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    いっか

    成人済み腐あり
    ドラク工10うちよそかきたい民
    今は軽率にエル主♀する
    支部(まとめ用本家)https://www.pixiv.net/users/684728
    くる(引越し先) https://crepu.net/user/ikkadq1o

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    いっか

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    エルジュ×主。全年齢。胸が痛い。
    七夕の里に招かれたエルと主。願いが叶うといいね。

    主人公:性別♀・名前・種族指定なし


    🌠ありがとうございます!😊考えてみればポイは日付残らんので気にせず先行出展することにしました。一足早く七夕🎋気分をお楽しみください〜…両片想い胸痛ですけど😂それはそれとしてエルジュ七夕来てほしい。

    ごめん、待った?※大エルと同じほどに成長したヒメアさまが出てきますが、現代のヒメアさまとは違って、五百年前の子ヒメアさま(オンオフ含)をベースにした感じで勝手にイメージしています。外伝のあれこれを考えて、まだ少し年齢の割には幼めな感じです。ほぼ別人なので苦手な方はご注意ください。恋はまだ知らなくても普通ーな少女時代を過ごしてほしいよ…。


    ++



     ごめん、待った?




    ドラキーが郵便を届けている理由を、アストルティア大陸に住む人のほとんどは知らないと思う。
    だけど、ドラキーの性質を知っている人は、なぜ郵便局がドラキーに配達を頼むのか、納得している。

    どういうことかというと、ドラキーという種は、他の魔族や魔具から強い魔力の波動を感じるほどに、不思議と速く飛ぶことができるのだ。
    野生のドラキーが生まれながらに持っているこの性質は、いわゆる生存本能と呼ばれるもの。
    そうして、人が認(したた)める手紙というものは、呪符と同じで、たとえ戦闘慣れしていなくても、大なり小なり魔力が自然と宿る。
    書き手が急いでいればいるほど、魔力がたくさん込められている場合が多かった。

    「は?…………エルトナ大陸から即日で来たのか?」

    ぜえぜえと怯えるように差し出すドラキーから受け取った手紙の消印は、早朝、今エルジュがいるオーグリード大陸の隣に位置するエルトナ大陸から。
    隣とは言っても、広大な海とそこに浮かぶ小さな無人島をいくつも挟むような世界地図の左と右だ。
    即日で来るなんて、あり得ない。
    本来なら、あり得ないはずなのに、郵便ドラキーは遥々海を越えてやってきた。
    つまり。

    「ものすごく、怒っているのか……」

    開いた手紙の文面は、エルトナ式らしい時節の挨拶として、風薫る、などと穏やかに始まり、徹頭徹尾落ち着いた風情ではある。
    が、手紙に込められている魔力が並みの量ではなく、しかもちょっと怖いオーラを放っていた。
    これじゃあ、即日でドラキーが飛んでくるはずだ、こんなものをいつまでも持たせておくのも可哀想すぎる。

    「……目に浮かぶようで嫌だな。」

    エルフという種族はどうしてか、感情を押し隠した上に、まったく反対に取れる表情を浮かべる奴らがそれなりにいる。
    慣れていない者だと勘違いするものも多く、エルフという種に対する所感は好き嫌いがはっきり別れた。

    この手紙も、エルジュの体調を慮った上で丁寧に、それはそれは丁寧に自宅への招待を受けていて、字面だけ見れば笑顔のはずなのに、その心内では青筋を浮かべて腹を立てているのが、容易に想像がつく。
    返事など求めてもいないし、なおかつ拒否するなど許されないという気迫を感じる。
    今しがた受け取った手紙の送り主を思い浮かべては、エルジュが重いため息をついた。

    次代の世界樹の守人をつとめる予定の若く美しいエルフの女は、大層怒っているそうだ。


    ツスクルの村に着く頃には、陽が落ちかけていて、間もなく夜が訪れるだろう。
    宿の部屋を取ってから、ヒメアとヤクルが暮らしている村の外れにある大きな屋敷に向かう。
    旅船や貿易船ではなく、破邪船に乗ってすぐにやってきたエルジュを、ヒメアは柔らかい微笑を浮かべて迎え入れた。
    ものの、その笑顔がかえって怖いなどとは面と向かっては言えない。

    「おかえり、エルジュ。息災で何よりね。」
    「…………ええと……た、だいま。」

    やっぱり、知っている。
    そうして、怒っているのもまた、エルジュについてなのだろうと確信を得た。

    だって、エルジュは自身が不治の病に罹っていたことと、そのまま時を渡って未来へ行くことを伝えたのは四術師のみで、ヒメアには伝えていない。
    その段階では、おそらくヤクルも、ヒメアには話していなかったのだとは思う。
    ただ、こうして、未来において偶然メラゾ熱が治ったことと、未来での危機を回避できたことは、帰ってきて早々に手紙でヤクルに報告した。

    それを受けての、この怒りは、痛いほどわかるが。
    メラゾ熱が治りさえしなければ、十年前から親しい友人として過ごしてきたヒメアたちとは、今生の別れになっていたのかもしれないから。
    逆に、ヒメアに、命に関わるような大事を隠されたばかりか頼りにもされずに、別れを一方的に告げられていたら、エルジュだって怒っていたに違いない。

    だからこそ、何も言えない。
    互いに、だ。

    「…………無事に帰ってきたから、許されることよ?」
    「ああ、わかってる。……悪かった。」

    素直に、深く頭を下げて謝れば、ヒメアもじっと立ち尽くしたまま、緩やかに眉を下げた。

    「いいわ。すぐに来てくれたから、許してあげる。」

    苦笑して、優雅に微笑むエルフの彼女は、エルジュと同じ背丈ほどで小さく薄羽を揺らす。
    部屋の奥では床に伏せながら黙って聞いていたヤクルが、小さく笑いを溢したのも聞きながら。

