夢見る夜に灯をともして(2)「う…」
灯りの落ちた薄暗い部屋に、ネイトのうめき声が響く。
彼の表情は強張り、額からはびっしょりと汗が流れていた。
「やめてくれ…」
ネイトの目の前に、花柄のワンピースを着た女性が立っていた。
クスクスと笑ってはいるが、その顔はぼやけていてよく見えない。
「なんで…」
掠れた声でつぶやく。
いつの間にか、女性の横に寄り添うようにして男性が立っていた。
「兄貴…なんで…」
膝が震え、前に進めない。
ネイトは二人に向かって手を伸ばす。
けれど、その手は空を切り、届くことはなかった。
「なんで?」
先ほどまで笑っていた女性の表情が変わる。
その目が、まるで蔑むようにネイトをにらみつけていた。
口から放たれた声は、あまりにも冷たく響く。
「全部、あんたのせいでしょ?」
女の腕がゆっくりと上がり、ネイトを指差す。
その指の赤いネイルが、闇の中でひどく浮かび上がって見えた。
ネイトの顔が歪んでいく。
「俺が……何を、した?」
その問いに、二人は答えない。
「なあ!!!!!」
大声を上げた瞬間——
「はっ…」
ネイトは目を覚ました。
静まり返った部屋に、月明かりだけが差し込んでいる。
荒い息を吐きながら、跳ねる心臓の鼓動が胸の内側を叩くように痛む。
「あ……あれ……僕……」
上体を起こし、辺りを見回す。
誰もいない。
ため息だけが部屋に響いた。
「なんか……嫌な夢を見た気がする」
呼吸を落ち着けてから、ベッドを下り、窓の外を見る。
月明かりが小屋の周りの木々をやさしく照らしている。
夢の内容は思い出せない。
ただ、胸の奥の不快なざわつきだけが残っていた。
外に何かが動いた気がして窓を開けると、そこにはルアナの姿があった。
(夜中なのに……また出かけるのかな?)
なぜか落ち着かず、ネイトはルアナのもとへ足を速めた。
玄関を出ると、ルアナがそう遠くない場所で何かを籠に集めていた。
どうやら集中していて、ネイトの存在には気づいていない。
「ルアナ。どこかに出かけるの?」
ネイトに声をかけられたルアナは、ゆっくりと振り返る。
「おはよう、ネイト。よく眠れたかしら?」
「あ……うん。おはよう? でも……変な夢を見たみたいで、目が覚めちゃった。あんまり覚えてないんだけど……」
ネイトがそう言うと、ルアナは少し不安そうな顔をした。
出会ってからほとんど表情を変えなかった彼女の変化に、ネイトは内心焦る。
「あー、でも……ほら。まだ夜だし、朝まで寝直そうかな~とか……思ってて……」
その言葉を聞いたルアナは、近くの低木から葉を数枚ちぎり、しばらく眺めた。
それから、ためらうように小さく呟く。
「朝は、来ないわ」
少しの間を置いて、言葉を続ける。
「この世界に、朝は来ないの」
ネイトには、何を言っているのかよくわからなかった。
夜のあとに朝が来る。それが“普通”だと思っていたから。
「あれ……? そうだっけ? 記憶がなくなってるせいで、勘違いしたのかな……」
そう呟くネイトに、ルアナは静かに答える。
「そうね。きっと、どこかで見た物語と記憶が混ざっているのよ」
籠が葉でいっぱいになったのを確認したルアナは、それを抱え、ネイトに近づいた。
「お茶でも飲んで、一息つくといいわ。さあ、戻りましょう」
「あ……うん。あ、籠持つよ」
「……ありがとう」
歩き出すルアナのあとを追いながら、ネイトは空を見上げる。
浮かぶ月を見て、彼は心の中でつぶやいた。
(ルアナが言うなら……きっと、そうなんだろう)
「あら……灯石がないわ」
軽く朝食を済ませてしばらく経った頃、ルアナがそう呟くのが聞こえた。
「灯石?」
聞き慣れない言葉に気を引かれ、ネイトは様子を見にルアナのもとへ寄った。
ルアナの手元には大きな瓶があり、中には透きとおるオレンジ色の石が数欠片入っていた。
「ランプに入れるのよ。明かりになるの」
ルアナは石を手に取り、横に置かれたランプの中に入れてから、ふっと息を吹きかける。
不思議なことに、石はやわらかくあたたかな光を放ち始めた。
「使っていると、少しずつ小さくなって、やがて消えてしまうの。
そろそろ採りに行かないと……ほかにも、いろいろ補充しておいたほうがいいかもしれないわね」
ランプをのぞき込んだあと、空の籠に空き瓶を詰めていく。
それから籠を片手に持ち、ネイトの方を振り向いた。
「少し留守番を頼んでもいいかしら。それとも……一緒に行ってみる?」
「えっ……?」
突然の提案にネイトは一瞬戸惑ったが、少し考えた末、
残っていても何をしていいかわからないと思い、ルアナの提案を受けることにした。
どれくらい歩いただろうか。
森の小道を進んでいくと、まわりの植生が徐々に変わっていくのがわかる。
木々は大きくなり、さっきまで見えていた夜空は枝葉に覆われて見えなくなった。
月明かりが遮られ、辺りはさらに暗くなる。
ルアナは持ってきていたランタンを手にし、道を照らしながら歩いた。
そして、足を止める。
「ここ……?」
ネイトも立ち止まり、周囲を見回す。
見たことのない植物が辺り一面に生えていた。
静まり返った暗い森は、どこか不気味に感じられる。
「ちょっと……こ」
「しっ……!」
「ここちょっと怖いな」と言いかけたところで、ルアナに制される。
「えっ……?」
「ここから先は“言霊の森”。言葉は常に力を持つもの。
この森でこぼれた言葉は……形になるの」
「どういうこと?」
ネイトは不思議そうな顔でルアナを見る。
「そのまんまよ。人を傷つける言葉は刃になって、癒す言葉は傷をいやすこともある」
「だから、この先ではむやみに言葉を使っちゃだめ。
その言葉が、何に“変わる”かわからないから……」
ルアナの言葉に、ネイトはグッと口を閉じた。
それを見て、ルアナはふっと微笑む。
「別に、話しちゃいけないってわけじゃないんだけどね」
「とりあえず、進みましょう」