DEAR MY loveless sweetie + + + +
DEAR MY loveless sweetie
ーかわいげのない かわいいきみへー
綺麗に箱詰めされたチョコレートを見て、茶色いカカオパウダーで汚れた指先を恐る恐る台から離す。
そのまま腿の横に手を下ろして、ようやくほっと安堵の息を吐いた。
これで、なんとか形にはなった。
味も、マヤクニのお墨付きで、問題はないだろう。
ただひとつ、お目当ての人物が、バレンタインという行事を知っているかどうかを除けば、だ。
「わーできた……良かった、ありがとうございます。」
「いえいえ。こちらこそ、楽しかったです。」
隣で様子を見ていたマヤクニを振り向いて礼を言えば、彼女はほんの少しだけ口角を上げて静かに微笑んだ。
キャプテン・シュトルケの従者マヤクニは、ある日突然やってきた今代の盟友の頼みを、嫌な顔ひとつせずに二つ返事で引き受けてくれた。
先日、といっても盟友にとっては数年前だが、シュトルケに弁当を届ける役目を引き受けた時の礼のつもりらしい。
盟友はといえば、現代で迫るバレンタインデーに向けて、最近できたばかりの恋人であるエルジュにチョコレートを送りたいと準備したわけで。
準備したのはいいが、エルジュがバレンタインの風習そのものを知っているか、という点において、ひたすら疑問を抱えることになる。
渡す時に尋ねればいいと思うだろう、そんな素直で可愛い性格に育っていたら、そもそも生きる時代を異にするエルジュ相手に拗らせていない。
尋ねた際に知っているのならいいが、知らなかった時に、バレンタインについて一から十まで説明するなんて、正直のところ無理だ。
しかも、説明する直前にチョコレートを渡していることになるので、エルジュの場合、祭事の意味を理解した上で、盟友に改めて確認するに違いない。
これは、本命なのか、と。
そういう生真面目なところが、悪いというわけじゃない。
ただ、自分が想像しただけでも顔から火が出そうなだけで、エルジュの性格を否定しているわけでは断じてない。
そこで思い浮かんだのが、エルジュの祖たる、一千年前の破邪船師、シュトルケの存在だ。
遠出しているからと弁当を届けてやる従者のマヤクニなら、好意に限らず日頃の感謝を伝えるものだと教えれば、いそいそと彼に菓子を用意するだろうと思った。
ついでに、菓子作りを教えてほしいと頼めば、自分ひとりで慣れない菓子を作るよりもずっと心強かった。
しかも、シュトルケはかわいこちゃんが大変お好きなので、チョコ欲しさに里や国に広めてくれたらなお結構という次第。
うまく転ぶかは賭けに近いが、何もしないよりは自分の気が楽だったし、これでエルジュがバレンタインをご存じなければそれはそれと開き直り、チョコレートの材料を大量に荷物に詰め込んで、意気揚々とエテーネルキューブを起動したのが、つい数時間前。
案外に厳しかったマヤクニの指導の元で作り終えた丸いトリュフチョコレートに、小さな楊枝を一つ添えて、そっと箱の蓋を閉じる。
これで、もろもろ含めて準備は完了だ、と、急に逸り出す心臓を落ち着けるように静かに息をつく。
調理台の脇にたくさん置いてある余りのチョコレートは、樹天の里のみんなに置いていくことにしたので、後でマヤクニが配ってくれるそうだ。
あと、帰りにグランゼドーラ城に寄って、フェリナ姫とヴィスタリア姫の分を渡してから帰ることに決めている。
いつだって、女性は甘い物と甘い行事の味方である。
大魔王ネロドス侵攻の影響で物資が充分とは言えないこの時代なら、甘い菓子は喜んでもらえるに違いない。
余った材料もたいした量ではないけれども、餞別にすべて置いていくことにした。
「キャプテンにはお会いになっていかないのですか?」
「うん、あんまり時間がないから。よろしく伝えておいてくれるかな。」
マヤクニがシュトルケにそれらしい感情を持っているようには思えないが、いつも冷静な顔をするマヤクニもバレンタインの風習にちなんで可愛い面を見せることもあるかもしれない。
そんなところに同席するのは野暮というもの。
盟友が荷物を手早く纏めていると、承知しました、とマヤクニが心得顔で頷いた。
さて、千年前での用事をすべて終えて、一度現代に帰ってきてから、深呼吸をひとつした。
本日の日取りはバレンタイン当日。
時代ごとに多少のずれはあっても、季節は似通っていたから、日取りもそこまで大きく外れないはず。
どうか、エルジュがバレンタインを知っていますように。
知らなかったら、知り合いに付き合ってお菓子を作ったからおすそ分けに来た、という体で押し通す。