    ヤクルも、もう随分長いこと体調が悪い。
    娘であるヒメアに世界樹の守人という役割を託し、不老長寿の禁呪を施すのも間もないのだろうとは思う。
    十年来の友人であったヤクルが死へと向かう様を、エルジュがこうしてたまに見つめるだけでも胸が痛いのに、それを毎日、同じ家で暮らし、日々見つめるヒメアはどれほど恐れているか。

    ヤクルだって不老長寿のはずなのに、先の世界樹と共に魔瘴に病むのは守人たる所以か。
    世界樹の守人は、世界樹と運命を共にする者か、と思うと、なおのこと度し難い。
    これから、それ、に、ヒメアが、成ることも。

    そんな風に考えていると、家の外から笛の音が聞こえた。
    遠く響く横笛の音になんとなく窓の外を見遣っていると、向かいに正座したヒメアがああと声を挙げる。

    「いま、ツスクルでは七夕祭りの準備をしているの。その練習でしょうね。」
    「七夕か……もうそんな時期なんだな。」

    熱に浮かされている間に春を越えたことに気付いていなかった。
    エルトナこそ、涼風に包み込まれているため、それほど暑さは感じていないが、これからもっと暑くなるのだろう。

    「飾り笹はもう広場に置いてあるから、折角だし短冊を書いていってちょうだい?」

    難事を成し遂げたばかりで、これからのエルジュの生きる道で、欲しいものもやりたいことも浮かばない。
    この、時代では。

    文机から何枚かの短冊を取り出して差し出されるものの、エルジュは受け取ろうともしなかった。
    それに訝しげな顔をしたヒメアが、目を少し吊り上げて口を曲げる。

    「書いてって。お願いだから。」
    「……わかったよ。」

    呆気なく身を投げ出すようなエルジュの人生に願いの無い事実が怖さを感じるのだろう。
    差し出された短冊の中から、目についた短冊を一枚、渋々受け取る。
    矢羽の形が並べられたような不思議な模様が描かれていた。

    「ええと…………」

    ヒメアがずれて避けてくれた文机に向かって、どうしようか、と顎に手を当てて少し考え、当たり障りのない本音でいいかと筆を握る。

    「世界が平和でありますように、なんて、つまらないこと書かないでね。」

    心の中を見透かされたかのような台詞に、驚いて見上げると、やっぱり、とヒメアがひどく呆れた顔をした。
    正座した膝の上で両手を握りながら、ヒメアは視線を落として瞼を伏せる。

    「なんだか、エルジュらしくないんだもの。レイダメテスがまだいた頃、ボクが守護者を倒さないとって闇雲に張り切っていたのはどこの誰かしら。」
    「そんな昔のこと、持ち出すなよ。」
    「じゃあ、言い方を変えるわ。闇のキーエンブレムが悪さするからって、ボクが未来を救わないとって病に侵された身体で勇んで向かったのはどこの誰?」

    そこまで言われてはぐうの音も出ず、むすくれたヒメアの前で土下座を晒す羽目になる。
    死ぬまで言われ続けそうだなとエルジュは苦い顔のまま、胡坐をかいて願い事について改めて悩んでいると、ヒメアがぽつりと溢す。

    「そういうエルジュを、悪いと言っているんじゃないのよ……だって、わたしたちは、特別な役割を持ち、世界を守るために生き、世界と命運を共にする者。わたしだって、世界を救うために、いつかは死ぬ。……エルジュの知らない、遠い未来でね。」
    「…………うん。」
    「でもね……世界の平和は、わたしたちが願うものではない。わたしたちが、動き、支え、守るものだと思わない?世界樹の守人であるわたしと、そして、四術師たるあなたたちが。」

    ヒメアの真剣な顔を見て、そうして、瞬きの後に強く頷いた。
    そこにはおそらく、叡智の冠も、そうして、聖使者も。
    光の力を礎とし、人々を助ける役割を持つ者すべてがそうだとわかる。

    「…………そうだな。願うことではなく、やるべきこと、か。」
    「でしょう?……だから、願うのなら、自分の力ではとても叶えられそうにないことになさいな。」

    婆やに日々扱かれているヒメアがついぞしなくなっていたコロコロと笑うような声で、エルジュにそう進言する。
    小さく頷き、また文机に向かえば、ヒメアが気を遣ったように体の向きを逸らした。

    自分では叶えられそうにないことか、とエルジュは思い悩む。
    そういう願いなら、一つだけ、すぐに浮かぶが。

    願うだけでもいいのだろうか。
    それを叶える努力はしなくていいのだろうか。
    それなら、胸の内に渦巻く嵐のような感情も、少しは凪ぐだろうか。
    恐る恐る筆を滑らせ、書いた願いは、本音も本音だけど、どうしても名は書けなかった。

    見てもいいかと尋ねるヒメアに、墨が乾いていることだけ確認して苦笑しながら渡した。
    名前など書かなくても、ヒメアにはどうせわかっている。

    「…………うん、いいんじゃない?これは、どうにか叶えてもらうしか無いよね。……わたしも、会いたいなあ。エルジュばっかり、ずるい。」

    思い浮かべた人物は同じだろう、ヒメアも懐かしむように目を細めて微笑み、短冊をエルジュに返す。
    エルジュが心の奥底で大事に思い続ける人は、エルジュだけの友人ではない。
    それでも、この時代の人間の中では誰よりも近いところにいると信じている。
    自分で書いた、慣れない筆での拙い文字をじっと見つめる。

    ――もう一度、アイツに会いたい。会って、伝えたいことがある。

    叶うわけがないとは思っていても、願わずにはいられない。
    再び未来に危機が訪れたのなら、何度だって助けに行きたいと思ったし、そう約束した。
    そうであっても、平和が脅かされるような未来を期待するのは非道だし、あの人の信念や生き様を否定することなどできない。

