キッチン・エミヤ海の家編「はーい! ヤキソバ2つとかき氷2つですね!」
「イカ焼き3つ入りましたー! 生3つもってきまーす!」
「ご注文のたこ焼き大皿になります。ウーロン茶は――はい、失礼いたします!」
わいわいわい、がやがやがや。
そんな喧噪にも似た忙しさの中、色違いのアロハシャツを着た、まだ学生と思われる三人はつぎつぎとやってくる客の注文をとり、料理を配膳し、会計をしていく。
「はあ~~! やっぱり今日は大盛況ですね」
「すまないな。まさか、ここまでとは思わず……」
「いいんですよ、その分、バイト代はがっぽり頂きますんで!」
「それはもちろん」
ここは所謂『海の家』。
先週ようやく梅雨明けしたこの地域では、長期休みに入ったということもあり、砂浜や美しい海、そして波を求めた、若者から家族連れまで、さまざまな人々でごった返していた。
そんな、今とんでもなく忙しいこの店を切り盛りするのは、本来ならばこういった浜辺ではなく、陸地に店を構えているはずのシェフ。そして、その店で働いている学生アルバイトたち三人だった。
ちょっと一息、とばかりにキッチンスペースへやってきた立香は、事前に用意してあったスポーツ飲料をごくごくと飲み干すと、もうまもなく焼き上がる、といった様子のイカを、鉄板前で今か今かと待ち構えるシェフ――アーチャーに声を掛けたのだ。そろそろ昼のピークタイムも過ぎる頃で、少しだけ余裕ができてくる時間。それでも料理には妥協しないアーチャーは、鉄板から目を離さずに立香の軽口に答えつつ、笑みを浮かべた。
「アーチャーさん、イカ焼き、そろそろでしょうか?」
「ああ、ちょうど焼けたところだ」
そこへ、眼鏡をかけた少女が顔を出す。
立香、そして双子の兄である藤丸の後輩であるマシュだ。
アーチャーは手早く用意した紙皿にイカを盛り付け、さらにそれを盆へと載せる。
このイカ焼きでようやく、来ていたオーダーが一通り終わる。少し遅めになってしまったが一旦店を閉めて、昼食タイムになるのだ。
「立香~、向こうの出店のお好み焼き買ってきたけど食う?」
「たべるっ!」
「そのくらいなら私が作るが」
「アーチャーさんも休憩時間ですよ! ほら、座って座って!」
一足先に店を抜けていた藤丸が両手に提げられたビニールを掲げれば、立香は元気に返事をする。いる? と問いながらも、すでに袋には4つ、お好み焼きが詰められたパックが入っているので、食べることは確定として買ってきたようだった。それに反応したのはアーチャー。一息、というところで、再び厨房に立とうとしており、すぐに藤丸はそれを引き留めた。
「切嗣さんからの差し入れのドリンクもありますからね! しっかり飲んでくださいね!」
「そう、だな」
双子の勢いに飲まれたアーチャーは、そこで折れた。
ここで倒れたらどうしようもないことを、彼はちゃんとわかっているからだ。
「しっかり休んで、次の波に備えようか」
アーチャーは、もともとというか、本来であるならばこういった海の家、という場所ではなく、自分の城でもある店を構えている。
それがなぜ、海の家なのか。
話はひと月前に遡る。
「――え?」
珍しい人物からの着信が、ちょうど店仕舞いをした夜にかかってきた。
それはこの店のオーナー。アーチャーの育ての親でもある、衛宮切嗣からのもの。
店の戸締まりを済ませ、あとはアルバイトである藤丸と立香を駅まで送っていくだけ。 そんなときではあったものの、彼はアーチャーにとって恩人でもある。よって、掛かってきたそのときに、すぐに電話を取った。
そして電話越しに届いたのは、着信名に登録してある切嗣、ではなく、その妻のアイリスフィールからであった。それに、なにかただならぬものを感じたアーチャーの神経は尖る。
彼に何かあったのだろうか。
一抹の不安が過り、そして――アイリスフィールから、思わぬことを告げられた。
『アーチャーくん。もしよかったらなんだけど、来月海の家をお願いできないかしら?』
話を聞けば、切嗣がとある人物にここから少し離れた海水浴場で海の家を任せるつもりだったらしい。それが、その海の家を切り盛りするはずの人物が不幸な事故によって怪我をし、この海の家を一定期間できなくなってしまったそうだ。本来ならば他の人材を探すべきなのだろうが、切嗣は現在、多忙の身。今も別の案件に追われているらしい。できるだけ早くアーチャーの状況を尋ねるため、アイリスフィールがこちらへ連絡を取った。