お返しが欲しいわけではなく、大事なのは、自分があげたかっただけだという、想いなのだから。
こちらも、レイダメテス侵攻後で物資は充分ではない時代で、甘いお菓子は喜んでくれるはず。
よし、と気合いをひとつ入れて、エテーネルキューブを起動して、大人になったエルジュの時代へと飛んだ。
現代と違って、ガランとした約五百年前のグレン城下町の駅構内にストンと降り立った。
外に出たら、現代では夕方だったが、この時代ではもう日が落ちている。
あれから十年経ったとは言っても、町中にはまだ人間の姿もちらほらいて、変わったのはオーガの姿を多く見かけるようになったくらいで、全体的に賑やかであっても疲弊している様子は見て取れる。
この時間なら、城勤めのエルジュも、家に帰ってきている頃合いだろう、ちょうど良かった。
十年前から見知っているのか、盟友を見かけて声をかけてくれる人に挨拶を返しながら、グレン城下町の上層に上っていく。
勝手に走り出しそうなくらいにドキドキした鼓動が五月蠅くて、結局エルジュの家の前に着いた時にはすこし息があがっていた。
呼吸を落ち着けている間に、目の前にあった木戸が少し開いてドキリとする。
顔を覗かせたエルジュが、瞬きを数度繰り返した後にふわりと笑った。
「やっぱり、君か。いらっしゃい。」
「来たの、わかったの?」
「この町でそんなに魔力が強い人も、そういないさ。町に入ってきた時から気にしてはいたんだ。とにかく、どうぞ。」
お邪魔しますと盟友が足を踏み入れると、エルジュが静かに戸を閉める。
「あ、そうしたら、ガミルゴとか城の兵士も懸念してるかな?」
「いや、君が来るようになったから変に心配しないように言ってある。万が一にも君じゃない場合は、合図を送ることになってるよ。」
さらっと凄いことを言って、キッチンで湯を沸かしながらエルジュが笑った。
用意周到というかなんなのか、感嘆しか出ない。
いつだって、盟友のために尽力を惜しまないのが、むず痒くて気恥ずかしい。
最近出回るようになったというコーヒーを丁寧に淹れて、それから、ひとつきりの席を盟友に譲って、エルジュはテーブルに寄りかかるように手をついて側に立つ。
用が無くてもぜひ立ち寄ってくれと言われているせいか、エルジュが用件を問うことはない。
初めて出会った時に早々に用件を問いただされたことをつい思い出して、しみじみとした感傷と共に笑みが浮かんだ。
手に抱えていたコーヒーカップをテーブルに置いて、荷物からそれを慎重に取り出して両手で差し出す。
「エルジュにあげようと思って。」
手の平より少し大きいくらいの薄いギフトボックスを、エルジュがカップを置いたその右手で丁寧に受け取った。
「開けても?」
首を傾げるエルジュにひとつ頷けば、ラッピングされたリボンをするすると解いた。
ゆっくり開いた箱の中身に、一瞬不思議そうな顔をしたものの、思い当たったようで小さく笑う。
「ああ……チョコレート、かな。」
「うん。折角、作ったから。」
「君が?へえ……遠慮なく頂くよ。」
添えられた楊枝を節くれ立った指でつまんで、ひとつトリュフに刺すとあっという間にエルジュの口の中に消えてしまった。
自分も味見したので変な味はしないと思うが、料理や菓子には個人の好みがあるので、ドキドキしながら見守る。
「うん、美味しい。甘すぎなくて、食べやすいな。」
「よかった。」
「ありがとう。チョコレートなんて、十数年ぶりに食べた気がする。」
そうなんだ、と頷きながら、やはり物資の不足が問題なのかなと心配する。
カカオ豆自体が、気候が温かく安定しているウェナ諸島の奥地や、アラハギーロ地方の密林周辺、他大陸でも一部の地域でしか育てられない食材なのもあった。
チョコレートが無い時期にバレンタインを浸透させるのは、やはり難しかっただろうか。
ふと、エルジュが目を細めて、空いた手を口元に当てる。
盟友をよそにしばらく考え込んでいたと思うと、また不意にこちらを横目で見遣った。
首を傾げて瞬いていると、エルジュが箱をテーブルに置いた後、頬を朱くして小さく笑った。
「この時期にチョコレートを貰うのは、嬉しい。お返しは、何がいい?」
「えっ!」
知っていたのか、と驚く一方で、エルジュはさらに言葉を続けた。
「もし、希望が無いなら……ボクをあげるしかないけど、大事にしてくれよ?」
何かをなぞるようにスラスラと口上を述べるエルジュに、唖然とする。
セリフと共にひら、と振った手を下ろして足を軽く組み、さっきよりもさらに頬と耳を赤くしたエルジュが照れ笑いを溢した。
「……合ってたかい?」
「えっ、なっ……ど、どういうこと……?」