    だから、これでいいんだ。

    「それじゃあ、広場に寄ってから宿に行くことにする。明日また朝訪ねるよ。」
    「うん、あ、もう少し待って。」
    「なんだよ?」

    一度は頷いたものの、ヒメアがすっと音もなく立ち上がり、部屋を出ていく。
    しばらくして戻ってきたヒメアが、部屋の外から手招いた。
    どこか別の部屋に向かう彼女の後について、首を傾げつつ歩いていくと、ひとつの部屋の扉を開いて、ヒメアが中へ促す。
    部屋の中では、彼女の教育係でもある婆やがいて、エルジュを見るなり頭を下げた。

    「短冊の柄を見ていて、余っている浴衣があったのを思い出したの。」
    「ええ?悪いよ。」
    「エルジュの背丈がちょうどいいと思って。持っていってくれると助かるわ。」
    「背?」
    「ええ、ヒメアさまには少し丈が足りないし、市井の者では丈が長すぎて。今は仕立て直す余裕もありませんので。」

    婆やが次いだ説明に、なるほど、とエルジュが頷く。
    ヒメアは、ヤクルとは違って、エルフの割には平均よりも背が高い。
    身丈が合わない着物でも糸を解いて仕立て直すのがエルトナでは普通だそうだが、復興中だからか、祭りの準備中だからか、時間がないらしい。

    それなら、と戸惑いながら返事をしたら、ヒメアは早々に退がり、その部屋に取り残されたままに婆やに着付けを教えられた。
    着せてくれるのだと思っていただけに、教えられている現状に半分笑いながら、懸命に手を動かし、背筋を伸ばす。
    正月によく着られている袴は自分には難しいが、浴衣なら覚えられそうだ。

    最後に帯の端を折り込んで、後ろに回し、背中側での位置を右手で確かめた。
    エルトナの着物は不思議なもので、帯まできっちり締めたところで、気持ちが改まる心地がする。

    「きっと、この帯の締め方にも、名前があるんだろう?」
    「ええ。貝の口と言って、男性でも女性でも使える一般的な形ですよ。わたくしなんかはこれを見ると、口は災いの元、本当に必要な時以外は口を慎むように……とヤクル様がよくおっしゃっているのを思い出すんです。」
    「ハハ……彼女らしいな。」

    ですね、と、背に回した帯結びを確認した婆やがポンとそれごと背を軽く叩く。
    出会った当初のエルジュなんかはまさにそれで、道理で大変心配していたわけだ。

    「簡易的な浴衣と言えど、正装と同じです。背筋はしゃんと、胸を張って、お歩きくださいな。」
    「……うん。ありがとう。」

    婆やに見送られながら部屋を後にし、玄関に近い最初の部屋に向かって歩いていくと、ヒメアと、そしてヤクルまでもが正座で待ち構えていた。
    思わず早足で急いだ。

    「ヤクル。起きていて大丈夫なのか?」
    「そんなに心配しなくても、無理なことはしませんから大丈夫ですよ。」

    そう言いながら、肩からかけている羽織を優雅に直している。
    彼女の前に両の膝を付くと、ヤクルがそっと手を伸ばしたので少し身を屈めた。
    ほんの指先で梳くようにエルジュの頭を一度だけ撫でて、笑顔を浮かべる。

    「おかえりなさい。」
    「うん。……ただいま。」

    十年経っても、同じ四術師であっても、ヤクルの中ではエルジュはいつまでも十歳の子どものように思える。
    それが、嫌じゃなくなったのは、いつからだろう。

    「よく似合ってる。大事にしてね。」
    「もちろん、ありがとう。」

    横からヒメアが笑顔で褒めるので、素直に礼を言った。
    譲ってもらった、深い紅とも臙脂とも言えるような色合いの、矢羽の模様。
    婆やが言うには、矢絣(やがすり)という名の伝統的な紋様だそう。
    エルジュが立ち上がると、ヒメアがパチリと瞬いたのと目が合って、エルジュの首元に視線をずらす。

    「今日は、昔と同じ、黒いリボンをしているのね。」
    「ん?ああ……いつものやつは、海を渡ってる時に、突然目の前で跳ねたカジキに拐われてね。危うく顔にぶつかるところだったから、髪留め一つで済んで幸いだったよ。」

    その件に関しては、破邪船の影が餌の魚影にでも見えたのかもしれないと思っている。
    気にせずしばらくは長い髪を風に吹かれていても、海上の旅では風に弄ばれてうっとおしかったから、何かないかと荷物を探したら出てきたのがリボンしかなかった。
    日が暮れる前に、と急いでいたので、どこかの店に立ち寄る余裕もなくてそのままだった。

    「それってグランゼドーラ王国の近く?」
    「そう。……ああ、そういえばあの辺はノコギリエイもいたか……アレは嫌だな……今度からは高度に気をつける。」
    「そうしてちょうだい。」

    心配の種が尽きないから、とヒメアがおかしそうに笑って、ひとつ頷いた。

    ヒメアとヤクルとで、屋敷の玄関をくぐって帰っていくエルジュの背を見送る。
    姿がすっかり見えなくなった頃、ヤクルが静かに口を開いた。

    「あの子の浴衣は、ヒメア、あなたが?」
    「エルジュが自分で選んだ短冊の柄よ。わたしはそれに合わせただけ。」
    「そう……意図せずとも運命を導く、あの子らしいわね。」

    エルトナ大陸では、七夕のこの時期に囁かれる迷信があった。
    願いを書いた短冊の柄と、身に纏う着物の柄が、同じであれば。
    願いが必ず叶う、不思議な里に、招かれるという。

    「矢絣……辛い結果が待ち受けていなければいいけれど。」
    「……今は蜻蛉(とんぼ)だから、大丈夫じゃない?」
    「蜻蛉?」
    「わたし、あの、エルジュの後ろ髪、昔は蜻蛉みたいだなって思っていたの。リボンが羽根で、それで髪がまっすぐでしょう?だから、蜻蛉。……ね?」