とりあえず、切嗣の身になにかあった、ということではなくホッとする。
胸を撫で下ろしたアーチャーは、アイリスフィールの言葉を反芻する。
海の家。場所はアーチャーも何度か行ったことのある海水浴場だった。そこにたしか古めの海の家、はあったはずではあったが、まさかあそこで? と、少々唸ってしまうと、それを見越していたのか、電話先のアイリスフィールは「今回の件で、海の家を改装することになっていたの」と付け足す。どうやらそのあたりも切嗣が関わっているらしく、それもあって、どうにかしたい、ということなのだろう。
「わかりました。ただ、海開き中全ての期間いることはできませんよ」
「大丈夫。最初の一週間ほどだけお願いできれば。もともとお願いするはずだったひとも、怪我の治りは早いみたいで」
「なるほど」
あくまでピンチヒッター、ということらしい。
それならば、アーチャーの方もなんとかなるだろう。本来ならば、長期休みに入って家事が億劫になった人々がやってきやすい時節となるため、できることなら店を開けておきたいところではあるが。
切嗣のためだ。
そして、詳しいことは改めて、と告げて通話を切った。
少し時間がかかってしまった、とアルバイトの二人に待たせてすまない、と振り返れば、「ちょっとお給料上乗せしてくださるなら、お手伝いしますよ」
「わたしも! まかないとかあると張り切りますよ!」
手伝う気満々の双子の顔。
アーチャーは、呆れたようにため息をつくと、では頼もうか、と小さく微笑んだ。
「ういーっす。届けモンだ」
「……ご苦労だな」
「そこでお疲れ様、とか言えねえのかね」
「ねぎらいはしたぞ」
「へーへー」
仕方が無い、といった顔で渋い顔をしながら口をへの字に曲げたアーチャーからは、なんとも素直ではない言葉が漏れてきていた。それをいつものこと、と思いつつ、乗っかってしまうのはこれまでの腐れ縁がなせる技。どん、と大きめのクーラーボックスを肩から下ろしたキャスターは、いつも通りの伝票を渡す。
「……で、景気はどうよ?」
「問題ないな。店自体を改装してリニューアルしてあることもあって、集客もいい。このまま売上を保ったまま、本来の持ち主にパスする予定だよ」
「ま、カワイイ店員もいるしな?」
キャスターがちらりと視線を送る、その先。
赤いアロハに白のショートパンツ。いつもの赤毛は後ろで括られていて首筋がよく見える。目の前にいる客に笑顔で受け答え、この夏の暑さによって流れる汗も煌めいて見える。
年下の恋人は、ああいう格好もとても似合うし、魅力的だ。
「おい」
「わーってるって。今は仕事中だ、ちょっかいはかけねえよ」
本当はこのまま抜け出してデート、としゃれ込みたいところではあるが、そこはそれ。
立香はしっかりと業務に励んでいるのに、それを邪魔する大人になるわけにはいかない。
「キャスター! 来てたんだ」
「よ。いいかんじにがんばってるじゃねえか」
そこへちょうど、立香が注文を聞き終わってキッチンスペースへと顔を出した。
ぱっと明るい笑顔は、先程の接客とはまた違った様子だった。
やはり、恋人の前だと女性はいつもより輝く、という話は本当のようで、立香もキャスターを目の前にすると、途端にいつもは感じない「女性らしさ」が出てくる。少し前までは、ただ元気の良いお嬢ちゃん、といったかんじであったのに。
それを、ひとりの「女」にしたのは自分である、と思うと、なかなか気分が良かったりする。
「そうなんだよ~! この海の家、大学に入って一年目のときに来たきりだったんだけど、すっごく綺麗に素敵になったよね!」
少しだけもたげてきた男の下心には気付かずに、立香は今の「海の家」について、そしてその客入りについて楽しげに話してくる。
もともとあった海の家は、いかにも、というような掘っ立て小屋と言っても過言ではないつくりをしていたそうだが、それはそれで海の家っぽさ、というものがあったらしい。それを今のような、海を一望できるカフェテラスのようなものに作り替えて、見栄えを良くするだけでなく、調理設備なども補修され、今まで以上に整えた、ということらしい。
「オレとしては、前のも良かったけどな。やっぱ、それっぽかったし」
