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    merino

    @guiltysheep

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    merino

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    プロローグ~一章まで

    ##狼羊

    夢見る夜に灯をともしてプロローグ
    薄暗い階段を上り詰め、冷えた金属のドアノブに手をかける。
    ぎい──と、扉が軋む音が静寂を裂くと同時に、夜の空気が胸の奥まで流れ込んできた。

    そこには誰もいなかった。
    ただ風の音が、まるで呼吸のように低く響いているだけ。

    空には雲ひとつなく、満月が爛々と照っていた。
    寝不足の瞳には、それが妙に眩しくて、痛い。

    頼りない足取りは、時折つまづきながら、冷たく錆びた屋上の柵へと近づく。
    遠くの街明かりが、点々と浮かんで見える。誰かの生活、誰かの世界。
    けれど、自分とは無関係のようで、まるで夢を見ているみたいだと思った。

    ──かしゃん。

    軽い音とともに、柵を越える。
    名残惜しげなその音が、ほんの一瞬だけ足を止めた気がした。

    もう、風の音すら聞こえない。
    鼓動さえも、遠く、遠く……。

    ──今夜、この世界から消えるはずだった。

    片足を踏み出す。
    世界が反転する感覚。
    視界が歪み、月の光が滲んだ。


    第一章
    遠くに波の音が聞こえる。

    そう気づいた刹那、ひどい頭痛が脈を打つように頭の奥を叩いた。
    身体がひどく重く、耳元では心臓の鼓動がひときわ強く響いている。

    「……う……」

    小さな呻きが漏れる。

    しばらくその痛みに耐えたのち、ゆっくりと目を開けた。
    最初はぼやけていた視界が、次第に輪郭を持ちはじめ、
    やがて満天の星空が視界いっぱいに広がった。

    その中心に浮かぶ満月は、まるで落ちてきそうなほど近い。

    青年はしばし月を見上げ、ゆっくりと意識を引き上げる。
    その過程で、身体の右半分が妙にあたたかいことに気づいた。
    ゆっくりと身を起こし、重い頭を傾けながらあたりを見回す。
    動かすたびにズキズキと痛みが響き、目眩がした。

    ここは――暗いが、どうやら森に囲まれた湖のほとりのようだ。
    澄んだ空気の中、湖の水面が風に揺れて小さな音を立てている。

    自分の体には、薄い緑色のブランケットのようなものがかけられていた。

    (ここは、どこだ……?)

    思い出そうとするも、記憶は何一つ浮かんでこなかった。

    すぐそばでは、小さな焚き火がパチパチと静かに燃えていた。
    青年はしばらくその火をぼんやりと見つめながら、身体がこの感覚に慣れるのを待った。

    あたりには人の気配はない。
    ただ、投げ出された視線の先に、焚き火が揺れながら燃えている。

    静かだった。

    ――だが、不意に風が吹いたような気がして、耳を澄ます。

    「……? ……何か、聞こえる……」

    それは、遠くから聞こえてくるような――歌声だった。

    顔をあげ、もう一度ゆっくりと周囲を見渡す。

    (森の奥、あのあたりから……?)