    そう言ってヒメアがニコリと笑えば、ヤクルも数度瞬きを重ねて、そうだったらいいわね、と微笑む。
    矢絣は破魔矢を意味していて、邪気を祓いながら前へとまっすぐ進む。
    蜻蛉も、また、前にしか飛ばない。
    どちらも後には引けない象徴だったが。
    蜻蛉は、勝ち虫とも呼ばれ、勝利をも象徴していた。


    ++


    ツスクルでひと晩を過ごした後、村の長たる彼女たちに挨拶を済ませ、朝靄の中をのんびりと歩く。
    折角だから、と今日も浴衣を着て過ごしているが、着物だと走り回るには向いていない。
    グレンに急ぎ帰る用事もないから、とツスクルの村を出発して、アズランの町に向かうことにした。
    現代の賢者ホーローたちの間で何度も話題に上がっていた、アズランの温泉に寄ってみるのもいいかもしれない、となんとなく思う。
    この辺りだとうろつく魔物もあまり強くはないので、好奇心で近寄ってきた魔物を、魔法で威嚇すれば大抵は追い払えた。

    昼の少し前にアズランに着いて、まだ未完成ながら外観が出来上がっているアズランの駅を様子見した。
    時を超えて一番初めに行ったのは、スイの塔を擁するアズランだったから。
    見違えたような現代の駅も面白いが、自分の時代の殺風景な駅を見ていると、本当に帰ってきたのだなと妙にほっとする。
    二度とこの地を踏めない覚悟が、呆気なく無駄になったというのに、それが嬉しい。
    現代の盟友との旅の証のようで。

    それから、宿屋に供えられている大浴場の温泉をゆっくり楽しんだ。
    上がってみると、湯上りの肌が熱くて汗がとめどないから、まだ涼しいアズランの風を身に受けつつ散歩する。

    ふと、視線を感じて振り返ると、広場にいた一人の少年と目が合う。
    なぜか、不意に呼ばれた気がしたのだ。
    エルジュが気が付いて瞬きをしていると、彼は吊りがちの目を柔らかく細めた。

    「こんにちは、浴衣姿が素敵ですね。」
    「え、ああ……ありがとう。……大切な友人からの頂きものなんだ。」
    「そうですか。とてもよくお似合いですよ。」

    少年のように見えるのに、その口ぶりはとても幼い子どもではない。
    見た目にそぐわない口調がエルフかと思わせたが、まっすぐと下ろした髪から覗く耳は丸く柔らかそうで、人間のようだ。
    いや、本当に、人間なのだろうか。

    じっと見つめていると、彼もまた見返してくるものだから、不思議な心地を胸に抱いたまま彼の目の前に立った。
    どうしてだろう、ずっと、頭の奥の方で、何かに呼ばれているような気がする。
    ふらふらと近付いて来たエルジュを訝しむことなく、少年はうんと頷いた。

    「……やはり、あなたで間違いないようですね。」
    「間違いない?……わたしに、なに、か?」
    「紹介が遅れました。わたしは神の使いでして、カササギと申します。あなたを我らの里へぜひご案内をするようにと仰せつかっています。」

    神の使い、と音もなく口の中で転がした。
    主神のみならず土地神や客神が存在するアストルティアではさして珍しいことではないが、道端で直接声をかけられたのは初めてだ。
    急に気になって、広場の周りを見回してみても、成人であるエルジュと年端も行かない少年が立ち話をしていることには、通行人も商人も誰も気に留めていないようだ。
    むしろ、カササギと名乗った少年の姿が見えているのは、自分だけなのかもしれないとも頭のどこかで思う。

    「……里へ、案内する……どうして?」
    「そうですね……あなたがおっしゃることが本当なら……あなたの大切なご友人が、それを望んだから、でしょうか。いえ、それが無くても、ご案内したかもしれませんね。」

    綺麗な顔をした少年がふむと考えながら言うものの、エルジュには意味がよくわからない。
    わからないけれど、目の前にいるカササギから悪意は感じないし、神の使いがそういうのなら、これは神の意思なのだろう。
    それを無下にするのは憚られた。
    なにより、カササギと出会うことが、あの、友人の願いなのなら。
    引くわけにはいかない。

    「その、こちらは右も左もわからず申し訳ないが、案内をお願いできるだろうか?」
    「もちろんです。」

    ほっとして礼を言えば、カササギは礼を言うのはこちらの方だと穏やかに笑って、それから両手を静かに広げた。
    小さく唱えたなにかに導かれるようにエルジュの足元に小さな旅の扉が生まれる。

    時空間移動の際に生じる独特な身体の揺れに目を瞑って、歯を噛んで耐える。
    眩むような感覚が静まると共に目を開いたら、そこにはエルトナ風の社町が広がっていた。
    アズランでは昼間だったはずなのに、見上げれば文字通り星の数ほどの光を抱く、濃紺の空が果てない。
    この里では、常に闇深い夜なのだろうか。
    賑やかに光零れる屋台街と、どこからか里を包みこむ祭囃子に、狐につままれたような思いがする。

    立ち尽くすエルジュの側にいたカササギが振り返った。

    「わたしの主である縁結びの神は、あなたの願いを聞き届けたいと思ったものの、あのままではどうにも難しいと思ったそうです。」
    「…………そうだろうな。わたしも、難しいとは思う……」
    「ですが、この里は世界各地の願いが集まる場所。ここでなら、あなたの願いが叶う道も、きっと見つかると思いますよ。」

    どうぞごゆっくり、とカササギは微笑んで、それからゆるりと鳥居に向かって屋台の間を歩いて行った。

    要するに、願いを叶えることができないから、その代わりに里で有意義な時間を過ごして欲しいというところか。
    縁結びの神というだけあって、随分と温情が深い神さまのようだ。
    一度、ご挨拶しておこうと、カササギの後を早足で追って、鳥居の並ぶ石段を上っていった。


