涙の終わり残滓の味営団地下鉄という呼び方は、古い史料にしかもう存在しないだろう。ただし、どの新聞アーカイブを見ても営団地下鉄日比谷線の毒ガス散布事件という呼び方のほうが見出しが大きく載っている。
この路線で、折り重なるように人が死んだのか、と鳴瓢は想いを馳せる。東京メトロ日比谷線霞ヶ関駅では、電車が入線する前のぬるい風が吹いている。 スーツの上着をかかえたまま鳴瓢は北千住行きの電車に乗り込む。平日昼間でも混み具合はそこそこだった。終点までの乗車になるが鳴瓢は立ったまま吊り輪を握る。
足立区某所にて、マンションのタンクに農薬を投入しようとした殺人未遂の件を調査に行く。
毒、というキーワードと日常風景を地獄絵図に変える犯罪という意味で日比谷線の某事件が急に頭に連想されたのかもしれない。
日常は儚い。娘の椋が死んでから、鳴瓢は自分の手足が糸の絡まった操り人形のようにぎこちなくしか動かせない。上司の百貴は、休めと何度も勧めてくれて、もはやアドバイスというより警告のように強い言い方になっている。休んで綾子さんの傍にいてやれ、その言葉は真っ当な意見であるし、むしろその通りにしない鳴瓢のほうが不誠実ともいえる。しかし、今、妻は錯乱状態にあるのだ。ろくに食事も取らず、鳴瓢に突発敵に娘の死について詰る。その状態で二四時間一緒にいるのは双方にとって逆効果だ。そう判断し、妻の実家から次女・三女を可能な限り立ち寄ってもらって面倒を見て貰っている。 本当は鳴瓢も妻の傍にいてやりたい。だが、それは彼女を刺激することになり、突発的に彼女から責められることになるだけだ。