「あはは。その気持ちもわかる~」
一応今回の改装はアーチャーの育ての親が関わっているそうだが、さらにこの地域の観光業にも関わってきていることは明白だ。去年とは明らかに海水浴客の人数は増えているし、この海水浴場から近い町の商店街では、新しく整備された海の家や、それに伴って調えられた海岸沿いなどをメインに様々なビラが行政から届いていたのだ。
「まあ、お前さんが楽しくやれてるならなによりさね」
心よりの言葉とともに、玉のようにかいた額の汗と一緒に乱れた前髪を払ってやると、かわいい恋人は急に不満顔になった。
「なんか子供扱いしてない?」
「そうか? 本当なら海の近くってことでランサーに行かせてもよかった配達を買って出た男だぜ、オレは」
ばちん、とウインクをするとすぐにその意味を察してくれたらしい。
夏の熱さとは違う理由で、その頬は一気に赤くなった。
「なあ、シェフさんよ。そろそろコイツも休憩時間なんじゃないかい?」
そこでとてもとても渋い顔をしながら、ふたりのその熱いやりとりを見ていたシェフは、これまた嫌そうに頷いたのを、立香は見た。
「ソフトクリームくださいな~!」
「はいよっ」
そんなこんなで、休憩時間となった立香は、海の家周辺に点在している出店の一つに顔を出す。元気の良い声が聞こえると、すぐにコーンの上に螺旋を描いた白いソフトクリームが完成していく。
「ほい、これ勘定な」
「まいどあり! 兄さん、かわいい子連れてるっすね!」
「ははは。だろう?」
気っぷの良い声と共にやってきた少女への賞賛の言葉を否定せず、キャスターは上機嫌で代金とほんのささやかなチップ的なものも握らせる。なかなかいい目をしていると頷くと、隣にいた少女は夏の熱さとは違う頬の赤みを隠すように、もらったソフトクリームに集中しだした。
「おーい、オレにもひとくちくれよ」
会計を済まして足早に店の前から立ち去ろうとする赤いアロハシャツを着た立香の背中を追いかけて、コンパスの差であっという間に追いつくと、悪戯っぽく声を掛ける。むう、と拗ねた顔がまたかわいいのだが、これ以上つつけば余計にへそを曲げそうだ。
しかしながら、ようやくふたりきりのデートなのだ。できるだけ楽しみたい。
なので彼女がちろちろと舐めていくそのソフトクリームに目をやって笑いかければ、おずおずとそれは差し出された。
「……いいけど、わぁっ」
その一瞬の隙を突くように、ほんの僅かな前に彼女が口づけていた場所とは反対側にかぶりつく。少女とは違い、大きな口で。一瞬で山の半分ぐらいが持っていかれる。
「も~~~! たべすぎ!」
「悪い悪い。お前さんが食べてたら美味そうに見えてな?」
悪いと思っていそうにない声で、口の端についたクリームを舐めとると、何かを思い出したのか、立香の顔がこれまた赤く染まる。
「ほ、ほしいならもう一個買う?」
「いんや、そこまで腹へってねえからいいよ。お前さんは?」
「……んー、じゃあ。あっちのフランクルト」
しょうがないなあ、と言いつつ、そのまま減ったソフトクリームをコーンまでしっかりと食べ終わった立香は、立ち並ぶ出店の一角を指さした。
「なんかね、トッピングがすごいんだって!」
「甘いモンのあとなのにいいのか?」
「い、いいんだよ! あのときはソフトクリームの気分だったの!」
休憩時間、ということで今は食事の時間も兼ねている。それを考えると初っぱなから甘味はどうなのだろう、とキャスターは思ってしまうが、そこは年頃のオンナノコというものらしい。おいしいものは食べたいときに。そういうことなの! と立香は言い募ると、わかったよ、とキャスターは苦笑する。
「じゃあ向こうに行くか。今日はオレの奢りだ」
「やったー!」
先程は流れでそのまま会計を済ませてしまったが、なんだかんだで年の差を気にしているのか、立香はあまりキャスターに奢られることをなかなか許してくれない。けれど今は、『バイトがんばった褒美』という建前があるため、気兼ねなく奢ることができる。
本当はちゃんとしたレストランなんかでそういうのができればいいんだがな。
少女はあくまで庶民的で、少しでも早くキャスターと並ぼうとしてくれている。
そういった気持ちも無碍にするわけにはいかないので、こういう機会は稀だった。
「おすすめはね、4種のチーズがのっけられたやつらしいよ」
