繋がる鎖に囚われて 繋がる鎖に囚われて
照りつける太陽の光にサラサラと砂が坂を下っていく。
その道のあちこちにはまだ復興途中の荷物や瓦礫が積んであって、現代ほどの活気はまだなかった。
「……まあ、そうなるよね。」
赤い大地に似合いそうな乾いた笑みを浮かべながら、盟友は肩を落とした。
やっぱり自分が大地の箱舟に乗って時を超えた先は、エルジュが幼い頃しか辿り着けないのだ。
なぜ、五百年前の過去に再び降り立ったかというと、話は数週間前に遡る。
一度は現代において冥王ネルゲルを倒したものの、約五百年前のエルジュ、正確にはレイダメテスの一件から十年が経った約四百九十年前のエルジュが彼の師匠から、五百年後に再びネルゲルが蘇るとの予言を頂いた。
それを聞いたエルジュは、身を賭して時を超え、五百年後にやってきて。
おなじみの三賢者と、彼の協力があって、なんとか解決できた。
その辺りは、ちょっと説明が面倒臭いので省略させてもらう。
さて、五百年という時を超えて行き来したエルジュ、なんだが。
なんやかんや紆余曲折を経て、互いに納得の上でお付き合いというものをすることになった。
大人になったエルジュと。
正直、どちらがどちらの時代に住むとか残るとか子どもはとか、そういう類の話は今はそれとなく噤みながらも、どうしようもないほど愛し合った束の間の余暇を楽しむために、互いの手を取ったのだ。
時々は会って交わって、と決めたものの、大人になったエルジュでも時渡りの負担は大きい。
だから、自由な冒険者という立場でもある自分が、会いにいくことになったことに異論はない。
が、大地の箱舟で行けるのなら自分の体も負担が少ないので、行けるなら行けるに越したことはないが、果たして、大地の箱舟に乗ってエルジュが二十歳の時代に行けるのか、と考えたのが本日の始まりである。
結局、箱舟ではエルジュが十歳の時代にしか来られないと分かった時点で帰ってもよかったのだが、一度グレン城下町に降り立てば、幾人かは新天地を目指して出発しているものの、まだまだ顔見知りばかりのため、方々で声をかけられる。
そうして、挨拶を済ませた最後には必ず、エルジュが会いたがっていたよ、とニコニコと言われてしまった。
そりゃあ、こっちだって会いたくない訳ではないが。
さしたる用がある訳でもないのに会ってもいいのか。
それ以前に、何も知るはずのない恋人になる予定の幼子に、何もしない自信がない、とか。
「……いや、そんなはずないか。だって……小児愛好家じゃないし……」
幼い子ども相手に欲情するような身に覚えはない。
いくらエルジュ本人だろうとそこまで節操ないつもりはないから大丈夫大丈夫。
なんて、軽く考えていた時もありました。
グレン城に入城し、エルジュの部屋を目指して歩く。
今までも幼いエルジュには何度かは会いにきているのだが、できるだけ平静を保とうとしても、エルジュと恋人同士になってからは初めて会うせいか緊張する。
思考が大人びている上に、観察眼がなかなか鋭いので気をつけなければ。
ドキドキと逸る心臓を落ち着けようと深く一つ呼吸してから、エルジュの部屋をノックした。
しばし待っても返事が無いので、もう一度叩く。
やっぱり返事がない。
本人が手を離せないか、従者のカイすらも不在か、二人とも身動きが取れないのか。
扉の奥から微かに感じるただならぬ気配に眉をひそめながら、そっと扉を開いて中を窺った。
「……あ。」
確かにカイはいなかったが、部屋の中央の炉の側で、エルジュが額に汗を浮かべながら両手を前に翳して集中している。
彼の目の前にはスープ用の深皿が置いてあり、その真上では大きな水の玉が浮いていた。
「すごい……」