「なんだ、君はその場には居合わせてなかったのか?」
きょとんとしたエルジュと、つい同じ顔をしてしまった。
熱くなった頬を片手で押さえながら、白黒しているであろう目をエルジュに向けると、エルジュも気恥ずかしそうに説明する。
「破邪舟師一族の伝説的な存在で、里長でもあり叡智の冠でもあったとも言われるシュトルケ様の手記にあったんだ。」
手記なんか残していたのか、と盟友は眉をひそめた。
それから、従者からチョコレートと呼ばれる黒くて甘いお菓子を貰って、バレンタインデーの風習と共に、お返しのホワイトデーの話も聞いたシュトルケの滑稽なエピソードを聞くことになる。
「当時、お返しにあてがなかった彼は、ほなワイをやるしかあらへんな~大事にしてえや?と、返したそうだよ。」
「………………ツッコミ待ちかあ……」
「洒落好きのシュトルケ様らしいね。誰が欲しがるねん、やってられんわ~くらい言うてくれてもええやん、ってさ。ご冗談も大概に、とあしらわれたそうだけど。」
はは、とエルジュが苦笑したので、こちらは肩を落としてため息を吐く。
云と腕を組んだエルジュが思い出すように天井を見上げる。
「まあ、色好みで知られていた方だから、その従者と結婚したのか、それとも別の方なのかはいまいち伝わってはいないんだけれど、バレンタインの風習は好んでいたみたいで、破邪舟師の一族の中では割と定着してた祭事で……叡智の冠たちにもよく話して聞かせてたって。」
「……なる、ほど……?」
シュトルケなら、バレンタインは大喜びのイベントだろうと思ったまでは予想通りだったが、思わぬ事態に苦い顔しか浮かばない。
それでさ、とエルジュは視線を盟友に戻して、両肩を竦めた。
「そのエピソードに、君が関わっていたんじゃないか、とふと思ったのさ。バレンタイン自体は、レンダーシア大陸全体では全然馴染みのない風習だし。だから、その場に居合わせていたのかも、と、シュトルケ様に倣ってみたんだ。」
エルジュの思慮深さや機転には何度も助けられてきたが、今だけは発揮して欲しくなかった。
師たるフォステイルと修行するだけでなく、破邪船師の継承者として学べることを余すことなく学んできたことが想像つく。
エルジュにとってはたくさんの知識が武器であり盾でもあるのだということがよくわかった。
自分とは違う意味で、強くなったと本当に思う。
が、やっぱり今だけは知りたくなかった。
かろうじて、盟友がなんのために新しい風習を持ち込んだのかだけは悟られてなくて良かったと思う。
「で?」
ある意味で目的は果たしているが、と盟友が悩んでいると、顎を掴まれてエルジュの方へと向かされる。
いつもよりもずっと上から見下ろしてくるエルジュの瞳がからかうように揺らいでいて、帯びた彩に背筋が震えた。
「で?……って?」
「だから……大事にしてくれるか、って話だけど?」
エルジュが愛おしげに微笑んだまま、トントン、と自分の握った拳で胸を二度叩く。
その仕草が、育ってきたこの地のオーガらしい強さを思わせもするし、どことなくシュトルケの愛嬌にも似ていて、面映ゆい。
流石に、誰が欲しがるんだとツッコミを入れて欲しいわけじゃないとは思う。
だって、いつだって盟友がエルジュを欲しがることは疾うに知られている。
でなければ、わざわざ、五百年前まで贈り物をするためだけに、否、会うためだけに来たりしない。
そうとわかっていても、はい頂きます、じゃ、示しがつかない。
なにが、か。
思いの丈が、だ。
「……エ、ルジュを貰うには、チョコじゃ、見合わないよ……」
「なんだ、残念。」
震える声を出来る限り抑えてそう答えると、エルジュが寂しそうに笑った後、盟友の顎から手を離す。
膝の間に力なく下ろされたエルジュの手が、ほんの少し震えていたことに勇気を貰って、盟友は椅子から立ち上がってエルジュの目の前に立つ。
「だ……から……こっちも、あげる。」
驚くエルジュの正面で両手を広げて、ぎゅうと緊張で口を結んだ。
可愛くないのは百も承知だが、それでも欲しいと大人になったエルジュが言ったんだから、どうしてもあげたい。
羞恥心で顔が熱くてどうしようもないけど、視線の先で泣き出しそうな眼をして、すごく幸せそうに笑うエルジュを見たら、これでよかったと内心で胸を撫で下ろす。
「喜んで、頂くよ。……お返しも、期待に応えないとな。」
ただでさえ未来に向けて人生ごと愛を捧げられてて、抱きしめられて耳元でそう囁かれるだけでも心臓に悪いのに、まだ何か施すつもりかと身が震える。
一生どころか、来世もかけても見合わないかも、と思いながら、そうだったらいい、と逞しく育った腕に身を委ねた。