「へえ」
こちらとしてはそろそろ胃もたれ、という言葉が見え始めてきた頃ではあるが、恋人が楽しそうにしているのであるならば、それを優先するだけだ。
「こっちこっち!」
「おー、やっぱ繁盛してるな」
ぐいぐいとキャスターの腕を絡めて目当ての屋台の前へ。どうやら立香も立香で浮かれているようで、普段なら少し気にしてここまで接触してこないのに、今日は絡めてくる腕の力が強い。一応財布なんかが入っている小さなポシェットを肩から斜め掛けにしているせいで、割と発育の良い胸が少しばかり強調されていることに本人が気付いているのかいないのか。それでもちらりと見る谷間が眼福であるし、腕に当たる感触も良いものであることは間違いないので、キャスターは大人しくそれに身を任せるのみだ。
そうやって件の「フランクフルト」の屋台へとやってくれば、他にもたこ焼きやお好み焼き、イカ焼きやきそばなど、いかにも、といった出店は並んでいる中でも評判に評判を呼んでいるようで、まず並んでいる客の数が違った。しかし、漂ってくるのはソーセージが焼ける良い匂いと、並び終わった客が持っているその「トッピングがすごい」フランクフルトだ。
「すげえな」
「おいしそうだよね!」
所謂「バエる」というやつだろうか。フランクフルトとそれを受け止めている皿まではよくあるものであるのに、そこにこんもりと盛られたトッピングがすごいことになっている。今通り過ぎたのは立香が話していた4種のチーズトッピングのようで、盛られたチーズは文字通り山になっていた。ぷん、と漂うチーズの匂いは確かに食欲もそそられるが、やはり胃のあたりが心配になる。そんなキャスターとは対照的に、立香はきらきらと目を輝かせていた。
「キャスターも食べる?」
「いんや、オレぁいいわ。腹へってるだろ、おまえさんが食べな」
「へへへ、じゃあいただきます!」
屋台は基本的にテイクアウト。よって並んではいたものの、順番はすぐに回ってくる。立香の休憩時間のこともあったため、あんまり並ぶようなら別の場所を、と思ってはいたものの、それは杞憂に終わった。
焼きたてのフランクフルトに、これでもか! とチーズが山盛り。さらにそこからバーナーで軽く炙ることによって香りを際立たせていた。
お待たせしやした~! と、これまた威勢の良い声がにっこりと笑いかけて、注文の品を立香に手渡してくる。支払いもすぐに終わらせると、テイクアウトした商品を食べるために設置されているであろうパラソルつきのベンチへと腰掛けた。
「あふい!」
「はは。慌てんなよ、別に逃げねえだろ?」
炙られたチーズはもとより、焼きたてのフランクフルトはやはり熱かったようで、ふうふうと冷ましながらその先端を咥えてちまちまとかじっていく。
……そういやぁ、ああいうことはまださせたことがねえなあ。
小さな口はおそらく一度には入らないだろう。徐々に徐々にならしていって……と。
つい、そんな邪なことを思っていると、
「ちょっとお時間いいですかね、おにーさんたち」
パラソルとは違う人影が、立香とキャスターにかかった。
「おにいさんとお嬢さん、兄妹かなにか?」
「ちげーますが」
あくまでにこやかな顔をして目の前に立つ男は、この直射日光がすさまじい浜辺にあっても、制服姿だった。青い半袖のシャツに紺色の制帽――つまり、警官。
こういうことは初めてではない。キャスターが一人で歩いているときも、ときどき軽く声を掛けられる。おそらく、サングラスに半袖シャツから覗く入れ墨のせいなのだろうと思うが、これはこれで実家の古い習慣というかなんというか。そういう関係で彫ったものなので、もうどうしようもなかったりする。なのでそのあたりは諦めているのだが、立香と一緒にいるときもこういったことが後を絶たないのが、どうしてもその顔を渋くする。
しかも今日はいつものスラックスにシャツ、というようなお勤め人ルックではなく、半分遊びで訪れたようなものなのとクールビズということで青いアロハシャツだった。もちろん半袖。なので入れ墨は見えるし、極めつけに浜辺ということでサングラスも持参していた。
まあ、立香と並べば、ちょっとしたガラの悪い男がかわいいオンナノコに絡んでいる、と見えなくもない。
なのでこういうような職質をかけられること自体は仕方ない。仕方ないことなのだけれど!
