夢なんて見るものじゃ++
夢なんて見るものじゃ
大切な人たちが死ぬのは、自分が死ぬよりもっと怖い。
誰かと共に戦う時は、失うことへの恐怖でいつだって震え出しそうだった。
だからこその火事場の馬鹿力ってやつで悪意を払ってきても。
結局は、誰かを憎みきれない愚鈍な自分のせいで、誰かに守られてしまってばかり。
自分が死ぬのは、案外に怖くない。
ひどく、熱かった、なんて記憶と。
ひどく、苦しくて痛かった、なんて記憶も。
ひどく、冷たくて息ができない、なんて記憶まであった。
考えてみれば、死ぬ間際の記憶が三度もあるなんて普通じゃないのはわかっているけど、もはや、死ぬことすらも非常識極まりない人間になってしまったという自覚はある。
それでも、やっぱり身近な人が死ぬのはダメだ。
熱かったでしょう、と自身すらも内なる記憶の熱さに喉が渇れはてた。
痛かったでしょう、と自身すらも内なる記憶の鋭さに腹が焼けついた。
苦しかったでしょう、と自身すらも内なる記憶の痺れに手足が呻いた。
そういう記憶が、自身が感じた時以上の威力でもって、体が凍りつく。
死ぬのは怖い。
大切な人が死ぬのが怖い。
身近な人が死ぬのすら怖いのに、それが。
死んでもいいほど愛した人だったら、どれだけ、恐ろしいだろう。
そんな自身の儚い願いなど嘲笑うように、骨ばった頬をニタリと歪めて、鎌を構える姿は以前の記憶と相違ない。
ある時は、自身の首にそれがかけられていたというのに。
今は、エルジュの首、に、それが当てられているのを見て、喉が引き攣った。
「ッあ、嗚呼アアアっ!!!!」
何もかもわからないままに飛び起きた。
喘ぐように短い息を重ねて、ボロボロと溢れ出す涙を止めることもできずに、ベッドの上でただ茫然と掛け布団を握り締めていた。
「…………あの?」
かけられた声にハッとして怯えたように恐る恐る振り向いたら、見慣れた自宅のコンシェルジュが眠そうな目を擦りながら怪訝そうな顔をした。
そうしてコンシェルジュが何かを言おうとして、口を閉じたのを視認する。
たぶん、大丈夫かと問いたいのだろう。
ただ、大丈夫じゃないのは一目瞭然で、数年来で世話になっているコンシェルジュは察したらしい。
問うてしまったら、大丈夫、と家主として答えざるをえないことをわかっているから、それ以上は問われなかった。
四六時中勤めているコンシェルジュの貴重な睡眠時間を邪魔したことは申し訳ないと思っていても、このまま再びベッドに潜り込んでも眠れる気がしなかった。
ドコドコうるさい心臓はいまだに鳴り止まなくて、怖くて、たまらなくて。
もう一度、あんな光景を見てしまったら、今度こそ気が狂いそうで。
より鮮明さを映し出そうとするのに呼吸が止まりそうな気がして、無理やり脳に蓋をして、慌てて側に脱ぎっぱなしだった外套を手に取る。
「、ッす、少し、外の風に当たってくる……!帰りは心配しない、で……」
心配しないでなんて真っ青な顔してどの口が言うと思っていても、コンシェルジュにはどうにもできない。
「……承知しました。どうか、暖かいところでお休みになってくださいね。」
折角優しく労わるように声をかけてくれているのに、ろくに顔を見ることもできずにうんうん頷いて、そのまま玄関から飛び出す。
どこへ行くなど考える間もなく、ルーラストーンを取り出して、すぐに飛んだ。
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降り立った地からまっすぐにやってきたのは、レンドア島南にある大きな宿屋。
自身も何度か世話になったことのある宿だが、今の目的は別にあった。
日を少し超えた時分で夜も深いせいか、いつもよりもガランとしたカウンターロビーに息を切らせながら立ち入る。
一瞬、警戒を浮かべた顔をした受付の中年の女性は、申し訳なさそうな笑みで盟友を迎えた。