    特に深く考えることもなく、青年はふらふらと立ち上がり、
    歌声のする方へと足を進めた。

    森の中をしばらく進むと、やがて木々が途切れ、開けた場所に出た。
    枝の隙間から覗く夜空は、より深く、そしてより美しかった。

    静けさが耳に痛いほど透き通っている。
    まるで自分自身が、空気の一部になったような感覚だった。

    その静寂を、小さな声が破る。

    「群れで行動する狼が、一人で歩くなんて珍しいわね」

    そこには、切り株に腰掛けた少女がいた。

    月明かりに照らされた白い髪が風に揺れ、
    その細い毛先がシルクのように光を反射している。

    あっけに取られ、青年はただ彼女を見つめていた。
    ――その視線に気づいたように、青年はようやく口を開く。

    「……!! だ、誰……?」

    少女は答えず、じっと青年の顔を見つめ返す。
    だがその瞳は、固く閉じられていた。

    言葉を返さぬ少女に戸惑い、青年は一歩後ずさる。

    「……き、君こそ。迷える羊かなんかなのか?」

    その言葉に、少女はふっと瞼を伏せた。

    「……それもそうね。お互いさま」

    そう小さく呟くと、少女はふっと顔を伏せた。

    「とりあえず、場所を移しましょう。風邪をひくわ」

    少女は静かに切り株から立ち上がり、青年の脇を通って森の奥へと歩き出した。

    その背を、青年はしばらく見送っていたが、
    我に返るように小さく息を呑み、その背を追いかけて駆け出した。

    森の奥に、ひっそりとログハウスが姿を現した。
    大きくはないが、丸太を丁寧に組んだ二階建ての立派な家だ。
    周囲には雑草ひとつなく、手入れの行き届いた花壇には小さな草花が咲き、どこか時間の流れが穏やかに感じられる。
    一階の窓からは柔らかく、優しい光がもれていた。

    「さぁ、入って。まずはお風呂に入った方がいいわ」
    そう言って扉を開けた少女は、くるりと背を向け、家の奥へと引っ込んでいった。

    青年は戸惑いながらもその後に続き、恐る恐る玄関をくぐる。
    木の香りが鼻をかすめる。あたたかな照明のもと、ハーブが束ねて吊り下げられ、土いじり用の道具や木の実の入った籠が整然と並んでいた。
    布張りのソファも、床の絨毯も、まるで新品のように綺麗だ。

    足音がパタパタと戻ってくる。
    明かりの下に現れた少女は、葡萄染めの布を抱えていた。

    その髪は白く長く、ふわりとした質感のまま両脇でおさげに編まれている。
    服は象牙色のワンピースに、若草色のケープ。
    相変わらず目は閉じられていたが、不思議とこちらを見ている気がして、思わず視線を逸らした。
    頭には、小さなヒツジの角のようなものがついていた。

    「お風呂はこっちよ」

    少女はそれだけ告げて、また静かに歩き出す。
    青年は何も言えず、その後をついていった。

    「たぶん…服のサイズは大丈夫だと思うわ。…ごゆっくりどうぞ」

    脱衣所の前でそう言い残し、少女は扉を閉めて去っていった。
    その瞬間、家の中に静けさが戻る。

    慌ただしくも、気づけばここまで来てしまっていた。
    湿った上着を脱ぎながら、ふと鏡に目が留まる。

    そこに映っていたのは――見慣れない自分の姿だった。

    鋭く光る金色の瞳。
    アッシュグレーの、少し跳ねた髪。
    そして頭についた、大きな狼のような耳。

    「これが…僕…?」

    無意識に、鏡に手を伸ばしていた。
    鏡の中の自分も、同じように手を伸ばしている。
    その指先が鏡越しに重なった瞬間、胸の奥がざわめいた。

    何かを思い出しかけた気がした。
    けれど次の瞬間、それは鋭い痛みにかき消された。

    青年は眉をひそめ、ゆっくりと鏡から視線を逸らす。
    思い出せないことが、こんなにも不安になるとは思わなかった。

    お湯の温度はちょうどよく、服のサイズも違和感がなかった。
    困ったことがあるとすれば、ただ一つ。

    「この首輪、外れない……」

    鏡に映る自分の首には、目覚めたときからついていた黒革の首輪。
    しっかりとした革製で、金具の部分が鈍く光っている。
    飾りのチョーカーかと思ったが、それにしてはゆとりがありすぎる。
    金具には、明らかにリードを繋ぐための金具がついていた。

    青年は仕方なくそのまま浴槽へ身を沈めた。
    首輪の金具は冷たく、どこかぞわりとした感触が肌に残った。
    洗えるだけ洗ってみたが、それでも外れる気配はない。

    身体の芯まで温まり、湯気の中で少しだけ頭が冴えてくる。
    タオルで髪を拭きながら部屋を出ると、カチャカチャと食器の音がした。

    音のする方へ向かうと、少女が台所に立ち、食事の準備をしていた。
    その横顔が明かりに照らされる。


    目は閉じられたままだが、どこかこちらを感じ取っているように思えた。
    ふわりと花のような香りが漂う。

    「首輪、外さないの?」
    少女の落ち着いた声が静かに響く。
    「外れないんだ」
    青年がそう答えると、少女は静かに「そう」とだけ呟き、指先でそっと首輪に触れた。
    何かを確かめるように、しかし長く触れることなく手を放し、調理に戻る。