ほうとため息をついて、思わずエルジュの隣にフラフラと近づきそっと腰を下ろす。
相当集中しているのか、盟友の訪れにはまだ気づかず、エルジュはほんの少し指を動かし始めた。
水の玉を何かの形にしようとしているのが分かった。
花か、それとも、生き物か、よく判らない。
見ているうちにエルジュが、う、と苦しそうに顔を歪めたと思うと、一気に水の塊が皿の上にばしゃりと落ちて広がり、小さな波を打つ。
息が詰まりそうなほど部屋中を覆っていた魔力の渦も、散開した。
「……はあ。」
「すごいね、破邪船を操る力の応用?」
「うわっ!?」
誰もいないと思っていたはずのところに、いきなり間近で声をかけられて驚いたエルジュが、目を丸くして一歩後ずさる。
「な、なんだよ!?来てたのか!?一声かけろよ!」
「いや、なんか集中してたみたいだし、悪いな、と思って。」
これが、未来で助けられたあのエルジュの物質操術の訓練なのだと思えば胸が温かくなる。
ふふ、と自然のままに笑みを浮かべたら、エルジュが照れたように顔を逸らして皿を片付けんと手に取った。
「まだまだだけど……いつか、自在に操ってみせるさ。」
「できるよ。エルジュだもの。」
まあ、もう結果は知ってるんだけどね。
炉の側でくつろぐ盟友に、エルジュは皿を片付けがてら、のんびりと茶を淹れて出してくれた。
カイは週に一度の食材買い出し日なので、一日かけて城下町を回っているのだそう。
ほんの半日程度でも、幼いエルジュと二人きりなのだと思うとトキリと心臓が鳴る。
三十分ほどか、二人座って話す時間が心地よかった。
マグカップを傾けながら、ふと思いついたことを口にする。
「エルジュはずっとグレンにいるの?」
「そうなると思う。今は、ガミルゴに色々と助言をもらっているし。いずれは世界を少しずつ旅するつもりだけど、レンダーシア大陸には留まらないよ。」
未来のエルジュも、やはりグレンからやってきていたし、フルッカもグレンに居を構えているのでそうだろうとは思ったが。
それでも、彼をここに縛ったのは自分ではないだろうか。
「……グレンにこだわらなくても、どこにいたってちゃんと探しに行くよ?」
「いいんだ。ボクはボクなりに、ここが気に入ってる。」
エルジュは、安心させるように立てた片膝に頬を乗せて、盟友に優しく微笑みかける。
なんだこの可愛い生き物。
内なる抱きつきたい衝動を必死で抑えて、目頭を指で押す。
前から、心を許してくるエルジュはものすごく可愛いとは思っていたけど、こんなに可愛い生き物が他にいるか、いや、いないな。
「無理はしなくていいからね。」
床に置かれたエルジュの小さな手を両手で握り、柔らかく包み込む。
この、小さな手が、世界を救い、そうして自分まで、未来まで救った。
そうしてこれからも、誰かを。
おそらく、自惚れでなければ、自分を。
救い続けようとするこの子が、いつからこんなにも愛おしかったのか。
その小さな手が、キュウと握られ震えたのに気づいて顔を上げると、エルジュが唇を引き結んで複雑そうな顔をしている。
どうしたのかとパチリと目を瞬いていると、エルジュは眉を下げてほんの少し皮肉げに笑った。
「……相手のできた君に、こうして心配してもらえるだけ、光栄だな……」
言われた言葉がよく理解できず、は、と息を飲んで真っ直ぐにエルジュの目を見ていると、目が合った彼は頬を少し赤くしてぷいと逸らされた。
しばらくそうして黙った後、泣き出しそうな諦観した瞳で小さく笑いかけられる。
先ほど彼が見つめていた視線の先に何があったのかというと。
盟友の右手の小指に嵌められた細い金の指輪だ。
いや、いやいや。
「……あ、ああ、ええと……」
うまい説明が思いつかない。
だって、これ。
君がくれたんですけど。