「すいませんね、今日は満室で。」
「いやッ、あのッ、こ、ここの宿泊客の中に、知り合いがいて……!」
はあ、となおも首を傾げる彼女を前に、そうだろうなとは自分でも呆れたため息をつく。
今更冷静になってみたら、寝巻きにしているヨレたシャツとズボンの上にコートを引っ掛けただけの人間を、快く受け入れろというのは難しい話だ。
それでも、どうしても一目だけでも顔が見たくて、懸命に説得する。
宿泊客の名簿は見せられないし、安全の都合上、部屋も教えられないと押し問答をしている間に、段々声が大きくなっていたのか、宿泊客の何人かが物見にゾロゾロと廊下に出てきた。
「あれ?やっぱり、君か。」
知った声に顔をすぐに上げて見渡したら、目的の人物がパチクリと目を開いて、不思議そうに首を傾げている。
口ぶりからして、盟友の声をそれと聞いて、様子見に来てくれたらしい。
「っエルジュ!!」
エルジュの無事な顔を見て、一気に押し寄せた涙があれよと溢れるままに飛びついた。
急に泣き出した上に抱きついてきた盟友を難なく受け止め、エルジュは戸惑うように盟友の肩を支えて宥める。
「なんだかよくわからないけど、とりあえず、ボクの部屋においで。」
ぐずぐずと鼻を鳴らしたまま何度も頷く盟友の肩を抱いて、それからエルジュが受付や周りの人に騒がせたことを控えめに謝っている。
目の前で額を押し付けたエルジュの胸からトクリトクリと緩やかに刻む心音に、ようやく瞑るのが怖かった瞳が閉じられた。
抱きしめた体のほの温かさに、ようやく、夢は夢だったと安堵する。
どうしても守りたいものがある時。
その、守る術は、いつも誰かに教えてもらい助けてもらうばかりで。
自身は、守るものを脅かすものを殺すことしか知らない。
この、愛した人を、危機へと脅かしているのは。
本当は、自分、なのかもしれないのに。
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声をかけた途端に振り向いた顔の、頬にはたくさん泣いた痕が見えて、一瞬で心臓が沸騰するほど動揺した。
一体、誰がこの人にこんな涙を溢させたのか。
飛びついてきた様子からしても尋常じゃないし、今はただ、エルジュを頼ってきたその人をひたすら慈しみたい、とできるだけ穏やかに肩を抱いた。
そのうちに人々が自分の部屋に戻り、廊下も広間もしんと静まり返った。
エルジュの部屋は一人部屋なのだが、このまま盟友を連れて行っても平気なのだろうか。
万が一そのまま眠ってしまったら、この人を女将に任せて、自分は別の宿を探そうか、なんて考えていたら、盟友の頭向こうでふと目が合ったカウンター内の女将が、うんと頷いて、盟友を指差し、手の平を片手でパッと開いた。
意味がわからなかったのはほんの少しの間だけで、どうやら同じ部屋に半額で泊まらせてくれるらしいと察する。
普段だったら、同じ部屋にだなんてとんでもないと大手を振って断っただろうが、今は盟友その人を一人にしたくはなくて、そのありがたい申し出を断る理由がなかった。
腕に抱えた人に気づかれないようにそっとボトム後ろに下げた小物入れから小銅貨を数枚取り出し、少し離れた彼女に向かって一枚ずつ静かにわずかな魔力で調整しながら投げる。
すべて受け取られて了承の合図があったことを確認してから、エルジュよりも背の低い盟友を横向きに抱き上げた。
「あ、……ごめ……」
「平気、これくらい気にするな。」
よほど疲弊しているのか、エルジュの行為にも大した抵抗はせずに、大人しくエルジュの首に両腕を回して掴まった。
状況が状況だけに平静でいたいのに、自身の顎の下からふわりと薫るその人の匂いや湿っぽい熱がうまく振り払えず、大人とは難儀なものだと内心でため息をつく。
どうにか何事もなくエルジュの泊まる部屋に着いて、指先と足を使って扉を少し開け、背で押しながら入った。