    ヒコボシに挨拶を済ませた後、飾り笹の近くを流れている川を眺めるように長椅子に腰掛けていた。
    ヒメアは、この七夕の里に招かれるだろう方法を知っていて、エルジュに勝手に施していたのだとは思う。
    あの時代でエルジュの願いを叶えることは難しいとはわかっていて、神さまに丸投げするつもりだったのもなんともおかしな話だ。
    それでも、神にすら、叶えることは難しいと言われてしまえば、その通りだと納得するほかない。

    屋台も賑やかで楽しそうだとは思う。
    思うけれども、自分が何のためにこの里を訪れたのかを思い出す度に、胸に刺す痛みがある。
    それを思うと食指が動かず、ただぼんやりと水の流れを見つめるほかなかった。

    二人で旅がしたかった、という気持ちは嘘ではない。
    でも、本当は、旅じゃなくたって、良かったんだ。
    二人で、いつまでも二人でいられさえすれば、何でもよかった。
    何かをしたい、してみようかと思う度に、君が側にいれば、と憂うから。
    ただ、そこに居てくれるだけでよかった。

    逢いたいが情、見たいが病、とはよく言ったものだ。
    エルトナの格言に従って、エルジュはずっと熱病に浮かされていることを、こういうふとした場面で思い知る。

    あと一度でいい。
    君に、会いたい。
    会って、君に、好きだと言いたい。

    それはなぜか。
    無理に想いを遂げたいわけじゃない。
    エルジュのこの想いが、他の誰でもないアイツに向けられていた事実を、一欠片も疑われたくなかったからだ。
    たとえ盟友とエルジュとの間に大切な約束があってそのために違う人と生活を共にするとしても、想い続けるのはただ一人なのだと、知って欲しかった。
    それが、誰よりも人の幸せを願っては戦い続けるアイツにとって、どれだけ残酷であっても。

    いつまでも夜の世界だし、時を示すカラクリが何一つないものだから、時間の感覚がわからなくなってきた。
    エルジュがアズランに着いたのはたしか七夕の前日だったと思うが、一体今は何日で何時なのか。
    わからなくても眠気は来るし、腹はしっかり減るので、屋台で食べたものを数えれば、体感でおよそ一日ほどは経っている気がする。
    常世とはとても思えない美しい里の景色をせめて焼き付けておこうと、顔を上げた。
    上げて、視界に入った人影に思わず目を見開く。

    「あれ?……エルジュ?」

    赤い橋の上でエルジュに目を留めて瞬くその人の姿に、あ、と動揺が走った。
    その一瞬のうちに盟友が笑顔になり、橋を越えてエルジュの側に駆け寄ってくる。
    普段とは違って鈴蘭をあしらった浴衣姿が眩しく、目の前に立たれると心臓が早鳴って仕方がない。

    「エルジュも里に来てたんだ!会えて嬉しい。」
    「あ、ああ……偶然だな。ボクも、嬉しいよ。」

    口にしながら、本当に偶然なのだろうか、とは隅で思うけれども、今はどうでもよかった。
    叶うはずがないと思っていた夢のような時間が訪れたことに身震いがする。
    他の時代に生きる人間すら招かれる不思議な里だからこそ、エルジュは招かれたのか。

    「……君は、どうしてここに?」
    「あっ、そうだった。ヒコボシ様のお手伝いに来たんだった。ちょっと待ってて、また後で!」

    鳥居の奥へ急いで走っていく盟友を見送り、また手伝いか、とエルジュの口元に笑みが溢れる。
    神すらも友達みたいに気軽に助ける盟友が、本当に本物の盟友なんだなと実感が湧く。

    手伝いを終えてから来るのだろうかと思っていたら、階段を降りてきてすぐにエルジュの元へと歩いてくる。
    聞けば、里にやってきている盟友の知人たちの願い事に関することなのだそうだ。
    それを聞いてどきりとした。

    「何人かでいいからお願いを叶えるのに必要な作業を手伝ってあげるみたい。現代の国や地域で探し物してきたり?」

    そういうことか、と、ようやく合点がいく。
    つまり、エルジュがこの里に招かれた真意をここに至って知った。
    再び会うまでは手助けをしてもらえなければ叶わなかっただろうが、ここから先はエルジュ自身が願いを叶えるほかない。
    だからと言って、目の前にいるこの人に、そうなのか、じゃあ君が好きだよ、だなんて早々に言えるわけがなく。
    盟友が滞在している間にとは思っていたが、いくらなんでも早すぎるし、情緒が追いつかなかった。

    「エルジュはなにかお願いごとある?私に手伝えるかな……?」

    完全な親切心で言ってくれているのに申し訳ない。
    伝えるべきことを思うと頬が熱くなって仕方がないが、意識的に深く息を吸って、ゆっくりと言葉を発した。

    「君なら。……ただ、少し準備があるから、出来れば、最後に後回しにしてくれるとありがたい、な。」

    何人か、と言っていたからには、エルジュひとりの願いだけでは、手伝いを終われないのだろう。
    エルジュが伝える内容を考えれば、盟友にとってもきっとその方がいい、と自分に言い聞かせて、小さく苦笑を溢す。
    そうしたら、欠けらも疑うことなく、盟友がうんと笑顔で頷いた。

    「わかった!他の人が終わったらまた来る!…………だから、帰らないで、待ってて?」

    少しだけ不安になったのか、小首を傾げてエルジュを見上げてくる様に胸が打たれる。
    何も言えずに首肯だけすれば、盟友はほっとした顔を見せた。
    背を向けて橋の向こうへと渡っていき、屋台の横で悩んでいる風情のエルフに声をかける盟友を見届けて、エルジュは膝を折って抱え込んだ。