どー見てもたのしくいちゃつくカップルじゃねえ??
そういうふうに見られなかったから声をかけられたということは置いておいて。
向こうも職務、ということは理解しつつも、やはり渋面をつくることは避けられない。
「あ、あの! わたしこのひとの恋人です!」
「あ、そーなんだ」
パラソル前で立ち上がったキャスターは、目の前のにこやかな、けれどどこか鋭い目をしている警官に普通に相対していたつもりだったが、雲行きがあやしいと思ったのか、立香が慌ててその間に割って入ってくる。それを意外に思ったのか、警官は僅かばかりに目を丸くしている。
「そうです! 見た目ちょっとこわいかもですけど、あやしくはないんで……!」
「ちょっと待て立香。こわくはねーだろ」
「わたしはね! でも小さい子の前にいきなり現れたらたぶんびっくりするし、下手したら泣くとはおもう!」
「りーつーか」
この嬢ちゃんは、かわいい恋人を守りたいのだろうか、それともより窮地に追いやりたいのだろうか。
そんな気持ちで引きつった笑顔を向けると、当の本人は大真面目であった。もう目がそう言っていた。はあ、とキャスターはどこか諦めたため息も漏らすしかない。
「あー、ハイハイ。なるほど、大丈夫そうですねー」
そしてそんな二人をどこか遠くを見ながら、そして疲れた様子で警官は少しばかりなげやりな言葉を投げかけた。
「うん、僕が見たかんじ、まじで大丈夫っぽいんで。とりあえず二人とも身分証見せてもらえる?」
この真っ昼間のあっつい中でさらにオアツイカップルのいちゃつきなんて見たくねえ、というような圧を放ちながら、けれど表面上は笑顔を保ったままの警官は、ふたりにいつもどおりの流れを向けていった。
「立香、学生証は?」
「免許証があるから大丈夫!」
とにもかくにも、これですぐに解放されるだろう。そう思ってすぐに財布を探るキャスターは、さすがに立香の方は、と思い至って確認をする。けれど彼女は、満面の笑みを浮かべていた。
「おー、お嬢さんは免許証ね。オーケー、年齢確認よし、と」
「はい、ありがとうございます」
ふふん、と得意げなその表情。警官は少し苦笑しながら、すぐにはい、と『藤丸立香』と記載された免許証を返してくる。
「いつのまに取ったんだよ」
「春にBBQしたでしょ? あのあとすぐくらいかなあ」
立香は立香で、昨年ようやく二十歳になったばかり、ということもあってか、まだ未成年に見られることを少し気にしていたらしい。嬉しそうに免許証を見せてくるが、そういう反応こそ、彼女を未だに10代に見せていることを理解しているのか。
「おにいさんも確認よし。手間取らせて申し訳なかったですね」
「イエイエ」
慣れた手つきでキャスターも免許証を見せれば、これまた慣れた様子で警官も確認をすぐにし終える。これでやっとか、とホッとするかと思いきや、免許証を手元に戻そうとした瞬間、強い力で阻まれた。
「おにーさん、まあ、開放的な気持ちになるのはわかりますが、人出も結構あるんで気をつけてくださいね」
「ソウデスネ」
しかしながら、やはり立香の実年齢とキャスターの実年齢に差があることに気付いた警官はにこやかに、けれどきっちりと窘めていく。制帽の下から覗いた眼光は鋭いもので、一介の巡査にしてはそれは随分と剣呑だった。
それに渋い顔をして、棒読みで返事をすることしかできない。
年齢差は自分でもわかっている。こういった職質もはじめてではないし、立香がある程度年齢を重ねないと続くことだろうと予想もしている。
「気をつけますよ」
けれど。それでも。
彼女といることを決めたのは自分であり、選んでくれた彼女のためにも、引くわけにはいかない。