薄暗い部屋のベッドの上に、盟友を静かに下ろして、扉と鍵を閉める。
先ほどまで眠りの帳が下りていた部屋は、エルジュが申し訳程度につけていた小さなランプだけで、改めて薄明りの中でベッドに座り込んだ盟友を見ると、とても口には出せない状況だなと実感した。
一体何があったのか、どう見ても眠る前の格好のままで来た風体で。
寝巻きだろう薄いシャツは少し大きいのか、なだらかな鎖骨や端々から覗く肌の照り返しについ生唾を飲み込んだ。
いけない、と気分を変えるように咳払いをして、盟友の座り込むベッドから一歩分離れた床で膝をつく。
「話せるようなら聞くけれど。ただ……夜も遅い。……眠れるようなら、眠った方がいい。」
ベッドは君が使ってくれ、とエルジュが微笑すれば、痛みを堪えるように顔を歪めた盟友が小さく首を振った。
眠りたくないのだろうか、と思っていると、そっと両手を伸ばされ、信じられないようなことを口にする。
「……側に、いて、欲、しい……」
「…………ええと……ボクが?」
うん、と間髪入れずに頷かれ、思わず眉を下げる。
「…………部屋には、居るよ?」
ううん、と今度は首を振られ、また両手を伸ばされ、縋るようにその指先でエルジュの上着を掴まれた。
「……ごめん、わがまま言ってるのはわかってる……でも、……」
言い淀んだまま顔を伏せ、またポタポタと溢れ始めた涙が、盟友の膝を濡らしているのを見て、刺すような痛みを感じた。
たまらず、すぐに立ち上がって盟友を抱きしめ、そのまま二人でベッドに座り込む。
そのまま、永遠にも思えるような静かな長い刻を過ごした。
たった数分の出来事だったようにも思える。
宥めるように髪を梳きながら撫でていると、泣き止んだのか、ポソポソと小さな声で盟友が呟くのが聞こえる。
「……生きてる、よね。……病も、治った、し……死なない、よね。」
エルジュに問うている風でもなく、独りごちている。
ただ、問われたところで、爽快に頷くことができないのが心苦しかった。
メラゾ熱は完治した。
完治はしたが、罹患していた間に臓器を随分やられている感覚があった。
本来なら動けぬばかりか意識も朦朧とするほどの高熱のまま、あちこち歩き、いや、走り回っていたのだ。
数日で死ぬことはなくとも、平均と同じほどには生きられないだろうと予感している。
あと十年も保てばいい方だと思う。
それでも、この人の目の前で、何もできずに無惨に死ぬことだけは絶対にしたくない、と思っていた。
今でこそ、なおさら、そう思う。
エルジュは、この戦いで死ぬ、ことはないだろうという予感はある。
だって、まだ、エルジュは、破邪の紋章についても闇のキーエンブレムの封印についても、何一つ過去に残していないから。
むしろ、盟友の生死の方が不明瞭すぎて、これよりももっと先の未来が変わることをエルジュは恐れているので、それを告げることはできないが、エルジュにできることは側に居続けることで証明するしかない。
この人を泣かせたのは、自分の死か、と思うと正直のところ胸が痛い。
本来なら、交わることのなかった人生の中で、盟友の生まれた時には、エルジュは死因もわからぬままにすでに死んでいたはずだった。
エルジュが歴史の中で消えていった人物のまま終われた方が、この人にとっては幸せだったのかもしれない。
その軸から逸脱したのは自分の我儘だったか、運命の悪戯だったか。
少なくとも、エルジュにとっては、幸運だったとして。
あれからの長い旅の中で、大切な人を、家族を、幾人も失くしてきたのだろう。
出会った時よりも強くなったくせに、出会った頃よりも脆くなった盟友を守りたいと心から願う。
命のみならず、心すらも、だ。
未来へやってくる前は、この厄災すら乗り越えられたならいつ死んでもいいと思っていたけど、どんな時代でどんな風に生きようとも簡単には死ねないな、と苦笑した。