    「ごはんができているわ。座って待っていて」

    席に座った青年の前に、皿が並べられていく。
    そのたびに、目が点になる。

    星空のようにきらめく紺色のスープ。
    宝石のような果実がごろごろと盛られた皿。
    鮮やかな色の草に、緑色のソースがかかったサラダ。
    そして、星の形をしたパン。

    「こ…これ、食事?」

    少女は首を傾げるようにして言った。
    「そうよ? なにか問題でもあるかしら。食欲がないなら食べなくてもいいわよ」

    そして、何事もないようにスプーンでスープをすくい、上品な所作で口へと運ぶ。
    その静かな動きに、不思議な威圧感があった。

    「う…いただきます…」

    青年はおそるおそるスプーンを手に取り、スープをすくい、口に運ぶ。

    「……わっ!!」

    思わず少女の顔を見る。
    次第に、顔がほころんでいった。

    「なにこれ、やばい。美味しすぎる!」
    「やばいものは入ってないわよ」
    少女は淡々とそう答え、再び自分の食事に戻った。

    少し場が和らいだ空気の中、青年は星形のパンをちぎりながら尋ねた。

    「そういえば、君の名前は?」

    少女は顔を上げ、しばらく考える素振りを見せた後、
    「好きに呼んでいいわよ」と静かに言った。

    そして、すぐに問い返す。
    「あなたは? なんていう名前なの?」

    青年は一瞬息を呑み、手を止めた。
    視線が、スープの中に沈んでいく。

    「わからない。……自分が誰なのかも、どうしてここにいたのかも、全部。思い出せないんだ」

    その言葉は、まるでスープの中に静かに沈んでいくようだった。

    しばらくの沈黙。

    「ネイト」

    少女の口から、ぽつりとその名前がこぼれた。

    「……え?」

    少女を見つめる。
    「ネイト。あなたのこと、ネイトって呼ぶわ」

    まっすぐにこちらを向けていた彼女の言葉が、胸の内に静かに沁みていく。
    何かがじんわりと、あたたかく広がるようだった。

    少女はナプキンで口元を拭い、そっと顔を背けた。

    「あ……じゃあ……」
    言葉が喉からしぼり出される。

    「ルアナ。君のことは……ルアナって呼んでもいい?」

    少女はゆっくりと向き直り、「好きに呼んだらいいわ」と微笑んだ。

    ――そう、確かに笑っていたように見えた。

    「部屋はここを使って。
    私の部屋は隣だから、何か困ったことがあったら声をかけてちょうだいね」

    ルアナはそう言って、ネイトを客室へ案内した。
    そして「おやすみなさい」とやわらかく微笑むと、扉を静かに閉じる。

    ネイトはしばらく、閉じられた扉を見つめたあと、室内に視線を移した。
    小さな本棚にクローゼット、木製の椅子と机。
    どれも落ち着いた雰囲気で、丁寧に整えられている。
    清潔で、安心感のある部屋だった。

    (何か……思い出すきっかけにならないだろうか)

    ネイトはふと本棚に目を留め、一冊を手に取った。
    装丁は新しく、ページの間にはまだ僅かに紙の匂いが残っている。

    適当にページを開いてみる。
    だが、目に映る文字はどこかぼんやりとしていて、うまく読めない。
    目を凝らしてみても、焦点が合わないまま文字が滲んでいく。

    「あ……れ……?」

    疲れているのかもしれない。
    他の本を手にしても同じだった。

    (……やっぱり、今日は疲れすぎてるのかも)

    そっと本を棚に戻し、目をこすりながら、寝台に向かう。
    布団に身体を横たえると、ずしりと重力が増したように感じた。
    どこか心地よい重さだ。

    窓の向こうから、ほんのりと外の光が差し込んでいる。
    薄闇の中で、ゆるやかに室内の輪郭を浮かび上がらせていた。

    ネイトは横になったまま、ぼんやりと窓の方を見つめる。

    「そういえば……僕……」
    「どうしてこんなところにいるんだっけ……」

    誰にも届かない小さな声が、静けさの中に溶けていく。
    まぶたが重くなる。
    意識が、静かに沈んでいった。

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