    「……なんだよ……待ってて、って…………」

    そんな可愛い顔してまで言わなくたって。
    闇のキーエンブレムの件であっちこっち出歩く度に、エルジュが盟友を何度か置いて別行動をしていたのが気がかりだったのかもしれない。
    あれは、不治の病を伝染さないように長居を避けただけだったんだけどな。
    耳まで熱くなったのを指でしきりに撫でながらため息をついて、気が落ち着いたところで身体を起こして立ち上がる。
    なんとなく竹林を背にしたまま里の中を眺めていると、盟友が右から左へと忙しい。
    着ているのとは違う柄の浴衣を腕に抱えたまま石段を登って行ったり、旅の扉から外の世界へと戻ったり。
    そういうところを見るにつけて、相変わらずだな、と笑みが浮かんでは胸に温かいものが広がった。

    石段を降りてくるのは四度目だったか、盟友がエルジュに脇目も振らずに向かってくる。

    「エルジュ!お待たせ!!」
    「お疲れさま。走り回っていたみたいだったから、少し休んできても良かったのに。」
    「ッいや、走ってたのは違うんだよ、えっと……」

    ううん、と少し恥ずかしそうに首を傾げた後、へへ、と笑って溢す。

    「エルジュのお願いを手伝う前に、あの……少しでいいから、エルジュと遊びたいな、と思って。」
    「ッ!……遊ぶって……どうやって?」
    「や、屋台に、面白そうなものがたくさんあってさあ!今まで、あんまりこの里で遊んだこともなかったから……ダメかな?」

    意外な提案にそのまま驚いて瞬いていたが、そわそわと盟友が返事を待っているのがわかった。
    盟友もそうだろうが、エルジュだって、こういう賑やかな祭りに参加したことが無いではない。
    でも。

    「……いいよ。一緒に行こう。」
    「やった!ありがと!」

    好きな人や親しい人と共に楽しんだことなんて、指折り数えるほどもなかった。
    きっと、盟友だってそうなのだろう。
    エルジュの願いなど大した時間を必要としないし、どこかへ出かける必要もないから、今は、ただ、二人で少しでも長く過ごしていたかった。
    同じ思いで居てくれるのなら、そうでありたかった。

    橋を渡った時に慣れない草履でエルジュがふらついたせいで、盟友に何気なく手を取られて、支え引かれた。
    それがどうにも離しがたくて、盟友も離さなくて、そのまま手を繋いで、屋台を端から覗いていく。

    最初に覗いたのは川辺に立つ金魚すくいの屋台だった。
    小金を支払ってポイを受け取る盟友が、気合を入れつつ袖を捲ってしゃがみ込んだ。
    エルジュも隣で同じようにしゃがんで目の前の水槽の中で泳ぐ赤や黒や錦の金魚を眺める。
    離された右手がなんとなく寂しくて、誤魔化すように盟友の右手の行方を自然と追った。
    取れないという風でもないのに、最後の最後で躊躇いを見せるポイの動きからは、金魚たちはうまく逃げおおせる。
    結局、ポイがフヤフヤになって黒い金魚に破かれるまで、一匹もすくえなかった。
    なんでも器用にこなすと思っていたこの人にも苦手なことがあったんだな、とつい笑みが溢れた。

    「……釣り竿なら絶対に逃さないのに……」
    「ふは……確かに。」

    それはそうだろう、と一度吹き出しただけで笑いを噛み殺す。
    釣りが案外に趣味らしい盟友は、レイダメテスを撃破した後は、五百年前の世界でもあちこちで釣り糸を垂らそうと投げては、魚がいないと落ち込んでいる姿を見かけたことがある。
    あれから十年が経ったエルジュの世界では、ランドンフットで干上がっていた湖や、ランガーオ山地の小川も、完全ではないが元通りになりつつあった。
    未来では、オーグリード大陸本来の寒冷気候のせいで湖は凍っているそうだが、こちらではまだ凍っておらず、正しく湖と呼べた。
    もし、あの世界を見たら、釣り竿を片手に目を輝かせるかもしれない。

    気を取り直して、別の屋台を見ようと二人立ち上がった。
    並んで歩くと触れそうで触れない距離で揺れる手の甲の熱さが、繋いだ時よりも緊張した。
    少し離れた隣の屋台に着くと、今度はヨーヨー風船釣りのよう。
    これならいける気がする、とエルジュが挑戦しようとすると、盟友がクイと袖を引っ張った。
    耳を貸すように手招くので、少し屈んだエルジュの耳に、そっと落とされた柔らかい声。

    「魔力使って、ズルしちゃダメだよ?悔しいから。」

    今度こそ腹の底からおかしくて、思わず声を上げて軽く笑った。
    いくら相手が無機物だからなんて。
    しないよ、と目尻に浮かんだ涙を払いながら言って、袖に気をつけながら釣り用の針付き糸を水面すれすれに垂らした。

    「あの、赤と橙で黄色の斑点のが欲しい。」
    「わかった。」

    言われたヨーヨー風船の側に釣り針を持って行ってゆっくりと持ち手のゴムに引っ掛ける。
    紙縒(こより)を使った糸を濡らすと強度が心元ないので、できるだけ濡らさないように。
    すぐに持ち上げればそれは取れるだろうが、なんとなく、近くで目についた色のヨーヨー風船も、針の反対側に引っ掛けた。
    両側の重みが均等になった方がいい気がする、とそのまま二つ、ゆっくりと持ち上げる。
    ぐ、と慎重に重心を気にしながら右手首を固定すれば、店主が取り上げるまではちゃんと保った。

    「二つも!すごい!」
    「うまく取れて良かった。ハイ、どうぞ。」

    手を叩いて喜ぶ盟友に、両手に引き取った二つのヨーヨー風船のうちの赤っぽい方を渡した。
    礼を言いながらすぐに右手にゴムを嵌めてポンポンと楽しそうに叩く。
    ふふ、と子どもっぽい笑顔のまま、ヨーヨー風船を見つめている。