そうして、盟友にとっての失い難い友人だったのだと思うと、心も震える。
一方で、そんな友人という半端な座など捨ててしまえ、と浅ましい欲望が腹の奥底で喚いた。
濁すように、エルジュは盟友の体を片手で抱き寄せたままそっと身を横たえ、足元にくるまっていた毛布を反対の手で広げて互いにかける。
背に回った両腕は当分解かれそうにないし、ようやく呼吸も落ち着き、うとうとと瞼を揺らめかせている盟友を必要以上に刺激するのは避けたい。
ふうと息をつくと共に、もののはずみか、エルジュの胸に盟友が頬を寄せる形になって、エルジュ自身は目が冴えるばかりだった。
今後の言動に気をつけることを一層心がけて、諦めたように盟友を両手で抱きしめる。
翌朝になれば、腕の中にはなくなる温もりだ。
忘れなければいいと願うだけなら許されるだろう。
「エルジュ……?」
「ん……?」
結局起こしてしまったのか、盟友が、ほんの少し持ち上げた頭を傾け、睫毛を揺らした。
「エルジュは、この時代で、やってみたかったことってある……?」
不思議な質問だ。
エルジュはこの時代のことをほとんど何も知らない。
一目見ただけでも、物資も技術も自分の時代よりも遥かに豊かで人々の笑顔が溢れている、まさに平和だと言える世の中だと言えた。
それなのに、誰にも知られずに忍び寄る脅威は刻一刻とあの山脈から近づいてきている奇妙な矛盾感。
この時代でエルジュがやるべきことはたった一つだが、やってみたかったことと聞かれて思い浮かぶのは。
「……さあ、思い浮かばないな。」
本当は、ある。
たった、一つだけ。
いつだって、この時代に、未来に馳せる思いは、ただ一人の幸せを願う想いだ。
それ以外には要らない。
それを。
遂げてみたかった、だなんて。
とても口にできない。
「でも、エルジュがこの時代で何かしても……エルジュ自身の向こうでの生活にはほとんど支障ない、よね?」
「……それは、そう。技術の進化だって、ボク一人が知ったところで、世界や社会が変わるわけじゃない。」
様々な手記を残すことは必要だが、エルジュから見れば、この時代においては終わったことだ。
「……たとえば。」
「うん。」
「…………エルジュに、……キスしても。」
目を見開いた先では、頬を赤くして唇を結び、俯いたその人の姿。
何を言われたのかを理解しようとする間に、また紡がれた言葉。
「何も、変わらない……よね?」
は、と薄く吐いた息と共に、皮肉めいた笑みが浮かんでしまう。
「……変わらない、な。」
エルジュはずっと前から盟友が好きだし、今ひと度キスをしたところで、好きの質も量も変わりない。
だからといって過去で、想い続けるが故に破綻することもしないし、約束を果たすためにやるべきことをやる。
対する盟友がどうなるかなどは、エルジュが帰ってしまった後のことで、エルジュには関係がない。
残される技術や魔法に比べたら、ちっぽけな人の想いなど、歴史が変わりようもない。
いない人間への恋心や執着心など、いつかは消える。
そうでなければならない、人生の幸せを追い続けるためには。
それがどうしてこんなにも、かえって救いに思えるのか。
「じゃあ……してもいい、かな?」
夜目にもわかるほど耳まで赤くして、律儀に問うのがいじらしく、エルジュは口端に笑みが宿るのを感じた。
されるのを待つなど甲斐性がないから、と、答えるだけの間もなく、ふうわりと軽く唇を合わせる。
あえて耳に残るようにリップ音を立てても、響く音ほどには熱も感じない間でまた離れた。
さっきまでの眠そうな気配などすでに無く、窓から差し込む月の光を受けて輝くその瞳はわずかに濡れている。
物足りないのか、目の前の人は小さく眉を下げたまま、エルジュの背に回された指の爪を立ててキュウと握った。
もう一度、目と鼻の先まで近付いて、それで。
「……どこまで、許される?」
