タマゴが先か用事のついでに様子を見にきたという盟友その人に、町の中を案内すると言って連れ立って城を出た。
まだ、瓦礫の撤去作業中などで、立ち入り禁止の箇所はたくさんあるが、レイダメテスの一件の後から片付いた部分も多い。
十歳のエルジュでも、修行を兼ねつつ破邪船を使って作業を手伝っている分、町の中は誰よりも詳しい自信があった。
町中に限定すれば、それこそ、現行の統治者であるシオドーアや、かつての王であるガミルゴよりも。
「作業内容の割には、町の中もとても綺麗に整えられているね、すごいな。」
「ああ、毎日、誰かしらが道を掃除してくれているらしい。ボクらみたいな小さい子どもが転ばないように、っておばさんたちがよく口にしているよ。」
「そっか、大事にされてるんだね。」
笑いながら先を歩く盟友を見て、頬を緩める。
違う時代を生きながらも、こうして過去であるこの世界を気にかけてくれることが、きっとエルジュが生きる世界だからなのだろうと思えばとても嬉しい。
困っていることはないか、いつでも相談に乗ると言ってくれるところからして、ただの子どもだとか、ただひと時の仲間でしかない、と思われてはいないのだと思えた。
宿の前の大きな階段を下りている時に、不意に鳥が空を横切ったのが見えて、つい目で追う。
この頃は、レイダメテスの消失により地表の気温が変わって、今までと違う生態系の動植物を見かけるようになってきたので、目を凝らしていると、立ち止まったつもりの足が階段を踏み外した。
しまった、と思っても、この階段はさほど急でもなく、城の前ほど長い階段じゃない。
軽い傷は覚悟の上だと目の前に視線を戻したら、視界に飛び込んできたのは驚いた盟友の顔で、あ、と急に焦りが浮かんだ。
エルジュに向かって伸ばされた両手に戸惑い、うまく掴めなくて。
巻き込んでしまったと後悔の念が浮かぶ頃には、二人で重ねて階段の下に落っこちた。
立っていた高さが違ったせいか、本来なら重なるはずのなかった互いの唇の感触に、両目とも見開く。
盟友も驚いてはいたようだけど、目を開いたかと思ったら、一度だけ、息を求めて喘ぐように開いた唇を、我に返ったように引き結んで、強く目を閉じた。
それで、悟った。
悟って、しまった。
この人には、息を止めてる間よりも長く、キスをする相手がいるのだ、と。
ひどくもの悲しいような息苦しいような思いに思考が塗り潰されてる間に、盟友がすぐにエルジュの両肩を手の平で優しく押し返す。
その力に従って身を起こしたエルジュが力無く地面に座り込むと、同じく身を起こして、申し訳なさそうに苦笑した。
「……カウントしたら、ダメだよ?」
自分の不注意だったとすぐに謝るべきだったのに、盟友がそんなことを言うものだから、どうしようもなく悔しくて、謝ることができなかった。
そうだろうな、と心内で諦めに似た言葉が浮かぶ。
この人にとっては、そういう意味であるならば、自分など幼い子どもでしかない。
それでも、その辺の子どもと同じ立ち位置に甘んじているのは、許しがたい。
ほんの少しだけでも、特別な子で、否、特別な人間でいたかった。
「カウントするかどうかは、ボクの自由だ……そうだろ?君が忘れても、ボクは忘れないよ。」
最初は君だったんだということ。
そうして、ボクが忘れないことを、知ればいい。
忘れたいと思うほど、とりとめのない相手じゃないから。
エルジュがそう言った後に徐ろに立ち上がって裾の埃を払っていると、呆然としたまま座り込んでいた盟友が、一転して顔を真っ赤にしてはにかんだ。
宥められると思っていただけに、予想外の反応に瞬きを数度していると、もぐもぐと小さく口を動かして囁かれた。
「あ、……ね、……も、初め……は、エルジュなんだよ。」
気恥ずかしいのか、所々聞き取りづらい声量で溢された内容に、思わず顔をしかめる。
いつだって、愚直なほどに素直な反応をするくせに。
同情のつもりにしては、ずいぶん陳腐な嘘をつく。
以前の自分ならバカにするなと激昂しただろうが、無意識に漏れたのは微かな苦笑だけだった。
「……そうか。」
そんな嘘に慰められて、それを否定する気にもなれなくて。
まだ諦められる気がしなくて。
それだけ、どうしようもなく、好きだったのだと気付かされたわけだ。
なんて、思い出すだけでも、情けない記憶。
「……初めて、って、嘘だと思ってたんだよな、ボク。」
温い掛け布の下で小さなため息をつけば、隣でモゾリと動いたその顔が、心外だと頬を丸くした。
「流石に、あんな場面で意味のない嘘はつかないよ……」
「いや、わかるわけないだろ……」
大きくなった身体で、やや拗ねた目の前の人を抱き寄せ、顎を肩に乗せた。
数か月前、冥王ネルゲルの復活を阻止するために奇跡の再会を果たし、さらに奇跡と言うべきか病の完治までしてしまって。
故に思い余って積年の想いを告げたままに、勢い余って口付けたら、初めてだったからと大変困惑されたことをまざまざと思い出す。
「知ってたら、あんな勢いじゃなくて、もう少しちゃんとした形で気を付けたのに……」
「行き当たりばったりすぎる。でも、そういうとこも、衝動的でエルジュっぽい。」
そう言って、くすくすと笑っている。
本人が嫌がってなかったからまだいいが、これで何とも思われていなかったら大問題になるところだった。
少しは大人になったと思っていたが、この人を前にしたら抑えが効かなくて、やはりまだまだ子どもっぽいかもしれない。
「案外、熱くなりやすいところも、好きだよ。」
「……守護者との戦いで魔力使い切ったこと、根に持ってるな?」
「いや、破邪船ぶつけるとは思わなくて。」
何と言っても父の仇たるラズバーンとの戦いに関しては、ネルゲルと戦う時よりも、より熱くなってた自覚は大いにある。
ただ、そうであると思われているのなら、エルジュにだってやりようはある。
まだ一糸纏わぬ滑らかな肩口をシーツに押さえつければ、は、と目を見開いて見上げてくる盟友に、薄く笑いかけた。
「熱くなりやすいのは、心だけじゃなくて、体もなんだけど?」
「……わあ……洒落にならない……メラゾ熱だけに?」
「ちえっ、まだ言うか。」
頬を赤くして肩を竦めながら、恥ずかしそうに笑うくせに、口だけは全然減らない。
だから、面白そうに笑う口をそのまま塞いでやった。
酸素を求めて喘ぐ癖すら、いっそ愛おしいのはどうしてか。
なお、何度目か、は、もうわからないから、数えていない。
たったひとつわかるのは、最初が互いだ、ということだけだ。