もちろん二十歳の君ですが。
なんの言い訳もできずに、しかし脳内は絶賛パレードなわけで。
何この子、妬いてる。
自分で自分に、妬いてる。
なんだそれ。
可愛すぎませんか。
愛おしすぎて爆発しそう。
「……はあ〜……もう、無理!我慢の限界です!!」
「……えっ、は!?ちょっ……」
わあ、と可愛らしい声を聞きながら、エルジュの小さな体をガバリと抱きしめた。
ぎゅうと抱きしめられたエルジュがおい、と困惑した声を上げるのを無視して柔らかな頬も腕も堪能する。
「なんなんだよ、一体……」
切望と愛惜の滲むような小さな声に、すぐ側の耳を震わせ、すり、とエルジュの頭に頬を寄せる。
いつから、エルジュが、そういう意味で自分を好いてくれていたのかはわからない。
幼いエルジュは、どんな関係であろうと自分と再び共に歩む未来はないと分かりすぎるほど理解していて、自分を押し殺しながら、それでも、自分を慈しんでくれる。
それが、友人であれ、想い人であれ。
抵抗が緩んだエルジュの体を少し離して顔を上げたら、間近で見つめ返してくるエルジュの大きな銀の瞳が困ったように見つめてくる。
ふ、と口元に浮かんだ笑みのままに、エルジュの丸くて柔らかな頬に、一つ口付けを落として、逃れるようにまた抱きしめた。
うう、と絞り切るような呻き声を漏らしたエルジュの耳は真っ赤だ。
「……ボクが子どもだと思って……君は、勝手なことばかり、する。」
「……悪い大人でごめんね?」
ことさら子ども扱いした訳ではないが、大人のエルジュと比べてしまうとやはり幼いエルジュには愛おしさと同時に、限りなく無垢さを感じてしまって、これ以上を望むことはないし、たとえ望んでもできない。
愛するものに祝福を祈るキスくらいは許されたい。
なんて。
「っ!」
ぐりっと耳元に走る違和感に、思わずエルジュの体から手を離して身を引いた。
痛い、という感覚はあっても、痺れるような甘さに顔が熱くなる。
「えっ……噛んだ!?ねえ、噛んだよね!?」
思わず左耳を手で押さえて目の前の彼を見遣ってパクパクと口を開く。
「いっそ、恋人に怒られてしまえ!」
む、と頬を真っ赤にして眉を吊り上げるエルジュはべえと舌を出した。
子どもっぽいことをしたことに恥ずかしくなったのか、エルジュはサッと立ち上がって、パタパタと部屋を出ていってしまう。
後を追う気にもならずに、耳を押さえたまま背中から床に倒れて転がった。
「なんだよも〜〜!!」
両手で覆った顔から少し覗けば、目の前はなんの変哲もないオーグリード特有の岩天井で。
でも、この天井を何度拝みながら迎えることになるのだろうな、と先の見えない幸せな日々を思う。
ああ、今すぐ、会いたいな。
身を起こした盟友は、小さなメモに、またね、と書き置き、過去のグレン城を後にした。
一旦、現代のグレンに帰ってから、人目を避けた路地裏でエテーネルキューブを起動する。
母と従姉妹に時渡りの力の使い方を教わり、村に帰ってきた兄弟からキューブの使い方を教わった自分に死角はない。
先の事件の際にエルジュが過去へ帰る道すがらに便乗して、一度だけ箱舟で訪れたことのある大人のエルジュの時代は、キューブに座標を登録してから帰ったのだ。
光の帯が解かれて、再び辿り着いた景色にほうと安堵の息を吐く。
すっかり復興も終わって、余裕が出てきたのか城下町のあちこちに現代のようなカラフルな布が飾られている。
間違いなく目的の時代に来られたようだ。
駅にもどんどん人が吸い込まれていくので、箱舟も完成しているのがわかる。
すっかり慣れた道だが、二度目ともなる上層のひと区画、エルジュの家の前で立ち止まった。
ノックをすれば、やや間があって扉が開かれ、エルジュが違わず姿を見せた。
「やあ、いらっしゃい。」