フッと息を軽く吹きかけたら、パッと顔を上げた盟友が目を丸くした。
一瞬のあと、小さく肩を竦めて、恐る恐るといった具合に呟くのに耳を澄ませる。
「エ……ルジュが、できる、とこまででいい、よ。」
「…………そうか。」
そう言われて、エルジュは盟友の腰に軽く添えていた右手を外して、ゆっくり上げる。
行方を寂しげに目で追っている盟友の左頬に伸ばし、薄く隈の浮かぶ目元を親指で撫でれば、緊張気味に顎を引いた。
強くて、まっすぐで、尊敬できて、それで、大好きな、人が。
時折、本当に時々、ひどい悪魔に思える時がある。
それを人は。
「じゃあ……果てまで、付き合ってもらうほかないな。」
蠱惑と呼ぶのだろう。
何か言おうとしたのを見なかった振りをして、右手で強く支えたその人に深く、深く、堕ちた。
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生まれたままの姿で目が覚めるなど、たぶん生まれた日以来じゃないだろうか。
思っていたより日が高く差し込んでいる部屋で、日光を浴びる素肌を見ながら、ぼんやりと両手を天井へ伸ばした。
酔ってもいないし、夢だと思っていたなんて言い訳をするつもりもないけれど、隣で眠る人の存在感を確かめる度に、空虚が胸に押し寄せては潰していく。
あれほど眠リたくないと不安がっては泣いていた盟友が眠れたのだから、それでいいじゃないか。
夢なんて、見ないのが、一番いい。
甘く、幸せな夢だとしても。
夢なら、覚めねばならないから。
隣を起こさないように静かに寝返りを打って、それほど広くないベッドから抜け出し、昨夜脱ぎ捨てた服を一つずつ拾いながら身につけていく。
すっかり着替え終わった後、もう一人分のも拾って枕元にまとめてそのまま置いた。
カラカラに乾いた喉を潤したくて、水差しからグラスに移して口をつけたら、自分でも驚くほどに一気に飲み干した。
流石に一人部屋なだけあって、色々なものが一つしかないが、起きたらやはり水を飲みたがるだろうなと思って、水差しには半分以上残してある。
窓辺に立ち寄り、引いてあった薄手のカーテンを開けると、港で出港準備に忙しく働いている船員たちが見える。
雲ひとつない空は青く、水面ではトビウオが跳ねた光が煌めき、カモメが海と空とを優雅に飛来する。
なんのことはない、やっぱり、世界は変わらない。
変わらず、等しく、美しかった。
だから、良かった。
「……ん、ンゥ……」
エルジュが起きてから三十分ほどか、目が覚めたらしい盟友が、息の詰まるような唸り声を上げながら両腕を顔に翳して身じろいだ。
は、と大きく息をついたあと、目を開いて天井を見つめて、ぼんやりと瞬いている。
自分と同じようなことをしているな、とエルジュは苦笑した。
「……気分は?……少しは寝られたか?」
エルジュが静かに問いかけると、横になったままパッと顔を向けてくる盟友がエルジュを認識したように見て、また数回瞬きしてから、ふふと笑う。
「夢、見なかった。……まあ、寝たっていうより、飛んだって感じだけど。」
「それはごめん。がっつきすぎた。」
意識を飛ばすほど激しくしたつもりはなかったけれど、結局、最後には意識を失っていたのだから事実だ。
盟友自身が万全の体調ではなかったのも合わせて、反省している。
最初で最後だ、と焦ったのが良くなかった。
毛布を片手に起きあがろうとしたので、窓の外に目を逸らしながら、再度カーテンを引き直した。
衣擦れの音がやけに響いてくるから、この後の予定はどうしようかなどとどうでもいいことを考えてやり過ごす。
とりあえず、昨夜やって来た際の状態を考えると、盟友が休んだはずの家では心配をしているはずなので、そこに送り届けるのが無難だろうか。
両親が滞在するエテーネ王国の実家だったりしたらどうしようか、殴られる覚悟でもしていくべきだろうかと眉をしかめる。