    「子どもの頃に、こんなオモチャがあったら、楽しかっただろうなあ。」
    「エテーネの村にはなかった?」
    「うん。ゴム自体が珍しい素材だったから。伸びたり縮んだりするものなんてなかったと思う。」
    「そうなのか。僕の子どもの頃も、資材不足でヨーヨーは見なくなりつつあったんだけど……まあ、周りが男ばかりだからな、結果的にはよく割ってたよ。びしょ濡れになりながら、ね。」

    割ってたの、と盟友がおかしそうに笑ったまま、さっきより高速でポンポンと跳ねさせている。
    それだよそれ、と指差しながら自分の手の中のヨーヨー風船も転がした。
    盟友が欲しがったのが、どことなく色合いが自分を思わせるみたいで、妙にドキドキする。
    だから、自分も、盟友と同じ色が欲しかったのかもしれない。
    手元に残ったそれは、その人の髪色に似た流水線と、瞳を思わせる斑点が綺麗に映しとられていた。

    「笑ってたら、喉が渇いちゃった。」

    確かに、と周りを見渡して、飲み物を売っている屋台を探す。
    探しているうちに、ガシリと腕を腕で掴まれて、引き寄せられる。
    え、と盟友を見遣れば、エルジュには目もくれずにひとつの屋台を指差した。

    「かき氷があった。あれ食べよう?」
    「食べ物だけどいいのか?」
    「うん、いい。」

    何味かな、とワクワクした顔のままエルジュの腕を引きずっていく。
    ついて行くのは難しくもないが、ひどく顔が熱い。
    この里が、常に夜で、それで、あちこちに吊り下がる提灯が赤くてよかった。
    そうじゃなかったら、きっと誰の目にも明らかなほど真っ赤だったと思う。

    この里のかき氷は、器に山盛りの氷に、薄青い色のシロップをかけた後に、さらに金平糖をかけてもらえるみたいだった。

    「見た目が綺麗だな。」
    「だね。なんか、天の川みたい。」

    白と青のグラデーションを彩る七色の飴が、まさに天の川と呼ぶに相応しい気がする。
    器からこぼれないようにゆっくりと歩きながら、川辺に備わっている長椅子のところに二人で戻ってきた。
    並んで座り、匙を手にそれぞれのペースで口にしたら、青いシロップはラムネの味がする。
    時折、キインと額の辺りが痛んでは、手で押さえて天を仰ぎ目を瞑った。
    そっと開いてから隣を見れば、やっぱり痛みに引き攣った頬をそのままに、頭を押さえた盟友がエルジュをうかがっている。
    はは、と互いに見合わせて、笑った。

    三分の一ほどは溶けてしまった氷水を飲み込んで、空になった器を片付けた。
    まだ他にも屋台はあるが、体感では短くても、周りの様子を見たら結構な時間が経った気がする。
    どうするのかと後ろにいた盟友を振り返れば、盟友は目を細めてふわりと笑う。

    「あとは、これでおしまい。」

    そう言いながら、自身の帯の内側から、何かを取り出した。

    「線香花火か。」
    「うん。最初にお手伝いした人が、おまけでくれたから。」

    花火を束ねている紐を解いて、両手の上に数本の線香花火を広げたのを、一つ受け取った。
    しゃがんでから、盟友があ、とまた立ち上がる。
    エルジュも片膝をついて座ったまま、何事かと見上げた。

    「何?」
    「火、つけるものがないや。取りに行かないと……」
    「…………それ、本気で言ってる?ボクがいるのに。」
    「え?……あ。」

    そっか、と盟友が笑ってまた座ったところで、エルジュが左手を広げて、小さくメラを灯す。
    二人の手に持つ花火に無事に火がついたところで、左手を握り込んで消した。

    不思議なもので、線香花火が微かな音を立ててパチパチと鳴る以外のすべてが、息を潜めているように錯覚する。
    里に響く祭囃子も、人々の話し声も、自分たちの呼吸すらも。
    心臓の音だけが聞こえるはずなのに、それすらも花火みたいにパチパチと弾けて区別がつかない。
    無言でじっと、夜の太陽みたいな花火を眺める盟友を、ひっそりと見つめた。

    もう十分。
    過ぎるくらいの、大切な思い出をもらった。

    この花が落ちたら。
    ボクは。
    君に。

    「本当は、エルジュのお願いごとは、あんまり聞きたくないんだ。」

    そう思っていたのに、火が落ちる前に零された、そんな言葉に肩が揺れる。
    唐突に落とされた息遣いにか、動揺にか、二人が持っていた糸からは丸が呆気なくポトリと落ちて消えた。
    開いた口が塞がらずエルジュが盟友を見ていると、盟友が申し訳なさそうに眉を下げるものの、悲しそうに微笑む。

    「……この里を司るのは、縁結びの神様。仕事であれ……恋愛であれ……エルジュと誰かの縁を結ぶための願いが、聞き届けられた……そうでしょう?」
    「それはッ……そうかもしれない、けど……」
    「願いを聞いたら、どうして、そこに私はいないんだろうって、悔しくてたまらなくなると思う。エルジュの生きる世界に、どうして私がいないのか……それで、エルジュの願いが叶う時を、心から喜べない自分が、一番……怖い。」

    なんだよ、それ。

    信じられないような奇跡を見せられ、衝動のままに目の前で膝を抱えて俯いた盟友を抱きしめた。

    「……エ、ルジュ?」
    「違う、違うんだ……君が叶えられないなら、ボクの願いは、誰にも叶えられない。だから、ボクはここに来た。」
    「…………ど、いう……」
    「ボクが願ったのは、君に会うこと。もう一度だけ、君に会いたい、って。」