「お邪魔します。」
エルジュの、昔のかっちりした服に比べて、オーグリード大陸風のラフな出立ちはいまだに慣れない。
普段は特に気にもとめない胸の大きく開いた服装も、好意を抱いているというだけでこうも気が昂るのだから人間というのはどうしようもないなと思う。
ヒューザとかファラスとかには、ただ、鍛えてるんだなあ、としか思わなかったのに。
「今、ちょうど湯を沸かしたところだから、お茶を淹れ……」
「いいよ、お構いなく〜……ん?」
部屋へ招き入れてから、台所へ行こうとしたエルジュが、ふと足を止めて自分をもう一度振り返ってじっと見ている。
目を丸く開いて、まじまじと見遣るものだから、咄嗟に左耳にかかっていた髪を手で払って落とした。
これで見えなくなったはずだけど、と緊張気味に口を結んでわずかに笑んで誤魔化す。
と、にこっとエルジュが笑みを浮かべた。
「予定変更。」
「へっ!?わ、あっ!?」
大股で盟友の前に戻ってきたエルジュに、ヨイショと肩に担ぎ上げられた。
自分よりも背が伸びたエルジュに担がれてしまうと床に足が全く届かない。
「えっ、エルジュ!待って!?」
なんて抗議の声を上げている間に、寝室のベッドに下ろされて真正面から微笑まれる。
「なんで?素直に怒られに来たんじゃないの?」
「〜〜っ!」
バレてる。
う、と両手を握ってまごついている間に、ふわ、と左耳に口付けられる。
「あれ、今日だったんだね。まだ赤い。」
「ん、んんぅぁ……」
ちゅ、ちゅと何度も音を間近で立てられて背筋がゾクゾクする。
幼いエルジュに噛まれた跡と思しき場所を舌でなぞられ、小さく腰が跳ねた。
「あ、あっ、エル、ジュっ……」
「は、ァ……あの後、ずっと、会いに来てくれるのを……待っていたんだよ。……謝りたかった。」
甘噛みも愛撫もやめずに呟くエルジュの言葉を、浮かされた頭で懸命に考える。
ああ、そうか。
自分にとっては、ほんの数十分前の出来事でも、エルジュにとっては十年も前のこと。
あんな、変な別れ方をして、きっと後悔させた。
「んァ……ごめ、勝手に帰っちゃっ、て。」
「いいさ、ボクが悪かった。……こんなことしても、君を繋ぎ止めておけるだなんて思っていたんだから、どうしようもない馬鹿だったよ。」
それは違う。
は、と涙交じりに蕩けた眦でエルジュを捉え、両手は既に彼の背に縋っている。
「何言ってんの……間違いなく、繋いだじゃん。」
エルジュがいるから。
どこであってもエルジュがいるなら、会いにいく。
エルジュへの想いを、未来のエルジュが過去へ飛ばし、過去のエルジュが未来へと飛ばす。
「エルジュが、ヤキモチ妬いてくれたこと、嬉しかったよ。」
カツリと音を鳴らしながら、右手の小指を歯に当てて笑う。
共に歩むことはできなくても互いが互いの運命であれ、と右手の小指を輪で繋いだ。
泣き笑いを浮かべたエルジュが、自身の大きな右手に収まる指輪をそれにぶつける。
「そうは言っても、やっぱり浮気は感心しないな。」
「ええ!?浮気じゃなくない!?だってエルジュだよ!?」
別に、そのままエルジュに会わずに帰ってもよかったのだが。
むしろ、あの日がなければ、エルジュは自分を諦めて、さっさと結婚していたんじゃないだろうか。
あれ、と、なると、自分がエルジュに捕まったような気がしていたが、エルジュを捕まえたのは自分なのか。
あれれ、と疑問を浮かべている間に今度は首を噛まれた。
「ぁアッ!?」
「残念な男で申し訳ないけど。」
パチパチと光が弾けた視界に捉えたのは、知らない男の顔と岩天井で。
「幼いボクであろうと看過はできないな。……幸せにするから、今のボクで我慢してくれよ?」
まじか。
愛が重い。
一体、誰がこんな男に育てたんだか。