そんな気持ちで、より強い力で免許証を警官の手から取り返した。
「じゃあ、お疲れ様です」
「いえいえ。こちらも仕事だもんで。お嬢さんもすまんかったね」
「大丈夫です、お仕事ですもんね」
警官はすぐさまその剣呑な気配を消して、先程までと同じようなにこやかな、しかしながら今では多少胡散臭く見える笑みを浮かべる。同時に、背負っていた無線のようなものがガーガーと騒ぎ始めた。
「はい、こちら斉藤」
では、と言うようにその無線を受けた警官は、軽く会釈するとそのまま二人に踵を返した。「えっ、そりゃないですよ副長」「そのへんは沖田ちゃんに頼んで……って、いない!?」という、どうやら親しい身内のような会話を繰り広げながら去って行くのを、少しだけ眺めていた。
「いやあ、またご迷惑をかけてしまって……」
「ンなことあるか」
その喧噪が聞き取れなくなって、少し。照れたように頭を掻く立香に、キャスターは真っ直ぐに答える。
「オレこそ、こーゆーこと、毎回になっちまって悪いな」
「そ、そんなことないよ! それこそお互い様っていうか!」
渋い顔のキャスターに、慌てる立香。
立香も立香で、自分の年齢がようやく成人に達したとはいえ、こうなってしまうこと自体をなかなか避けられないことを気にはしている。
でも、だからといって離れたくない。
彼女の瞳は、たしかにそう言っていた。
「ははっ。まあなんだ、お巡りさんのお墨付きももらえたことだし、デートの続きといくか」
キャスターには、それだけで十分だった。
すぐにいつもの大きな笑みを浮かべると、華奢な立香の肩を抱いて歩き出す。
「ちょっとまって、まだ食べ終わってない!」
「おっと。そうだったな」
しかしそこですぐにストップが入る。二人が座っていたベンチには、取り残されていたフランクフルト。もともとの熱と、照り返す太陽光の熱によって、チーズは先程よりもどろどろになってしまっていた。
「手伝うか?」
「ちゃんと食べるよ! もったいない!」
小さな口をこれでもか、と大きく開けてがんばってかぶりつく。
白い歯がチーズの下にあるソーセージの皮を破り、ぷつん、と小気味良い音と同時に肉汁が溢れてきている。とろけたチーズは口のまわりにまとわりついて、肉汁はそのまま立香の口に入りきらず、唇から顎に向かって流れてしまう。
「立香」
「んむ?」
ごくり、と生唾を飲み込んだのは、一瞬だった。
そのまま誘われるように、口元についた肉汁とチーズを舐めとって、ちゅ、とかわいらしい音を立てる。
「んー、やっぱ味濃いな」
「ちょ、ちょっと、キャスター!」
「なんだよ」
「なんだよ、じゃないよ!」
あわあわと、これまでにないほどに慌てる立香。
それもそのはず。今まで二人はキスはしたしその先も経験済みであっても、こうやって人目が多い中での接触はほとんどなかった。
「言ったろ、お巡りさんからお墨付きもらったって」
あの警官は、パパ活、と最近言われるような男女の付き合いではないと、判断したのだ。
そういう判断を下してもらったのだから、そういうふうに見えるようにしたくなった。
「それだけだ」
「だからって~~~!」
もともと人目を引くカップルであったふたりは、職質騒ぎから余計にじろじろと見られている。それなのに、余計に目立つことを! と立香は恥ずかしいやら困るやらでてんやわんやであった。
「いいじゃねえか。ちゃんと恋人らしくいちゃつこうぜ」
素直に『恋人です!』と言い切ってくれたこと。それが嬉しかったことなどは話さずに。
キャスターは夏の熱ではない理由で火照る立香の頬をまた撫でて、そう耳元で囁いた。