    え、とエルジュの肩を押し返して、艶々と濡れた睫毛を、エルジュの目と鼻の先で上下する。
    瞬きする度に細く溢れていく涙が、すごく綺麗だなと思った。

    「君に、どうしても伝えたいことがあったんだ。だから、会いたかった。」
    「伝えたい、こと?」

    ほの朱く差した頬が柔らかそうで、きゅうと期待するように結ばれた唇があでやかで、目眩がしそうだ。

    「……ずっと前から、君が好きなんだ。君のすべてに触れたかったし、君と家族になりたかった。実現しなくたって、君を困らせたって……やっぱり、伝えたかったんだ。君のことを、これからもずっと、誰よりも愛してるよ、って。」

    これでいい。
    これで、エルジュの願いは叶えられた。

    たとえ、盟友がどう思うとしても。

    熱い頬を手の甲で一度擦って、終いには逸らしていた眼をやっと正面に戻すと、すぐに目が合った。
    ほんのひと時の沈黙の後、初恋の人が、嬉しそうに笑う。

    「ありが、とう…………エルジュのその気持ちが、すごく、嬉しい。」

    それを聞いて、ひどく安堵したと同時に、申し訳のない思いもやはりある。
    結局、盟友の想いがエルジュの想いと、同じであっても、互いを隔たる時はどうにもならない。
    だからこそ、時を超えて出会い、かけがえのない想いを交わし合ったのだから、仕方のないことだ。

    想いばかりが先走ってろくに身動きもできずにただただ見つめ合っていると、不意に隣に誰かの気配を感じた。
    と同時に耳に入ったカササギの咳払いに、思わずパッと盟友から手を離す。
    そうだった、まだ、盟友は手伝いの途中だった、と思い出して肩を竦めていると、盟友もカササギに謝っていた。

    まあ、でも。
    たった今、ようやくエルジュの願いが叶ったのだから、忘れていたのとは少し違う。

    「と、とりあえず、ヒコボシ様のお手伝い終わらせてくるね!」

    あわあわとしながら妙に輝く不思議な巾着袋を出して、盟友はそれを手にしたままカササギと共に鳥居に向かった。

    気がつけば盟友が立っていた辺りの地面に一枚の紙が落ちている。
    誰かの短冊かと思って拾おうとして前に屈み、文字が書かれた面が表になってしまっているので、できるだけ見ないようにした。
    しようとしても、できなかったのは、自分の名前がそこにあったから。

    ――エルジュが、

    伸ばそうとしていた手が止まり、思わず息を飲んでつい目を逸らした。
    一体、誰の、なんて考えても、たった今そこに立っていた人が、誰か。
    その上、この里の中に、エルジュ自身の知り合いは、その人以外には一人もいない。
    一度だけ強く目を瞑り、深く息を吐いた後に思い切って拾い上げ、早く打つ心臓を宥めながら文字を辿る。

    ――エルジュが、幸せに暮らせますように

    どうして、どうしてそんなにも。
    君は人の幸せばかり。
    神に祈る願いは、自分の力では叶わないこと。

    君の願いがボクのことなら、君の幸せは、一体どこにあるんだ。
    できることなら、ボクだって、幸せにしてあげたいのに、他の人と幸せになることは応援できないくらいに、心が引き裂かれそうで、どうにかなりそうで。
    君だって、悔しいって、怖い、って、さっき言ってたじゃないか。

    度重なる感傷に気が付けばボロボロ泣いていて、短冊を脇に避けて頭を下げたら、堰を切ったように地面に黒い染みがあっという間に広がる。
    ひ、う、と嗚咽が止まらない。
    このままだと戻ってきた盟友に心配させると思って、浴衣の袖で拭って、竹林の間にある道の奥へと行こうとして、踵を返したところで強く腕を引かれた。
    あ、と顔を上げたら、盟友がなんとも言えない顔でエルジュを見ている。
    心配はしているのだろうけど、その瞳には切望が浮かんでいるようにも見えた。

    「……エルジュ、どこ行くの?……大丈夫?」
    「…………ど、こにも……どこかに、行きた、い、わけじゃ、なかった。…………ごめん、これ……君の、だろ。」

    盟友の思いやりを感じるほどにますますとめどなくて、仕方なくそのまま盟友へと短冊を差し出す。
    受け取った盟友が、ああ、と小さく呟いて、それをじっと見て。
    それから。

    「ありがと……でも、これ、もう要らないんだ。」

    エルジュの目の前で、ビッと横から真っ二つに指で引き裂いた。
    は、と突然の盟友の行動に驚愕しかなくて、それで、涙も引っ込んだ。

    滴の渇かない眼で訝しげに見つめていると、真っ直ぐとエルジュを見上げて、盟友は笑みを浮かべる。

    「エルジュが、さっき言ってくれたことが本当なのなら、私は、この願いは自分で叶えたい。」
    「…………え?」
    「愛してるって……家族になりたいって言ってくれたこと……本当に嬉しかった。だから……だから、私が!エルジュと幸せに暮らしたい!」

    エルジュの両手を、盟友の両手が握って、それから目の前で見上げてくる瞳が、すごく綺麗に光る。

    「今はまだ、時渡りの制御が上手くなくて、思い通りの時代には行けないけど……ちゃんと、勉強する!エルジュが大人になった時代に行けるように、努力する。」
    「…………ほ、んとうに?」
    「行くよ。いつになるかわからないけど、いつか、絶対!だって……エルジュを幸せに……ううん、私が、エルジュと、幸せに、なりたい、から。」

    離した両手を広げる盟友の笑顔に導かれるように、両腕でしっかりと抱き締める。

    「誰よりも、エルジュが好きだよ。だから、待ってて。」

    いつまでだっていい。
    希望が残っているだけで、それだけで、ボクの人生に意味がある。
    大好きな君が、訪れるだろう未来へ向かって、走り続けられる。

    「ずっと、待ってる。」

    首の後ろに回された両手指が安心したみたいに、エルジュを強く引き寄せた。

    今宵結ばれた縁はおよそ星の数ほど。
    縁結びの神の祝福は、何度でも星が巡ろうとも、と人は言う。








       
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