なんて考えていると、音が止んだので、朝食はどうすると問いかけようとして窺うように目を向けたら、そこにはいなくて。
「ん?あれ?」
どこに行った、と目で探す前には、エルジュの背中からピタリと温もりがくっついてきてビクリと身を震わせた。
「ど、どうした?」
顔だけ振り向いてみても、どうやら背中を合わせたらしい盟友の顔は見えない。
「あのさあ?……うちで、一緒に、寝泊まりしてくれないかなあ。」
「…………は?」
気恥ずかしいのかエルジュの顔を見もせずに早口で説明するのを聞けば、住宅村にある盟友の自宅にエルジュの部屋を用意するから、自分の時代に帰るまでのわずかな間だけでもそこで過ごしてほしい、という話らしい。
「なんだ……宿に迷惑かけたのを気にしてるのか?別に女将も気にしていないと思うが。」
「ん……それも、あるけど……」
「大体…………一緒に居ろなんて、また、がっつかれても文句言えないぞ?」
情けない話だが、昨夜こそ盟友に請われるまでは手を出さずに済んでいたが、次もできるかなど保証はない。
そうしたら、盟友が慌てたように背を揺らして、両手を握った。
「文句なんか言わ……ああ、えっと……次は、ゆっくり、してほしい…………とかの要望は、ダメ?」
なんだ、それは。
次が、あるのか。
馬鹿みたいに正直な体が、背に汗かいた。
熱い頬のまま思考を巡らせても、意図など何もわからない。
わからないから。
「……叶えられるとは限らないけど、善処はする……と、思う。」
正直に答えるほかなく、唸るように返答したら、パッと振り向いた盟友の笑顔に、驚きと共に息を飲み込む。
「あっごめん、早とちりした。まだ、一緒に居るとは言ってないよね。」
もじと両手指を弄って伏せる顔が赤くて、可愛らしくて、ようやくエルジュは観念した。
いまだに背を向ける盟友の腰を左手で静かに抱き寄せて、背ではなく正面から見遣る。
「眠れない、なら、ボクはそれでもいい。でも、君は、それでいいのか?」
壁に背を預けたまま、膝と足の間に収めた盟友の顔から、潮が引いたように赤味が消え、悲しそうに苦笑する。
「なんか、やっと、わかって。エルジュを目の前で失わなくたって、エルジュは、四百年前までには絶対、亡くなってるんだ……って気付いて。」
「……うん。」
昨夜の話がようやく繋がった。
エルジュと盟友が、過去で友情を結んだからこそ、今の平和があったとして。
それで、今、エルジュと盟友がどういう関係であろうと、エルジュの生活と、そして、この未来とが変わりないこと。
そうして、エルジュがこの時代に留まらなければ、未来が変わりようもないことも。
すべてがようやく繋がった。
「だから、生きてる今、を、一分でも、一秒でも長く、エルジュと過ごしたい。それから、我慢しないで、この時代でやりたいことを、なんでも……エルジュと一緒にしたいな、と思って。」
ふわふわと明るい笑顔を向けてそう言う盟友の顔に翳りはない。
そう、思ってくれるのなら、エルジュも強がってばかりいたら、今度こそ大事なものを失ってしまう。
「君が、そうしたいなら……ボクも、そうするよ。ボクも、一分でも一秒でも長く、君の側にいたい。」
「…………ッありがとう。」
エルジュの背に腕を回してぎゅうと抱きしめてくる盟友を、そっと抱き返す。
一度だけそうしてから、身を離してみると、エルジュはなんだかおかしくなって小さく笑った。
「フフ……本当はね、この時代でやりたいことは、一つだけあったんだ。」
歌うように窓に凭れかかるエルジュの胸を押して、盟友が首を傾げた。
何だったの、と問われて、エルジュは自身の口が紡ぐのに任せて、瞼を閉じた。
「この旅を通して……死ぬまでずっと愛してるよ……って、伝えたかったんだと思うよ、ボクは。」
愛した人が、どんな顔でその言葉を受け止めたかは、死ぬまで知らなくていい、とそのまま笑みを湛えていた。