳ねた。
思っていたよりも人間らしい人間である。俺の動画を見ているというのも意外だった。1番見なさそうな人間だと思っていたから、余計に。
「誰かに喋ったりしてないんなら、これからもアンタの中だけで留めといてくれねぇか?」
釘を刺す、だと言い方が少し悪いかもしれないが。この大学で平穏に暮らしたい一心で、頼み込む。
目を丸めた目の前の男はすぐ、目元を和らげて笑った。顔が近付いてくる。柄にもなくドキドキと心臓が鳴る。
「俺しか知らないんだろ、言うわけない」
ゆっくりと人差し指を分厚い唇に当てて、優しく笑った。グラサン越しに見える黒い瞳は、どこまでも優しかった。
「…口止め料とは言わないが、良かったら友達にならないか」
「へ?」
「言うつもりは無い、でも俺はお前のことを知りたい」
だから、また。この図書館で、話をしよう。強制的ではない、約束。
「…そんなんで、いいのか」
「俺にとっては光栄過ぎるけどな」
優しい声色、優しい目。絆されてるなんて言わないでくれ。正直自分が1番思ってる。
「…いいぜ」
「俺は何時でもここに居るから、お前が来たい時に」
来て欲しい、なんて。酷く優しい声で言うから。絆されてない、けど。絆されてしまう。狡い年上の男。
友達になるなら、と。自分から口を開いていた。
「…なぁ、名前教えてよ」
「……クリプト」
帰ってきた言葉に目を丸くする。俺で言うオクタンと同じ。
「偽名じゃん」
「…オクタンだって偽名だろ?」
確かにそうだ。でも大学でその名前で呼ばれるのは大変に困る。
「オクタビオ」
「……本名?」
「ここでその名前で呼ばれると、困る」
「そうか、…そうだな、内緒だからな」
あぁ、この男。どこまでも優しい声色で。鼓膜を震わせる低い声。病気にでもなったのかと思うぐらい、心臓の音が治まらない。
「テジュン」
「テジュン?」
「俺の名前」
小さく、囁くような。誰にも知られたくない、と。オクタンであることを隠している俺と同じように。
「…テジュン」
「何だ、オクタビオ」
顔から湯気が出るかと思うぐらい、熱い。きっと赤くなってるだろう。こいつにはシルバではなく、オクタビオと呼ばれたい、なんて。
他人と深く関わることを避けていた。目立つ男は、俺を知りたいと。俺の正体を知っているにも関わらず、それでも。
気付けば俺も、テジュンの事が、知りたくなった。